ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

ピカソの新たな謎、明るみに出た271作品。

2010-12-01 21:01:04 | 文化
多作で有名なピカソ。油絵・素描が13,500点、版画が10,000点、挿絵は34,000点に達し、さらに彫刻や陶器が300点。この多作ぶりは、最も多作な美術家としてギネスブックにも掲載されています。この多作ぶりに、さらに271点が加わることになりました。日本のメディアも伝えていますが、その存在すら知られていなかった作品271点がフランス人の元電気工によって明るみに出されました。地元、フランスの『ル・モンド』(電子版)は、29日、次のように伝えています。

1900年から1932年にかけて制作された271点が発見されたが、ピカソの相続人たちはその発見者を隠匿の罪で告訴した。それらの作品は6,000万ユーロ(約66億円)の価値があると見積もられている。存在すら知られていなかった作品を明るみに出したのは、コート・ダジュールに住む70歳代のカップルで、その真贋の判断を遺産管理団体、特にピカソの息子、クロード・ピカソ氏に依頼したのが発端。

新発見の作品の中でも、キュビスムのコラージュ9点は4,000万ユーロ(約44億円)の価値があると言われている(ということは、66億円の3分の2が9点のコラージュ。確かに、『ル・モンド』のサイトに紹介されていた『ギター』というコラージュは写真で見ても素晴らしい!)。他には、「青の時代」の水彩画1点、最初の妻・オルガ(Olga)を描いたグワッシュ、リトグラフ、ポートレートなどが含まれている。

271点の作品を保有していたルゲネック(Pierre Le Guennec)氏(71歳)は、パブロ・ピカソの最晩年、死(1973年)の直前の3年間、電気工としてこの巨匠の何軒かの住まいに警報装置を取り付けた。その中の1軒、カンヌのヴィラ・カリフォルニア(la villa Californie)には多くの作品が入った段ボール箱があったという。

ルゲネック氏は今年の1月以来、何度かクロード・ピカソ氏に手紙を出していたが、ついに9月、パリで会うことができた。本物であることを確認したかったということだが、相続人や専門家たちは、9月23日、ルゲネック氏を告訴することに決めた。その訴えを受けて、10月5日、芸術作品盗難防止局(l’Office central de lute contre le trafic des biens culturels)は南仏・ムアン=サルトゥ(Mouans-Sartoux)にあるルゲネック氏の自宅で作品を押収した。

ルゲネック氏は当局の取り調べを受けているが、それらの作品はピカソ本人やその夫人から譲り受けたものだと無実を主張。一方のクロード・ピカソ氏は、「271点もの多くの作品を父が誰かに与えたなどということは考えられない。今まで一度もなかったことであり、とても通用するものではない。作品は父の人生そのものなのだから」と述べ、真実が明るみに出ることを期待し、「犯罪行為から何人も利益を得ることはできないし、人類の遺産とも言うべき作品が、散り散りになってしまうようなことがあってはならない」と語っている・・・

ということで、真実の解明は司法の手に委ねられています。ただ、ピカソは作品を他人にあげたりすることはめったになく、プレゼントする場合でもサインをしたとか言われていますから、やはり無断で持ち出したような気もします。しかし、ルゲネック氏側は、違法行為を自覚していれば、ピカソの息子に会って、真贋の判定を頼んだりするはずはない、と言っているようで、これも確かに一理ありそうです。

こうした騒ぎ、地下のピカソはどう思っているのでしょうか。何しろ、多作。本名が多くの聖人などの名からなっている(パブロ、ディエーゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード、ルイス・イ・ピカソ)ことがその芸術家人生に影響したのか、ギネス認定の多作ですから、初期の作品271点を晩年まで覚えていたのかどうか。段ボールに入れっぱなしで、天井裏か倉庫にでも仕舞ったままになっていたのかもしれませんし、最初の奥さんのポートレートまであっては、その後の女性たちに見せたくもなかったことでしょう。司法の判断は、どうなる事でしょう。

死後37年。まだまだ、死せるピカソ生けるメディアを走らす、ですね。