ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

姦通、不義密通、不倫、火遊び、出来心。

2010-09-03 20:05:46 | 社会
フランスとイランが、女性への刑罰をめぐって非難の応酬! 8月31日のル・モンド(電子版)が伝えています。

事の発端は、二児の母親であるイラン人女性(Sakineh Mohammadi Ashtiani)が二人の男との姦通罪および夫殺しの共犯という罪状で訴えられ、99回の鞭打ちの後、石打ちの刑による死刑を宣告されました。すでに鞭打ちの刑は執行されたそうですが、石打ちの刑による死刑執行を前に、人権団体を中心に国際世論が非難の大合唱。刑の執行は一時延期されていますが、最終的には執行されるのでは、と言われています。

「人権宣言」の国、フランスは言うまでもなく抗議の声をあげていますが、その一人がサルコジ大統領夫人、カーラ・ブルーニ=サルコジ(Carla Bruni-Sarkozy)さん。彼女は渦中の女性へ公開書簡を送り、石打ちの刑はとても受け入れられるものではないと判決を非難するとともに、フランスはあなたを見捨てないと励ましました。

これに対し、イラン側が強硬に反発。編集長が最高指導者によって指名されるという保守系新聞「ケイハン」(Kayhan)が、カーラさんを繰り返して非難しています。先週土曜日には、「フランスの売春婦たちが、人権問題に介入」(Les prostituées françaises se mêlent à la polémique sur les droits de l’homme.)という見出しの記事で、カーラさんを売春婦と侮辱。今週火曜日には、さらに「サルコジ大統領の先妻(Cécilia)との離婚に彼女は関連しており、その生き方からして彼女こそ死に値する」と痛烈に非難。

フランスとのこれ以上の関係悪化を危惧してか、イラン外務省の報道官(Ramin Mehmanparast)は、政治の世界では、他国の指導者の言動を批判したり、異議を申し立てることは許されるが、侮辱したり、不適切な言葉を使用することはふさわしくない、イランもそうしたことを容認するものではない、と述べ、ケイハン紙の論調を和らげようとしています。

一方、フランス側は、同じく外務省報道官(Bernard Valero)が、ケイハン紙上やネット上で繰り返される、カーラ・ブルーニ=サルコジを含むフランス人に対する侮辱はとても受け入れられるものではないという抗議を、通常の外交ルートを通してイラン側に伝えると表明。

核開発をめぐっても、いろいろと問題を抱えているイランと欧米。今回の石打ち刑の問題、どう決着がつくのでしょうか。

ところで、不倫相手に夫殺しを依頼する・・・国は違えど、人間、同じようなことをするものですね。そして、イラン側が「死に値する」としたカーラ・ブルーニ=サルコジさんの生き方、あるいは生活態度とは・・・

イタリアの貴族の家系にして資産家の家(テデスキ家)に生まれたカーラは、誘拐が頻発する祖国を離れ、一家でパリへ移住。5歳の時からパリで育っています。何不自由のない家庭環境に育ちましたが、心のどこかに不安が影を落としていました。それは、父親の愛情。他の姉妹への愛情と違うような気がしていたようです。しかし、それは仕方がないことでした。書類上の父はテデスキ家の当主ですが、生物学上の父はブラジル人実業家(Maurizio Remmert)。母が不倫相手との間に作った女の子がカーラ・ブルーニだったわけです。

成長したカーラは、そのルックス、スタイルの良さから、モデルに。やがて、歌手・作曲家へ。スポットの当たる華やかな人生を歩んできました。その間には、さまざまなアバンチュールも。お相手は、エリック・クラプトン、ミック・ジャガー、ケビン・コスナー、ドナルド・トランプと、これまた錚々たる男性陣。しかも、文学編集者(Raphaël Enthoven)とは不倫、そしていわゆる略奪婚。一児をもうけるも、離婚。つねにマスコミを騒がせる存在でした。

こう見てくると、今までも女性の地位向上や待遇改善に関する発言を行ってきているとはいえ、カーラ・ブルーニ=サルコジが今回の件に特に深くコミットする理由も何となく分かってきますね。姦通罪が死に値することを認めることは、不倫関係で生まれたカーラ自身の存在を否定してしまうことになる・・・

人間、いろいろな「重き荷」を抱えて生きているものです。その「荷」の種類は国により、民族により異なる。しかし、重いことには変わりはない。どうしたら軽くできるものでしょうか。

そして、国により、民族により異なる、といえば、価値観。自分の価値観で、世界中の出来事すべてを判断してしまってよいものでしょうか。価値観には、進んでいる、遅れているという差があるのでしょうか。そうではなく、異なっているだけなのではないでしょうか。確かに、石打ちの刑は、残酷です。しかし、絞首刑、銃殺、薬物注射・・・方法は違えど、死刑制度はまだまだ多くの国に存在しています。また、同じ行為が姦通罪で死刑になる国もあれば、文学のテーマになる国もあり、不倫、火遊び、出来心として寛大に対処される国もある。国によりいろいろ異なる価値観がありますが、他国に迷惑をかけない限り、それぞれ、最終的には、その国の国民が維持する、あるいは変更するという決定をすべきなのではないでしょうか。意見を言うのは自由ですが、その国の歴史・風土の中で生まれてきた価値観を、外から武力や政治力・経済力を使って無理やり変えさせることはすべきではないと思うのですが・・・