恋するものは 寄り添い 満ち足りる されど われらが存在とは ?.. 恋するものは 互いの歓喜によって充足し 極まるや なお 愛撫を重ねる 豊穣の年の葡萄のように
されど 身も心も 浸りきっていようと 抱擁は ひと時の 幻覚か?. それゆえ問いたい : 存在とは ?.. 愛撫が時を止め ひととき 結ばれ 純粋さも感じ 永久なるものと 錯覚し そして なお憧憬し 期待は おおきくなり・・
けれども 歓びと憧憬と 寄り添ふ時は 瞬時に すぎゆく されば 永遠とは何か それは 信じ得るか 顔を寄せ 陶酔し いかに親密であろうと その実態は 仮象の行為なのだろうか ・・
Rilke ;Die duineser Elegien Die zweite Elegie リルケ 「ドゥイノの悲歌」 第二の悲歌 より
** )) 「ドゥイノの悲歌」は10篇よりなり、1912年から完成までに10年間を擁した。 その意とするところは、人間の存在は無常で悲歌的であるとしても、 存在の肯定に努めたリルケの内的葛藤でもある。