◆考古学者
長谷川氏の古墳設計ビイスタ
には一目を置きます。従来に
の考古学には存在しなかった
土木測量術に着眼した素晴ら
しい研究視点と言えましょう。
◆長谷川
古代倭人が2基の前方後円墳
を一組のセットとして設計を
していた事に着目すべきかと
思います。2基の前方後円墳
配列に着目する事で古代人の
古墳測量築造技術を考察可能
です。
◆考古学者
正直言って私は古墳遺跡に
関して多くの知識を蓄積し
て来ましたがこの様に2墳
墓の配置に着目した考古的
論文は作成されていません
2墳の法則を貴殿の言う処
のビイスタ工法で解釈しょ
うとする試みは稀有の学術
的先駆的試論とも言えます。
◆考古学者
さて今回も無理難題を貴殿
にお尋ねを申し上げます。
気楽に自由に貴君の着想や
視点で以下の古墳群の幾何学
的分析や解析をお願いします。
川南古墳群分布図(宮崎県
『宮崎県史叢書 宮崎県前方
後円墳集成』1997年 より)
▼
◆長谷川
先ず2基前方後円墳を一組の
古墳のセットだと考えます。
2基の古墳の被葬者とは?
親子や兄弟の様な血統的な
肉親血族なのかは勿論不明
ただこのような様式が古代
日本に存在する事に着目。
▼愛知春日の二子山古墳
◆長谷川
川南古墳群の2基前方後円
墳には 1組2組3組4組5組
6組7組8組の2基前方後円
のセット「一組が読み取れ
ます。
◆考古学者
貴殿は比類なき平面図版
の分析解析能力を持って
おられ改めて敬服します
貴殿が学府勤務の研究者
ならばたちまち河南古墳
群配置一考察と言う論文
を著述し得る研究家とし
の見識や力量を所持して
おられます。是非論文と
して記録を残される事を
老婆心ながらお勧め致し
ます。
◆考古学者
さて貴殿が指摘された東近江市
木村ケンサイ塚古墳群の古墳群
ビイスタの如き古墳群配列に関
る総合的配列法則川南古墳群に
も存在するのでしょうか?
◆長谷川
川南古墳群全体の様相を統括
する総合視点古墳ビイスタは
A地点だと私は思います勿論
数世代に渡りこの古墳群築造
がなされた事でしょうが古代
人が先祖遠祖血縁一族の墳墓
を踏襲して計画的構築してい
た様相が読み取れると思う。
◆長谷川
Aポイントは更に細分化測量され
て下図の様な総合的配置がなされ
たと私は思います。
◆長谷川
一番大きな主墳「王墓」を古墳
群の中軸にして見てみましよう
下記の扇型の古墳群ビイスタが
読取れると私は思います。
◆みんな
すごい!長谷川先生のビイスタ
理論ってのは日本史全般に通用
する普遍的な日本土木測量史の
大理論と言えるものなんだな!
◆長谷川
もう少し川南古墳群の前方
後円墳の グループ分けを
試論として加えてみます。
Aと7に支配された古墳配置
Cと1、2に属すね古墳配置
3とBに所属支配の古墳配置
8に所属する古墳ビイスタ
Eに所属する古墳ビイスタ
が細分化して存在すると私
は考察を致します。これ等
のグルーブ分離はこの古墳
群の被葬者の世襲君主達の
歴代墳墓は主墳から家系が
分岐した支族達の墳墓群を
時間軸系列で展開している
のかもしれませんまた王族
に従属する葬祭儀礼墳墓の
設計構築に関わった人々の
墳墓はE群や近隣古墳群へと
広がりを展開していた可能
性もあると思います。
◆長谷川
倭国の古墳の一部の刀剣には
金象嵌の文字が数例発見され
て一部の上層王族階級に文字
を使う人々も居たと事は確実
だと思われますが
として「文字無し、唯だ木を刻み縄を結ぶのみ」
と記録されており川南古墳群の
配置や配列は倭国の地方の君主
達の王統系譜を示す系図や系譜
の様な役割が配置には存在した
可能性もあると私は考えてます。
古墳群とは王族やその家族達や
陪臣達の歴史や系譜を立体的に
表現した古墳葬祭儀礼や世襲
政治体制の痕跡かと思います。
◆番外質問
これらの川南古墳群分布図
菱形メッシュ状の網目状の
縄張配置は読み取れますか?
◆長谷川
更に細分化して分析すると
この様な配置かもしれませ
んが幻想論として誤解され
る可能性もあり危惧します。
◆番外質問
更に脱線しますが伊吹山には
ヤマトタケル伝説が記紀には
しるされています。伊吹山の
古代の神格化された白猪の姿
はタタミヒコとも説話の中で
語られますが伊吹山中にこの
菱形メッシュ状の削平群は
存在するのでしょうか?
◆長谷川
伊吹百坊遺跡のリンク記事
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