平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

広島のダライ・ラマ

2006年11月04日 | Weblog
11月初めにダライ・ラマが広島を訪れました。今まで日本のマスコミでは、ダライ・ラマとチベット問題に対する報道自主規制が行なわれ、ダライ・ラマの来日についてほとんど報道されませんでした。言うまでもなく、中共に対する阿諛追従のためです。今回、毎日新聞が詳しく報道したことは画期的なことです。以下にその記事をまとめておきます。

※ちなみに朝日新聞のサイトにはダライ・ラマの訪広についての記事は一つもありませんでした。「反戦平和」が大好きな朝日新聞が、3人ものノーベル平和賞受賞者の来日について触れないというのはなぜでしょう?

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 ◇中区で開幕「世界は一つの家族」
 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世らノーベル平和賞受賞者3人が出席する「広島国際平和会議」が1日、中区加古町のアステールプラザで始まった。ダライ・ラマは、グローバル化の中でこそ互いに思いやる心を持つ必要性を指摘。「現代の世界を考えると、国や民族などを中心に考えず、世界を一つの家族として考えないといけない時代に入っている。一人一人が普遍的な責任について考えることが大切だ」と訴えた。
 学者や広島青年会議所などでつくる実行委員会の主催で、約1000人が参加。実行委によると、宮島の弥山開創1200年記念法要などに出席するため来広するのに合わせ、ダライ・ラマが「広島を訪れる機会を利用して平和の会議を開きたい」と、いずれもノーベル平和賞受賞者で南アフリカのデズモンド・ツツ元大主教と北アイルランドの平和運動家、ベティ・ウィリアムズさんに呼びかけて実現した。
 ダライ・ラマは「広島は悲惨な体験から人間性を考え直す機会を得て、二度と繰り返さぬようにと世界にメッセージを発信している。この3人が集まって広島で世界平和について話す機会を持つことは特別な意味があり、世界から完全に武器をなくすことにつなげたい」と語った。【吉川雄策】
11月2日朝刊
(毎日新聞) - 11月2日16時2分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061102-00000267-mailo-l34

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<ダライ・ラマ>胡政権は現実的 チベット帰還を楽観視

 インドに亡命中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が2日午前、訪問中の広島市内で毎日新聞などと会見し、「最近の中国は胡錦濤政権下で民主化が進み、政策が現実的になった」と評価した。自らのチベット帰還の可能性について「私たちは独立を望んでおらず、外交と国防以外の自治を求める現実的な方策を主張しており、(帰還を)楽観している」と述べた。
 ダライ・ラマは胡政権の進める「調和社会」政策について「地方の草の根レベルで民主化が進んでいる」と述べた。だが、チベット自治区の現状に関しては「僧侶は政治学習を強制され、依然、宗教や報道の自由が厳しく制約されている」と人権抑圧を批判した。今年7月の青蔵鉄道のラサ開通についても「中国人(漢族)が大勢来て危険になると喫茶店で話しただけでチベット族が拘束されたとの情報がある」と述べた。情報の真偽は不明。
 ダライ・ラマのチベット帰還などを協議する亡命政府と中国政府との直接交渉は02年9月に再開され、今年2月に北京で5回目の協議が開かれた。だが、中国側にはダライ・ラマがチベット独立を望んでいるのではないかとの警戒があって進展せず、第6回の協議開催を待っている状況だという。ダライ・ラマは「胡政権は用心深い。当局には私を敵視する見方もある。私は政治的地位は何ら望んでいない」と述べた。【吉富裕倫】
(毎日新聞) - 11月2日13時46分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061102-00000053-mai-int

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チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世らノーベル平和賞受賞者3人が2日、広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。
 他に南アフリカのデズモンド・ツツ元大主教と北アイルランドの平和運動家、ベティ・ウィリアムズさん。3人は、政治や宗教などの壁を超えて平和を模索しようと、広島青年会議所などでつくる実行委が同市で開催した「広島国際平和会議」に出席。「広島の街が核兵器による破壊の後に持った、報復をせずに許すとのメッセージを人類すべてが注目してほしい。あなたのグループ、街、国の中だけでなく世界全体に思いやりを与えてください」などとする共同宣言を読み上げた。【吉川雄策】
(毎日新聞) - 11月3日10時9分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061103-00000003-maip-soci

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 ◇「寛容と和解の心を」
 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世らノーベル平和賞受賞者3人が出席して中区加古町のアステールプラザで開かれた「広島国際平和会議」は2日、閉会した。同日の座談会ではダライ・ラマが「思いやりと愛情を持とうとするのは、世界中のすべての宗教に共通する。寛容と和解、相手を許す心を持って(民族や宗教、文化などの)違いを乗り越えることが大切だ」と訴えた。
 座談会では、ダライ・ラマと、南アフリカのデズモンド・ツツ元大主教と北アイルランドの平和運動家、ベティ・ウィリアムズさんのノーベル平和賞受賞者3人が、それぞれ広島や日本への期待を発言。「日本で不満を述べるだけでなく、世界に出かけて、一人一人が持つ技術や技能を生かして手助けをして」(ダライ・ラマ)、「原爆投下の不正義を経験した日本だからこそ、世界中の貧困や飢餓などの不正義をなくす先頭に立って」(ツツ元大主教)、「飢えに苦しむ子どもを抱くと『なぜこんなに苦しいの』と目で訴えてくる。経済大国に復興した日本には一人でも多くの子どもを助けてほしい」(ウィリアムズさん)とメッセージを残した。また県被団協の坪井直理事長も壇上に立ち、「3人の生き方や考え方は、私たち被爆者の思いとほぼ同じで力強さを感じた」と3人に感謝を述べ、花束を渡した。最後に3人で共同宣言を読み上げた。
 会議後の会見で、ダライ・ラマは米同時多発テロ以降の世界情勢に触れ、「一人が殺されると周囲の家族や友人らが悲しみを味わい、憎しみも広がりかねない。テロに対する報復活動はやめて非暴力による対話が大切だ」と語った。【吉川雄策】
11月3日朝刊
(毎日新聞) - 11月3日13時1分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061103-00000191-mailo-l34

「広島の街が核兵器による破壊の後に持った、報復をせずに許すとのメッセージを人類すべてが注目してほしい。あなたのグループ、街、国の中だけでなく世界全体に思いやりを与えてください」

ダライ・ラマは広島の使命を正しく認識しています。以前も掲載したことがある文章ですが、バックナンバーを再度紹介いたします。

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希有の出来事(2005年11月号)

 今年の八月、NPO法人「聖地のこどもを支える会」の招きで、イスラエル人六名とパレスチナ人六名の学生が、七名の日本人学生とともに広島・長崎を訪問した。このプロジェクトは、ベツレヘム聖誕教会のイブラヒム・ファルタス神父(フランシスコ会)の発案による。神父は、二〇〇二年春の聖誕教会包囲事件の際に、イスラエル・パレスチナ双方の仲介者として、話し合いによる平和的解決に尽力した方である。

 周知のように、イスラエルでは長年、両民族の間で血なまぐさい紛争が続いている。それでは、両民族は闘争相手のことを知っているかというと、相手の民族の人と一度も会ったことも話したこともない、という人々が大部分なのである。生身の相手のことを知らずに、互いに恐怖し、憎悪しているというのが実情である。一昨年、広島を訪れた神父は、「紛争のために出会うことすらできない聖地の若者たちに、この地においてこそ、直接に対話をさせたい」と願った。

 イスラエルとパレスチナの若者は、日本という外国で、相手の民族の若者と初めて出会うことができた。最初のうちは隔たりもあったようだが、すぐに仲良くなり、最後はお互いに抱きあって別れを惜しんだという。このような人間的交流ができただけでも、この行事は素晴らしい成功だったと言えよう。

 それに加えて、日本ではもっと多くの学びがあった。彼らは、両市の平和祈念式典に参加し、市長と面会し、被爆者の体験談も聞いた。広島・長崎の原爆資料館はとくに衝撃的であったようだ。

 あるイスラエル人学生は、「日本に来て『許す』ということを知った。アメリカは原爆を落としたのに、日本はアメリカを許した。イスラエルに帰り、このことの意味をよく考えたい」と語っている(朝日新聞長崎版)。

 日本はアメリカを許したのだろうか? 「許した」、と意識的に思っている日本人はそれほど多くはないだろう。しかし、被爆者たちはたしかに、アメリカを憎むことはしなかったのである。

 ある被爆二世の方は、ご両親や祖父母から、「原爆を落としたアメリカが悪いからアメリカを怨め」という言葉は一度も聞いたことがなかった、それに対して、いちばん多く聞いたのは、「もう二度とあのようなことをしてはいけない」という言葉だった、と語っている。

 広島・長崎は、そして日本は、原爆という未曾有の破壊を受けながらも、それを敵に対する憎悪に転化することをしなかった。それは人類の歴史上において希有の出来事ではなかっただろうか? 日本人はその意義をもっと理解し、日本に与えられている世界平和への使命をいっそう深く自覚すべきであろう。



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1 コメント

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報道規制 (笛吹働爺(kato))
2006-11-08 20:17:39
これでは「言論の自由度」が50番?くらいと判定されても仕方ありませんね!
ところで、最近ネット書評で評判の下記の本を買いました。小説などよりも面白く読み応えがあります。
「チベット語になった坊ちゃん」
http://blog.goo.ne.jp/nammkha0716
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