フランス語表記すると、“les gens du voyage”“les Roms”“les Tsiganes”、最後の単語は“les Tziganes”とも書きますし、昔は“les Gitans”とも表記しました。
さあ、それぞれ、どう違うのでしょうか。日々の暮らしの中で、人種や民族について考える機会があまり多くないと、これはちょっと分かりにくいですよね。
最もなじみのある語「ジプシー」から、調べてみましょう。ウィキペディアによると、
ジプシー(英: gypsy、西: gitano、仏: gitan)は、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。元々は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した単語である。
こうなっていますが、フランス語表記“Gitan”は、今では“Tsigane”(ル・モンドなどの表記)または“Tzigane”(仏和辞書などに見られる表記)と書かれます。私が学生時代は、確かに、Gitanでした。有名なタバコも、“gitane”(ジプシー女)ですしね。そういえば、東京も昔は“Tokio”と表記されていました(沢田研二の「トキオが空を飛ぶ」を思い出します・・・古くてすみません)が、今では“Tokyo”。外国語表記も「世につれ」ですね。
ということで、“les Tsiganes”と“les Tziganes”はジプシーのことだと分かりましたが、ウィキペディアでは、ジプシーについてさらに次のような説明があります。
ヨーロッパ・中近東のマイノリティ集団
・ロマ―北インド起源の移動型集団
・ロマ、アッシュカリー、エジプシャンの総称
おや、ちょっと待て、ですね。ジプシーは北インド起源のマイノリティという説を聞いたことがありませんか。日本では、こう思い込んでいる人が意外と多いのではないでしょうか。しかし、ウィキペディアによると、ヨーロッパや中近東を移動するマイノリティ集団=ジプシーで、そのうち、北インド起源の人たちは、ロマと呼ばれる、ということになりますね。
では、ロマの説明は・・・
ロマはジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族である。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオタイプは18世紀後半に作られたものであり、ロマでない集団との関係は不明である。
ということですので、ジプシーと言われる移動集団のうち、北インドを起源とする人たちがロマ(Romes)ということになりますね。
では、もうひとつの“les gens du voyages”とはどういう人たちなのでしょうか。直訳すれば、「旅の人々」。旅から旅へと移動を繰り返す人々・・・ということは、ジプシーのことでしょうか。どうもそうではないようです。
21日のル・モンドによると、ロマ(les Roms)は外国人(主にルーマニア人やブルガリア人)だが、旅の人々(les gens du voyage)は完全なフランス人で、ブルターニュ人やサヴォワ人よりも古いフランス人だ、ということです。1532年にフランスに併合されたブルターニュ半島に住むケルト人や1860年にイタリア王国の成立を承認してもらう代わりにイタリアがフランスに割譲したサヴォイア地方(フランス語表記はSavoieで、サヴォア)の人々よりも昔からフランスに暮らす人々。しかし、移住を繰り返す・・・
ロマ(les Roms)と旅の人々(les gens du voyage)の違いを上記のように定義したのは、上院の旅の人々に関する諮問委員会の委員長で、2008年には旅の人々の定住に関するレポートをまとめた与党・UMPの上院議員、ピエール・エリソン(Pierre Hérisson)です。なぜ、彼のこうしたコメントが引用されているかと言うと・・・
パリの南西、ロワール・エ・シェール(Loir-et-Cher)地方のサン・テニャン(Saint-Aignan)という町で、16日の夜、警察の制止を振り切って車で逃げようとした22歳の青年が銃撃され、12km離れたところで遺体となって発見された。その青年は、旅の人々の一人で、2歳の子の父親だった。警官による射殺に激怒した旅の人々が、クルマに火をつけたり、警察を襲撃したり、大きな騒ぎになっている。こうした動きに、治安の悪さには強面で取り組むのを是とするサルコジ大統領が、旅の人々やロマの行動が引き起こす問題についてエリゼ宮で会議を開催することにした。しかも、そうした人々が住む違法なキャンプ地を撤去させる可能性にも言及。そのことが、人権団体や旅の人々を支援する団体の怒りをかっています・・・まるで、すべての旅の人々やロマが犯罪者であるかのような印象を与える意見だ! 実際、射殺された青年の家族は、2世代にわたって、仮設ではないきちんとした住居に定住しているそうです。
2000年に成立した法律(la loi « Besson »)により、人口5,000人以上の自治体は、旅の人々などのためにキャンピングカーを停めるエリアを確保しておくことが義務付けられています。テレビのニュースなどを見ると、そうしたエリアには、水道や電気が整備されているようです。今日では、こうした受け入れ施設が全国に8万か所。しかし、夏の巡礼などで人々が大集合する場合やそこまでの通過地域では、エリアからあふれてしまい、地域住民との軋轢も生じることがあるようです。こうした事態に備えて、フランス南西部と東部に25,000台のキャンピングカーを収容できるゾーンを整備するとともに、今年4月の内相令で、通過する旅の人々のために各県に少なくとも2か所、200~240台収容できるエリアを設けるよう要望を出していました。
こうした状況下での、旅の人々との衝突。旅の人々、ロマ、そして増え続ける移民・・・フランスが解決すべき大きな問題になっています。そして、言わずもがなですが、我らが日本にとっても、他人事では済ませられない問題になりつつありますね。
さあ、それぞれ、どう違うのでしょうか。日々の暮らしの中で、人種や民族について考える機会があまり多くないと、これはちょっと分かりにくいですよね。
最もなじみのある語「ジプシー」から、調べてみましょう。ウィキペディアによると、
ジプシー(英: gypsy、西: gitano、仏: gitan)は、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。元々は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した単語である。
こうなっていますが、フランス語表記“Gitan”は、今では“Tsigane”(ル・モンドなどの表記)または“Tzigane”(仏和辞書などに見られる表記)と書かれます。私が学生時代は、確かに、Gitanでした。有名なタバコも、“gitane”(ジプシー女)ですしね。そういえば、東京も昔は“Tokio”と表記されていました(沢田研二の「トキオが空を飛ぶ」を思い出します・・・古くてすみません)が、今では“Tokyo”。外国語表記も「世につれ」ですね。
ということで、“les Tsiganes”と“les Tziganes”はジプシーのことだと分かりましたが、ウィキペディアでは、ジプシーについてさらに次のような説明があります。
ヨーロッパ・中近東のマイノリティ集団
・ロマ―北インド起源の移動型集団
・ロマ、アッシュカリー、エジプシャンの総称
おや、ちょっと待て、ですね。ジプシーは北インド起源のマイノリティという説を聞いたことがありませんか。日本では、こう思い込んでいる人が意外と多いのではないでしょうか。しかし、ウィキペディアによると、ヨーロッパや中近東を移動するマイノリティ集団=ジプシーで、そのうち、北インド起源の人たちは、ロマと呼ばれる、ということになりますね。
では、ロマの説明は・・・
ロマはジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族である。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオタイプは18世紀後半に作られたものであり、ロマでない集団との関係は不明である。
ということですので、ジプシーと言われる移動集団のうち、北インドを起源とする人たちがロマ(Romes)ということになりますね。
では、もうひとつの“les gens du voyages”とはどういう人たちなのでしょうか。直訳すれば、「旅の人々」。旅から旅へと移動を繰り返す人々・・・ということは、ジプシーのことでしょうか。どうもそうではないようです。
21日のル・モンドによると、ロマ(les Roms)は外国人(主にルーマニア人やブルガリア人)だが、旅の人々(les gens du voyage)は完全なフランス人で、ブルターニュ人やサヴォワ人よりも古いフランス人だ、ということです。1532年にフランスに併合されたブルターニュ半島に住むケルト人や1860年にイタリア王国の成立を承認してもらう代わりにイタリアがフランスに割譲したサヴォイア地方(フランス語表記はSavoieで、サヴォア)の人々よりも昔からフランスに暮らす人々。しかし、移住を繰り返す・・・
ロマ(les Roms)と旅の人々(les gens du voyage)の違いを上記のように定義したのは、上院の旅の人々に関する諮問委員会の委員長で、2008年には旅の人々の定住に関するレポートをまとめた与党・UMPの上院議員、ピエール・エリソン(Pierre Hérisson)です。なぜ、彼のこうしたコメントが引用されているかと言うと・・・
パリの南西、ロワール・エ・シェール(Loir-et-Cher)地方のサン・テニャン(Saint-Aignan)という町で、16日の夜、警察の制止を振り切って車で逃げようとした22歳の青年が銃撃され、12km離れたところで遺体となって発見された。その青年は、旅の人々の一人で、2歳の子の父親だった。警官による射殺に激怒した旅の人々が、クルマに火をつけたり、警察を襲撃したり、大きな騒ぎになっている。こうした動きに、治安の悪さには強面で取り組むのを是とするサルコジ大統領が、旅の人々やロマの行動が引き起こす問題についてエリゼ宮で会議を開催することにした。しかも、そうした人々が住む違法なキャンプ地を撤去させる可能性にも言及。そのことが、人権団体や旅の人々を支援する団体の怒りをかっています・・・まるで、すべての旅の人々やロマが犯罪者であるかのような印象を与える意見だ! 実際、射殺された青年の家族は、2世代にわたって、仮設ではないきちんとした住居に定住しているそうです。
2000年に成立した法律(la loi « Besson »)により、人口5,000人以上の自治体は、旅の人々などのためにキャンピングカーを停めるエリアを確保しておくことが義務付けられています。テレビのニュースなどを見ると、そうしたエリアには、水道や電気が整備されているようです。今日では、こうした受け入れ施設が全国に8万か所。しかし、夏の巡礼などで人々が大集合する場合やそこまでの通過地域では、エリアからあふれてしまい、地域住民との軋轢も生じることがあるようです。こうした事態に備えて、フランス南西部と東部に25,000台のキャンピングカーを収容できるゾーンを整備するとともに、今年4月の内相令で、通過する旅の人々のために各県に少なくとも2か所、200~240台収容できるエリアを設けるよう要望を出していました。
こうした状況下での、旅の人々との衝突。旅の人々、ロマ、そして増え続ける移民・・・フランスが解決すべき大きな問題になっています。そして、言わずもがなですが、我らが日本にとっても、他人事では済ませられない問題になりつつありますね。