平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

昭和天皇の大御心

2007年08月04日 | 世界平和瞑想デー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070804-00000025-mai-soci
より

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<A級戦犯合祀>昭和天皇が懸念 元侍従長が歌人に語る
8月4日11時11分配信 毎日新聞

 靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に対する昭和天皇の「戦死した人々のみ魂を鎮め祭る社であるのに、その性格が変わる」「戦争に関係した国と将来、深い禍根を残す」との懸念を元侍従長の故徳川義寛氏が歌会始の選者を長く務める歌人の岡野弘彦さん(83)に語っていたことが分かった。A級戦犯合祀については、元宮内庁長官の故冨田朝彦氏のメモなどに昭和天皇が強い不快感を示していたことが記録されていたが、具体的な理由の一端が浮かび上がったのは初めて。
 岡野さんの著書「四季の歌」によると、皇室で短歌の指導をしていた岡野さんのもとに、当時侍従長の徳川氏が3、4カ月に1回、30~40首の昭和天皇の歌を持ってきていた。86年秋ごろ「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」という歌を初めて見た。岡野さんが昭和天皇の憂いの理由を尋ねると、徳川氏が明かしたという。
 徳川氏はさらに「はっきりお歌いになっては、さしつかえがあるので、少し婉曲(えんきょく)にしていただいた。筑波(藤麿(ふじまろ))宮司は合祀を押さえてこられたが、松平(永芳)宮司になると、お上のお耳に入れることなく合祀を決定してしまった。それからお上は、靖国神社へ参拝なさることもなくなりました」と述べたという。
 昭和天皇は75年まで同神社に参拝していたが、A級戦犯合祀が明らかになる前の76年以降、参拝はしなかった。【大久保和夫】
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昭和天皇は実に公平、客観的にものが見えるお方でした。ところが、右翼的な人々の間には、いまだに「富田メモは謀略だ」と言っている人たちが少なくありません。そういう人たちは、まさに親の心子知らずで、昭和天皇を悲しませるだけです。

終戦の詔勅を録音した録音盤を奪ってクーデターを起こそうとした軍人は、真に日本を愛し、天皇を愛していたのでしょうか? 彼らは自分たちの手前勝手な神国思想を天皇に投影していただけでした。松平永芳宮司もそれと同じようなことをしたのでした。

日本人が一日も早く、日本の平和と世界平和を祈り続けられた昭和天皇の大御心に目覚めることを祈らずにはいられません。


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