おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

税金の無駄遣いをする人とそれを叩く人の共通性

2007年04月09日 16時56分14秒 | 内閣
情報公開!情報公開!税金の無駄遣いを許すな!!

とのバッシングを言えば、区議選に当選できると思っている輩が非常に多い。

浅野史郎氏の圧倒的落選によって、この物言いにはやがて限界がくることを知らなくてはなりません。

私は、ここで、税金をジャブジャブ使えと言っているわけではありません。

ジャブジャブ使おうが、その無駄遣いを暴こうが、この二つの立場にたつ人は、同じ輩なのです。

まず、なぜゆえに税金の無駄遣いを今までしてきたかについて考えてみましょう。

これは特権階級がその地位を利用して、贅沢な生活をしたいというものもありますが、基本的には経済学にのっとっています。つまり、財政出動をして税金をムダに使えば、それがどんどん波及していって景気の拡大がなされるというものです。

これにより日本経済は成功を収めたわけです。しかしながらバブル崩壊、とくに小渕内閣以降は、何兆円をも注ぎ込んでも全く効果がなくなりました。これについては、経済学の有識者の中でもいろいろなものの見方があるので、とくに突っ込みませんが、とにかく、このやり方はもはや通用しなくなったというのは、共通した認識であり、はっきりとした事実です。

では、こういうやり方が通用しなくなったので、どうしようかということになります。
1990年代くらいから、市場競争経済が言われるようになりました。政府の規制、政府の財政出動をいっさいやめて、民間に競争させて自発的に経済発展を促そうとするものです。

とくに小泉内閣以前は野党がこれを言ってきて、小泉内閣以降は実際に政権政党たる自民党がこれを実践しました。

その結果生み出されたのは格差拡大です。どんどん金持ちと貧乏人に真っ二つに分かれていくわけです。

ここで「情報公開」「税金の無駄遣いを許すな」的な立場の人たちというのは、この貧乏人に対しての不満、鬱積を福祉や医療などを重点におけと主張してくるわけです。

しかしながらこうした社会保障事業というのをやるにもお金がかかるわけです。彼らの主張は、無駄な経費すなわち役人らが使う接待費・無駄な大型開発を削減して、福祉にまわせというものです。

ここには大きな誤りがあります。なぜなら、大型開発をするというのは、その後の経済波及が、その経営手腕によっては期待できますが、福祉というものはそこで使われたら終わりです。ホームヘルパーさんたちは、高額な給与をもらっているわけではありません。介護用品などをみても実に妥当な価格で販売されており、良心的です。だから波及しません。

ところがバブリーに腕時計やらネックレスやらにジャラジャラさせているような人は、金の使い方が違います。特権を得た一部の権力者は、ドカンと金を使うのです。

この資本主義の経済のしくみというのは、あぶくゼニをつかんだ人間は、湯水のごとく使うのです。一生懸命汗水たらして働いた金は、貯金したり、大切にちょびちょび支出するものです。だから、いっさい景気拡大にはなりません。したがって貧しいままになるのです。

あぶくゼニがまわるから景気が拡大し、みなが豊かになる。だからこの資本主義を肯定する以上は、どこの誰だか知らない不特定のところから徴税した税収は、どんどん使っても心が痛まない。

これがもしも、貧しい人から募金したお金によるのならば、使うほうも気が引けますから、そんな使い方にはなりませんよね。こうしたお金というのはなかなか動きません。まあ、中にはひどい人間もいますから、募金して集めたお金で豪遊する人もいます。この場合は、景気に貢献するわけです。悲しい事に人道的には、はずれていても経済効果が生まれるわけです。

お金が動かないという事は、国民全体の中のほとんどの人が貧困に陥るということです。

だから「情報公開を徹底的にやって、税金の無駄遣いを許すな、そして福祉にまわせ」というのは、百害あって一利なし。そして「税金をジャブジャブ使って、みんなが豊かになろう」というのも、不可能なわけで、単に政治家・役人がぬくぬくしたいだけのものです。もちろんジャブジャブ使おうなどと彼らは、公約では言いませんが、「適正な税金の使い方」「必要なことにはお金を使うべき」などの言い回しをするわけです。

そして、彼ら政治家・役人の不祥事を暴く事によって、自分が正義のことをしているなどと錯覚している人がどんどん増える事で、疑心暗鬼の社会、他人の足を引張る社会、誰もが信頼できない世の中になり、やがて教育が腐敗していくのです。

ある役所の職員だった人は、ほとんど働きもせず、給与だけをもらっていため、その人は解雇されました。今ではその人は、「税金の無駄遣いを許すな」という立場で、議会の選挙に立候補しようとしている人がいます。

この立候補予定者について、批判している都民は多くいます。しかしながら、民間の人間であるのならば、誰もが堕落して遊んでしまったりすることもあるでしょう。役人だから真面目に働かなければいけないというのも一つの評価としてあるかもしれませんが、人間には堕落がつきものです。

そして、この立候補予定者もまた、なぜ税金の無駄遣いが発生してしまうのかというメカニズムを理解せずに、ただ単に怒りの鉄拳を役所にくらわすというのはナンセンスです。

労働時間がきわめて少なくても、経済が成り立つ社会というのは可能です。これを平和党は自然主義経済として確立しているのです。

近代社会は、あまりにも仕事と遊びというものをきっちり分けて経済社会を作りすぎています。だから、やりたくない仕事ばかりになり、若者は夢を持たなくなり、働かなくなるわけです。

そして何もしなくてもお金を得るにはどうしたらいいのか、とみんなが考えるようになるわけです。不労所得をどこかで得て、そして収入にはならないが自分がやりたいことをやる・・・との考えが世の中にかなりあります。こうしてみんなが拝金主義に陥っていきます。やりたいことと収入になることが一致すれば物事が解決されます。

やりたい仕事をやれるような経済社会というのは、自然通貨の使用によって可能となります。自然通貨は、その地域の地産地消を呼び起こし、通貨を所持していると減価するために使わなければならなくなります。そこでどんどん流通速度が速まります。

たとえば先の問題ですが、もしも福祉予算を自然通貨で支払ったならば、今までのように現金を公共事業に投資して得られる景気の効果をはるかにしのぐものが得られます。

今の経済価値の尺度で、「税金の無駄遣いをやめて福祉に注ぐ」ことは焼け石に水にほかならず、まさに美濃部都政時代の福祉過剰、財政大赤字を招くだけです。浅野さんは美濃部さんのような候補者でした。かつて石原さんが美濃部知事に戦ってやぶれたことが、今ではその逆のドラマとして行われたのが今回の選挙でした。

私は、次の道を提唱しなければならないと言うのはこういうことです。今、石原都政を批判する人、そして安倍内閣を批判する人、たくさんいますが、どの人もみな今までにあった、ありきたりのことばかりです。そして、それらの政策はすでに実験済みであり、どれもダメなことがわかっているはずです。細部のことであれが違うからできなかったんだ、これが違うからダメだったんだ・・・では通りません。

そうした迷宮入りになっているのが今の政治・政策論です。平和党の自然主義経済という方法は、どの政党もどの政治勢力も提唱していません。

これは、今世紀に必ず必要になってきます。今までの批判方法で議員に当選できるなどと思ったら大間違いです。もちろんできるかもしれませんが、それこそ税金の無駄遣いを作っているだけです。あなたの飯の種のために議会があるわけではないことを忘れないで下さい。

自然主義経済とは、こつこつと真面目に働く人でも、自然通貨をどんどん手放していくので、お金が動くわけです。そして、そうなってくると、大量生産・大量消費型の大規模工場生産というのは効率が悪くなります。そこで自然環境に適した商品がどんどん作られるようになります。

なぜ大規模工場生産・近代式の環境汚染型工業が衰退するかがわかりますか。これらの産業は大資本を必要とするからです。自然主義経済の場合は、お金が集まれば集まるほど力をなくすからです。その間にどんどん通貨の価値が減っていきますから、集めることに意味がなくなります。資本金が少ない、あるいは資本金がない企業のほうがいいわけです。

ということになると当然、全員が個人事業主になるでしょう。そうすれば自分のやりたい仕事に向けられるはずです。ここにこういう疑問が生じます。「では、みんながやりたくない仕事だが、どうしても世の中に必要なことについてはどうなるのか」ということです。

みんながやりたくないのに、やらなければならない仕事とは例えば何があるでしょうか。その仕事は、資本主義経済だからこそ「やらなければならない仕事」になっていることに気づくはずです。