おおさか佳巨 街頭演説のブログ

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護憲派との対話 その2

2007年04月28日 06時21分53秒 | Weblog

それは当然、人間が人間であるということを根拠として発生するものであるからだろう。その権利を持つこと、自由に行使しあるいは保留することが当然であり、それが自然なものである。 個人は国家に対して束縛されないということだ。法律というものは国が定めるが、その国を抑制する権力というものが必要だ。だからその国家のいきすぎにブレーキをかけるためにも憲法は必要なのだ。

なるほど。ということは、あなたは国家権力を肯定するが、国家が個人の尊重を無視して横暴する可能性もある。だから、それをとめるために憲法が必要だと、こういうことですね。

ところで、横暴する可能性があるにも関わらず国家権力が存在しないとダメだという理由はなんですか。

やはり、民間ではできないこともあるだろう。公正なレフリーというものも必要だ。貧しい人々を救うのも国家の役割である。すなわち、儲け過ぎている大企業から多くの徴税をして、貧しいところに流すという所得の再分配としても必要だ。

国家というものは一つのモデルでは説明できないと思います。しかし、現代の人々はあたかも一つのモデルがあるかのような錯覚をもっています。 では、あなたは国家が存在しなくても、公正なレフリーがあって、所得再分配機能があって、人権が尊重されていればいいということですか。

 現代において、国家が存在しないなどという状態はありえないことだろう。だからそういうことは考えられない。

考えられないからといって、いつもそこで思考を停止してしまうので、いつもあなたたちは、改憲派と延々と同じことを議論しているのです。 人権を守る機関というのは、具体的には法務省が管轄していますよね。もちろん自治体もそうですし、警察庁なども憲法に拘束されています。

しかし、いずれも全て国家権力に基づいて作られたものです。彼らはやはり憲法に基づいて、これらを執行しているのでしょうか。

 もちろん、そうだろう。こうしたところに憲法は生きているのだ。公務員には憲法尊重擁護義務というものがある。

 憲法尊重擁護義務を無視したらどうなりますか。

 それは適正なる判断をすべき機関が罰するべきだ。もし、その機関すらも憲法を尊重しないというのであれば国民が監視する。

国民が監視しているのにも関わらず、無視しつづけていたらどうなりますか。

 選挙という方法で選びなおせばよい。また、自治体の場合だとリコールという方法も残されている。

選挙で選びなおして、その政治家も憲法を守らなかったらどうなりますか。

そうなってくると、有権者の判断が正しいとするしかないだろう。憲法では民主主義を認めているのだから。

そうですね。ということは、憲法というものは無視しつづけることが可能なものなのですよ。

そうなってしまう可能性もあるからこそ、我々のように憲法は大事なんだという啓蒙活動が必要なのだ。

でも、この発想で行くと、憲法というのはどこまでいっても無力なんだということがよくわかりますよね。国民が監視しても無視して、選挙でも憲法を無視する勢力が増えていったら、国民は暴力によってそれを止めるしか方法は残されていません。

でも憲法を守れといっている人が、暴力革命に訴えて出ることは許されないから普通はしませんよね。

だけど、それを口実に暴力革命しようとする人間が出てくるのです。

これは先ほど述べた戦争の本質と全く同じです。ここに善悪中毒が存在するのです。

憲法を変えていくことが善なんだとする人、憲法を守ることが善なんだとする人、この双方が、相手方を悪だとしているわけです。国際紛争の本質もここにあります。

「俺は別に善悪中毒でもいいや」と思っていてもかわまわないですが、とくに護憲派の人はですね、かなり矛盾した行動になっていますよね。 これまでも憲法違反をしながら、そのままになっているものは数知れず存在します。 http://d.hatena.ne.jp/heiwatou/20060930

をごらんください。

つまり「無力な憲法だけれども、これは大事なんだ」と啓蒙したところで、支持はされないでしょう。

では、民主主義の問題はどうか。民主主義を規定するのは憲法でなければなされないだろう。

その前に、あなたは平和・人権・民主主義との三つのうち、どれが優先されるべきものと思いますか。

 どれも重要なものだ。国民主権によって、平和と人権がなされるわけだから、国民主権と言えなくもない。

まあ、平和であるから人権が尊重されて、国民主権もなされる。人権があるからこそ、平和であり国民主権ともなるとも言えます。

でもこれら三つが重要なものだとしているのが憲法ですよね。

ここにあなたがたが憲法信者になってしまう大きなポイントがあるのです。

つまり憲法こそが絶対であると。憲法がこれらを決定付けてくれる大きな力となると、、、、なんか戦前の天皇に似ていませんか。

 こうしたものというのは、必ず日本を不幸に導くものです。だから、何が本当に必要なものなのかをもう一度考えていただきたいと思っています。

そのうちに、当初は人権や平和のために存在していたはずの憲法だったのに、やがて憲法のための憲法になっていくのです。

それが証拠にあなたがたは、国民投票法の制定について反対していますね。 憲法は国民投票によって改正されるとなっていますが、それを無視して国民投票法に反対するというのはおかしいでしょう。

そして、言論の自由というものが保障されながら、憲法を変えることだけは絶対にダメだという、自己中心主義が起きているのです。これは、「イラクだけは悪い国だから軍事的に制圧しても良い」というのと同じことを言っています。そして戦争が起きますね。「戦争というのはなるべくしてはならない」だが、「戦争を起こそうとしている国に対してだけはやっつけてもよい」と言うのは、「憲法を守らない人に対してだけは言論の自由は許されない」といっているのと同じですね。

これは、戦前の天皇絶対信仰と全く同じです。昭和天皇自身は戦争を望んでいなかったのに、みんなが陛下のためにというわけです。

今、同じように憲法のために、と言いながら民主主義が尊重されなくなるわけです。そして、護憲派の論調が、改憲派に対して人権を無視するかのような行動も多く見受けられるようになってきました。

とくにインターネットが普及した事によって。さらには、この憲法信者によって、戦争が起こされるということも考えねばならないのです。

つねに歴史というものは、見逃しているところから不祥事が起きています。安倍内閣や右派的政治思想がいかにも日本を戦争に導きそうだなとは、誰もが考えがちですが、灯台下暗し、のところからいつもトンでもないことが起きているのが歴史です。

ここには善悪中毒の本質が隠されています。


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