WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

風の道

2015年02月18日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 418●

大貫妙子

Cliche'

  寒い日々が続いている。先週は、土曜・日曜と連続で風呂屋に行った。日曜日はかなりすいていたので、広い露天風呂を独り占めし、青空と雲を見上げながら鼻歌を歌った。口をついて出たのは、大貫妙子の古い曲、「黒のクレール」だった。改めていい曲だと思った。いい曲だとは思ったが、ちょっと意外ではあった。若い頃、随分と聴きすぎたせいか、いわゆる聴きあきして、もうだいぶ長い間、LPやCDでは聴いたことがなかったからだ。

 大貫妙子の1982年作品、『クリシェ』だ。「黒のクレール」はこのアルバムのトップを飾る曲である。改めて発表年をみると私の大学時代だ。けれど、このアルバムに出合ったのはもう少しだけ大人になってからだったように思う。悪くない作品だ。いい作品だと思う。けれども、50代になった現在の私には、この作品を全編通して聴くだけの時間も、心の余裕も、そして情熱もない。今の私がこのアルバムをCDトレイに乗せるのは、⑤「風の道」を聴くためだ。いい曲だ。心に響く詩である。大貫妙子、畢生の名曲であると勝手に断じたい。


    「風の道」

はじめての場所 静かな街
ここであなたは おおきくなる

庭先にいま 錆びついてる
自転車がある 息をひそめて

今では他人と 呼ばれるふたりに
決して譲れぬ 生き方があった

とりとめもなく 歩くあちに
心はいつか 暖かくなる

今では他人と 呼ばれるふたりに
決して譲れぬ 生き方があった

おたがい寄り添う 月日を思えば
語る言葉もないほど 短い

 心が熱くなり、深い部分から何ものかがこみあげてくる。物悲しい、置き去りにされたような孤独感を感じる歌だが、言葉があまりにフィットして恐ろしいほどだ。「今では他人と 呼ばれるふたりに 決して譲れぬ 生き方があった」というところの言葉のリアリティーに立ちつくすのみである。大学生の頃ではなく、少しだけ大人になって出合ったからこそ、この曲に共感できたのだと、今は思う。

 「おたがい寄り添う 月日を思えば 語る言葉もないほど 短い」という虚無感を表出した最後のフレーズの、その「短い時間」が「永遠」につながっているのだ。



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