平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

明治の我即神也

2007年06月12日 | 最近読んだ本や雑誌から
綱島梁川(つなしま・りょうせん)といっても、その名を知る人はほとんどいないでしょう。私も、末木文美士(すえき・ふみひこ)氏の『明治思想家論1』(トランスビュー)という本ではじめてその名を知りました。

末木氏の著作は、明治期の宗教思想家を再評価し、政治思想史とは違った視点で日本の精神史を考察しようという本です。その中に綱島梁川という人が取り上げられていたのです。

綱島梁川は1873年に岡山県で生まれ、少年時にキリスト教の洗礼を受け、現在の早稲田大学で哲学・倫理学を学んだ人です。しかし、肺結核にかかり、1907年に35歳という若さで没しました。

綱島梁川は死の少し前、神に出会うという体験をし、それを「予が見神の実験」という文章として発表しました。「実験」というのは、experimentの意味ではなく、experience、実際体験という意味で綱島梁川は使っています。

彼の文章は「青空文庫」にアップされています。

明治の文章ですから読みづらいと思いますが、その中に「我(われ)即(すなはち)神となりたる也」という文章があります。

綱島梁川は「我即神也」と言っているのですが、なにも綱島だけではなく、古今東西の偉大な神秘家はみな似たような体験をしています。

これは「我即仏也」、「我即宇宙也」とも言い換えることができます。人それぞれ生まれ育った文化や宗教的伝統によって表現が異なるだけです。

白光真宏会の開祖である五井先生と、合気道の開祖である植芝盛平先生が初めて出会ったとき、植芝先生は「私は宇宙です」とおっしゃり、それに対して五井先生が「私も宇宙です」と答えたということです。

白光でも「人間は本来、神の分霊」「我即神也」と教えていますが、これは、人間はみな本来、神であって、誰でもその内なる神を自覚することができるということです。白光では、神性自覚のための易しい方法として、「世界平和の祈り」と「我即神也の印」というものを実践しています。


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1 コメント

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Unknown (しんすけ)
2007-06-14 08:53:52
いつも・・内容がすばらしいですね・・応援してます