その男。
稽古部屋に入ってきて、チェス盤のように 64のマス目に分かれた図面の中央に立つ。
と、大きな声で朗詠した。"
この胸が 怒りにたけり狂うは なにゆえか.."
すると、劇場支配人の 禿げあがった 体格のいいハッセンロイターが
声を荒げた。 ストップ!...ストップ。
それでは 彫塑の美に欠ける。 悲劇的人物の 品格が全くない。
いいかね、ジュピターくん、もう一度 やってくれたまえ!...
"この胸が 怒りに たけり狂うは なにゆえか、
「きみ セリフに 相変わらず 情念がこもっていないねえ。
始末に おえんな、ジュピターくん。
面と向かって 酷すぎると 云うこともあるまいな。
きみの せりふ回しでは なんの感動も沸かぬし、つまりだ
一言で、つまらぬということに尽きるのだよ ジュピターくん・・
ぼくは 気取りや修辞的なものは 性に合わないものですもから。
この〈メッシーナの花嫁〉には 好きなセリフが 皆目 ありませんもの
なんだと もういっぺん云ってみたまえ、ジュピターくん!...
ええ、何度でも。 芸術感が 根本的に 食い違っていますからね
それだよ、きみ
きみは 誇大妄想に取りつかれておるにすぎぬ。
それに 厚顔無恥ときている。・・
偉大な詩人シラーには 比べるべくもないが、 もう 何度も云ったはずだ。そんな 子供じみた芸術観なぞ ナンセンスだと 気づき給え
いい加減にして・・」
「何を証拠に?....」
「口を開ければ、その繰り返しだ。センスと云うものがない。・・
キイキイ、声張り上げてばかりで。 それに 劇の筋立てをも否定し、
やれ 価値がない、やれ 低俗だと言い張る。・・
それでは、床屋も女定員も 皆、マクベス夫人や リア王と同じ悲劇になると云っているようなものだ…
Gerhart Hauptmann :Die Ratten. 3.Akt:第3幕 より
G.ハウプトマン: 1862-1946: 1912:ノーベル文学賞
ドイツ自然主義の劇作家として有名。
「織工」「沈鐘」「鼠」では、荒廃した大都会ベルリンを象徴的に描いた。