流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

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魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 を語る

2013-10-27 07:15:45 | ■新房昭之




深夜最速上映で見てきました。
昨年の劇場版の予告から凄く楽しみにしていたので、
始まる直前の期待感や緊張感に並々ならぬものがありました。
こうやって楽しめる作品ってそれだけでも貴重だったなと。
しかし再放送中で流れるCM見たらここまで見せちゃうのかと驚いたな。
これ見ないで行けたのはやっぱラッキーだったかも。
あと始まってから地震が起こったり台風が来ていたり、
作品冥利に尽きる出来事が多くてそこも楽しかったかな。
不謹慎だけど、今は何かを踏みつけにする作品っていうのが見たかったし。

個人的にセーラームーンとウテナの黒薔薇編(特にカツヨ回)と劇場版ウテナ、
っていうのを結構意識させられる。
セーラームーンは初代OP2つ見とけばとりあえずはいい気がしますが。
プリキュアって単語をまとめ感想で見かけたけど、プリキュアよりはセーラームーン。

新房的に言えばヤマモト・ヨーコ最終回。
っていうかヤマモト・ヨーコの新房さん、ってもっと言われてもいい気がするんだけど。
昔はえー違うでしょーって自分も思ってたけど。
考えてみるとまどかのモチーフはルナなのかもな。
魂狩や月詠の。
いくつもの自分を持っているのがアルティメットまどかとも言えるし。
考えてみれば、TV版のまどかって何を願って魔法少女になったのか。
いくつもの願いを束ねてこそのまどかだったのかな、とか。
1回性っていうのが議題としてあったと思いますけど、
それにも一石を投じる作品だったとも思えます。


とか色々いいながら以下ネタバレ感想。
とにかく最初から盛り上がってでワクワクしました。
イヌカレー空間の中で踊る大勢の影絵たちに圧倒されて、
その勢いに呑まれてか、はたまた見れた喜びか、
変身シーンまでの流れは涙涙で見ていました。

少女たちの踊りっていうのは明らかに私達の知らない空間で行われているので、
その少女たちが繋がる楽しさではなく、決められた踊りを踊るという、
言わば傀儡としての少女たち、囚われの少女たちっていうのを意識させられて、
イヌカレー空間と少女たちの一体感とその傀儡としての場面を見る愉快さと映画的な物量の勢いと、
最初から色々仕掛けてくださってて凄く楽しかったな。
合間で挟むTV版1話の日常シーンとか見てる間は少し不安にさせられますが、
終わってみるとある意味シャフト的な笑えないギャグとも思えてしまったり。

世界の謎に向き合う辺りからは熱も冷めて物語に没頭していましたね。
魔法少女VS魔法少女なんかは意外性の連続でバトル展開が作品の展開を示唆しているようでもあったなと。
終盤はもう逆転につぐ逆転劇。
どのキャラクターもカッコよく描かれていて良かったな。
キャラクターたちが自分の役割に忠実になるからこそ光る、大逆転劇。
キャラクターものの作品でここまで楽しめる作品っていうが嬉しかった。
あとやっぱ自分はほむら好きだったんだな、と。
まどか嫌いだったけど、ああいう展開後なので、今は好きになれました。

印象的だったイメージは月、夜空、鏡面というか水、あと劇場版の流れから血、それと花。
月の見え方の変化っていうは滅茶苦茶な世界と雰囲気による変化っていうのを示唆していた感じ。
鏡面はよく使われるイメージですが、水と合わせて印象的に使っている感じ。
合わせ鏡っていうのは最後の展開を考えると何とも言えないイメージですよね。
魔法少女である私、日常の人間である私っていうキャラクターの向き合いを利用した、
文字通りキャラクターを、少女を分断する、何とも言えないカタルシス。
あの瞬間の自分は夜神月ばりにニヤリとしていたに違いないというか、
夜神月が勝った世界っていうのはこういう感じなのかなと思いました。
自分がまどかに持っていて欲しいと願っていたものを、
ほむらが別の形で再現してくれたからこその反転。

水と血っていうのは自分の中で消化しきれませんでしたが、
映画後編でほむらの血を拭うまどかっていうのは印象的だったのを思い出す。
あと今作でほむらの触った後の血のりなんかは印象的ですよね。
水の疾走感なんかは一部ひだまりスケッチのED思い出したかな。
この辺は再見したときにもう少し意識したいかな。

映画けいおんも先輩たちの視点で描かれる最終回でしたが、
叛逆の物語はほむら視点で描かれる最終回だったのかなと。
京アニの消失とけいおん!の要素が入ってる感じがツボだったかもな。
消失はエンドレスエイト的な意味も込めて。

ほむらも絶対に最初から望んでいた形でないからこそっていうのがあり。
インキュベーターたちの支配がなければあの結果はないわけで。
全ての支配からの脱却として最後に踊るほむらは何者からも支配されていない証であり、
同時に映画の展開的に本当にそうなのだろうかという不安も与えてくれる。
不安の形が最後のワンショットに込められているのかもと思ったり。

もし自分が納得できるオチがあるなら、まどかが自分の罪を意識し、
ほむらが与えた罰を解く以外に無いように思う。
まどかへの怒りっていうのはほむらを迎えに来るところでも感じて、
要はさやかと同じ役割になるっていうことですし。
最終話のサブタイトルは何だったのか。
言葉って難しい。

ほむらがああいうことになったのには全く違和感なく、
むしろ当然の流れだと思ったので自分は狂喜乱舞するしかないというか。
以前感想でも書きましたけど、
ほむらはまどかを生かすための力そのもの、
だと思っていたので。
■過去感想
10話:http://yaplog.jp/lucyman/archive/1804
最終話:http://yaplog.jp/lucyman/archive/1816
劇場版:http://yaplog.jp/lucyman/archive/1991
自分の感想読み返してて、
やっぱ魔女としての生を描いているのがツボったところでもあるのかな。


今はとにかく満足感でいっぱいなので、当分はまどか漬けな毎日になりそうな。
劇場版は一応劇場版でひとつのシリーズっていう考え方らしいので、
劇場版は劇場版で揃えてもう一回考えたいところかな、と。

とりあえずはこんな感じで。


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