城郭 長谷川博美 基本記録

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鳥居の見える風景

2019-09-26 02:07:13 | 比較研究論
★この投稿は私としては驚くべき閲覧者記録
を作った記事です。何故この記事が異常な程
閲覧者が多いのか?私本人には全く理解でき
ません。どうぞ更に記事を追記しましたので 
皆様は、この記事を最後まで何度も読みお楽
しみ下さい。 長谷川博美

★町の人の生の声
長谷川先生!ブログにあまり詳しく歴史の事
は書かないで下さい。私から見て長谷川先生
は一流の研究家で学者だと思うんです。この
記事を丸ごと拝借してまるで本物の研究家の
如く成りすます人もいるので注意して下さい。
研究の根本のオリジネターと物真似する模倣
の人では、その含蓄や奥深さは全く違います。

★長谷川
一体何の事やら?素朴なだけの研究家の私には
おっしやる意味が全く理解できないのですが?

★町の人の生の声
 一言!本物に気づけ!と言う事なんですよ!

鳥居の見える風景
 私は國學院大学で宗教心理学を上田 賢治
先生に学んだ経験がある滋賀民俗学会にも長
く在籍していた。國學院大學で神道を学んだ
のでこの写真にある鳥居が神道にたずさわる
人が設営したものでない事は即刻解る。何故
ならば鳥居の中央には目に見えないが神様が
通る正中線があると、神道では考えられてい
るので小さな鳥居の中央に支柱を設定する事
は神への不敬に相当し、神道に関する施設で
はないだろう。

この鳥居の模型は不法ゴミ投棄場所にゴミの
投棄が止まない場合神域をイメージした鳥居
の模型を設定する事により世俗のゴミ投棄を
防ぐ目的で設定された鳥居であろう。さて世俗
とは何であろうか?日本人の神観念を宗教心理
学的に観察すると複雑多様で一概には言えない。

博徒が自分の勝負事が勝利する為に神仏に祈願
したり学徒が進学合格祈願したり、自分の大願
を成就する為に神社に参拝する習慣が日本人の
世俗には見受けられる。世俗にとり祈願内容は
個人によって異なり、時に反社会的であったり
反道徳的な内容を伴う事も推定される。

 それは人間の心の持ち方が様々である事と
その深層心理を把握する事はなかなか困難で
ある。例えば、この鳥居が設定される以前に
ゴミを不法投棄していた人の心中はその行為
自体が人間としての心の穢れであると認識して
いない場合もある。鳥居が設定された瞬間から
以前から不法投棄していた人物は鳥居のある所
にゴミを投棄する事は自分の人生に厄災がある
かもしれない、神罰を受けるかもしれない縁起
でもない。是は縁起が悪いと考えたのかかもし
れない。人間とは験を担ぐ(げんをかつぐ)も
のである「験」とは神仏の霊験により、自らの
利益や栄達や願い事がかなうと思う心理である。

 これは人間が本来持っている生々しくもプリ
ミティブ「原始的」な現世利益に影響する神罰
を受けるかもしれないと言う発想である。神罰
を受ける事を恐れゴミの投棄を停止したと考え
られようか?さわらぬ神にたたりなしの世俗的
な考え(宗教心理)であろう。

 日本人の罪穢れの思想は日本の様々な古典の
なかに見られるが神詣での中には丑の辰参りの
ような自分の宿敵を呪詛しようとする、呪い殺
そうとする者もいる。有名な明智光秀が信長を
本能寺に打つ前の愛宕山で戦勝を祈願した参籠
も、それに該当するものか?その真相や光秀の
深層心理は未だに解明されてはいない。

 さてゴミの投棄を停止した人物は自分が社会
的にモラルの低い人間であり神に祈願事をする
には値しないレベルの人間と思ってない場合も
ある。

 道徳心が著しく低くくとも神仏に参拝する人
はおり時に社殿仏閣に落書きする不埒な人もあ
る。公共の図書館の本に鉛筆で書き込んだり本
を切り取る行為をする人もいる事を現実に知っ
た時に私は愕然と落胆する事がある。ましてや
その書物が私が読書したいと願う歴史書だった
りする時には世の中に、この様な事をする人が
実在するのかと思うと暗く落胆する事がある。

 中国には人間は生まれながらにして善人と
言う発想の性善説や人間は生まれながら悪人
であると言う性悪説もある。日本人の穢れの
思想に該当する文献は中国の『魏志倭人伝』
のなかに葬祭つまり葬式が終了した場合倭人
日本人は海の塩水に入水し身体を禊/みそぎ
清めた記録がある。その記録は今から1700年
も前の三世紀の事ではあるが、近年まで葬式
の終了時には清め塩を身体に掛ける習慣も見
られた。

 また『倭人伝』には葬式の喪主だけが白い
襦袢のような喪服を着用するとある。近年ま
で葬儀で喪主が白衣を着用する慣習は日本の
一部には残っていた魏志倭人伝の伝える時代
は日本に仏教が伝来してない遥かな昔の時代
で日本人の根深い葬送儀礼の習慣と、伝統の
古さをかいまみる思いがする。

人間とは
全ての人が一元の価値観を持ち合わせていない。
例えば相撲では今も塩を土俵にまく神事の所作
が残るが相撲に勝利して勝誇る力士を支持応援
する人や勝利しても土俵から落ちた対戦相手に
手を指し向ける力士を応援する人もおり人の好
みとは、一概に一言では言えないものだ。さて
相撲で力士が勝利して行事から褒賞を拝受する
時に必ず手刀を切る所作が現代でも見られる。

私がブログで書いた小説『轟陣兵』が大好評だ
が物語の中で彼が称える
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
は九字の護法である。

相撲の手刀とは修験道の九字の護法を、簡略化
して影響されたものと思われる。世俗で手刀の
習慣の残影と思われるのは人前を通る時にかす
かに手刀を切り、人の正面を横切る無礼を謝辞
する習慣である。『魏志倭人伝』では、道を歩
いていた場合身分の高い者が道を直進し身分の
低い者が草むらの中に平伏する習慣が書かれて
いる。これは正中線を身分あるものが前進する
姿だ。江戸時代の大名行列でも大名の行列を妨
げる者を無礼打ちにする場面を連想する人がい
るだろう。実際に幕末に島津侯が神奈川の生麦
を大名行列していたところに英人が馬上のまま
島津公の前を通過した時に島津藩士が是を無礼
打ちして国際問題となる生麦事件が発生してい
る。これも日本人の正中を歩く人の習慣や正中
思想の流れを汲むものであろう。

さて今回の投稿の最初の鳥居の画像の中央には
鳥居の正中に、支柱が設けられている事だろう。

鳥居の見える風景から日本人の罪穢れの観念に
ついてを書こうと思ったのだが?私個人の希望
として紳士的で柔和で善良な人と巡り合いたい。

私は宗教学を大学、で薗田稔先生から学んだが
宗教学とは布教や教化とは別の次元にあり宗教
を冷静に観察考察する学門である。人間にとり
儀礼と宗教を区分する事は時に難しい事も多い。
普段なにげなく習慣的に行っている行為にも時
として改めて冷静に観察する事も大切であろう。

◆仏教と神道の混合
日本人の神仏混合感覚(ミクスチャー感覚)
日本人は日本古来の神道と印度より中国を経て
渡来した仏教とを混合させた時期も存在した。
俗な事を言えば僧侶の家庭でクリスマスケーキ
を家族で楽しく食しても仏罪には相当しない?
まさに仏教の融通無碍(ゆうずうむげ)の世界
(柔軟なる善は認める)に相当するものなのか?

◆鳥居は日本古来の神道で供養塔は仏教的な物?
※日本の神仏混合の時代を考える

上記供養塔は伝足利持氏のものとされるが彼は
永享6年3月18日に鎌倉の鶴岡八幡宮に祈願文
を奏上している。その文に「呪詛怨敵」じゆそ
おんてき、と書かれており六代将軍足利義教を
呪い殺そうとした願文とされている。写真の供
養搭には鳥居の中央に正中線と思われる竪筋を
認め非常に学術的に興味深く感慨深いものがあ
ろう?さて上記で注目したいのは中世の神観念
として敵を呪詛して勝利したいと願う生々しい
現世利益的な人間の深層や願望が如実に現れて
いる事である。


正中線の起源
正中線の起源は天子南面するの故事の如く中国
では都城の中央に朱雀大路が設定され更に右京
左京が設定された。王の宮殿においても群臣は
左右に座して王から見ても右の大臣が上位とさ
れ日本では右大臣が最上位の臣に相当する。今
でも勢いある男性は俺の右に出る者はいないぞ
とその権威を誇る者もいるものだ。左遷とは?
文字通り右から左に降格され遠国に左遷する事。

◆日本の古墳時代の正中 翳 さしは の考察
世界大百科事典 第2版の解説を引用すると
さしは【翳】
儀式用の調度の一種で長柄の団扇である。
〈さしば〉ともいう。その字形が示すように,
中国では鳥の羽で作った。北魏の竜門賓陽洞
前壁の浮彫(6世紀前半)にその形を見ることが
できる。しかし,遺品はほとんどなく,千葉
県金鈴塚古墳出土の1対の金銅透金具を翳の飾
金具とする解釈が正しければ,稀有の1例となる。
敦煌莫高窟第138窟の晩唐の維摩経変相図
(9世紀)には,縦長と円形との2種の翳を同じ画
面に描いてある。《延喜式》巻四に,伊勢太神宮
や度会宮(わたらいのみや)の装束を挙げて,紫
翳・菅翳〉などと記すものは,紫羅を張った楕円
形のものと,菅(すげ)を編んだ円形のものとで
あるらしい。」とある。

▲翳のある竹原古墳壁画福岡県宮若市6世紀後半
この古墳の壁画には左右ニ対の翳さしはが見られ
翳は貴人や王の前に伺候した家臣と謁見する場合
に王の面前に躍り出て危害を加える刺客から王を
咄嗟に防御する事に用いられたと考えられる。従
って翳と翳と間には見えない正中線が存在したと
私は推定する。

◆翳とはなにか?翳「カザシ」とはなんなのか?
実は翳カザシとは城郭を学ぶ人にとって基本中の
基本で城址に行く人であれば誰でも知っている事
であると私が言えば城郭に興味のある人から大き
な批判を受ける場合もあろう。しかし本当なのだ。

外から城の内部が見えないようにおおい隠し、
敵の直進を妨げるための塀などをいう。
※武教全書詳解‐一七城築(古事類苑・兵事二五)
「茀と云は外より見えざる様にするの仕方にて」
とある。茀と書いて「カザシ」と読む城址に行く
と私は城址の翳や茀をよく説明する。ところがで
ある。解説を聞いている人はポカンと聞いてお
られるだけで私は解説者として失格ではないか
と悩む事がある。城郭の茀など私は誰でも知っ
ていると思っているが?正中を直進する事は殿
中作法でも禁じられている。城郭構造において
も城内に敵兵が直進する事を防ぐ施設として茀
「カザシ」はごく一般的な基礎である。ここで
私はみなさんが正中理論を学ばれ是を踏まえて
改めて城址の城門の正中を守る茀「カザシ」の
実例を身近な事例を上げて紹介したい。

▲これは近江鎌刃城の主郭部の虎口である簡単
に言うなら本丸の玄関と言えよう。一般に注目
されているのは上記の四脚門を枡形門と認識さ
れている事だろう。江戸時代の大名城郭にみら
れる枡形とは異なる石積の低い防御性の弱い虎
口は脆弱と言える。しかし正中線を遮る。つま
り主郭四脚門の前面には粘土と石灰岩を混成さ
せた強固で鉄壁とも言える壁が存在している事
だ。これこそ鎌刃城主郭を鉄壁に護る防御施設
!茀と書く「カザシ」の石垣に相当するものだ
ろう。鎌刃城主郭虎口前面の茀の石垣は敵を容
易に城内に侵入させない鉄壁の守りを誇る!注
意!当該石垣は保護の為に普段はブルーシート
で覆い隠されて保護され見えない。

◆古代渤海国の宮殿や寺院の正中理論と放射設計
古代渤海国とは? ぼっかいは698年[- 926年)
は、現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの
沿海地方にかけ、かつて存在した国家。大祚栄に
より建国され、周囲との交易で栄え、唐からも
「海東の盛国」(『新唐書』)と呼ばれたが、
最後は契丹(遼)によって滅ぼされた。
▼以下の図は『渤海文化』よりの引用である。整
然とした正中線が設定された寺院や都城がありそ
の宮殿建物には放射状設計が認められる。これは
西洋ではビスタ工法と呼ばれる建築群がより荘厳
に盛大に栄える設計法でもある。

◆纏向遺跡宮殿の恐るべき先進性!
纒向遺跡(まきむくいせき、纏向遺跡)は奈良県
桜井市の三輪山の北西麓一帯にある、弥生時代末
期から古墳時代前期にかけての集落遺跡。国の
史跡に指定されている。

私はこの纏向宮殿とも呼べる図面を一目みて驚愕
した。私だけが城址を見て驚愕し私だけが図面を
見て驚愕しているのだろうか?私の城郭理論や
正中理論を理解しておられるのは廣畑さんだけ
なのだろうか?私と言う研究家は哀れなものだ。
世の中に誰も城郭研究家長谷川を支持する人は
皆無なのだろうか?誰か1人でも解って欲しい!

         ▲
纏向宮殿遺跡図に長谷川が正中線を入れて見る
事にした。纏向宮殿の平面形状とは真に古代と
は思えない国家的な民に誇示し、その宮殿をば
全国に白示す為、城示す為、治しめす為の実に
先進性が潜在する、中央正中線と放射状設計を
併用した驚くべき宮殿施設ではないだろうか!?
この遺跡の名称は、旧磯城郡纒向村に由来し、
「纒向」の村名は垂仁天皇の「纒向珠城(たまき)
宮」、景行天皇の「纒向日代(ひしろ)宮」より
名づけられたものである。と言う。

◆破天荒織田信長の天下布武の安土城に挑む!

▲安土城図に長谷川が正中線を
入れてビスタ線も入れた図です。

織田信長は天下布武を唱え一代の記念碑とも
言える安土城を築きました。古代の纏向や渤
海国の昔ならいざしらず。天正という画期を
なす、近世の黎明をなす安土城の設計には、
当時の最高峰の設計技術が用いられた事でし
よう。この記事を唯一読んでおられる。ひろ
はた様!今ともどうぞ宜しく御願いを申上げ
ます。

◆安土城とは自然地形に石垣をただ貼り付け
ただけの城と思われていないだろうか?安土
城に至る前には尾張小牧城の石垣普請や近江
虎御前山城の普請が

▲近江虎御前山城 伝 織田信長砦

▲近江虎御前山砦 伝 木下秀吉砦
展開されやがて秀吉の天正大坂城や文禄慶長
の肥前名護屋城にまでに、影響を及ぼして
いると言えよう。

▲ビスタ線、放射状線は長谷川が書き入れた

まとめ

虎御前山城は別として纏向遺跡も渤海遺跡も
そして信長の安土城 秀吉の肥前名護屋城の
いずれも国家的な国際的統治を意図して建設
された遺跡と言えよう。その時代はそれぞれ
異なるが遺跡の正中線や遺跡の放射状の配置
に我々初心者が気付く事が素朴な民間研究の
柔軟さ、または思わぬ歴史の深淵や歴史研究
の盲点を鋭く突くものではないのか?万有引
の法則を発見したニュートンしかり固定概念
にとらわれない人は、自由に、物事を進展さ
せたり研究の真理に到達する事が可能ではな
いのか?ある猿山の群れの中で一番先に飼育
係に配給されたリンゴを塩水で食べると美味
しく消毒にもなり消毒になる事に気付いた者
は猿の群れのボスザルではなく年若き小猿が
始めた習慣であると言う。霊長類とは人間の
知恵の本質とは?一体!何なのであろうか?
ニユートンのリンゴも小猿のリンゴも些細で
素朴な気付きから始まっている真理であろう。

歴史城郭研究家 長谷川博美
コメント (1)
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