ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

タンタン、裁判所へ行く。

2010-12-18 20:16:41 | 文化
ベルギーのマンガ家、エルジェ(Hergé、本名のGeorge Remiの頭文字を前後逆にしてRG、そのフランス語発音からHergéとしたペンネーム)。この「ヨーロッパ・コミックの父」が後世に残した傑作と言えば、ご存知「タンタンの冒険旅行シリーズ」。そのシリーズの内、1930年から翌年にかけて描かれた“Titin au Congo”(『タンタンのコンゴ探検』)が、人種差別的表現があるとして、エルジェの本国・ベルギーで訴えられています。

具体的にはどのような場面かというと、例えば、タンタンが当時のベルギー領コンゴで現地の人たちに向かって、「さあ、仕事へ行け、早く」と言い、さらにミルーが「この怠け者めが、早く仕事に取り掛かれ」と追い打ちをかける場面。現地の人たちを見下している・・・

最初に訴えが出されたのは2007年。それから3年。その経過を13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

訴えたのは、当時学生だった、コンゴ出身のビヤンブニュ・ムブツ・モンドド(Bienvenu Mbutu Mondodo)氏。今では会計士として働いている、42歳。ベルギー暮らしも20年以上になる(ということは、訴え出た当時でも、学生とはいえ、20年近くベルビーに住んでいたわけですね)。モンドド氏を訴訟に駆り立てたのは、同じ内容の訴訟に対するイギリスでの決定。出版差し止めには当たらないものの、人種差別を想起させるイメージや言葉があり、描かれた当時の状況などを説明する文章を付け加えるべきであるという決定が出された。しかも、この決定を受けて、イギリスとアメリカで店舗展開をしている書店チェーンが、『タンタンのコンゴ探検』を子供向け書籍コーナーから18歳以上の大人向け書籍コーナーへと移した。

イギリスでのこうした状況に励まされ、モンドド氏はまず、タンタン・シリーズの著作権を管理しているムーランサール(Moulinsart)という会社に電話をかけた。その顛末やいかに。モンドド氏曰く・・・ムーランサール社は、わが社には関係ないことだと述べ、がちゃんと電話を切ってしまった。一庶民の指摘になど何ら関心を払わない会社なのだと分かったので、裁判に訴えることにしたのだ。ベルギーの1981年に成立した法律によれば、『タンタンのコンゴ探検』には明らかに人種差別的個所がある。公判には、多くの証人を呼んだ。その中には歴史家や宗教関係者も含まれる。なぜなら、ベルギー領コンゴへの入植者を増やし、宣教師を派遣したいという教会側の思惑がエルジェに働いて、この作品が世に出たのだから。

ところで、ムーランサール社は著作権を管理してはいるが、版元は別。カスターマン(Casterman)という会社が版元であり、ムーランサール社だけを相手取って出版差し止めを要求しても、実現しそうにない。そこで、モンドド氏は、今年の5月、カスターマン社も告訴。2社は、作品が描かれた1930年前後の状況が作品に反映されているものであり、作者に人種差別的意図はなかった、などと主張。

公判が続いている中、モンドド氏は今月3日から5日まで、パリ5区の区役所で開催された「第1回アフリカ人漫画家サロン」に招待され、パリにやって来た。このイベントには、ガボン、カメルーン、ベナン、チャド、コンゴ民主共和国などから30人ほどのマンガ家が参加した。いくつかの講演会や討論会が行われたが、その中のひとつが「マンガにおける植民地化と非植民地化」をテーマを掲げていた。モンドド氏はこの分科会で、『タンタンのコンゴ探検』を訴えた理由を繰り返すとともに、有名になりたいだけじゃないかとか、どうせ弁護士を雇う金なんかないのに、という噂を否定した。

イベントに参加した黒人協会代表者評議会(le Conseil représentatif des associations noires)の会長は、モンドド氏を支持しつつも、より協調的に次のように述べている・・・モンドド氏は出版差し止め以外受け入れないと言っているのではなく、作品が描かれた当時の状況を説明する文章を加えるという解決策でも受け入れる用意がある。検閲には「ノン」、教育には「ウイ」だ。

一方、アフリカからやって来た漫画家たちは、モンドド氏の訴訟にほとんど関心を示さず、「コンゴで出版差し止めにすればいいさ、でも自分の国では困る。自分もエルジェと同じように黒人を描いているからね」、あるいは、「もっと重要なことがある。今のアフリカをありのままに描くことができるかどうかだ。表現の自由との戦いの方が自分にとってはより重要なのだ」・・・

同じアフリカ人とは言え、ヨーロッパに住み、さまざまな差別にあって来た人と、アフリカに住み続け、そこでのさまざまな問題に直面している人たち。お互いの関心事が異なるのも、仕方のないことなのかもしれません。しかし、協力し合う、支援し合うことはできるのではないでしょうか。それとも、人間は、結局自己中心的になってしまうのでしょうか。立場の違い、環境の違いを認め合った上で、手を携え合う・・・言うは易し、行うは難し、ですね。