私は明治三十六年に群馬県藤岡市に生まれた。
戦史に興味を持っていた時期もあったので、零戦の設計者として氏の名前は知っていましたが、ただそれだけ。
個人的なことは全く知らず、出身地も今回初めて知りました。
さて、先に映画を観るかそれともこれを観るか、と考えれば、こちらが先でしょう。
まず真実をに触れておかねば。
という訳で、出かけてきました。
旧制藤岡中学校卒業後、第一高等学校に進学。
『第一高等学校寄宿寮寮生名簿』には、氏の名前の他、堀 辰雄氏の名前も見られます。
海外出張の旅行日程表には分単位で予定が書き込まれています。
沈頭鋲の見本、計算尺、海外滞在中に書かれた手紙
烈風改・烈風図面・・・
青焼きのそれは部品名称欄がすべて手?でちぎられています。
45分ほどかけて全てを見終え、歴史館周辺を歩きます。
二郎少年も見た景色でしょうか。
時刻は正午に近くなりましたが、せっかくここまで来たのですから、もう少し足を伸ばしてみます。
世界遺産の暫定リストに記載「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産のひとつ、「高山社跡」です。
ここはかつての養蚕教育施設であり、全国から養蚕を学びに学生が集まってきたそうです。
母屋?の二階の壁には沖縄県からきた学生が卒業間際に内緒で書いた沖縄の住所と自分の名前が残っています。
また、ここから養蚕指導のため、全国各地に指導員が派遣されていたそうです。
翌日、『風立ちぬ』鑑賞