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城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

長浜市西浅井歴史城郭講演報告

2023-08-02 08:48:17 | 日記

◆長谷川

令和5年7月30日私の郷里の伊香郡

西浅井町にある道の駅、あじかま

の里に歴史城郭の講師として招か

れ、『塩津の城ばなし』は盛況に

に終わりました。関係者各位様の

御協力には改めて感謝を致します。

◆長谷川

事の発端は1990年平成2年刊行の

『滋賀県中世城郭分布調査』現地

調査員として10箇所の城郭遺跡の

縄張図を私が作成担当させて頂い

た事が起源となっておりますから

現在2023年ー1990年=33年前の

昔に私が縄張図を作成した事に

なります。私が公的講演の場に

呼ばれる事は100%有りえない事

今後も全くない事でしょう近年

指定管理と呼ばれる企業団体が

発足し歴史城郭講師として稀に

城郭の講演や講座に呼ばれる事

はありますが平素は市民様の前

に私が登場する事は先ず有りえ

い現象だと常々考えています。

◆対談者

しかし民意を含む様々な方の

助力やお力添えによって先生

が西浅井の講演に登場された

事は心より感謝すべき事です。

 

◆講演参加者

こんな多数の城址があるのに

その城址の見学の機会が存在

しません。長谷川先生が該当

する城址の講師として御来場

されるのなら城址講演や見学

会は可能なのに社会の需要と

供給のバランスが取れてない

長谷川先生が、○○城の解説

講師として御来場あればと言

う声は潜在的には民意の中に

潜在していると思われます。

 

▼東近江発 桶狭間古戦場見学会

◆長谷川

私の様な純然たる民間研究家が

多数の市民様に支持される事は

社会悪だと大昔から常時痛感を

しています。よるべなき道かと

 

◆対談者

 マイナス思考にならず令和の

時代に正々堂々と城郭解説され

る事が善良な人々の民意に答え

る事だと私は思っております。

道の駅に集われた方々1人1人

の影の努力が実って塩津の城の

勉強会が実施された事は心晴れ

やかなる事かと私は思います。

先生の心はスレておられません

産まれたままの純粋城郭研究家

としてのフランクな姿勢が貴重

 

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滋賀発桶狭間古戦場ウオーキング会

2023-04-01 19:09:47 | 日記

 

 

◆長谷川

令和5年3月29日滋賀県東近江

と彦根犬上の有志の方による

桶狭間古戦場見学会の講師と

して行って参りました。現地

到着するバスの時間が遅れま

した。現地で大高城跡や鷲津

丸根の砦を巡見し桶狭間古戦

場へと到着いたしました現地

で地元のМ様の御案内に感謝

を慎み申し上げます。無事に

近江へと帰る事が出来ました。

▼丸根砦の切岸の下で記念写真

当日の天候は最高で大高緑地

公園には満開の桜を鑑賞する

家族連れを目にする事ができ

いく春を楽しむウオーキング

会になりました関係者各位様

に格別の御支援を賜りました

事を厚く御礼を申し上げます。

30日のウオーキングはもう少

し城郭遺構の様子を解説見学

したいと思っておりますが?

30日参加の皆様には宜しく御

理解と協力を願いを申し上げ

ます。

▼集合された彦根犬上の名士各位

▼30日集合された米原長浜の名士各位

◆30日現地見学解説の次第

長比城バス車内で解説展望

寝物語の里の存続歴史解説

『信長公記』山中の猿解説

関ケ原古戦場バス車内解説

上石津町明智光秀伝説紹介

牧田古戦場解説像鼻山解説

どうする家康質疑応答解説

徳川家康「元康」大高城の

桜見物と昼食会二ノ丸開催

大高城跡遺構見学解説順次

鷲津砦の残存土塁見学解説

佐久間大学 松平元康

丸根城 遺構見学解説会

▼すごく元気!東近江 北近江 連合会!

30日 桶狭間古戦場見学

 天運は我らの頭上にあり

  たまお君 元気溌剌

コメント (2)
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米原 玉緒 長浜 

2023-02-28 19:19:48 | 日記

◆長谷川

私は「マイバラ」と発音せず

「まいはら」と発音する習慣

があります。自然なものです。

▼何だろう?

▼一さな銀色の折鶴です。

◆城歩会会員様

米原『城歩会』は純粋な城郭

遺跡見学組織でした。しかし

長谷川先生が余呉の城郭遺跡

賤ケ岳古戦場の城郭遺跡講師

として比重が移行して我々の

米原『城歩会』は衰微をして

見学会学習会が開催される事

が少なくなり残念に思います

講師の長谷川先生もスタツフ

も同じなのに米原『城歩会』

は東海、近畿、北陸の中心

にして各地の城址古戦場へ

行ける条件を備えた優れた

会組織でしたのに 小さな

小さな 銀色の折紙の如く

米原『城歩会』は縮小した。

でも小さが素晴らしい会だ!

 

◆城歩会会員様

もし『余呉城郭研究会』が

とトレードオフの発想のも

とに城址探訪会の気風に変

容するような事があれば我

々余呉城郭研究会に在籍し

ている元来米原『城歩会』

面々は真の城郭遺跡見学の

意志や意向や志しが切り捨

せれる事になり本格的城郭

遺跡見学を希望する我々は

社会の不用物として切り捨

てられる事になるのですか?

我々は社会的少数弱者です!

 

◆遠方来訪者

城址遺構をコツコツと見学を

したい趣旨を持つ我々城郭の

遺跡を見学したい仲間達身内

は寄る辺なき孤独な個人へと

また逆戻りする事になります。

 

◆長谷川

私は知人や支持者の方や応援

をして 頂く人も現実に皆無

です。ブログ読者も一日20人

とブログは機能していません。

 

◆城歩会会員様

長谷川先生が余呉城郭研究会

城郭研究の初心を喪失する様

ならば余呉の講師は辞めて下

さい!命令します!初源組織

米原城歩会再興を専一にして

頂けませんか?

 

◆長谷川

私はしがない人気のない無名

講師です。理解者も支援者も

弟子もまた著書も一冊もない

浪々の身の者で無理な事です

私を起用される事業所様方針

従いある時は民俗学者とし

てある時は文献信長公記講師

としてまたある時は城郭遺構

解説者として地味かつ密かな

陰者として生活は孤立無援。

 

◆対談者

長谷川先生解ってないなあ~

来る令和5年3月29日桶狭間

古戦場見学会は長谷川先生

が講師です。29日有給休暇

を取得しても桶狭間古戦場

のハイキングに参加希望す

る人々でもうバスは満杯に

近いと聞きます。歴史地理

的にも長谷川先生は古戦場

案内者として多くのヒント

を御来場の皆様に提示され

る事で賤ケ岳合戦古戦場の

案内では№1定番としての

クオリテイーが極めて高い

 

◆対談者

いいですか!はるか県外か

ら長谷川先生の城郭見学会

に参加される人々の深層や

有給を取っても桶狭間見学

と向かわれる人々の心理は

決して奇妙で風変りな人と

私には思えません。重要!

だと認識しているからこそ

参加されている価値観です。

 

◆城歩会会員様

しかし3月30日は参加者は

①浅井  М様

②八日市 Y様

③高月 H様

④長浜 T様

⑤米原 H様

⑥奈良 S様

⑦長浜 Y様

と参加者が低調なのです。

これを一体長谷川先生は

どう考えておられます?

バスは東近江ー米原駅東

口9時と経由して桶狭間古

戦場見学を終えて4時には

米原に帰着5時に東近江に

帰着です。参加費も5650円

と良心的です米原の長谷川

先生支持者様にも連絡を

すべきだと私は思います。

そうでなければ30日見学

会は中止になってしまう!

 

◆長谷川

と言っても私を知る米原

の人々は皆無な訳です!

 

今の所

参加の予約は

東近江の米澤様

『城歩会』宮本様

の2者様の携帯電話窓口です。

 

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まいはら ながはま おうみ 『歩記』あるき

2023-01-31 18:38:18 | 日記

まいはら ながはま おうみ 『歩記』あるき

◆おうみ

米原市立近江図書館に行

ました。非常にポップで

色鮮やかなカンカン蒐集

展示を見られ感激でした。

カンカンにはビートルズやジミ

ヘンドリクスも登場し遠い昭和

の昔が偲ばれ懐古的な気分です。

何かAМラジオから流れる音楽。

 

◆まいはら

滋賀県東近江市では零下12.3度

を記録したと聞き及びましたが

これは滋賀県の冬の気温でなく

シベリアの気温かと思いました

まいはらを散歩していると氷が

長くぶら下がっていて驚きです。

しかし特に例年より寒いと私は

個人的に感じておりませんが?

◆おうみ

近江図書館で横尾忠則氏の

画集を鑑賞致しました。Y

字路と言う作品に深く感銘

と哀愁を強く受けました。

◆ながはま

私は意味も無く長浜を歩いて

いました。突然 私の眼前に

Y路路が現れて初めて通る道

なのにもう何百年も昔に通過

したような一種のデイジャブ

感覚を味わいました。右に行

こうか左に行こうか、分岐点

からは右の町も左の町も望ま

る。何とも不思議な景観です

なんかとても不思議な気分

分岐点に私は到着して何やら

不思議な道標が残されていた

はいこれは北国街道の道標

だったのです。私は左に道

を取り下坂田氏「下坂館」

の方に向いました。土塁が

見えて来ました下坂屋敷は

交通の要衝に城館が営まれ

た地理的要因が解りました。

◆対談者

安土城伝前田利家邸宅跡もビイスタ

佐和山城の二の丸城もビイスタ

長浜の三田村城もビイスタ

◆対談者

菅浦には現在惣村を護る為

の要害の門として西門と東

門が残されておりますさて

菅浦に『菅浦文書』が残り

戦いも存在いたしました。

また舟入跡も二か所存在

したので菅浦には湖から

攻撃されても応戦出来る

戦う惣村しての陣形と

とてのビイスタ工法施さ

れた可能性はゼロですか?

 

◆長谷川

菅浦は明治六年の地図では

2カ所の舟入が確認できます

舟入とは菅浦の湖の玄関に

も相当致します。赤い色の

集落域や二か所の舟入また

東西の要害門を考え併せる

菅浦もビイスタ工法の集落

と言う事になると思います。

▼近江菅浦のビイスタ

◆長谷川

菅の人々の信仰の中枢となって

いる湖ビイスタは黄色腺だと思

ます。

▼日本最大の惣村にして貿易港の堺の海ビイスタ

 

 

 

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日本のミステリーサークル滋賀余呉で発見か!?

2021-03-18 08:57:41 | 日記
▲城郭ビイスタ論クリックする。

北近江城郭鳥瞰図 上文字クリック

日本のミステリーサークル滋賀余呉で発見か!?

令和年3月20日に滋賀県長浜市余呉にある
ウッデイパル余呉で一発花火のイベントが
開催される。同地に存在する余呉城郭研究
会(生月茂会長)は半円形状の特殊城郭遺跡
が突然3月20日に発見され是を見学する事
を提案、城郭研究の専門家、長谷川博美
氏も大英帝国にある遺跡、ストーンヘンジ
にも似た羽柴秀吉方が実際に天正11年に
賤ケ岳の戦いで構築した、長浜市余呉町の
堂木山城の北尾崎砦を「古墳時代の遺構と
天正期の臨時築城陣城の重複遺構」として
極めて稀で、斬新な形状であると高く評価
して関係者の間で話題を集めている。当日
ウッデイパルでは花火一発が上げられるが
余呉城郭研究会が見学する予定の城郭遺跡
もまさに令和に突然あらわれたミステリー
サークルとでも言うべき奇妙な形状をなし
ている。この砦の見学会は一度きり文字ど
おり今回限り一期一会の見学会になろうか

◆城郭フオーラム御案内
日時 令和3年3月20日土曜午前10時10分
場所 JR北陸線余呉駅集合 堂木山城見学
主催 余呉城郭研究会 長浜 生月茂会長
講師 元滋賀県中世城郭分布調査員
   滋賀民俗学会理事
   長谷川博美
参加費 2500円
予約先 ウッデイパル余呉城郭係
    ☎0749-86ー4145
特典  弁当と資料現地遺構解説見学会

見学城郭レシピ

①堂木山南出丸砦 堀切犬走あり
②堂木山東外郭砦 削平犬走あり
③堂木山城本城部 ※土塁囲砦部
         ④主郭  三区画
         ⑤東副郭 大堀切
         ⑥南副郭 立土塁
         ⑦大堀切 東外郭

         ※土塁切岸折衷部
         ⑧北腰郭
         ⑨西腰郭 
         ⑩西堀切3条

⑪北東繫ぎ郭   出丸低土塁
⑫東北出丸砦   半円土塁
         立て土塁
         土橋堀切
         円墳2基
⑬        西北出丸
⑭        西出丸半円土塁

⑮        西天神古墳一基
⑮        神明山砦東出丸
⑯        神明山砦
         主郭
         外郭
         東郭
⑰        神明山砦 西出丸
               
 事前のお断り、講師の指示に従いスピーデイ
に要所を見学すれば①~⑰全てが見学可能かと
思いますが現実には堂木山城と出丸見学終了時
には既に日没近いと時間的に思われます。令和
3年度に神明山砦見学はプログラムされており
今回堂木山本城と普段平素見学できない5カ所
の砦を確実に吟味し丁寧に見学する事こそ城郭
見学する事が城郭研究の本道や根幹かと私は思
います。数多くの看板を巡視したとて看板巡視
に過ぎず本当の意味で城郭遺跡の形状を観察学
習したとは言えないと思います。城跡見学とは
城跡通過する事ではなく、よく城跡の形状を見
るべき事でないでしょうか?私は何十年も本当
の城址ではない所に〇〇城の看板が設置されて
た事件を経験しています。たかが城跡と軽視し
実際には城でない場所を真顔で大衆が〇〇城だ
と完全に信じ込んでしまった時の人間の恐ろし
さと言うものので大衆心理とはいっの世も正論
を純心に述べる人を異端の人と決め付ける集団
心理現象が現実には発生します。その典型とは
人類が歴史上繰り返している大量殺戮の戦争と
言う忌まわしい愚かな愚行です。私達歴史をあ
つかう者は真実や現実を如何に正しく伝えるか
が根本であり根幹で捏造や揉み消しは不正です。
あるがままに遺跡を見る澄んだ心で遺跡を見る!
マア、城に行くのではない、マジで城を見る事!
竹刀の剣道ではなくて実際の真剣勝負!
座敷水練ではなくて現実に水に入る事!

城跡を通過して遺跡の形状をみない社会現象が起
きている。道路交通法では踏切や横断歩道や赤信
号や一旦停止車線では停止して安全を確認します。
道交通法規で人間は安全確認を第一としています。
城郭見学は遺跡を順次確認認識して歴史の現実を
直視確認する行為であり極めて自然で基本的な事
城郭遺跡構造順次巡視行為をただの城マニアだと
かマニアックな偏執的行為と誤解や曲解する事は
本来、厳に慎むべき人間の浅慮や行為と思います。

一旦停止車線で停止して現実の踏切で停止する事
は交通法規を受講した正しき人間の正しい行為で
城跡を見学し城跡と認識出来なかった根本的原因
は堀跡や土塁を認識する正統な城郭遺跡認識学習
や知識が習得出来ていない確実な現実社会現象!




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