平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ダライ・ラマ『思いやり』(6)

2006年11月24日 | 最近読んだ本や雑誌から
空と並んでダライ・ラマが重視するのは菩提心です。

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単に空に瞑想するだけでは、解脱を得るの因とはなっても、一切智の境地〔簡単に言えば仏陀の境地〕に至るための因とはなりません。密教の修行をするのであれば、それは大乗の教えであり、一切智の境地を成就するための教えなのですから、一切智の境地を得るための因を作らなければならず、それには「菩提心」が絶対不可欠な要素となっているのです。・・・
菩提心がなければ、密教の修行とはなりません。(63~64頁)
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空の瞑想ではたしかに解脱(低い悟り)は得られるが、一切智(高い悟り)にまでは至れないのだそうです。一切智にまで到達するためには、「菩提心」が必要だ、とダライ・ラマは説きます。

ダライ・ラマは常に、「因―果」の枠組みで議論しています。空を体得するためにはあらかじめ空の因を作らなければならないように、一切智を達成するためにはその因が必要で、それが菩提心だと言うのです。

それでは菩提心とは何でしょうか。それは「利他行(一切衆生を救済するための実践)への強い熱望を因として、その手段として自分が悟りを得ることを強く願う心のこと」です。

自分が悟りたい、ということよりも、一切衆生を救いたい、という願いが先で、その利他行を行えるためには自分が悟りが必要だ、という発想です。

それではどのようにしたら利他行への熱望を持つことができるか。それには「他者に対する慈悲の心」が必要です。それでは、どのようにしたらそのような慈悲心を起こすことができるか。それは「遍在的な苦」を認識することによってです。順番に書けば、

遍在的な苦の認識→慈悲心→菩提心(利他行への熱望)→一切智

となります。こうして、空と菩提心が密教修行の土台である、とダライ・ラマは説きます。

日本人からすると、ダライ・ラマの(チベット仏教の)議論は実に論理的というか理屈っぽいという感じがしますが、密教というものが超常的な領域に触れるものである以上、こういう正しい道筋を歩むことが大切なのでしょう。超常的なものに憧れて密教修行をするなどというのは、そもそも出発点が間違っているというわけです。

五井先生はもっとわかりやすい道を説いています。発心、つまり道を求める最初の出発点は、遍在的な苦の認識である必要はありません。苦を逃れたいという消極的な理由でも、自分が悟りたい(解脱)という小乗的な願いでも、人々を救いたい、あるいは世界を平和にしたいという大乗的な願い(菩提心)でもかまわない、と五井先生は言います。というよりも、個人の中には、ダライ・ラマ(チベット仏教)が説くような発展段階があるのではなく、人によってその比率は異なっていても、様々な要素が混在しているというのが現実のあり方だからです。個人の中には、病気や貧困のような現実的な苦しみもあれば、世界全体、人間世界全体に対する絶望感もあります。そして、そういう苦から逃れて、安らかで清らかな世界に生きたいという願いもあるし、わずかではあっても、自分だけでなく、世界全体の幸福を願う心もあります。中には超能力を得たい、という欲望もあるかもしれません。

その各々の欲望が、実は、究極の自由自在心への憧れの部分的な現われなのです。表面的には肉体的・物質的欲望を追いかけているように見えたとしても、その奥には実はあらゆる束縛から脱却して、自由な心に到達したいという願いが働いているのです。その願いを祈りのまで高めると、欲望=煩悩は浄化されて(空になり)、仏心が表に出てくるのです。

ただし、その時、菩提心が根底に必要なことは、まさにダライ・ラマが言うとおりです。菩提心がない宗教修行では、結局のところ、自分が救われたい、自分が悟りたい、自分が超能力を得たい、という「自分」から離れることができません。自分が残る以上、空も一切智もありえません。その自分を、自分と他人、つまり自他一体感に広げていくところに、菩提心が生まれ、「一切智」の因が作られるのです。

しかし、凡人には菩提心を起こすこと、そのことがなかなか困難です。ところが、誰でも菩提心を起こす簡単な方法があるのです。それが世界平和の祈りです。「世界人類が平和でありますように」という祈りを祈ることは、個人の幸福、個人の悟りも含めて、人類全体の救済を願う、まさに菩提心そのものです。ダライ・ラマ式に言うならば、世界平和の祈りとは一切智の因ということになります。

ダライ・ラマの本を読んで、世界平和の祈りは、仏教の段階的な修行のすべてをうちに含んだ、空と一切智の行法であることをあらためて確認した次第です。


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1 コメント

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Unknown (J)
2006-11-28 23:40:27
衆生は最初から菩提心をもっているのですね。
衆生はまさしく菩提心そのものだと思います。
忘れている真実を思い出させてくれるのが、「世界人類が平和でありますように」=世界平和の祈りだと思います。
そのことに気づくまでに人それぞれかかる時間は違いますが、Jはやっと入り口に辿りつきました。
今から祈ります。
世界人類が平和でありますように。