たこ焼きが好きです。
外で買うときは必ず10個入り位のを2パック買ってひとりで食べます。
それでももっと食べたいと思います。
しかしたこ焼きで1000円以上遣うのもどうかと、思いとどまります。
自分の家で作って思う存分食べたいと思い、ガスコンロの火に直接かけるタイプの鋳物製たこ焼き器?を購入しましたが、火加減の難しさや具材の準備など非常に面倒くさそうなので、実際にやってみることもなく年月が経ちました。
ところが最近知人から教わりました。
たこ焼きが家で簡単に作れるということを。
まず用意するもの。
1,たこ焼き器
電気で焼くタイプのものが980円位で市販されているので、これを購入します。
表面はテフロン加工でくっつきません。
2,竹串
たこ焼きをひっくり返したり食べたりするのに不可欠です。
金属製のたこ焼き返し?みたいなものは本格ですが、たこ焼き器を傷めるので使用しないほうが無難でしょう。
続いて具材関係です。
3,たこ焼きの粉
揚げ玉やねぎなどが予め入っているためお手軽です。
近くのスーパーで一袋92円位で売っています。
4,紅しょうが
たこ焼きの粉だけでも充分ですが、「たこ焼きには紅しょうがでしょう!」という方はオプションとしてご用意ください。
5,主役のたこ
1パック380円くらいで足が2本位でしょうか。
6,お好み焼き用のソース
7,削り節
小さく真空パックにされたものより、大きな袋にどさっと入って大きく削ってあるものがいいでしょう。
たこ焼きに載せたときによく踊ります。
8,青海苔
以上で必要なものは揃いました。
次はいよいよ作りに入ります。
つづく
さて、小杉放菴とおわらの関係については、次の書籍に詳しい。
・・・小杉未醒は院展再興に参画し、後年放庵と号した日本画の大家、水田竹圃も文展審査員を歴任した山水画の重鎮である。こんな大物の歌がなぜおわらにはあるのか。
保存会の創設者、川崎順二の妻で東町に住むせつさん(八二)は「書画骨董が好きだった主人が(放庵、竹圃らを八尾へ)呼んだのです」と教えてくれた。
順二と放庵との出会いについては、下笹原の画家、谷井秀峰さん(七九)が、つい昨日のようにはっきり覚えていた。
「あれは確か昭和三年の正月」。川崎家を初めて訪れた放庵は、毛糸の帽子をかぶり、首に手ぬぐいをひっかけて、もんぺをはいていた。「横に、口ひげを生やした羽織はかまの書生が立ってるものだから、皆書生のほうを放庵と間違えて・・・」(中略)
「放庵をもてなす宴会の手伝いをしていたからよくわかったんだけど、余興におわらをやった。踊りなしで、歌い手と地方だけでにぎやかにやったのはいいが・・・」。歌詞や囃子詞が悪かった。面白おかしく座を盛り上げて、つい耳を覆いたくなるような卑猥な調子になった。
放庵は「いい曲だ。伴奏も素晴らしい」とほめながらも、「ただ、言葉が・・・」と口ごもった。順二はすかさず、「先生、それでは歌をひとつ」と頼み込んだそうだ。(以下略)
こうして誕生したのが「八尾四季」です。
八尾四季
春
ゆらくつりば志手に手をとりて わたる井田川春の風
夏
とや満阿たりかあのともしび者 飛んで行たや灯とり虫
秋
八尾坂道わ可れてくれ者゛ つゆか志ぐれかはらはらと
冬
も志や来るかと窓押しあけて 見れば立山雪ば可り
右昭和戊辰正月越中八尾に遊びて小原節を聞き、川崎氏の嘱に依って戯れ作る 放庵
こうして今に歌い継がれています。
ゆらぐ釣橋手に手を取りて 渡る井田川(いだがわ) オワラ 春の風
富山あたりかあの燈火(ともしび)は 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれて来れば 露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて 見れば立山 オワラ 雪ばかり
参考文献
北日本新聞社編集局編 『越中おわら社会学』 昭和六十三年
富山県民謡おわら保存会編 『越中おわら』
5月31日、ゴールデンウィーク中の出勤の振替休日が取れました。
突然「日光」に行こうと思い立ち、そうだ、あのホームページを見ておこう、と、開いてみますと、
がーん!・・・orz
5月27日、小杉放菴記念日光美術館で特別企画
『風の盆 越中おわら Ⅲ』
があった模様。
思い起こせば2003年、小杉放菴四十回忌特別企画
『風の盆 越中おわら』
のチケットが取れずに悲しみの涙に咽び、2004年、小杉放菴没後四十年記念特別企画
『風の盆 越中おわら ふたたび』
の開催には意表を衝かれ、もしかしたら三回目もあるかもしれないぞと思い、なるべく見ようと思っていたそのホームページでしたが、忙しさにかまけてまた隙を衝かれてしまいました。
しかし市町村合併に伴う「新日光市誕生記念」とは,思いもよらぬ企画。
ところで四回目はあるのでしょうか。
あるならば今度はどういう名目で企画するのでしょうか。
いずれにしても、次こそは!、と決意を新たにするhiroでした。