加賀舟岡山城の見方考え方
◆長谷川
越前加賀には石山本願寺から派遣され
た若林長門守と言う武将が越前杉津砦、
加賀小松城、などに関連し投場して気に
なるところです。
◆一般城愛好家
日本全国の城に放射状測量痕跡を次々
と城郭ビイスタ論としてブログ投稿されて
いますがその動画再生数6900回と驚異
◆長谷川
祝辞を賜りました事に対し心より感謝を
いたしますがブログ読者がゼロに近くて
毎日気分が落ち込んで暗い日々です。
◆反論者
そのようなビイスタ動画は絶対に見な
いようにして下さい。絶対に見ない事。
◆長谷川
加賀大聖寺扇型ビイスタあります▼
◆対談者
さて加賀小松城にビイスタがある事▼
◆対談者
これらの分析は私にとり未知の城郭学
とも、まるで別の国の城郭研究世界観
かと思うほどの衝撃な内容に思います。
さて加賀屈指の縄張を持つ織豊系の
城郭として加賀舟岡山城もビイスタの
方程式やビイスタの工法が読取れる
のでしょうか?
◆長谷川
加賀舟岡山城にもクサビ型形状の
ビイスタ工法を読取る事が可能▼
◆白山市文化財保護課さま情報を
要約致します。舟岡山城の解説文
舟岡山城跡は、舟岡山(標高186.2m)
織豊期に再構築されたと思われる、石塁
織豊期に再構築されたと思われる、石塁
や土塁が極めて明瞭に残存している。
天正8年(1580)に若林長門守ら本願寺側
天正8年(1580)に若林長門守ら本願寺側
支配から、織田信長側の支配下築城と考え
られ天正11年(1583)前田利家、金沢へ
入城して重臣・高畠石見守定吉を城主に
任命。天正8年(1580)閏3月9日には柴田
勝家ら軍勢が加賀に侵入、11月17日、勝家
の調略で若林長門や鈴木出羽守ら19名の首
を安土へ届けたこと、加賀の地での本願寺対
織田軍と抗争は集結したかのように思われた
が、前田利家は金沢城に入城の際白山麓地域
は非常に不安定であることを認知しており、
戦術的にも実績があった高畠定吉を配置して、
金沢の南部の防衛を強化するのを目的とした
◆質問者
加賀大聖寺城の様な美しく調った
扇型のビイスタは加賀舟岡山城に
は存在致しますか?
◆長谷川
困りましたね。全ての城は土木
技術による土木工事です適当な
築城をしてる訳ではなく測量を
実施して地縄張を施して築城を
しております舟岡山ビイスタ▼
◆質問者
小松城では重複型ビイスタを
分析されていましたが舟岡山
城にも重複ビイスタあります?
◆長谷川
困りましたね。舟岡山城にも
重複ビイスタ工法存在します。
◆反論者
ウソだ!ウソだ!城郭ビイスタ論など
絶対信じない全員で無視する事にする!
◆質問者
コンパスを使った縄張がありますか?
◆長谷川
見事に半円形の縄張を施工してます。
◆長谷川
様々な部位にビイスタが存在します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます