●今日の一枚 123●
Dusko Goykovich In My Dreams
数年ぶりにインフルエンザに感染した。一昨日の朝から39度をこえる熱を発し、夢と現の間を彷徨うようであった。タミフルを服用して、やっと?昨日になって熱が下がった。まだ少し頭痛はあり、医者からは、今日の仕事は禁じられているが、全体的な身体の調子はよくなってきた。
「夢と現の間を彷徨った」ということで、今日の一枚は、ボスニア出身のトランペッター、ダスコ・ゴイコヴィッチの2000年録音盤の『イン・マイ・ドリームス』……。バラード集だ。やや内容が単調で飽きると感じることもあるが、さすが哀愁のトランペッターといわれる男、哀しみを湛えた音色は味わい深い。病み上がりの身体にも優しく響いてくれる。
1991年からはじまったユーゴスラビア紛争において、旧ユーゴは、スロベニア、クロアチア、ボスニア-ヘルツェゴビナ、マケドニア、新ユーゴに分裂し、その後新ユーゴも国名変更を経て、2006年にはセルビアとモンテネグロに分離独立した。結局旧ユーゴスラビアは6つの国に分裂したことになる。1931年生まれのダスコは、このような激動の中を生きてきたわけだ。少なくとも表面的には平和を謳歌している日本人の私には想像もつかないことだが、旧ユーゴの紛争と分裂はダスコにとっては、大きな意味をもつに違いない。自分を育んだ祖国と文化が失われてしまったことが、ダスコの郷愁と哀しみを湛えた表現に関係していると考えるのはうがった見方だろうか。
民族というものを意識したことのない日本人の戯言と嘲笑されるに違いないが、ユーゴスラビアが存在した約70年近くの間に異なる民族の間での混血が進み、自らを「ユーゴスラビア人」と名乗る者もあったという事実を知るにつれ、ユーゴの紛争は残念でならない。
本CDには、日本盤のみへのボーナストラックの⑩ BalladFor Belgrade が収録されているが、この曲は彼がコンサートなどでもしばしば演奏するらしい。ベルグラードとは、いうまでもなく、旧ユーゴスラビアの首都であり、ユーゴスラビア文化の中心であった。ダスコも若い頃ベルグラードの音楽アカデミーで学んだようだが、ボスニア出身のダスコが、ベルグラードのためのバラードを好んで演奏することに、ダスコの旧ユーゴへの想いを垣間見るのは考えすぎだろうか。
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