ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

リネール、怒る。コーチ、すべては2年後。

2010-09-17 20:12:58 | スポーツ
テディ・リネール(Teddy Riner)。現代フランスの英雄の一人です。2年前の北京オリンピックでも、最も活躍が期待される選手でした。ご存知ですよね、“judoka”・・・柔道家です。

北京オリンピックの前年、リオデジャネイロでの世界選手権で、100kg超級で優勝。わずか18歳で世界チャンピオンに。柔道の競技人口では日本を上回るフランス。一躍スターに。北京オリンピックでは、惜しくも金メダルを逃し、銅メダルでした。しかし、その雪辱に燃え、その後は一度も負けず、昨年のロッテルダムでの世界選手権でも100kg超級で見事優勝。そして、今月の世界選手権東京大会へ。

その結果は・・・100kg超級では、またしても見事優勝。そして、無差別級へ。危なげなく勝ち進み、決勝へ。上川大樹選手との一戦は、大接戦に。互いにポイントを取れないまま、延長戦へ。そこでも決着はつかず、旗判定に。2対1という僅差で、上川選手の優勝。

この判定に納得できないリネール選手は、試合後の礼も握手も拒み、表彰式でも記念撮影を拒み勝手に降壇。説得されて撮影には何とか応じたものの、怒り収まらず、看板に八つ当たり・・・

そんなリネール選手について、ル・モンド(電子版:13日)が伝えています。

試合直後、興奮したままのリネール選手は、金メダルを盗まれた、と言っていました。技をかけていたのは、自分だ。相手の選手は俺の向こうずねを蹴るばかりで、技一つ出さなかった。トウキョウで、こんなアンフェアな判定が行われるなんて考えてみたこともなかった。戦ったのは自分なのに、勝ったのは相手。試合を支配したのは自分、より多く攻撃したのも自分、より多く相手を危険にさらしたのも自分。相手にはもっと指導が出されるべきだった。自分が勝つべきだったんだ。

怒りまくるリネール選手に対し、ル・モンドは、世界選手権で5つ目の金メダルを狙っていたテディ・リネールのフラストレーションは理解できるが、客観的に試合の流れを見れば、旗判定の結果もうなずけるものだ、と述べています。正規の5分間は、テディ・リネールに支配され、様子見に徹していた日本人選手だが、延長になると、より積極的になり、鋭い技を繰り出していた。延長での戦いが判定に影響したのだろう。もちろん、初めの5分間に、日本人選手により多くの指導が出されてしかるべきだったとは思うが。

5分の間に指導2回でリネール選手の有効勝ちでもおかしくはなかった。しかし、ホームタウン・デシジョンがあるのは、スポーツの世界の常。自分の技で有効や技あり、あるいは一本を取れなかったのだから、納得して諦め、次回に雪辱を期すべきだろう。こう言っているようですね。至極まっとうな意見だと思います。

暫くして、少し落ち着いたリネール選手は、ロイターのインタビューに答えて、畳の上で戦った自分が結果も一番よく知っている。ただ反省すべきは、防御に徹する相手を攻め落とす方法を見出せなかったことだ。あれだけ守り一辺倒なら、指導がもっと出てもよさそうなのに、そうはならなかった。自分はまだ21歳で経験も少ない。正攻法過ぎた。もっと狡賢くあるべきだった。自分が試合を支配していたが、決定的ではなかったということだ。まだまだ練習すべきこと、学ぶべきことがある。

一方、コーチのブノワ・カンパルグ(Benoît Campargue)は、取り乱すことなく、しかし旗判定の不公平さをしっかりと指摘しています。大会が始まって以来、判定の不公平さはずっと感じてきた。こうした状況下では、われわれの運命、メダルの色を決めるのは審判ではなく、われわれ自身なのだ。判定に持ち込まれる前に、勝負をつけるべきなのだ。こうした不公平で非難すべき判定によって敗北を喫しても、威厳を保ち続けることが大切。今日の試合を徹底的に総括・分析することが必要であり、その結果は2年後、ロンドン・オリンピックの最終日に明らかになるだろう・・・

ル・モンドはこのように伝えているのですが、スポーツ紙ではないからとはいえ、しごく客観的な記事ですね。あくまで事実、真実を報道する。たとえ発行部数は30万部程度であろうと、クオリティ紙にふさわしい記事を書く。そんなジャーナリズム魂も感じられますね。

日本のメディアなら、「疑惑の判定」とか、「盗まれた金メダル」といった大見出しが躍りそうですね。今の篠原全日本監督がシドニー・オリンピックで敗れた時の報道を思い出します。部数を上げるためなら、少々オーバーな表現であろうが、読者に迎合する書き方だろうが、許されるべき。マスコミだって、商売だ。確かに、大衆へ向けてのスピーカー。ジャーナリズムとはちょっと一線を画しているのかもしれませんね。

マスコミとジャーナリズム。こうした日仏の違いは、実は、読者、視聴者が求めていることによる差なのではないでしょうか。情報を受け取る側が、センセーショナルな話題を期待しているのか、真実を求めているのか・・・いずれにせよ、どちらが良い悪いではなく、社会全体に違いがあるということなのだと思っています。