安土セミナリオ幻想
※はじめに
友達も仲間も相談相手も仕事も全くない、私は独り淋しく琵琶湖の安土を訪れた。
淋しい畦畔を茫然と歩いていると入江またはクリークと思われる場所に到着した。
★何故安土のクリークとセミナリオを目指したのか?
この版画だけでは何が何だか解らない!
上図はユンゲがバチカンに織田信長から贈呈された安土城の天主閣の写し「コピー」
模写と解釈されている事であるか゛、天主の上空の真近を小舟が飛翔する事は現実に
としてなく、当時の絵画にも遠近法は採用されていなかった思われる。この、小舟は
織田信長の援助で創建されたセミナリオの外観を伝えるものと私は考え太田牛一の記
した『信長公記』には安土城下の入江を埋めて宣教師達のセミナリオを立てたとある
のでこの版画の小舟は入江の近辺セミナリオの近くを行く小舟の姿の描写だと、私は
考える。小舟は斜め上に向かって進行しているが、この様な事は物理的には有り得な
い違和感を抱く。これは安土城下のセミナリオのクリークが湾曲している状況を描写
しており入江は絵画から省略されたと私は解釈している。要するにセミナリオのある
、安土城下の現地の入江に湾曲が認められ版画の小舟の航行の様子と現地の状況が
一致し理論に整合性があれば。このは版画セミナリオわ表現したものと証明されるの
ではないだろうか?
版画の楼閣は安土城を記録した
信長の家臣、太田牛一の記録した『信長公記』の内部7階の安土城天主とは明らかに
異なるものだ。気になるのは奈良地方の寺院で見られる錣「しころ」ふきと呼ばれ
る瓦の様式が採用され火頭窓も観察する事ができる。『信長公記』には安土城など
の瓦は奈良衆が焼き申すと記されている。この楼閣には城郭建築に見らられる。
石垣の描写がなく日本に残る南蛮寺の様子を伝える屏風絵の様相にも似る。
またバルコニー状の教会特融の家屋の庇が付属している事にも注目したい。
長谷川博美
※ガリラヤ湖
旧約聖書に登場するイエスの初期布教拠点はガリラヤであった。ガリラヤ湖とは琵琶の形を
した湖で、ガリラヤは琵琶の形をした楽器の事で、その楽器は後に東洋に伝播して琵琶になり
西洋に伝播して琵琶型の楽器リュートになりやがてそれがギュンターやギターの原型になった。
さて『旧約聖書』マタイの福音書には以下の如く記されている。
※マタイ福音書
第4章18-22節 四人の漁師を弟子にする
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれる
シモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐ
に網を捨てて従った。そこから進んで別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブと兄弟ヨハネ
が、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らを
お呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。」とある。
★「人間をとる漁師」とは教団の信者を獲得する宣教師や説教師の本来の役割であろうか?
※マッカサー元帥とウイリアム、メレル、ヴオーリス氏
終戦後昭和天皇とマッカサー元帥は東京で会見された。戦後日本の針路を決定する重要
な対面である。しかしその前日に日本の東京に滞在するマッカサーに対話すべく滋賀県
近江八幡に在住するウイリアム、メレル、ヴオーリス氏が東京に急行列車で到着している。
マッカサーとヴオーリス氏の対談の内様は詳らかではない。
※ヴオーリス氏所有の琵琶湖を行く船の名前
氏が所有した船舶名は「ガリラヤ丸」である。ヴオーリス氏はアメリカから来た宣教師
であり建築家でもある。ガリラヤ丸の船名はイエスのガリラヤ布教に因む名称と思われる。
※旧約聖書の受膏者「じゅこう者」
旧約聖書では、イエスのような予言者の事を「全身にオリーブ油を塗られた人」とも言う。
英語でメシアだ。皆様の中でワセリン状のメンソレータムを連想される人おられるかと思う?
※『信長公記』と伴天連
私は名古屋と米原で『信長公記』解説講師を合わせて約9年経験した。『信長公記』天正
8年閏3月16日の条に 『安土御溝の南、新道の北に江をほらせられ田を填めさせ、伴天連
(ばてれん)に御屋敷下さる』 ...とある事も認識していた伴天連とはパードレの事だ。
※パードレの意味
パードレはラテン語で父の事を言う。神父、聖職者、の意味がある。また一説には水先
案内人の意味や航空機のパイロットの語源とも関係ある言葉である。水先案内人に注目!
※『信長公記』の大臼「ダイウス」門徒
『信長公記』で著者の太田牛一は熱心なキリスト教信仰者の高山右近を切支丹と表現
せずに大臼「ダイウス」門徒と表現している。禅宗の檀家表現とは異なる門徒と表現し
ているところに布教活動を中心基軸にした切支丹の信仰形態をよく表現している。また
ダイウスはキリシャ神話で言われるところの全知全能のオリンポスの主催神「ゼウス神」
の事でもある。大臼=ダイウス=ゼウスと言う事になる。
※安土の小字「大臼/だいうす」と小字「主之御座/しゆみのざ」
友達も仲間も相談相手も仕事も全くない茫然自失の私が到着した場所は安土セミニリオ
跡の石柱のある場所だった。孤独な私は安土の入江で洋楽のゴスペルを1人淋しく口ずさ
んだ。漕げよマイケルだ。この曲にはヨルダン河やボートを漕ぐマイケルの姿が描写され
てアショアと言う文字も挿入されている。ガリラヤ湖はヨルダン河の流により形成された。
※ユンゲの安土の版画に困惑
パルコ―二―の付属した寺院風の建物は南蛮寺つまり安土のセミナリオだと私は直観したが?
屋根の上に斜めに航行する四人乗り小舟つまり「ボート」には納得がいかない。これは俗に
言う安土城の天守なのか?安土城なら石垣が描写されているはずだ。しかも、右斜めに飛翔
する四人乗りの小舟はかっての須田内湖や西之湖に浮かぶ舟の描写とは私には考えられない。
この小舟は内湖では無く曲折したセミナリオ周辺の水路やクリークに浮かぶ、小舟の描写で
はないのか?私はセミナリオ近辺の曲折したた水路を必死に探した。
これだ!確かに曲折した水路がセミナリヨ付近には存在して驚愕した。
※安土の小字「大臼/だいうす」からは大型建物礎石発見されず!
1580年に完成したのが安土のセミナリヨであるが大型建物礎石発見されていない。これでは
小字「大臼」にセミナリオが存在した証明にならない?セミナリオの存在した場所とは小字
「主之御座/しゆのみざ」ではないのか?判然としない。この問題に関しては保留にしたい。
しかし我ながら何故か?自分の孤独な風狂さに自嘲し虚しいく悲しい涙が頬を伝う。「微笑」
安土のセミナリヨは純和風建築三階建てで、客をもてなすための茶室が付属していた。信長は
屋根の瓦に安土城と同じ青い瓦を使うよう命じ、イエズス会員たちはこれに感謝した。責任者
となったグネッキ・ソルディ・オルガンティノ神父は入学者を集めるため、高山右近に依頼。
彼はキリシタンである家臣の子弟8人を安土に送った。オルガンティノ神父がセミナリヨの
目的について説明し希望者を募ると、彼らはそれに応えて入学を願った。その中には、後に
長崎で殉教するパウロ三木や、元和の大殉教で死んだアントニオ三箇がいた。
※はじめに
友達も仲間も相談相手も仕事も全くない、私は独り淋しく琵琶湖の安土を訪れた。
淋しい畦畔を茫然と歩いていると入江またはクリークと思われる場所に到着した。
★何故安土のクリークとセミナリオを目指したのか?
この版画だけでは何が何だか解らない!
上図はユンゲがバチカンに織田信長から贈呈された安土城の天主閣の写し「コピー」
模写と解釈されている事であるか゛、天主の上空の真近を小舟が飛翔する事は現実に
としてなく、当時の絵画にも遠近法は採用されていなかった思われる。この、小舟は
織田信長の援助で創建されたセミナリオの外観を伝えるものと私は考え太田牛一の記
した『信長公記』には安土城下の入江を埋めて宣教師達のセミナリオを立てたとある
のでこの版画の小舟は入江の近辺セミナリオの近くを行く小舟の姿の描写だと、私は
考える。小舟は斜め上に向かって進行しているが、この様な事は物理的には有り得な
い違和感を抱く。これは安土城下のセミナリオのクリークが湾曲している状況を描写
しており入江は絵画から省略されたと私は解釈している。要するにセミナリオのある
、安土城下の現地の入江に湾曲が認められ版画の小舟の航行の様子と現地の状況が
一致し理論に整合性があれば。このは版画セミナリオわ表現したものと証明されるの
ではないだろうか?
版画の楼閣は安土城を記録した
信長の家臣、太田牛一の記録した『信長公記』の内部7階の安土城天主とは明らかに
異なるものだ。気になるのは奈良地方の寺院で見られる錣「しころ」ふきと呼ばれ
る瓦の様式が採用され火頭窓も観察する事ができる。『信長公記』には安土城など
の瓦は奈良衆が焼き申すと記されている。この楼閣には城郭建築に見らられる。
石垣の描写がなく日本に残る南蛮寺の様子を伝える屏風絵の様相にも似る。
またバルコニー状の教会特融の家屋の庇が付属している事にも注目したい。
長谷川博美
※ガリラヤ湖
旧約聖書に登場するイエスの初期布教拠点はガリラヤであった。ガリラヤ湖とは琵琶の形を
した湖で、ガリラヤは琵琶の形をした楽器の事で、その楽器は後に東洋に伝播して琵琶になり
西洋に伝播して琵琶型の楽器リュートになりやがてそれがギュンターやギターの原型になった。
さて『旧約聖書』マタイの福音書には以下の如く記されている。
※マタイ福音書
第4章18-22節 四人の漁師を弟子にする
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれる
シモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐ
に網を捨てて従った。そこから進んで別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブと兄弟ヨハネ
が、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らを
お呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。」とある。
★「人間をとる漁師」とは教団の信者を獲得する宣教師や説教師の本来の役割であろうか?
※マッカサー元帥とウイリアム、メレル、ヴオーリス氏
終戦後昭和天皇とマッカサー元帥は東京で会見された。戦後日本の針路を決定する重要
な対面である。しかしその前日に日本の東京に滞在するマッカサーに対話すべく滋賀県
近江八幡に在住するウイリアム、メレル、ヴオーリス氏が東京に急行列車で到着している。
マッカサーとヴオーリス氏の対談の内様は詳らかではない。
※ヴオーリス氏所有の琵琶湖を行く船の名前
氏が所有した船舶名は「ガリラヤ丸」である。ヴオーリス氏はアメリカから来た宣教師
であり建築家でもある。ガリラヤ丸の船名はイエスのガリラヤ布教に因む名称と思われる。
※旧約聖書の受膏者「じゅこう者」
旧約聖書では、イエスのような予言者の事を「全身にオリーブ油を塗られた人」とも言う。
英語でメシアだ。皆様の中でワセリン状のメンソレータムを連想される人おられるかと思う?
※『信長公記』と伴天連
私は名古屋と米原で『信長公記』解説講師を合わせて約9年経験した。『信長公記』天正
8年閏3月16日の条に 『安土御溝の南、新道の北に江をほらせられ田を填めさせ、伴天連
(ばてれん)に御屋敷下さる』 ...とある事も認識していた伴天連とはパードレの事だ。
※パードレの意味
パードレはラテン語で父の事を言う。神父、聖職者、の意味がある。また一説には水先
案内人の意味や航空機のパイロットの語源とも関係ある言葉である。水先案内人に注目!
※『信長公記』の大臼「ダイウス」門徒
『信長公記』で著者の太田牛一は熱心なキリスト教信仰者の高山右近を切支丹と表現
せずに大臼「ダイウス」門徒と表現している。禅宗の檀家表現とは異なる門徒と表現し
ているところに布教活動を中心基軸にした切支丹の信仰形態をよく表現している。また
ダイウスはキリシャ神話で言われるところの全知全能のオリンポスの主催神「ゼウス神」
の事でもある。大臼=ダイウス=ゼウスと言う事になる。
※安土の小字「大臼/だいうす」と小字「主之御座/しゆみのざ」
友達も仲間も相談相手も仕事も全くない茫然自失の私が到着した場所は安土セミニリオ
跡の石柱のある場所だった。孤独な私は安土の入江で洋楽のゴスペルを1人淋しく口ずさ
んだ。漕げよマイケルだ。この曲にはヨルダン河やボートを漕ぐマイケルの姿が描写され
てアショアと言う文字も挿入されている。ガリラヤ湖はヨルダン河の流により形成された。
※ユンゲの安土の版画に困惑
パルコ―二―の付属した寺院風の建物は南蛮寺つまり安土のセミナリオだと私は直観したが?
屋根の上に斜めに航行する四人乗り小舟つまり「ボート」には納得がいかない。これは俗に
言う安土城の天守なのか?安土城なら石垣が描写されているはずだ。しかも、右斜めに飛翔
する四人乗りの小舟はかっての須田内湖や西之湖に浮かぶ舟の描写とは私には考えられない。
この小舟は内湖では無く曲折したセミナリオ周辺の水路やクリークに浮かぶ、小舟の描写で
はないのか?私はセミナリオ近辺の曲折したた水路を必死に探した。
これだ!確かに曲折した水路がセミナリヨ付近には存在して驚愕した。
※安土の小字「大臼/だいうす」からは大型建物礎石発見されず!
1580年に完成したのが安土のセミナリヨであるが大型建物礎石発見されていない。これでは
小字「大臼」にセミナリオが存在した証明にならない?セミナリオの存在した場所とは小字
「主之御座/しゆのみざ」ではないのか?判然としない。この問題に関しては保留にしたい。
しかし我ながら何故か?自分の孤独な風狂さに自嘲し虚しいく悲しい涙が頬を伝う。「微笑」
安土のセミナリヨは純和風建築三階建てで、客をもてなすための茶室が付属していた。信長は
屋根の瓦に安土城と同じ青い瓦を使うよう命じ、イエズス会員たちはこれに感謝した。責任者
となったグネッキ・ソルディ・オルガンティノ神父は入学者を集めるため、高山右近に依頼。
彼はキリシタンである家臣の子弟8人を安土に送った。オルガンティノ神父がセミナリヨの
目的について説明し希望者を募ると、彼らはそれに応えて入学を願った。その中には、後に
長崎で殉教するパウロ三木や、元和の大殉教で死んだアントニオ三箇がいた。
想定地が湾曲している事
に注目安土城と目される
版画の小舟は遠近方による
もので゜はないと私は思う。