ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

Les Bleus(フランス代表)に、また難問。

2010-07-21 20:06:12 | スポーツ
日本では、相撲界のスキャンダルが続いていますね。八百長、しごき、暴力、賭博、黒い付き合い・・・野球界には、昔、黒い霧事件と言うのがありましたし。子供たちに夢を与えるスポーツ界、とはいえ、やっているのは、生身の人間。聖人君主ばかりがそろっているわけではなく、中には、いろいろと問題を抱えた力士や選手もいるのでしょう。個人的問題は、個別に解決すればいいのですが、見過ごせないのは、そのスポーツ団体全体として抱え込んでいる問題、長年放置してきた結果として宿痾となっている問題で、自浄作用が期待できない場合ですね。大相撲、積年の膿を出し切れるのでしょうか。出し切る覚悟はあるのでしょうか。外部からのしっかりとした視点を受け入れないと、変われないような気がするのですが・・・

もちろん、スポーツとスキャンダル、日本だけの問題ではありませんね。今フランスで問題になっているのは、“l’affaire Zahia”(ザイア事件)。サッカー選手の未成年者に対する買春事件で、ザイアというのは、その渦中にいる売春婦の名前です。

20日のル・モンド(電子版)によると、事の発端は、昨年12月。シャンゼリゼの近くにあるバー“le Zaman Café”(ザマン・カフェ)が売春斡旋の巣になっているらしいという情報に基づいて、捜査が開始されたが、4月になると客のリストの中に有名なサッカー選手の名が見つかった。ドイツのバイエルン・ミュンヘンでプレーするフランス代表のフランク・リベリー(Frank Ribéry)とレアル・マドリッド所属の代表FW・カリム・ベンゼマ(Karim Benzema)。ワールドカップを前に、一大事!

さっそく、バシュロ青少年・スポーツ大臣(Roselyne Bachelot)やヤドゥ・スポーツ担当閣外相(Rama Yade)は、取り調べを受けるような選手はフランス代表(Les Bleus)のユニフォーム(青)に袖を通すべきでない、と明言していました。

しかし、W杯への影響を考慮したのか、捜査は進展しませんでしたが、フランスにとっては、悲惨な恥ずべき結果となった大会が終わり、代表の新監督も発表され、一段落したところで、急展開を見せました。7月20日、リベリーとその妻の弟、そしてベンゼマの3人が、予審判事の事情聴取を受けました。目撃者によると、リベリーは手錠された上で法院の予審判事の部屋まで連行されたとか。7時間に及ぶ聴取の後、帰宅を許されたそうですが、今後の展開は・・・

フランスでは売買春は合法なのですが、その斡旋や公道での勧誘、そして未成年者(18歳未満)をめぐる売買春は違法。今回の件でリベリーたちが嫌疑をかけられている未成年者買春の場合、有罪が確定すると、禁固3年および45,000ユーロ(約500万円)の罰金が科せられるそうです。リベリーやベンゼマがサッカー界から消えてしまう!?

リベリーはザイアと交渉を持ち、ドイツ・バイエルン州までの旅費と滞在費を支払ったことを認めているそうですが、ベンゼマは自分は関係ないし、何らやましいところはないと、関与を否定しているそうです。

当のザイア嬢は、リベリーとは2009年に、ベンゼマとは2008年に関係を持った。そしてもう一人、同じくフランス代表でリヨン所属のゴヴ(Sidney Govou)とは2010年に付き合いがあったことを認めているそうです。問題は、その時の年齢。08年・09年時点では未成年、10年は成人(18歳)。従って、ゴヴは取り調べ対象にはなっていないようですが、一方、ベンゼマと付き合ったときは、16歳。さすがのフランスでも、これは立派な犯罪!ですね。

また、ザイア嬢は、4月に週刊誌“Paris-Match”(『パリ・マッチ』)のインタビューに答え、サッカー選手たちは、自分が未成年だということを知らなかったと主張しています。本当なのか、裏でお金が動いたのか・・・

未成年者買春の罪で起訴されるのか、“le Zaman Café”による売春斡旋の単なる証人として話を聞かれただけで終わるのか・・・今後の捜査の進展が待たれます。そして、何よりも、フランス代表のブラン新監督(Laurent Blanc)にとっては、ドメネク前監督時代の負の遺産が重くのしかかっているうえに、中心選手たちのスキャンダル。波瀾を感じさせる船出になっているようです。

ところで、サッカー選手以外に、“le Zaman Café”の顧客リストに名が挙がっているのが、芸能界の名のある人物だそうです。スポットライトを浴びることに快感を覚える人たちは、同じようなところへ吸い寄せられていくのかもしれないですね、洋の東西を問わず。
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エリート、馬脚を露す。

2010-07-20 20:31:18 | 政治
欧米の多くの国で見られることですが、フランスも一部のエリート層と一般庶民との階層社会。自由・平等・博愛と言いますが、その平等は同じ階層内での平等なのではないかと思えるほど、階層はしっかり分かれています。

ENA(Ecole nationale d’administration:国立行政学院)をはじめとするいくつかのグラン・ゼコールを出たエリートたちが国や企業のかじ取りをし、一般庶民は自分たちの日常生活を少しでも良いものにするよう求め続ける。グラン・ゼコールに入学するためには、名門と言われるレベルの高い高校を卒業し、バカロレア(Baccalauréat:大学入学資格試験)に合格したうえで、2年ほどプレパラトリー学級で猛勉強をし、希望のグラン・ゼコールの入学試験に合格する必要があります。本人の頑張りはもちろんですが、家庭が勉学に慣れ親しむ環境にあること(例えば、本の中で生まれたように、本の中で人生を終えるだろう、と書いたサルトル)、名門校のある学区に住むこと(当然、高級住宅街で、住居費が高い)などの条件が加わりますので、親から子へ階層が固定化してしまいがちです。もちろん、庶民の側でも、職人は職人で、腕さえよければ尊敬を集めるわけですから、何が何でもエリートを目指すという願望も、それほどには強くないようです。

そして、政治エリートのトップと言えば、大統領。国父としてのイメージが大切にされ、公人として顔が前面に出ていました。従って、私人としての顔は、あまり重要視されてこなかったようです。例えば、隠し子について質問を受けたミッテラン元大統領は、“Et, alors ?” (それがどうかしました?)と一言で国民を納得させてしまいました。大統領としての職務を立派に果たしていれば、プライベート面は関係ない・・・

こうした伝統を覆したのが、ご存知、サルコジ現大統領。プライベート面を自ら話題として提供しています。グラン・ゼコールは出ていないものの、高級住宅地・ヌイイで育ち、そこの市長を長年務め、政界のトップにまで上り詰めたのですから、エリートではあります。そのニコラ・サルコジ、大統領就任後に行ったことはと言えば、財界人から提供されたプライベート・ジェットや豪華クルーザーを使っての休暇、セレブ(富豪の娘にしてシンガー)との再々婚・・・ステージの裏に隠されていたエリートたちのプライベート・ライフが公になってきています。しかも、それを誇示するかのような言動をとるサルコジ大統領とその取り巻きエリートたち・・・

そうしたエリートと庶民との対立に改めて目を向けさせた、と言われているのが、現在フランス政財界を揺るがしているヴルト・べタンクール事件(l’affaire Woerth-Bettencourt)。有名企業「ロレアル」を亡夫から引き継いだ億万長者、リリアン・ベタンクールに脱税の容疑が。しかも、このべタンクール女史、政権与党であるUMP(国民運動連合)に法的上限をはるかに超える個人献金をしていた嫌疑が明るみに。特に、2007年の大統領選挙前にUMPに渡った多額の献金が、サルコジ大統領の選挙運動費に使われたのではないか・・・また、当時からUMPの金庫番をしていたのが、エリック・ヴルト(Eric Woerth)現労相。サルコジ大統領誕生後は、予算相に就任。その立場を利用してべタンクール女史の脱税に一役買っていたのではないかという疑いが。しかも、自分の妻を、べタンクール女史の財産管理人として高給で採用してもらった・・・

エリートたちの、お金をめぐる、怪しい行動。経済危機を乗り越えるために、退職年齢の引き上げなど、庶民の暮らしを直撃する多くの緊縮政策が実施されようとしている時、エリートたちは、自らの懐を違法に肥やしているのではないか・・・

庶民とエリート層との乖離が明確になり、そして、そのきっかけがお金。このことは、何も偶然に起きたことではなく、サルコジ大統領の政治姿勢から起こるべくして起こったことだ・・・そう述べているのが、歴史家にして哲学者のマルセル・ゴシェ(Marcel Gauchet)。17日のル・モンド電子版が、そのインタビューの抜粋を掲載しています。

その内容のご紹介の前に一点。政治と国民、その問題を語るのが歴史家・哲学者・・・いかにもフランスらしいですね。政治や経済といえども、その事象の裏側を読み解くためにインタビューを受けるのは、哲学者であったり、歴史家、社会学者、統計学者など。これがフランス式ですが、今日の日本では、どのような問題でも必ず顔を出すのが、エコノミスト、アナリスト。日本とフランス、その違いの一つです。しかし、違うのであって、優劣や○×があるわけではありません。日本は日本式で国民が満足なら、それでいいのだと思います。

さて、マルセル・ゴシェ氏の説は・・・ヴルト・べタンクール事件自体は、司法的にはたいした結果も残さず、収束していくだろうが、国民が漠として抱いていたエリート層への不満を明確に自覚させた影響は残るだろう。サルコジ大統領は2007年の大統領選時、「もっと働いて、もっと稼ごう」というスローガンを掲げ、また「一生懸命に頑張れば、稼げる。怠け者たちだけが落ちこぼれる」と発言するなど、自由主義経済と社会的正義を両立させるうまいテーマを見つけたものだ。そして、その自由主義こそ、エリートたちにとって、都合のよい政策だった。当選後も、エネルギッシュな活動で大きな支持を集めたサルコジ大統領だが、その人気はそういつまでもは続かなかった。緊縮策の影響は大きく、重税感も出てくるだろう。そして、こうした状況は、財政的・社会的正義について考え直すきっかけとなり、まさにこのタイミングで発生したのがヴルト・べタンクール事件であり、サルコジ大統領の選挙時の公約に関する国民の失望感を白日の下にさらすことになった。権力の座にあるエリートたちが、市井の庶民と同じように金、金、金で動くさまを見せつけられたことはショックであり、信仰と言ってもよいほどの「公」に対する信頼をぐらつかせている。そして、こうした状況を引き起こしたサルコジ大統領の問題点は、自らが大統領の職にあることを認識していないこと、そして結果として一国を代表する政治家になれなかったことだ・・・

「公」の立場にあるエリートたちは、国のためにしっかり働いているに違いない・・・そうした信仰にも似た気持ちを打ち砕き、失望させてしまったサルコジ政権とヴルト・べタンクール事件。2012年の次期大統領選挙で新しい大統領が誕生したとしても、国民のエリート層に向ける視線は、冷めたものになっているのかもしれないですね。庶民とエリート層との階級社会というシステムが、機能不全を起こしてしまうのでしょうか・・・それでも、政党難民とも言われるように、投票したい政党がみつからない我らが状況よりは、まだましというべきなのでしょうか。それとも、自由主義経済と経済危機を経た今、世界中の政治が漂流を始めているのでしょうか。漂流の行きつく果てに、戦争の惨禍が待っていないことを願っています。
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自転車の、「自由を我等に」。

2010-07-18 22:18:10 | 社会
『自由を我等に』と聞いて、あのルネ・クレマン監督の名作映画(“A nous, la liberté”)を思い出す人は、中高年でしょうか。何しろ、1931年の映画。フランス映画に憧れる人が多かった時代、今から30年ほど前までは、しばしば称賛された作品です。今は、どれくらいの人が知っているでしょうか。昔の映画は良かった・・・歳です。

さてさて、今、自由を求めているのは、自転車。ヨーロッパでは、以前からスポーツに、レジャーにと、人気の高かった自転車ですが、200年以降は環境に優しい移動手段としてさらに脚光を浴びています。特にパリでは、3年前に“Vélib’”(ヴェリブ、le vélo en libre-serviceの略)という名のセルフサービスのレンタサイクルが登場。通勤や日常の暮らしでも自転車がいっそう気楽に利用されるようになっています。もちろんパリジャンだけではなく、観光客にも利用されているようです(ヴェリブに関する詳細は、ブログ『50歳のフランス滞在記』(blog.goo.ne.jp/take_uu2004)の2007年7月17日分をご参照ください)。

こうした時代の流れをさらに後押ししおうと、パリ市では市内の自転車専用レーンを、現在の総延長440kmから今年中に700kmにまで伸ばそうとしています。7月16日のル・モンド(電子版)が伝えています。

パリ市内で700km・・・すごい距離ですね。自転車の人気のほどがうかがえます。しかも、単に延長するだけでなく、四輪自動車に合わせて一方通行だった道路も、自転車には双方向通行を認めることを半年前に決定。すべてのクルマの最高制限速度が30km/hという、いわゆる「ゾーン30」を通る1,000本以上の道路をその対象とし、すでにそのうちの90%で実施にこぎつけているそうです。

この自転車の双方向通行と自転車専用レーンの延長、2008年7月、ボルロー環境大臣(Jean-Louis Borloo)の発案で政令化されました。交通の流れを良くし、渋滞を緩和することを目的とし、既存の交通網を生かしつつ、自転車の走行できる道路を増やすことによって実現しようとする施策だそうです。

もちろん、標識も充実させなければなりませんし、利用される自転車が増えれば、それだけ駐輪場も拡充しなくてはならない。それでも、四輪自動車がわがもの顔で走り過ぎる、無秩序極まりない幹線道路を走るよりは、ゾーン30の道路のほうが自転車にとっても安全だろうとも考えられています。確かに、ハンドル握ると人間性が変わるフランス人って、多そうですよね。シャンゼリゼ通りのF1レーサー・・・

しかし、「我思う、ゆえに我あり」の国。どんな案にも反対意見は必ず出てきます。この双方向への変更で、かえって交通事故が増えるかもしれない。なぜなら、スクーターが自転車にまぎれて双方向で走ってしまう恐れや、駐車場と走行レーンが混在しているところで、自転車が双方向から走ってくるとぶつかることも増え、いっそう危険になるに違いない!

また、ボルロー環境大臣と同じ政権与党UMP(Union pour un mouvement populaire:国民運動連合)所属の、パリ17区の区長は自転車の双方向通行に起因する危険な交通状況を写真パネルで展示し、問題を指摘していますし、パリ市のUMP市議団は、双方向通行の実施から1年後、この施策と交通事故に関するレポートを作成し、検証することにしているそうです。

地方分権と言うべきか、党議拘束に縛られないと言うべきか、政府の政策を同じ与党の党員であっても、おかしいものはおかしいと言えるシステム、あるいは国民性。長いものに巻かれろ、では決してない生き方。一人ひとりが自立している国民。だからこそ、ある極端な方向に、国全体が盲目的に突っ走ってしまうこともないのかもしれないですね。誰かがブレーキの役割を果たす国。

いや、ちょっと待て。みんなで渡っても、赤信号は、赤信号。こう言える人が、日本にもっと増えるといいですね。進む人がいれば、止まる人もいる。プラスがいれば、マイナスもいる。その方が、バランスが取りやすいのではないでしょうか。日本に伝統的な、長いものに巻かれろ、寄らば大樹の陰。それはそれで一つの生き方、処世術。否定できるものではありませんが、それとは異なる生き方をしたい人が自由に生きていける社会。そうなれば、日本ももう少し度量が広くなり、より多くの人がさらに生きやすい国になるような気がしてなりません・・・我等の社会に、もっと自由を!
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評価するのは、中国だ!

2010-07-17 19:45:33 | 経済・ビジネス
格付け会社による信用格付けが一段階下がったとか、上がったとかいっては、大騒ぎ。さまざまな金融指標が影響を受けることになるのは、ご存じのとおりです。その格付けを行っている会社(l’agence de notation)、世界的には3社の独占的状況になっています。ムーディーズ(Moody’s)、スタンダード・アンド・プアーズ(Standard & Poor’s)そしてフィッチレーティングス(Fitch)。いずれも、ニューヨークあるいはロンドンに本拠を置く会社で、言ってみればアングロ=サクソンの視点での評価。それに振り回される世界・・・

これでいいのか、このままでいいのか。いいわけない! 3社の独占を打破し、我らが視点で世界を動かそう・・・と思ったかどうかはともかく、中国が格付け会社を作り、そのはじめての格付けが発表されました。非西洋の会社によるはじめての格付け、と15日のル・モンド(電子版)が伝えています。

格付け会社の名は、大公国際資信評価(Dagong Global Credit Rating)。イデオロギーに影響されることはない、と言ってはいるものの、大公による評価が他の3社によるレベルより下がったのは、アメリカ、イギリス、フランスなど欧米の先進国で、ベルギー、スペイン、イタリアに至っては、A-でマレーシアと同列だ、とル・モンドは驚いた口ぶり、というか、書き方です。

一方の中国自身の評価はもちろん上がっていて、ドイツ、オランダ、カナダとともに、AA+。また、ノルウェー、デンマーク、スイス、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドの各国は、3社の評価も大公のものも、AAAで変わらないそうです。本当に信用のおける国々ということができるのでしょうね。

中国の会社が格付けを発表した背景について、大公は次のように説明しています。自分たちの評価方法は、3社以上に各国の負債返済能力に重きを置いており、より現実に即したものになっている。現状の問題点を正し、欧米の格付け会社に対するカウンターパートとなることを期待している。また、董事長の関建中(Guan Jianzhong)氏も、世界的な金融危機やユーロ圏の問題は、現状の格付けシステムが国々の負債返済能力を十分に考慮に入れていないからだ、と述べています。

今回の発表は、胡錦涛(Hu Jintao)国家主席が4月に、長期ソブリン格付けには客観的で公平、公明なスタンダードが必要だ、と述べたことに応える形での公表だったのではないかと言われています。

というわけで、さすが中華思想の国。後塵を拝するよりは、自らが世界の規範となろう。新たなスタンダードを中国で作ろう。そうすれば、21世紀、世界は中国を中心に回る・・・反感を覚える人もいるかもしれませんが、これはこれで立派なことではないでしょうか。相手が碧眼紅毛であろうと、言うべきことはしっかり言い、行うべきことは堂々と行う。気遅れだとか、尻込みなんてことは、微塵も感じさせない。さすが黄河文明発祥の地。歴史が違います。

そして、例によって、我が身を振り返れば、なのですが、ル・モンドの記事に、日本の「に」の字も(フランス語ですから、Japonの“J”の字と言うべきかもしれませんが)、出てきません。経済は大国だが、政治は弱小国。以前はこのように言われたものですが、今では、経済面でもどこかに消えてしまっているようです。フランスのメディアに登場する「日本」は、ロボットや携帯の先進技術、漫画・アニメ・コスプレといったサブカルチャー、そして長寿の秘訣・・・

ところで、中華思想の中国と比べれば、我らが立ち位置は、辺境。文化や政治の中心から外れた地理的環境ゆえ、常に進んだ国から先進の技術や文化を受容し、同化させてきた。従って、今どこが先進国なのかを見極めることが不可欠。見極めるや、その国にお追従。見放されないように、時に媚びへつらい、追い越した国々に対しては、虎の威を借る狐。こうした処世術は、国民一人一人にも、いつの間にか染み付いてはいないでしょうか。ほら、強きに弱き、弱きに強い人、あるいは虎の威を借る狐、みなさんの周りにいませんか。

しかし、この追い付け、追い越せが日本のパワーの源になっていたのも事実。別のきれいな言い方をすれば、坂の上の雲。日本には日本のアイデンティティがあるのであって、何も卑下することはないと思います。常に坂の上の雲を目指して、しっかりと歩んでいけばいい・・・

ただ、今日の問題は、多極化の時代、ということ。どこを目指すべきか、多極の中のどの極を選んで追いかけるべきなのか。これがすっきりと決められない。そのため、一歩を踏み出せずにいる。そんな感じなのではないでしょうか。やっぱり、アメリカだ、いやいやこれからは何て言ったって中国だ、いやインドもある、ヨーロッパの知恵も捨てたものではない、資源はアフリカや南米だ・・・目が回ってしまいます。

ここは、どうでしょう、二股膏薬、三股膏薬。それぞれの専門家を数多く養成して、どこがトップに立っても対応できるようにしておく。そのためにも、坂の上の雲を目指して歩み続ける人が、より多く必要になります。お手手つないでみんなで同着のゴールイン、なんてことはやってられません。国家間の大競争時代、ステップアップするのは大変ですが、転がり落ちるのは、あっという間です。がんばれ、ニッポン! 

とは言うものの、多くの日本人が「かつては先進国、今は後進国」という将来像でいいんだ、ということなら、のんびり、ゆっくり行きましょう。

つまり、21世紀の国家像、これについてのコンセンサスづくりが、まずは必要なのではないでしょうか。そのためには、政治家の提案に期待したい。さまざまな提案の中から、選挙を通して国民が選択する。そうあってほしいのですが・・・
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梅雨明けだ! 水の事故は大丈夫か?

2010-07-16 20:25:46 | 社会
沖縄県や奄美地方はすでに梅雨明け。他の地方も、もうすぐですね。梅雨が明ければ、夏本番。肌に日焼けを、そして心には思い出を・・・さすがに、年をとると、どちらも薄くなったり、チャンスがなかったりしますが、とにかく、夏です。

夏になると、いつも報道されるのが、水の事故。また、開放的な気分の反映なのか、スピードの出しすぎによる交通事故。痛ましい事故が増える季節でもあります。

そうした事故を目撃した場合、さて、応急手当を行うべきか、救急隊の到着を待つべきか・・・

12日のル・モンド(電子版)に“Les Français, mauvaises élèves du secourisme”(フランス人、応急手当の劣等生)という記事が出ていました。

フランスでも交通事故を含めた、日常生活での事故が死因の中では最も多くなっているそうです。そして、もし適切な応急手当てが行われれば、救命率は20%も上がるとか。現場での速やかな応急手当て、大切ですね。

ところが・・・そう、「ところが」なので記事になるのですが、フランス人の60%が応急手当ての方法を知らないそうなんですね。知らないから、当然、応急手当ては行わない。救急隊員の到着を待っているだけ。分かりやすいですね。

応急手当ての仕方を学んだことがあるというフランス人は、わずか40%。一方、北欧諸国やドイツでは80%以上の人が学んだことがあるそうで、その知識を生かして、事故にあった人を救うこともできるのでしょうね。北欧にドイツ・・・何事にも、国として、社会としてしっかり取り組んでいる国々は、違いますね。フランスは、やはりどこかラテンのノリ。思わぬ落とし穴がありますね。そこが人間らしいと言えば、らしいのですが・・・

では、どうして、フランスでは応急手当について関心が低いのでしょうか。

「応急手当」に関する明確な定義がないため、応急手当てをしてあげた相手が死亡した場合、その応急手当にあたったのが一般人だろうが、専門家であろうが、民事、あるいは刑事罰を受ける可能性がある・・・これでは、一般の人は、腰が引けてしまいますよね。触らぬ神に祟りなし。「連帯」が大好きなフランス人といえども、これでは応急手当について学ぼうなんて気は起きないようです。

また、行政の側にも応急手当の充実についてのしっかりした対策がないそうです。さらには、救急隊員たちの迅速でプロフェッショナルな対応が、一般の人たちの日和見主義を助長することにもつながっているとか。プロがいるんだから、プロに任せておけ・・・でも1分、1秒を争う場合、救急隊員が到着する前に心臓をマッサージするとか、そういった処置で命を取り留めることができることもある。ぜひ応急処置について知っておいてほしいと、フランス赤十字社の専門家は言っています。

では、どうやって現状を改善していくのか。まずは、関心を持ってもらうこと。家族・知人の事故に遭遇することも、高齢になればなるほど可能性は高くなる。若い人はもちろんだが、中高年の人にこそ学んでほしいと、専門家は言っています。また、救急手当てについて学ぶことを義務化してはどうか・・・学校で、職場で、あるいは運転免許証の交付の際に。そして、一般の人による応急手当ての甲斐なく、事故にあった人が亡くなった場合、手当てをした人が刑事罰に処せられないよう法整備をし、進んで人助けをする人を増やしていくべきだ。

その通りですね。後はどこまで実施に移せるか。この夏、フランス赤十字社は、各地の浜辺で応急手当についての講習会を無料で行うそうです・・・わざわざ「無料で」と記事に明記するあたり、お金にシビアなフランス人らしいですね、記事を書く方も、読む方も。いや、日本人が、伝統的にお金に対していい加減すぎるのかもしれないですが・・・宵越しの金は持たねえ~、お金は天下の回りものだ~、お金について話すなんて、はしたない・・・でも、さすがに今日では、金権、利益至上主義など、お金に貪欲な日本人も増えていますね。

さてさて、話題は、応急手当て。日本ではAED(自動対外式除細動器)をあちこちで見かけますね。取り付けられた施設では取り扱いの講習会も行われているようですので、これは安心ですが、それ以外の、たとえば、人工呼吸、止血。こうしたことを学んだことはありますか。わたしは昔、小学校か中学校で人工呼吸について学んだ記憶がありますが、咄嗟に出来るかどうか、自信ありません。もし、私と同じような方が多いようなら、日本でも、応急手当について、関心・知識を増やすことが必要なのかもしれないですね。

いよいよ、夏本番。事故には気をつけて、いい思い出を作ることにしましょう。
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第二次大戦は、まだ続いている?

2010-07-15 20:50:09 | 政治
7月14日、フランス革命の記念日(le 14 juillet)。今年も恒例の軍隊パレード(le défilé)がシャンゼリゼで行われました。どこかの国をゲストに招待し、行進に参加してもらうこともよくありますが、今年招かれたのは、サハラ以南の13カ国。旧フランス植民地の国々です。

今年これらの国々が独立50周年を迎えるということ、そしてこれを機に、フランスとアフリカの国々との長い歴史ある絆を将来へ向けてより強固なものにしたい、という意向がこの招待の理由だと、サルコジ大統領は述べています。

しかし、何事にも一家言を持っているというか、一言言わないでは気が済まないフランス人のことですから、植民地時代へのノスタルジーにすぎないといった批判、あるいは社会党(le PS)や人権団体からは、フランス革命を記念するこの日のパレードに、独裁者、虐殺者、人権を蹂躙する者たちが加わるとは、何たるパラドックスか、といった非難の声が上がっていました。

しかし、大雨に見舞われたとはいえ、今年も無事行進が行われました。その雨、日本のマスコミなら、フランス革命に命をささげた先人たちの、庶民を抑圧するアフリカの政治家・軍人に対する抗議の涙だ、などと伝えるところでしょうね。

行進には、4,400人、241頭の馬と騎兵、82台のオートバイ、79機の飛行機と38機のヘリコプターが参加。招待されたアフリカ諸国の元首たちはサルコジ大統領と並んで、そのご夫人方はカーラ夫人と並んで、勇壮な隊列が通り過ぎるのを見ていました。通常ですと、この行進の後、エリゼ宮でガーデン・パーティ(園遊会;英語嫌いにもかかわらず、“garden party”と、なぜかこれは英語のまま)が行われるのですが、今年は緊縮財政のため、取りやめになっています。ただし、駐中国フランス大使館では、中国の要人や有名人を集めてガーデン・パーティが行われたようですし、駐日フランス大使館のホームページにも、グラスを手にする緒方貞子JICA理事長の写真も掲載されており、東京でもお祝いが行われたようですね。緊縮財政策などどこ吹く風、でしょうか。見方によっては、外交官特権ならぬ、外務省特権。どこの国にもあるようですね。

さて、旧フランス領の国々を迎えての革命記念日。この日に合わせて、もう一つの政策が発表されました。第二次大戦中、フランスの解放を目指し、アフリカを中心とした旧植民地の人々が銃を取り、ともに戦ってくれた。しかし、その人たちの年金が、フランス人の旧軍人のそれより低くなっている。それを同じレベルに改善する、という決定です。

長年、この差別は放置されてきたのですが、2006年、ある映画の上映を機に、改善の動きが見られました。その映画の名は、“Indigènes”(アンディジェーヌ;現地人とか土着民といった意味、英語のタイトルは“Days of Glory”)。自由フランスのために戦った、北アフリカ・仏領出身の兵隊たちの過酷な日々を描いたアルジェリア・ベルギー・フランス・モロッコの合作映画で、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した(Jamel Debbouzeをはじめ5人の男優による共同受賞)、名作です。

そのエンディング場面で、フランス人と植民地出身者との間に、退役後の待遇に大きな開きがあることが紹介され、話題となりました。特に、当時のシラク大統領夫人がいたく感動し、フランスのために戦った人たちの間で待遇に差があるのはおかしい、ねぇ、ジャック、何とかしてあげて、とシラク大統領に頼み込んだことが改革の発端だったとか。2007年1月から差別解消策が実施されてきたのですが、一部にまだ格差が残っていたようで、ようやく完全に同一レベルにしようということになったみたいですね。ヴァカンス明けの国会で、審議、可決される予定だそうです。

なお、2006年、軍人年金の改善を決定した当時、ド・ヴィルパン首相曰くは、支給が見直される旧植民地出身の退役軍人の数は8万人ということでしたが、それから4年近く、今年の決定で恩恵に浴するのは3万人ほど。戦後65年、記憶の風化、そして体験者の高齢化と減少も進んでいるようです。

では、我らが日本とその周辺国では、事情はどうなっているのでしょうか。先日、仙谷官房長官が、韓国への戦後個人賠償はまだ終わっていない、といったニュアンスのコメントを出していましたが、さて、フランスのように曲がりなりにも解決できるのでしょうか。それとも、普天間問題のように、いわばパンドラの箱を開けただけで、放り出すことになってしまうのでしょうか・・・そして何より、よく分からないのは、菅政権としての、あるいは民主党としての意見なのか、単に個人的見解なのか。民主党政権では、個人的意見がどうも勝手にそこかしこから飛び出しているような気がしてなりません。政権に一体感がない。サッカーの日本代表のように、しっかり団結して、チームプレーができれば、個の力は弱くても、世界に伍して戦える。民主党政権には、たとえばフランスのように個の力で突破できるだけのパワーのある政治家が多くいるのでしょうか。弱い「個」が自分勝手に動いたら・・・国民を不安にさせる一因なのではないでしょうか。日本の政治よ、どこへ行く・・・と、思わず天を仰ぎたくなってしまいます。日本の政治よ、しっかり。がんばれ!
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自信、もっていますか?

2010-07-14 20:24:08 | 社会
W杯では、日本代表が大健闘。多くの国のサッカー関係者やファンの予想に反して、見事ベスト16進出。日本サッカーに日が昇ることはないと思っていたが、今回の大会でライジング・サンであることが分かった、という感想まで聞こえてきました。4年後は、夢としてではなく、現実的な目標として、自信を持って、ベスト8やベスト4と言えるよう、プレーヤー個人、そしてチームとしてさらなるレベルアップを期待したいものです。がんばれ、ニッポン!

サッカーの将来に関しては、このように明るい展望、自信が持てそうなのですが、話題が政治となるとどうでしょうか。連立もままならず、ねじれ国会で漂流してしまいそうです。必要な政策も宙に浮いてしまうのではないでしょうか。社会保障も、経済の活性化も、財政の立て直しも・・・明日の「日本」に、自信を持てますか?

あなたは、自国の現状について自信が持てますか・・・こんな内容のアンケートを、フランスの調査会社“Ifop”が実施し、結果がジュルナル・デュ・ディマンシュ紙(le Journal du Dimanche)に発表されたと、ル・モンド(Le Monde)の電子版が伝えていました(7月11日)。

「フランスは衰退してきている」・・・こう思うフランス人が実に71%に上ったそうです。5年前に比べ、5%増。ちょっとシニカルで個人主義、そして中華思想。自分や自国に関しては自信満々のように見えるフランス人の70%以上がフランスの衰えを自覚している!

しかも、「フランスは他の多くの国々の目指すべきモデルになっている」と考えるフランス人も、46%と過半数割れ。5年前より13%も減少したそうです。

結果として、「フランスは自信をなくしている」と認める人が62%に上っています。自信喪失気味のフランス・・・

しかし一方、「フランスには誇るべき長所がたくさんある」と考えている人は79%に達し、「フランスは自ら変革をしていくことができる」と改革に自信を持っている人も70%いるそうです。

つまり、フランスは本来素晴らしい長所を持った国であるにもかかわらず、国際化という名のアメリカナイズ、新興国の台頭、ユーロ圏の危機などにより、自信を失い、国力も衰えてきているように見える。しかし、自己変革により、再び世界の大国になることができるに違いない・・・こんな風に考えている人が多いのかもしれないですね。

確かに、自由・平等・博愛、人権、さまざまな文化・・・フランスが創造し、世界に広めたものは多くあります。しかし、21世紀においてもその存在感を誇示し続けることができる国の仕組みになっているのでしょうか。旧態依然としたところの散見できる社会システム。その改革をサルコジ大統領に託したのでしょうが、話題になるのは金ぴかなライフスタイルと失言、そして実行を伴わない大風呂敷。就任から3年で、その支持率は26%とか30%と言われるまでに、失墜してしまっています。フランス人の自信喪失の一因なのかもしれません。

ところで、我が身を振り返れば・・・菅内閣の支持率は? その前のいくつかの内閣の支持率はどうだったでしょうか。失われた10年と言われていましたが、今や失われた20年。韓国や中国、そして他の新興国とのビジネス上の競争、多極化した世界での外交上の立ち位置、さらには政権移行期の混乱という内政問題・・・日本は、自己変革できるのや否や。日本は再び「日出づる国」として輝きを取り戻せるや否や。

あなたは、今の日本に自信を持っていますか。明日の日本に自信を持てますか。
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“Slow and steady”も、度を超すと・・・

2010-07-13 20:20:58 | 経済・ビジネス
ゆっくりと、着実に・・・拙速よりは、少々時間がかかっても確実にやるほうがいい、ということは多くの国々で受け入れられているのかもしれないですね。でも、度を越してしまうと・・・

7日の産経(ネット)に次のような記事が出ていました。

「ネパールは(水資源の)宝庫だ」。国際協力機構(JICA)を通して電源開発(Jパワー)からネパール電力公社に派遣中の発電事業の専門家、尾崎行義氏はこう話す。2003年、ネパール第2の都市、ポカラ近くのセティ川中流にあるダム建設の候補地を訪れた尾崎氏が「日本がやるべき事業だ」と確信したのは、切れ込んだ渓谷に戦後日本の挑んだアルプス地方のダムの姿が浮かんだからだ。脆弱(ぜいじやく)な地質でのダム建設で一日の長があるのは間違いない。
 日本政府への援助要請の先頭に立った尾崎氏の奔走に対し、ネパール政府も最優先事業のひとつと位置づける。「アッパーセティ発電所」と呼ばれる建設計画にはJICAが出資し、Jパワーなどが07年、開発調査を完了。アジア開発銀行が事業化の支援を決めており、協議を続ける。
 ただ、手つかずのヒマラヤの水資源は利用価値が高いだけに、インドや中国の企業も熱い視線を注ぐ。インドは自国の発電所をネパール国内に建設し、一部をネパール向けに譲渡する計画に余念がない。低コストの受注額を提示するなど、「日本企業が受注できるか流動的な状況になってきた」(関係者)という。インフラ輸出に意欲をみせる日本の底力が、試されている。

ヒマラヤの水資源に目をつけたのが2003年。開発調査を終えたのが2007年。その後、資金計画などを協議。今は、2010年。最初に手を挙げ、先行していたにもかかわらず、今や
「日本企業が受注できるか流動的な状況になってきた」・・・ということのようです。

まったくの門外漢なので詳細はわからないのですが、7年というのは、時間のかけすぎではないでしょうか。確かに、日本国内では、計画から着工まで数十年というダムもありますが、世界は待ってくれない。国内と同じスピードでやっていては、得られるものも、失ってしまう。何しろ、“Time is money”ですものね。上の記事の場合、担当の方は頑張られたのでしょうが、なかなか動かない壁があったのかもしれないですね。

この水資源、あるいは原子力は今後大きな伸びが見込める分野だそうです。そして、ここで、日本はフランスと戦うことになっている、あるいは既に戦っています。

水ビジネスのキー・プレイヤーは、フランスの2社。スエズ(Suez)とヴェオリア(Veolia Environnement)。上下水道事業や、水処理・水浄化事業、雨水利用ビジネスなど裾野が広がりをみせている水ビジネス。フランスの2社はすでに一兆円を超える売り上げがあるそうですし、さらに中国をはじめとする新興国へも、さまざまなシステムをパッケージとして売り込んでいます。

一方、原子力事業は、3大プレーヤーがしのぎを削っています。ここにもフランスが登場。フランスのアレヴァNP(Areva NP)および業務提携をした三菱重工グループ、東芝(アメリカのウェスティングハウス・エレクトリックを買収)、GEおよび原子力事業で経営統合した日立製作所グループの3企業グループ。日本、フランス、アメリカの戦いになっているようですね。

上記いずれの分野でも、日本は個々の技術には優れたものがあるそうです。しかし、ビジネス展開となると後塵を拝してしまうことが多いとか。どうしてなのでしょう。もちろん、決定の遅れなどもあるのでしょうが、もう1点、大切なのが、システム化、パッケージ化の問題だそうです。

フランス企業は、たとえば発電事業では、単に発電所だけではなく、配電盤事業や送電事業を含めて、パッケージ化して売り込んでくることがよくあるそうです。ビジネスの統合化とでも言えばいいのでしょうか。一方、日本は単体で売り込む場合が多いと聞きます。

技術者の頑張りでそのレベルは高い、しかし、技術者の領域を超えての統合・システム化を提唱・主導する人がいない、ということでしょうか。技術に優れ、製造の現場での品質管理も素晴らしいにもかかわらず、市場での売り上げに直結しない場合もある。

目の前の問題解決、技術開発には優れているものの、ビジネス全体を見渡し、その方向性を明確に打ち出す人がいない、あるいは少ない。話は、ビジネスだけにとどまらないような気がします。政策一つ一つには詳しくても、あるべき日本の国家像を提示できる政治家は少ない。一つ一つの政策は提示し実行することはできても、省をまたいでのプロジェクト、あるいは新しい分野に成長の絵を描くことのできる役人は多くない。

現場の名プレーヤーは多くいるにもかかわらず、名監督が少ない。日本の課題かもしれないですね。では、フランスには名監督が多いのか・・・日本よりははるかに多いと思います。徹底したエリート教育と、働き始めてすぐから管理者としての修業を積んでいくわけで、経営者として優秀な人物が輩出されています。しかし一方、エリート層に入れなかった人たちは、権利を主張するばかりで、仕事に打ち込む人は少ない。従って、フランス企業の提案は素晴らしいが、実際に出来上がったものはひどい品質だ、という声もよく聞かれます。

ということは、フランス人の経営者と日本人の現場が一緒になれば、素晴らしいチームになるのではないでしょうか。

でも、そこがそうはいかないのが、難しいところというか、面白いところですね。コミュニケーション、価値観、倫理観・・・克服すべき事柄が多く介在し、そう簡単にはチームとして機能しないのではないでしょうか。でも、もしそうした問題を克服できたならば・・・素晴らしいことですが、その場合、その成果をフランス人に独り占めされてしまう・・・それはそれで、怖い話です。

ここはひとつ、フランスのようなすぐれたトップの人材を日本でも養成することから始めたらどうでしょうか。でも、だれがどうやって音頭をとり、実行していくのか・・・問題の根は深い。
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いとこは、近いか、遠いか。

2010-07-12 20:02:14 | 社会
参議院選挙は、ご存じのとおり、民主党の惨敗。敗因の一つに、選挙直前に唐突に菅首相が言い始めた消費税率のアップが挙げられていますね。

消費税率のアップ自体への拒否感もあるでしょうが、その話の進め方にも首をかしげざるをえないところがあります。

徹底した無駄の削減が民主党の「売り」だったと思うのですが、どこまで進んだのでしょうか。増税の前に、無駄のさらなる削減を。天下り先への無駄なお金の流れ、公務員改革、そして何よりも、隗より始めよで、議員定数や歳費の削減。それらを行った後の増税論議でしょうし、またその増税議論にしても、民主党は政権与党なのであって、もはや野党ではない。反対するだけではなく、政策を具体的に提案・実施する立場にある。それなのに、自民党の10%案を参考にしたい! 野党の案を参考にする与党。政権担当能力は、ありやなしや・・・しかも逆進性が指摘されるや、低所得世帯への還付を言い出したものの、還付対象者の線引きが、年収400万円になったり、200万円になったり。

自らの生活、いや生存に直接に影響する政治には、ことのほか厳しい目を向けるフランス人には理解しがたい日本の政治でしょうね。あいた口がふさがらない! ビックリを通り越して、唖然、茫然自失。もしフランスで同じようなことが起きれば、ものすごい参加者のデモ、終わりの見えないストライキ・・・

フランス人がびっくりしたといえば、菅直人氏が首相に就任した際、話題の中で菅首相がいとこ同士で結婚したということを言った時。日本に住むあるフランス人は眼をまん丸に見開いて、いとこ同士で結婚しただって?!

そう、フランスでは、いとこ同士の結婚は禁じられているようです。エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)の『世界の多様性』(La diversité du monde)によると、パリを中心としたフランス北部が含まれる平等主義核家族(la famille nucléaire égalitaire)の社会ではいとこ婚は禁止されているそうです。また、ケルト文化の影響色濃いブルターニュ地方が含まれる絶対核家族(la famille nucléaire absolue)の社会でも、同じくいとこ婚は禁止だとか。

ただし、ウィキペディアによると、フランスでもルイ10世とその最初の王妃マルグリットをはじめ、王室や有力貴族の中にはいとこ婚がそれなりに見られるようですし、1910年代の調査でも、0.97%がいとこ婚だったとか。103組に1組の割合! ちなみに、1931年の東京では4.0%、実に25組に1組がいとこ婚だった!! 

日本では4等身以上離れていれば、直系でない限り血族同士の結婚も認められているので、いとこ婚はOKですが、フランスでは何らかの事情により認められる場合があるものの、レアケースなのかもしれないですね(詳細をご存知の方には、ご教授いただければ幸いです)。菅首相夫妻の話を聞いた時のフランス人の驚いた顔からして、そう思われます。日本に10年以上住んでいるフランス人ですから、ちょっとやそっとのことでは驚かないのですが、あの時のびっくりした顔は忘れられません。

いとこは近い血族なのか、遠いのか。そして、いとこ婚を認める国、認めない国。認められてはいても、実際に多い国、少ない国。またアメリカのように、州ごとに決まりが異なる国。地方分権の表れなのでしょうか・・・いとこ婚一つとっても、世界は広い!

菅首相にはぜひ、いとこ婚ではなく、素晴らしい政策で私たちに話題を提供してほしいものです。ビックリ、そして拍手喝采、となるような政策を! でも、問題は、菅政権にどれだけの余命があるのか・・・
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するか、しないか、それが問題だ!

2010-07-10 19:39:48 | 政治
11日は参議院議員選挙。期日前投票を済ませた人もいるでしょうが、最後まで投票先をじっくり検討して当日に投票、という人も多いのではないでしょうか。

その政治、昔聞かされたのは、海外では、食事の際に政治と宗教の話題を避けることがテーブルマナーとしてふさわしい。要は、食事の席では政治の話はするな!

でも、これは杞憂。どうしてかって? 日本では、政治の話を真剣にするなんてことはめったにありませんものね。食事のときだけではなく、いつでも、どこでも。そんな難しい話は別の機会にして、さっ、一杯・・・問題は、その別の機会が、めったにやってこないこと。仕事上での会食などではもちろんですが、家族とのだんらんでも、政治の話題はあまり俎上に乗らないですね。どこにおいしい店ができたとか、どの芸人が面白いとか、スポーツ選手の活躍とか・・・

一方、フランスでは・・・侃々諤々、食事の席だろうが、カフェでのおしゃべりであろうが、話題は政治、経済。特に、政治は自分たちの生活に直結することが多いので、黙ってはいられない。我思う、ゆえに我あり(“Je pense, donc je suis.”)というのがフランス人のバックボーンになっているとも言われますが、生身の人間を見ていると、我しゃべる、ゆえに我あり(“Je parle, donc je suis”)なんじゃないかと思ってしまうほど、しゃべる、しゃべる。でも、しゃべるためには何かを考えなくてはいけないので、「我思う」で問題はない、と彼らは言っていますが。

で、そのしゃべる内容ですが、本当に政治の話が多い。日本に10年以上住み、大学で教鞭をとっているフランス人も、フランスでは家族とでも、友人とでも、政治の話をよくする。日本とは大きな違いだ、と言っています。

もちろん、フランスが○で、日本が×というわけではありません。フランスと日本は別の国。歴史、価値観、慣習・・・多くのものが異なります。そして言うまでもなく、それらは異なっているのであって、どちらかが正しいとか間違っているというものではありません。日本は日本のやり方で、今まで立派に生きてきたわけですから。

でも、21世紀。今までのやり方でいいのか。どこか制度疲労をきたしてはいないか。政治に変革が求められてはいないか。もしそう思うなら、変革することに躊躇すべきではないと思います。そして、その変革は、国民一人一人から始まります。政治をより良くしたい。そのためには、自分の意見をしっかり持ち、しかも他の異なる意見ともすり合わせ、より良いものへと変容させていく。そんなことが大切なのではないでしょうか。

国民は、自らにふさわしい政治しか持てない!  政治は、お上のものではない。わたしたち一人ひとりの意見で変えていく。それができるかどうか・・・・To do or not to do - that is the question.

*突然、シェークスピアで失礼。モリエールとか、ラシーヌ、コルネイユなら、フランス絡みでベターだったのですが、残念。でも、『ハムレット』ですので、舞台はデンマーク。サッカーで日本代表が勝った相手だけに、大目に見ていただければ、幸いです。
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