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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

平城京右京三条一坊一・二・七・八坪 現地説明会

2016-06-18 16:27:49 | 現地説明会
 先の左京三条二坊一四坪の調査地から二条通を西へてけてけと歩き、平城京左京三条二坊宮跡庭園はもちろん、朱雀大路を横断し、工事用のフェンスで囲まれたところに入っていくと、3つ目の説明会の会場に到着する。残念ながら、スタンプラリーは、品切れということで、スタンプだけ押してもらった。しかし、結構、早い時間から行動開始しているのに・・・。これって早い人はどんな感じで動いてるんやるろ、説明を聞いてたら無理っちゅうことかな。ちなみに、ここも発掘調査は、橿原考古学研究所が担当している。

 平城京右京三条一坊一・二・七・八坪ということで、朱雀大路を挟んで西側、左京の朱雀大路と西一坊大路との間にあり、二条大路の南側の、朱雀大路と二条大路の接した辺りの四つの区画である。こんな空間がよくあったなあと思うと、もともと積水化学工業の工場があった敷地だそうで、奈良県が買い上げ平城宮後歴史公園整備の一環としてバスターミナルと付属施設の建設が計画されているらしい。この付属設備の関係で、平城京歴史館が閉館になるということなのだろう。

 【1区】

 

 1区では、三条条間北小路と西一坊坊間東小路の交差している地点が検出されている。三条条間北小路の規模については、北側溝が幅約1.3m、南側溝が、約1m、路面幅は5.1mとされている。西一坊坊間東小路から西は概ねこの規模なんだそうだ。ちなみに朱雀大路は、約76m(側溝も含めて)あったらしい。朱雀大路は国のメインストリート、圧倒的な規模ではある。
 今回の発掘調査で見つかった道路は、路地裏という感じですかね。

 

 また、三条条間北小路の南側溝の南には築地があったであろうと考えられる土の高まりが続いている。写真では、マイクセットが置いてあるのが、三条条間北小路で、その手前の高まりが東西に続いているのが築地の痕跡である。

 

 西一坊坊間東小路の方にもの側溝に沿って築地の痕跡があり、少なくとも、左京三条一坊7坪の区画については、築地で囲まれていたと言えそうである。一区の三条条間北小路と西一坊坊間東小路との交差点の北側の左が八坪、右が一坪であり、南側の左が七坪、右が二坪である。

 さらに、1区の南端では、掘立柱建物跡が検出されている。

 

 奈良時代の鍛冶工房群がこの辺りにあったという話もあり、今回検出された掘立柱建物もこれに関係するものかもしれない。

 

 また、写真のように軒瓦が多く出土している。特に、三条条間北小路の八坪と二坪側に顕著だという。瓦については、200箱ほどあったそうだ。

 【2区】

 2区については、三条条間北小路とその側溝が見つかっている。しかし、1区のように築地の痕跡等はなく、宅地と考えられる遺構は検出されなかった。

 

 【3区】

 3区については、全く建物の遺構が検出されなかった。

 

 2区、3区に全く建物の遺構が見つからなかったということは、その調査区域に該当する一坪、二坪については、建物が配置されていなかったことを示しているのかもしれない。朱雀大路の隣接しているところについては、建物等を配置しない空間があったのかもしれない。(一部、新聞報道では「広場」となっていたらしい。そこまでは言えないとのことだった。)

 道路の跡なのであんまり派手さはないですが、逆に遺構がわかりやすく面白かった。また、土盛りで見学用に高台が作られており、非常に遺構が見やすかった。
 ただ、写真でもお分かりのように、でこぼこ穴がいっぱいあったのは、工場の建物などによるもので、遺構としては保存状態はあまり良くないのかもしれない。三カ所すべて回られた方お疲れ様でした。
 

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