平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

えひめ丸事故6年

2007年02月10日 | バックナンバー
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宇和島水産高の犠牲者悼む=えひめ丸事故6年で式典-愛媛
2月10日11時1分配信 時事通信

 米ハワイ沖で2001年2月、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原潜に衝突され、実習生ら9人が犠牲になった事故から6年を迎えた10日、同県宇和島市の同校体育館で式典「えひめ丸事故追想の日」が開かれた。
 全校生徒とえひめ丸教官を含む教職員など計約350人が出席。事故が起きた午前8時43分、引き揚げられたえひめ丸から取り外した号鐘を鳴らし、全員が犠牲者に黙とうをささげた。 
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以下は6年前に書いた記事です。

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えひめ丸(2001年5月)

 ハワイの友人が「えひめ丸」というCDを送ってくれた。このCDは、二月九日、ハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に衝突されて沈んだ漁業実習船「えひめ丸」の事故を悼んで、ハワイ在住のウクレレ奏者ジェイク島袋さんが作曲・演奏したウクレレ音楽である。深い哀悼に満ちた祈りの曲で、心が揺り動かされた。

 この事故では、いまだ九人が行方不明である。

 東京新聞三月一九日夕刊でも報道されたが、この九人という数字は不思議なことに、六〇年前の真珠湾攻撃を想起させる。一九四一年一二月八日の真珠湾攻撃に、「甲標的」と呼ばれる五隻の超小型特殊潜行艇に乗った一〇名の若者が参加した。これは、のちの「回天」のような自殺兵器ではなかったが、生還の可能性が少ない兵器であった。五隻のうち一隻は途中で座礁し、搭乗員の一人は海岸に漂着し捕虜となった。もう一人は遺体で発見された。あとの四隻については行方がわからない。八遺体は今も真珠湾の海底に眠っているのであろう。戦死した九人は、戦意高揚のために、二階級特進を受け、「九軍神」としてたたえられた。すべて二〇代の若者で、最年少は二一才であった。

 この「甲標的」が訓練した場所が、なんと愛媛県の佐田岬半島三机湾であった。湾内の須賀公園には今も九軍神の碑が建っている。

 六〇年前に愛媛県にゆかりの九人の若者が日本のために命を捨て、ハワイ沖で海の藻屑となった。そして六〇年後に、愛媛県にゆかりの九人がハワイ沖で海底に沈んだ。単なる偶然とは思えない不思議な暗合である。

 戦争というものは、ある日突然始まるように見えるが、戦争勃発に至るまでには当然、長い対立の歴史がある。いわば、体の中にたまった膿が表に吹き出る状態が戦争である。真珠湾攻撃は、ペリーの来航以来の日米の積年の葛藤が爆発した出来事であった。日米戦争によって日本は大きく変わり、戦後、両国は緊密な友好関係を築くことになった。九軍神は膿を切り裂くメスの役割を担ったと言えようか。

 今日の日本とアメリカは、世界の二大経済大国として、世界平和実現のために重要な役割をはたさなければならない。しかし、現在の日米関係にはかならずしも円満とは言えない部分もある。とくに東西冷戦終結後、アメリカは世界唯一の軍事大国としての不遜さが目につく。

 「えひめ丸」の事件は、原子力潜水艦が民間人の娯楽のために使われていたことを白日の下にさらした。大金を使ってこのような兵器を保持し続けることが意味あることなのかどうか、日本人ばかりではなく、アメリカ人も疑問視しはじめている。そういう意味において、行方不明の九人は、アメリカに大きな反省を促すために、尊い犠牲になったと見ることもできるのである。
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この年の9月に911事件が起こり、アメリカはテロとの戦争に突入していくことになりました。そのアメリカでも、先の中間選挙で民主党が勝利し、大規模な反戦運動が起こり始めています。アメリカ人が一日も早く目覚めてくれることを祈ります。

本日の真夜中(2月11日午前1時)に、Teleconference形式で全米の平和を祈る
行事が開かれます






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