先週、フランスのフィヨン首相(François Fillon)が日本を訪問しましたが、あまりメディアでは取り上げられなかったですね。これが、アメリカのクリントン国務長官だったらどうでしょうか、中国の温家宝首相だったら・・・フランスは、日本ではすっかり影が薄くなってしまったような気もしますが、政治面では昔からこの程度の関係だったかもしれませんね。『龍馬伝』や『坂の上の雲』を見ると、幕末や明治時代、政治や軍事ではなかなかの関係だったことが窺い知れますが、今日では・・・その逆もまた同じ状態で、日本の政治がフランスのメディアに大きく取り上げられることは、稀ですね。
こうした状況でのフィヨン首相の日本訪問、今回、フランスのメディアが大きく取り上げています!
しかし・・・残念ながら、日仏関係に関してではなく、フランスの内政問題に触れた首相のコメントに関してです。
16日、東京で財界人を相手に講演したのですが、その中で、“la rigueur”という言葉を用いたことが、いろいろな憶測を呼んでいます。“la rigueur”とは「緊縮策」といった意味の言葉なのですが、詳しくは、19日のル・モンド(電子版)が紹介しています。
サルコジ大統領がほとんど忌み嫌っていると言ってもいい“la rigueur”という単語を、フィヨン首相が日本で発言。遥か彼方の極東への旅で疲れていたのか、あるいは日本の財界人を前に、フランスは財政赤字にもかかわらず、投資先としてまだまだ魅力的であることを強調したいという、その気持ちが先走ってしまったのか、と憶測されていたのだが、なんと、次の訪問地、ニュー・カレドニアでも、また、言ってしまった。“la rigueur”と、6日の間に、二回も! これは確信犯なのではないか・・・決して言い間違えたのではなく、経済の現状を正確に言い表すため、そして将来の政治を切り開くためにこの言葉を口にしたのではないか。そう、自らの将来を切り開くために、フランソワ・フィヨンがついに、政治活動を始めたのではないか!
ここでちょっと昔を振り返ってみましょう。2007年にサルコジ大統領が誕生すると、フランソワ・フィヨンが首相に指名され、ともにフランスの改革を目指しました。しかし、どこにでも顔を出し、何でも自分でやってしまおうというワンマン型のサルコジ大統領の陰に隠れ、当初は、首相はどこへ消えてしまったのか、と揶揄されていましたが、ウケ狙いではない誠実な話しぶり、職務に忠実で粘り強い対応などで、いつの間にか支持率で大統領を上回るように。離婚、再々婚、贅沢なヴァカンスなどゴシッピーな話題や派手なジェスチャーが次第に鼻についてきた大統領とは反対に、次第に国民の信頼を勝ち得るようになってきました。ちなみに、先日発表されたTNS-Sofresの政治家人気度調査では、トップ3に入ったIMF専務理事のドミンク・ストロス=カーン(Dominique Strauss-Kahn、もともと社会党だが、サルコジ大統領の推薦で現職に就任)、社会党第一書記のマルチーヌ・オブリー(Martine Aubry、かつてのEC委員長、ジャック・ドロールの娘)、パリ市長のベルトラン・ドラノエ(Bertrand Delanoë、社会党、ホモセクシュアルであることを公言)らに続いて、フィヨン首相は支持率36%で5位に。一方のサルコジ大統領は、わずか26%の支持。現職の大統領でなければ、2012年の大統領選へ向けては、泡沫候補の一人にすぎない!?
しかし、フィヨン首相が目指したフランスの改革は、サブプライムローンに端を発する経済危機、そしてユーロ圏の危機という経済問題に行く手を阻まれて、なかなか実現できずにいます。
こうした経済危機のさなか、ユーロ圏の各国は「緊縮策」を打ち出し、危機から脱しようと必死になっています。ですから、“la rigueur”という単語を使うことは何ら問題ないようにも思われますが、そうはいかないのがフランス、なのでしょうね。
国民の生活を守ったうえで、国家としての存在感を高めていくのが、政治家の仕事。それを、経済危機とやらで、国民の暮らしを犠牲にして経済を立て直そうなどとは、政治家として、失格だ! こんな声が上がっているのでしょう、年金受給開始年齢の引き上げ、公務員数削減など、国民に負担をかける政策を推し進めざるを得ない状況下、あえて国民を刺激する“la rigueur”(緊縮策)という言葉は、どうしても使いたくない。それがサルコジ大統領の気持なのかもしれません。
フランスの政治史には、同じような状況がかつてあったそうです。ジスカール・デスタン大統領(Giscard d’Estaing)時代、第一次、第二次のオイルショックに見舞われ、経済立て直しのために「緊縮策」が必要と判断したレイモン・バール首相(Raymond Barre)は、“la rigueur”を連発。一方の大統領は、緊縮策が大統領選時の自分の公約と齟齬をきたすのを恐れ、にがにがしく思っていたそうで、首相を罷免しようかとまで考えたそうですが、結局思いとどまったとか。
歴史は繰り返す・・・でしょうか? 今年10月、サルコジ大統領は、大規模な内閣改造を計画しています。その際、首相交代があるのかどうか・・・10月、もし財政状況がさらに悪化していれば、今以上に緊縮策が必要になる。緊縮策を遂行できるのは誰か・・・“la rigueur”と公に発言しているのは、フィヨン首相だけ。であれば、交代させられるわけがない。また、もし、個人的な好き嫌いから、サルコジ大統領が首相を交代させた場合、フランソワ・フィヨンは真実を語った勇気ある国父というイメージを持ったまま首相官邸(Matignon)を去ることができる。いずれにせよ、今、“la rigueur”(ラ・リグール)と叫ぶことは、フランソワ・フィヨンにとって、マイナスにはならない!
政争に明け暮れる政治家というよりは、能吏のイメージが強いフランソワ・フィヨンが首相として初めて打った政治的一手。さて、結末や、いかに・・・
フランス政治、なかなか面白いですよね。そう思いませんか。何が面白いって、登場人物たちです。大統領、首相、支持率トップの三人、そしてほかにも「国境なき医師団」の創設者の一人であるベルナール・クシュネル外相(Bernard Kouchner、社会党員だが、サルコジ大統領の一本釣りにより入閣)、イラク開戦に反対した当時のイケメン外相、ドミニク・ド=ヴィルパン(Dominique de Villepin、職業外交官、作家、弁護士にして政治家)をはじめ個性ある政治家たちが多くいます。一方、日出国の政界を見渡すと、どこを見ても、世襲、元キャリア官僚、弁護士、労組幹部出身者だらけ。政策面で国民の共感を呼ぶようなアイデアが出ないなら、せめて政治家の個性で国民の政治への関心をつなぎ止めてほしいと思うのですが、どうも均質的で没個性ですね。でも、国民は自らにふさわしい政治しか持てない、とも言います・・・ちょっと気が滅入ってしまいますね。
こうした状況でのフィヨン首相の日本訪問、今回、フランスのメディアが大きく取り上げています!
しかし・・・残念ながら、日仏関係に関してではなく、フランスの内政問題に触れた首相のコメントに関してです。
16日、東京で財界人を相手に講演したのですが、その中で、“la rigueur”という言葉を用いたことが、いろいろな憶測を呼んでいます。“la rigueur”とは「緊縮策」といった意味の言葉なのですが、詳しくは、19日のル・モンド(電子版)が紹介しています。
サルコジ大統領がほとんど忌み嫌っていると言ってもいい“la rigueur”という単語を、フィヨン首相が日本で発言。遥か彼方の極東への旅で疲れていたのか、あるいは日本の財界人を前に、フランスは財政赤字にもかかわらず、投資先としてまだまだ魅力的であることを強調したいという、その気持ちが先走ってしまったのか、と憶測されていたのだが、なんと、次の訪問地、ニュー・カレドニアでも、また、言ってしまった。“la rigueur”と、6日の間に、二回も! これは確信犯なのではないか・・・決して言い間違えたのではなく、経済の現状を正確に言い表すため、そして将来の政治を切り開くためにこの言葉を口にしたのではないか。そう、自らの将来を切り開くために、フランソワ・フィヨンがついに、政治活動を始めたのではないか!
ここでちょっと昔を振り返ってみましょう。2007年にサルコジ大統領が誕生すると、フランソワ・フィヨンが首相に指名され、ともにフランスの改革を目指しました。しかし、どこにでも顔を出し、何でも自分でやってしまおうというワンマン型のサルコジ大統領の陰に隠れ、当初は、首相はどこへ消えてしまったのか、と揶揄されていましたが、ウケ狙いではない誠実な話しぶり、職務に忠実で粘り強い対応などで、いつの間にか支持率で大統領を上回るように。離婚、再々婚、贅沢なヴァカンスなどゴシッピーな話題や派手なジェスチャーが次第に鼻についてきた大統領とは反対に、次第に国民の信頼を勝ち得るようになってきました。ちなみに、先日発表されたTNS-Sofresの政治家人気度調査では、トップ3に入ったIMF専務理事のドミンク・ストロス=カーン(Dominique Strauss-Kahn、もともと社会党だが、サルコジ大統領の推薦で現職に就任)、社会党第一書記のマルチーヌ・オブリー(Martine Aubry、かつてのEC委員長、ジャック・ドロールの娘)、パリ市長のベルトラン・ドラノエ(Bertrand Delanoë、社会党、ホモセクシュアルであることを公言)らに続いて、フィヨン首相は支持率36%で5位に。一方のサルコジ大統領は、わずか26%の支持。現職の大統領でなければ、2012年の大統領選へ向けては、泡沫候補の一人にすぎない!?
しかし、フィヨン首相が目指したフランスの改革は、サブプライムローンに端を発する経済危機、そしてユーロ圏の危機という経済問題に行く手を阻まれて、なかなか実現できずにいます。
こうした経済危機のさなか、ユーロ圏の各国は「緊縮策」を打ち出し、危機から脱しようと必死になっています。ですから、“la rigueur”という単語を使うことは何ら問題ないようにも思われますが、そうはいかないのがフランス、なのでしょうね。
国民の生活を守ったうえで、国家としての存在感を高めていくのが、政治家の仕事。それを、経済危機とやらで、国民の暮らしを犠牲にして経済を立て直そうなどとは、政治家として、失格だ! こんな声が上がっているのでしょう、年金受給開始年齢の引き上げ、公務員数削減など、国民に負担をかける政策を推し進めざるを得ない状況下、あえて国民を刺激する“la rigueur”(緊縮策)という言葉は、どうしても使いたくない。それがサルコジ大統領の気持なのかもしれません。
フランスの政治史には、同じような状況がかつてあったそうです。ジスカール・デスタン大統領(Giscard d’Estaing)時代、第一次、第二次のオイルショックに見舞われ、経済立て直しのために「緊縮策」が必要と判断したレイモン・バール首相(Raymond Barre)は、“la rigueur”を連発。一方の大統領は、緊縮策が大統領選時の自分の公約と齟齬をきたすのを恐れ、にがにがしく思っていたそうで、首相を罷免しようかとまで考えたそうですが、結局思いとどまったとか。
歴史は繰り返す・・・でしょうか? 今年10月、サルコジ大統領は、大規模な内閣改造を計画しています。その際、首相交代があるのかどうか・・・10月、もし財政状況がさらに悪化していれば、今以上に緊縮策が必要になる。緊縮策を遂行できるのは誰か・・・“la rigueur”と公に発言しているのは、フィヨン首相だけ。であれば、交代させられるわけがない。また、もし、個人的な好き嫌いから、サルコジ大統領が首相を交代させた場合、フランソワ・フィヨンは真実を語った勇気ある国父というイメージを持ったまま首相官邸(Matignon)を去ることができる。いずれにせよ、今、“la rigueur”(ラ・リグール)と叫ぶことは、フランソワ・フィヨンにとって、マイナスにはならない!
政争に明け暮れる政治家というよりは、能吏のイメージが強いフランソワ・フィヨンが首相として初めて打った政治的一手。さて、結末や、いかに・・・
フランス政治、なかなか面白いですよね。そう思いませんか。何が面白いって、登場人物たちです。大統領、首相、支持率トップの三人、そしてほかにも「国境なき医師団」の創設者の一人であるベルナール・クシュネル外相(Bernard Kouchner、社会党員だが、サルコジ大統領の一本釣りにより入閣)、イラク開戦に反対した当時のイケメン外相、ドミニク・ド=ヴィルパン(Dominique de Villepin、職業外交官、作家、弁護士にして政治家)をはじめ個性ある政治家たちが多くいます。一方、日出国の政界を見渡すと、どこを見ても、世襲、元キャリア官僚、弁護士、労組幹部出身者だらけ。政策面で国民の共感を呼ぶようなアイデアが出ないなら、せめて政治家の個性で国民の政治への関心をつなぎ止めてほしいと思うのですが、どうも均質的で没個性ですね。でも、国民は自らにふさわしい政治しか持てない、とも言います・・・ちょっと気が滅入ってしまいますね。