今はあまり知られていない作曲家ツェルターは、ゲーテの晩年に10年ほど親交のあった友人である。 そして彼との書簡によく出てくるフェリックスというのは、メンデルスゾーンのこと。
彼が若干21歳、ゲーテは晩年の80歳のころの親しき交流で、フェリックスはイタリアのローマから手紙を送る。
メンデルスゾーンの作曲に「イタリア」があるが、イタリアはゲーテに多大な影響を及ぼした国である。 というのも、ゲーテは37歳の時、秘かにヴァイマールから脱出してローマに辿り着くと、古典主義の大作 「イフィゲーニエ」 Iphigenie auf Taurie や 「トルクワード・タッソー」 を書き上げている。
太陽の燦燦と降り注ぐ南の明るい国イタリア。: それに比して、暗い北国のドイツ。・・・ イタリアは当時、ゲーテ憧れの地であり、いかに素晴らしき国におもえたことかは、彼の個々の詩や詩集「ローマ悲歌」 Rom-ische Elegienなど見ても分る。
ところで、ゲーテが今,どの程度、浸透しているかは問うまい。 当時も、大衆作家で人気のあったイフラントやコッツェブーと比べれば遠く及ばなかったという事実もある。 だが、今なお読み継がれ、ゲーテ全集が年を追って幾度も編纂、出版され、深く研究されてきたことを見れば、ゲーテは偉大なる詩人であることは疑いもない事実なのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます