東播磨 中道子城の秘密
◆加古川市教員委員会様看板より
中道子山城跡
播磨国守護赤松氏範(氏則)によ
って築かれ、本丸・二の丸・三の丸
から構成され、東播磨で最大の約
66,000平方メートルの広さがあります。
山城跡には、城攻めの時に、斜面
に竹の皮を敷いたが火をつけられた、
坂の上から鯛をかかげ食料があると
見せつけたなどの伝説があります。
本丸は、標高271mの山頂にあり、
土塁囲いが残っています。本丸入口
の米倉跡は、三方を土塁で囲み、
内側には石垣を積み上げています。
二の丸には、大手門と櫓門が造
られました。大手門は、四脚門の
構えをもつ山城跡最大の門です。
櫓門は本丸への通路に二カ所あり
ます。三の丸には、搦手(からめて)
となる裏門があります。山城跡北側
は、尾根を二本の堀切りで切断して
います。また、谷間には井戸を作り、
堤を築いて貯水池にしています。今も
井戸の水は涸れません。山城跡は、
大永年間(1521~1527)までに築城
され、火災後規模を大きくして再築城
しています。これが現在の中道子山城跡
です。この山城跡は、近世城郭へと
移り変わる過渡期の姿を残しています。
平成13年3月 加古川市教育委員会
(出典:本丸入口の看板より)
◆対談者
西播磨中道子城に江戸城の様な幾何学
城郭ビイスタが存在するのでしょうか?
◆長谷川
私には明確に解りませんが城とは
自然地形であった地形に設計施工
を加えて普請工事をしたものです
から人口構築物と考えるべきです
それは規模の大小時代の差異こそ
違えど日本国の城には測量設計が
確実にされている私は考えてます。
▼江戸城の本丸ビイスタ工法
▼西播磨中道子城ビイスタ工法
◆対談者
西播磨中道子城のビイスタ教示を!
◆長谷川
江戸城も中道子城も両城は日本国
の城であり当然設計測量された城
と考えるべきが冷静な城郭観察に
相当すると私は長年考えおります。
◆一般者
昭和平成の城郭の先生はこの様な
理論を一言も言っておられない事
この理論とは令和の必須城郭新論!
◆長谷川
中道子城キッチリとビイスタ工法
を施工した本格的中世城郭です。
約7ケ所以上ビイスタは読み取れ
ますから東播磨屈指の名城と見る
べきだと思います。
◆質問者
この城搦手の井戸郭の縄張
はどうされているのですか?
◆長谷川
良い質問されますね。水之手
郭の縄張の原則に従って8と
9から相対型ビイスタ工法を
用いた高度な縄張をしてます。
◆質問者
この城の実質的な戦闘指揮所
はどこにあったかビイスタで
分析できるのでしょうか?
◆長谷川
これまた良い質問をされます
この城の図形的中軸は下図の
中央ビイスタで解りますよね。
◆質問者
御教示を賜り感服しました。
◆長谷川
どういたしまして。私が解る
範囲で御答え致します宜しく。
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