城郭 長谷川博美 基本記録

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令和の衝撃 新城郭研究論 大小ビイスタ工法論

2022-11-05 06:36:07 | 近畿の城 ビイスタ工法

 

令和の衝撃 城郭研究論 大小ビイスタ工法論

◆小姓谷小太郎「匿名」

健康の為に八幡山城に時々登山しております。

小姓谷の小太郎と申し上げます。八幡山城の

本丸の枡形が正方形でない事に気付きました。

 

◆長谷川

 それは城郭ビイスタ論で設計されているから

です。是非興味にある方はブログをご覧下さい。

 

◆並河「匿名」

亀岡城の大中小ビイスタを御教示下さい。僕は

藤堂高虎や明智の縄張の深奥を知りたいのです!

 

◆反論者

城郭ビイスタ論など存在する訳ないだろうがよ!

 

◆長谷川

赤線の扇状形態が亀岡城の大ビイスタです。

 

 

◆長谷川

みどり色のビイスタ腺も存在致します。設計の痕ですね。

◆長谷川

丸は青腺の中ビイスタです。黄色は小ビイスタです。

◆東横次郎「匿名」

すごいよ!こんな事図書館にある本を何千冊も

読んでも教えてくれないよ。長谷川先生だけだ!

長谷川先生は令和の藤堂高虎か明智光秀ですよ!

◆反論者

ふんこんな事ぐらい朝飯前に子供でも解るわ!

 

◆対談者

そう!子供でも解る簡単な事ね!

高慢な貴方は否定する事が大好き!

そもそも貴方が信奉した先生こそ

が城郭ビイスタ論を全く解っては

いなかったと言う事になる訳ね?

 

◆一般者

じやあ我々は一般の人は何を信じて

城見学を楽しむ為の先生を探すの?

 

◆対談者

よく考えて御覧なさいよ!何で貴方は

一体?人間の先生ばかり崇拝する訳?

昆虫学者は昆虫を必死に観察している。

魚類学者は魚類を必死に観察している。

天文学者は天体を必死に観察している。

城の学者は城郭遺跡を真剣に観察する。

城郭の先生は人間じやない城自体です。

城自体を真剣見学する事が第一の先生!

 

◆長谷川

最後まで繰り返し読んで下さい。図も面倒ですが

繰り返し繰り返しその線や配列を考えて下さい。

何しろ図書館とは「図」と「書」の館なのです。

 

◆質問者

近江八幡山城に何度も健康の為に登山して

います。ブログで城郭ビイスタ論を読んで

から正確な長方形だと確信していた本丸の

枡形門跡の石垣が正長方形でない事を最近

になり気付き長谷川先生に質問を致します。

◆長谷川

現代も町中に三脚と電子測量機を設置して

て角度を測定しなが正確に道路や公共施設

を測量されています。天正期には光学電子

測量機は存在しませんが地面に測量盤設置

して近江八幡山城の枡形を放射状に測量し

た事が読み取れます。これを城郭ビイスタ

工法と私は呼称しております。

 

 

◆匿名様

九州の熊本城に行った経験がありますが四角い

城でした。長谷川先生の扇型ビイスタ論は通用

しませんわ!まして加藤清正の縄張ですからね。

 

◆対談者

それ貴方の心象や印象です。実際の形状が大事。

 

◆長谷川

秀吉を頂点とする豊臣、尾張人脈が加藤清正で

です当然ビイスタ工法を熊本城でも駆使します。

熊本城本丸の赤線が実はビイスタ工法なのです。

扇型に測量された場所に気付く心素直な城研究。

◆一般者

本当に長谷川先生は深い城郭の読みですね!

日本の城にはビイスタが存在する事はもう

否定できない令和の新研究視点なのですね?

もう普遍論、令和の当然の城郭常識な訳で

『城郭ビイスタ論動画』みない人は100年

遅れた城郭史観しか持ち合わせてない人ね!

 

◆質問者

さて

戦国武将は文房具のコンパスを使いましたか?

 

◆長谷川

久能山東照宮博物館には徳川家康の遺品として

コンパスが残っています。

 

◆質問者

と言う事は日本の城にもコンパスが使われ設計

縄張されていた事を考慮すべき重要な遺品です。

 

◆対談者

当前じやないの日本国の城は幾何学で設計され

てるのよ一体あなた何の為に城に行く訳?城の

平面形状がどんな形か?知る事が城郭のキモよ!

江戸時代の長崎出島だってコンパスで設計した

人工島だって事ぐらいは小学生も解る簡単な事!

◆長谷川

日本の城がコンパスや分度器で築城されてる事

は今や常識なのですこの現実は否定できません。

 

▼玄番尾城ビイスタ工法 滋賀県福井県県境に所在

 柴田勝家の城

▼丹波亀岡城 ビイスタ工法 明智光秀の城

▼浜松城 ビイスタ工法 徳川家康の一時期の居城

▼江戸城本丸 ビイスタ工法 徳川家康関東江戸入部の城

 

 

◆超ベテラン城郭愛好家

私は50年5千城も城に行って研究してきたけど

本当に残念な事に城郭ビイスタ論が解らない!

 

◆対談者

何で安土城の形が変なのよ?何で城は正方形に

作られた城が少ないのよ?私は常々疑問でした

でも長谷川先生の城郭ビイスタ動画で気付いた!

 

◆長谷川

貴方は物事に疑問をもって行動するタイプの人

この様な人は必ず城を大きく悟って大成します

大疑は大悟の基(たいぎはたいごのもとい)

超ベテラン城郭様は城に行く様式やスタイルに

従順でした先輩から習った形式で城を学んだ人

城に対する観点がマニュアル化し様式化した事

に気付かず様式形式常識論に捉われた城郭見学

迷わぬ者に悟りなし(まよわぬものにさとりなし)

疑問や迷いを持たない人は悟ることもない

おおいに迷うからこそ悟りも開けるということ。

◆対談者

長谷川先生の城郭ビイスタ工法動画知らない間に

2800人を超えています!これは令和の新城郭理論

 

▼玄番尾城 本丸天守台と 多門櫓の復元推定画像

◆推薦者

令和4年6月18日国指定遺跡で続日本名城100選認定

の玄番尾城見学会があります私はこの見学会を大変

楽しみにしております。何しろ巨大な城郭遺跡です。

問合せと予約はウッディパル余呉城郭係様へどうぞ。

☎0749-86-4145 ウッディパル余呉 城郭係

 

◆城郭愛好家

私は連格式、梯郭式、円郭式、渦郭式、群郭式など

の城郭用語から城郭事典の全ての言葉を暗記してる。

でも城郭ビイスタ論は聞いた事がなく正直驚いてる。

これは令和の城郭新論として大変な意義のある事だ。

 

◆一般者

今回は城郭の大ビイスタ、小ビイスタの解説を是非?

◆長谷川

享保18年の『量地指南』には大ビイスタ「大型放射状

測量」小ビイスタの「小型測量方法」が記されてます。

 

◆質問者

長谷川先生は民俗学も加味して城郭を柔軟に分析され

従来にない城郭ビイスタ論を発展させており衝撃的で

その結果として2800人ものビイスタ動画視聴がある。

 

◆質問者

さて規矩術の意味を解説して下さい。

 

◆長谷川

規=曲尺「かねじやく」大工道具 角度を出す道具

矩=のり=コンパスの事で双方合わせた規矩術です。

 

◆質問者

日本国に角度を出す民俗資料は存在しましたか?

◆長谷川

現在米原市近江図書館でコンパスの原形が

展示されています。城郭図書も多数そろっ

ており是非近江図書館でコンパス「規」を

一度見学し民俗学を深く楽しんで下さい。

 

◆長谷川

先ず長浜市に所在する玄番尾城

の大ビイスタは黒線の放射状で小ビイスタが赤線で

示した扇型の北郭が玄番尾城の城郭小ビイスタです。

 

◆長谷川

令和4年6月18日見学する玄番尾城は巨大城郭です赤色の

大ビイスタ青色中ビイスタ黄色小ビイスタ大中小が存在。

◆長谷川

東海方面の方には諏訪原城のビイスタ工法に

ご注目下さい。本曲輪を形成しているのは緑

色の中ビイスタ工法です。大ビイスタ工法は

赤色で縄張された諏訪原城全体を形成するA

の大ビイスタと言え当城の小ビイスタは青色

Cの各所に設けた丸馬出こそ小ビイスタです。

◆一般者

素晴らしい!こんな斬新な研究論を初めて知り幸運!

大きな「扇型ビイスタ」と小さな「扇型ビイスタ」が

一目瞭に一般者でも簡単に楽しく明確に認識可能です。

 

◆質問者

長谷川先生の先生や師匠に相当される方はだれですか?

 

◆長谷川

私には現地城郭遺跡自体が純粋で素朴な城の先生です。

 

◆質問者

伊勢長嶋城は清州会議に出席しなかったものの滝川

一益は長嶋城を拠点に柴田勝家と連携して羽柴秀吉

に対抗しますが滝川の長嶋城にも大小ビイスタ構造

は存在したのでしょうか?

◆長谷川

脱線しますが

 下図が滝川時代の城とは確定出来ませんが複数の

ビイスタ工法を備えた城郭で上図青腺は中ビイスタ

に該当致し当城郭小ビイスタは別件でまた述べます。

この城は滝川の城とも織田信雄の城とも考えられる。

 

 

◆別件

Cは枡形虎口と呼ばれ城内への入場経路です。

隣接空間「横矢」のAとBは何れも90度直角

に絵描かれておりません。これ放射腺測量

の影響が読み取れます。これは小ビイスタ

◆一般者

 

玄番尾城城主は柴田勝家ですが、では勝家主君の織田

信長の安土城には「大小扇型ビイスタ」存在しますか?

 

◆長谷川

織田信長の安土城です。

城全体を統括する大ビイスタ黒線、各部の中ビイスタ

赤線や局地的な部署に施された扇型、楔型のビイスタ

が要所に配置され繊細で幾何学的な縄張がされてます。

このような測量視点に立脚した城郭研究は戦前戦後を

とおして全く存在しなかった新規研究視点と言えます。

▼安土城八角平の小ビイスタ工法 

 見事なシンクロ連鎖式のビイスタ工法を駆使

 した城郭縄張の知られざる高度な奥義が存在。

 

◆一般者

織田政権を継承した織豊の「豊」豊臣秀吉、太閤秀吉

の城に大中小の各ビイスタ工法が存在するのですか?

 

◆長谷川

 文禄慶長の役の際の秀吉本営の肥前名護屋城です。

全体を統括する大ビイスタ工法が黒線の扇型縄張です。

弾正丸の扇型形状が中ビイスタ工法、遊撃丸は楔型の

小ビイスタ、東出丸、台所丸も、小ビイスタ楔型です。

 

◆長浜市木之本町住民様

木之本田上山城は秀吉の弟、大和大納言となる

羽柴秀長の賤ケ岳合戦時の陣城ですがこの城に

も大中小の城郭ビイスタ工法が存在致します?

 

◆長谷川

城を探訪される事は高尚な趣味として健康促進

にも良い事なのですが、じっくり慎重に城址を

見学する事や思慮される事を私はお勧めします。

先ず青線が城全体を統括する大ビイスタですね。

角馬出含む「北郭」の形状も赤線これも正しく

楔型ビイスタ工法です。黄色の小型の矢倉台は

小ビイスタで田上山には大中小ビイスタが存在。

◆みんな

すげえ!ヤッパ長谷川先生の解説は深堀で本格派だ!

何百も城行ったけど?こんな解説初めて聞く超深堀!

 

◆世話人様

だから私いつも城見学の人に言います。むやみ

やたら走らずにじっくり腰を据えて城見学する。

やはり生涯学習なんです。学びて楽し生涯学習。

 

◆奈良県人

大和で最大規模の城郭と言えば郡山城が最大級

です。大和大納言豊臣秀長の郡山は破格の規模

の城です。彼は大和、紀伊、和泉の参加国また

河内国の一部を加え110万石の大大名なのです。

小ビイスタ、中ビイスタ、大ビイスタ、巨大な

ビイスタと四拍子揃った大城郭でしょうか!?

◆長谷川

先ず巨大な超大型ビイスタ構想が外郭部に存在。

総構の堀と土塁の規模は巨大な城下町をも

包含する超巨大型ビイスタ工法だと言える。

◆長谷川

視点を縮小し本丸二の丸三の丸をも含むビイスタが

存在致します。遠隔型楔型ビイスタも存在します。

特に三郭の横矢や折りはこの赤線ビイスタが基準。

▼縮小視点で見れば本丸は典型的な扇型ビイスタ。

◆長谷川

更に細かく検討します本丸と天守は小ビイスタ

黄色賤で設計されてます本丸二の丸は赤線扇型

のビイスタ工法です。

◆長谷川

更にみどり色のビイスタ腺も読み取れます。これも重要

◆長谷川

郡山城は筒井氏明智氏時代の普請、羽柴秀長の

普請と改修改変が加えられたと考えられますが

やはり本丸には各種小ビイスタが存在致します。

特に見逃して欲しくない羽柴系列の残影と言え

る小ビイスタの残影は見逃せません。

豊臣秀次 八幡山城のビイスタ表ビイスタ裏ビイスタ3ビイスタ

▼八幡山城 二の丸のビイスタ 右の放射線

▼賤ケ岳城の余呉城郭研究会

▼側面からの賤ケ岳城の城郭ビイスタ工法 推定復元図

 

◆一般者

それでは賤ケ岳合戦における羽柴秀吉方の賤ケ岳

城には大ビイスタと小ビイスタが存在しますか?

◆長谷川

赤色が楔型ビイスタ青色が横矢の小ビイスタ工法

です。一般の方は難解だと毛嫌いせずに紙飛行の

ような幾何学で城が設計縄張だと考えて下さい。

◆長谷川

織豊武将金森長近の飛騨高山城にも赤の大ビイスタ

と青の小ビイスタが潜在していると言えましょう。

飛騨高山城主郭部の構図ビイスタを考える事が重要。

 

◆長谷川

次宇陀松山城です。

赤線が楔型の大ビイスタです。青線の横矢が

小ビイスタ工法に相当する織豊系城郭ですね。

織豊系城郭宇陀松山城もAの両側が小ビイスタ

左から大ビイスタの大小ビイスタを使ってる。

◆長谷川

この宇陀松山城のAポイントには全山の郭を統括

する大型ビイスタも存在する事を忘れずまた青腺

は連続竪堀の測量基準にもなってる事も解ります。

◆大津市民様

志賀の陣の時の森氏織田信長の宇佐山城

には大小のビイスタ工法が存在しますか?

 

◆長谷川

本城には大津を大手として意識した石垣

とビイスタ工法で宇佐山の美観を整える。

 

 

◆質問者

上図が織豊系城郭としますと現在大津宇佐山城

に残っている気極めて明確な石垣遺構は本当に

ビイスタ工法なのですか?

◆長谷川

黄色の顕著な石垣は楔型ビイスタで縄張されて

いまい。そしてABのセンターライン中軸腺には

近世城郭の典型枡形虎口を配置する高度な縄張。

◆長谷川

センスの良い質問に驚きます。城郭見学には時

にセンスも必要です。貴方が鋭く御指摘の石垣

は実は楔型ビイスタのAポイントBポイントだと

貴方は城跡を分析している「鋭い様」ですよね。

 

◆食い下がり質問者1号

信長の安土城には黒線の表ビイスタも

緑腺の裏ビイスタも書かれています。

 

◆食い下がり質問者2号

元亀年間の志賀の陣の宇佐山城は信長の安土城

の試作の城坂本城も明智に築城されたプレ安土

城と私は考えています宇佐山城にも裏ビイスタ

が山中越えに対応した城郭ビイスタがあります。

◆長谷川

これは難儀な質問ですね!?京都に続く山中越え

方面にも宇佐山城の裏ビイスタは存在致しますよ。

 

◆食い下がり質問者3号

と言う事は織田信長の北陸方面重臣柴田勝家の

玄番尾城でも表と裏のビイスタ工法が存在?

 

◆長谷川

なんと蛇のように執拗な難儀な質問ですね!?

福井敦賀市利根側にも滋賀県長浜市柳ケ瀬側

双方に『表裏』の城郭ビイスタは存在します。

 

◆食い下がり質問者4号

ていうかビイスタ工法の大法則を応用するな

ら太閤秀吉の肥前名護屋城に裏ビス有ります?

 

◆長谷川

四連発の質問に疲れて来ましたが確かに

貴方の言う俗な言葉「裏ビイス」はある。

 

◆長谷川

宇佐山城に話題を戻します。

また出丸「端城」にまで小ビイスタ工法を

読取る事が可能で城塞は熟慮し設計してる。

 

▼宇佐山城 端城 楔型 小ビイスタ工法 典型的な紙飛行機型

宇佐山の端城も折り紙や紙飛行機の

様な幾何学世界が広がっております。

 

◆長谷川

佐和山城二の丸の小ビイスタ

◆長谷川

▼佐和山城本丸の大ビイスタ

▼佐和山城の各部のビイスタ工法

▼天正大坂城天守台 小ビイスタ工法に従い天主台は正方形ではない。

▼天正大坂城本丸の大ビイスタ工法 城の中央からの中央ビイスタ

 

▼武田勝頼 新府城 大ビイスタ

▼武田勝頼 新府城大手馬出  小ビイスタ 非常に高度な築城術です。

▼讃岐高松城の大ビイスタ工法 大ビイスタ

▼讃岐高松城  小ビイスタ工法

◆近江 浅井氏佐々木六角鯰江氏の鯰江城 大ビイスタ

◆近江 浅井氏佐々木六角鯰江氏の鯰江城 小ビイスタ

▼鎌刃城全体の大ビイスタ

▼鎌刃城西尾根の『連続竪堀群小ビイスタ』

▼鎌刃城 連続竪堀の位置

▼彦根城 小ビイスタ

▼彦根城 中ビイスタ 鐘之丸

▼彦根城 大ビイスタ 松原内湖 百閒橋よりの景観

 

 


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