おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

竹いかだで渡るアジアの源流に挑戦する冒険家たち ⑥

2005年09月14日 17時07分56秒 | Weblog
➀南太平洋航海計画:予定航程、2005年2月から10月、約23000㌖
※2005年2月-4月 Ujung Pandang ⇒ Rabaulu 約4300㌖
Ujung Pandang(IND)港を出航→Maluku(香料列島)を抜け、New Guinea北岸を巡航しMadang(PNG)を経由、ラピタ民族発祥の地Bismark Archi. New Britain Rabaulに至る。

※2005年4月-5月 Rabaul(PNG)→Efate Vila(VUT) 約2500㌖
Rabaulを出航、南東風の季節風の吹きだしを確認後、逆風を突いてSolomon Islandsを抜けVanuatu Efate島Vilaに至る。

※2005年5月-6月 Vila→Tahiti(FRA)約3500㌖
Efateを出航→東よりの向かい風が吹き付けるPolyneshiaの海を東行。
Fiji島Suva→Nukualofa(TON)→Cook Is. Rarotonga→Tahitiへの航海はホクレア号の2度目の航海(Samoa-Tahiti間)を参考に南まわりの航路でタヒチに向う。

※2005年7月―10月 Tahiti(FRA)→Rapa(FRA)→Easter Is.(CHL)→Callao(PER) 約10000㌖

Tahitiを出港。今回の航海で最も困難が予想される航路に挑戦する。しかし、この航海を成功させれば、ポリネシア・ミステリー最大の謎とされるポリネシア人による南米大陸到達航海を実証することになり。オセアニア史に関し、コンティキ号の航海に比する世界的な評価を受ける航海となります。
航路は冬期(7月から9月)北上する偏西風を捉えるため、帆船時代の航路を取り、ポリネシアの辺境地「城砦の島」ラパ島(オーストラル諸島)へ向かう。
Rapa島及びRapaiti(小さなラパの意味)島取材の後、偏西風を捉えて、Easter島(ポリネシア名 ラパヌイ:大きなラパ)へ至る。イースター島からは、フンボルト海流に乗りつつ楕円を描くコースで南米大陸ペルーのCallao港に到着する。このカヤオ港は1947年4月コンティキ号が、ポリネシアへと出航した港として、冒険史にその名を残しています。










図はいる





➁南北アメリカ大陸太平洋沿岸航海計画
2005年10月-2006年2月:予定航程約8000㌖
ペルーのカヤオ港にて船体のメンテナンスを行い、その完了を待って出航。南東の順風を受けて北上。地球環境の聖域ともいえるGalapagos Is. San Cristobalに入港、Galapagosを出港→Acapulco(MEX)を経由してLos Angeles(USA)のMarina del Reyに到達する。当地においては参加国の協力を得てアジアから世界に向けての何らかのイベントを企画し、自然に対するアジアの心を世界に発信する予定です。

➂北太平洋航海計画
2006年2月-4月:予定航程約12000㌖
Los Angelesを出港。順風に乗り、Hwaiiに針路を取る。Honoluluでは、青年少年の教育に使用されている。ホクレア号と会合し、さまざまな交流や体験航海パフォーマンスを行う。
2006年3月、Hawaiiより南下し、貿易風をとらえ、Microneshia諸島へと向かう。環境の破壊により、美しい海と渚を奪われつつあるマーシャル諸島の現況や、今もなお、古代航海法を保持するサタワル島などを訪ね4月上旬、Philippines Cebuに到達し、環太平洋航海を完了する。

➃尚、ウィニングランとでも呼ぶべき航海、例えば参加国を巡る航海および使用したカヌーの展示国などは未定です。

竹いかだで渡るアジアの源流に挑戦する冒険家たち ⑤

2005年09月14日 17時06分56秒 | Weblog
環太平洋復元交流航海計画
<目的>
➀オセアニア諸民族の原郷から海洋アジアの冒険者達が、アジアオリジンのアウトリガーカヌーを駆って、海のモンゴロイドの航跡をたどり、太平洋各地の民族固有の舟と芸術、そしてそこに住む海の人々との交流と連帯により、環太平洋に「美の文明」のネットワークを構築します。
➁Save the Pacific のロゴをメインセールにかかげ、太平洋から「水の惑星地球」の環境を守るメッセージを発信します。
➂オセアニア史上最大の謎であるポリネシア民族の南米到達航海を世界で初めて帆走アウトリガーカヌーで実証し、59年ぶりにコンティキ号理論を覆す世界的な実験航海に挑戦します。
➃衛星通信により航海の様子を参加クルーの母国語で発信し、地球の未来を担う子供たちに自らの先祖たちの挑戦がもたらした世界の美しさを伝え、その美しさを守る勇気と義務の大切さを啓蒙してゆきます。

<参加隊員>
太平洋へと拡散した海のモンゴロイドの原郷として比定されている黒潮流域の海洋アジア諸国(日本・台湾・フィリピン・ブルネイ・マレーシア)に、この航海プロジェクトの支援グループをマス・メディアを中心に設立していただき、この支援グループに過酷な航海に耐えうる肉体と精神を持ち、かつ、自ら参加を希望する成人(性別年齢不問)を選出していただきます。
この航海において、参加希望者が得る物質的な報奨はないに等しいが、極地探検で有名なイギリスのシャックルトン卿の「南極大陸横断隊」の「隊員募集の告知文」

図入る





に対しても、決して負けることのない、アジア人としての気概を持ち、母国の名誉と誇りを内に秘めた人物が、隊員として参加されることを信じています。


赤道を介して南太平洋を航海する今回の航程は、南太平洋に於いて逆風航海、北太平洋に於いては貿易風を受ける順風航海となります。航路及びスケジュールは、特にハリケーン(南太平洋では9月から4月、北太平洋では4月から10月―台風に同じ)を避け、潮と風の状況が最も安定する季節に実施されます。
予定航程:2005年2月から2006年4月まで。総航海距離:約40000㌖

竹いかだで渡るアジアの源流に挑戦する冒険家たち ④

2005年09月14日 17時05分51秒 | Weblog
伝説の巨大帆走W.アウトリガーカヌー建造計画
<沿革>
原初なる海の天才によって創造された、アウトリガーカヌーは人類史上初というべき石器時代の遠洋航海者を生み、彼らの航海によって運ばれた同一の言語による文化は東南アジア多島海を核に、アフリカ東海岸からイースター島、そして北は日本に至る広大な海洋空間を占め、現在に至っています。









私たちは太古、海洋アジアから船出し、水平線のかなたを目指した無名の、そして偉大な航海者の失われた航海への憧憬から、その航跡の再発見をテーマにし、下記の実験航海を実行してきました。

1987年、紀元前、インド洋を越えてマダガスカル島へと移住したインドネシア航海民の偉大なる横断航海の実証をテーマに、スマトラ島に於き全長14㍍幅1.5㍍のW.アウトリガーカヌー「DADALI号(神の鳥)」(インドネシア商務大臣:ラディウス・プロウィード氏‐当時‐命名 )を制作。インドネシアからソマリアに至る約7000㌖の航海を単独(山本)で成功させました。この航海によって、疑問視されていた、インド洋を横断しての、インドネシア航海民族の移住が実証されました。
1989年、隼人族に代表される、南方系日本人(縄文から弥生)の黒潮を伝わっての移住をテーマに、ジャワ島スラバヤに於き「DADALIⅡ号」を制作、スラバヤ~ジャカルタ~シンガポール~マニラを経由して福岡に向かうも、2回に及ぶ台風の直撃に会い船体が破損。沖縄の宮古島沖でイギリスのタンカーに移乗し、計画を中止しました。しかし、テーマの実証は十分に果したと評価されています。
乗員は日本人3名から5名、インドネシア人5名。
DADALIⅡ号:全長17㍍幅1.5㍍
1991年。7世紀、ジャワの古代王朝シャイレーンドラ王国によって建立されたボロブドール仏跡にレリーフされたアジア最古のアウトリガー付帆船の復元と実験航海をテーマに、スラウェシ島ブルクンバに於き、全長24㍍幅5㍍のアウトリガー付帆船を復元。スハルト大統領(当時)の命名により、ダマール・サガラ(海の聖なる灯)と名づけられ、環境大臣(当時)エミール・サリム氏の協力を得て実験航海を行いました。

航路:スラウェシ~マニラ~沖縄~屋久島(台風による緊急入港)~鹿児島~東京。
乗員:日本人4名・インドネシア人7名。
結果:この実験航海によりインド~中国に至る海域での交易に関する古代(7~8世紀)のアウトリガー付帆船の航海能力を実証しました。

この3回の航海に続き、私たちは最後に残ったアウトリガー海洋空間であり、そして地球上で最大の海である太平洋に向けての航海の準備を進めてまいりました。

そして、1995年、インドネシア独立50周年のイベントとして開催されたセール・インドネシアで、ヨーロッパ人が初めて眼にしたアウトリガーカヌーとして、歴史に名を残す戦闘用カヌーKORA・KORAを模した全長21㍍幅3㍍のW・アウトリガーカヌーを製作し、このイベントに参加しました。
これらの航海データの集積から、私たちは南太平洋の逆風に立ち向かえる今回のカヌーの制作にとって、
➀文献だけでなく、近年まで実際に使用していた船である。
➁全長17㍍前後のものが、アウトリガーとのバランスが最も安定している。
➂帆はマドラー型と呼ばれる三角帆が、海に沈む風下側のアウトリガーの影響を殺し、最も高い逆風航海能力を持つ。
しかもその上に、アウトリガーカヌーの伝統的造船技術を保持している航海部族のテリトリーで制作することが絶対条件となることを体感しました。




<アウトリガーカヌー建造計画>



図挿入


現在も尚、アウトリガーカヌーが活躍している地域は、フィリピンのスールー諸島、インドネシアのスラウェシ島、及びマドーラ島、バリ島等に限られ、しかもその伝統的な造船技術は急激に消滅に向かっております。
今回の困難を極める探検航海の気象、海況等を考えますと、最も適していると考えるのが、スラウェシ島の海人、マンダール族のサンデ(Sandeq)という、完成された美しいフォルムを持つ帆走W.アウトリガーカヌーです。
サンデは、現在、マンダール族の漁業用の船として使用されているだけですが、20数年前までは、亀の肉を好むバリ島民の為に生きた亀を積み、モンスーンの逆風をついて、700㌖に及ぶ航海を5日で乗り切った巨大な交易船が存在していました。
この伝説の交易船は丸木船を船底に置き、伝統的な造船技術で造られており、二枚の三角帆を備えたその全長は驚くべきことに16㍍を超え、高さ2㍍という巨大なものでした。(図参照)
今回の探検船は、過去の実験航海のデータを基にしてこの交易船をプロトタイプとし、より古い時代の型を再現し、補助機関(15馬力)及び各種航海機器を装備したものとなります。

建造地 : 南スラウェシ州パレパレ市近郊
期 間 : 2004年10月~2005年2月
費 用 : 約700万円(スーパバイザー滞在費及び渡航費・補助機関・航海機器等を含む)

船体スペック
全長 : 17㍍
高さ : 1.8㍍
巾  : 2㍍(但し、アウトリガーの長さ4㍍×2→全巾10㍍となる)
エンジン : 15馬力(発電機を兼ねる)

<船名>
パラダイス・バード(極楽鳥) (仮)
命名の理由
➀太古ドルソン文化の銅鼓に刻まれた、竜舟を操る舟人たちの羽根飾りが極楽鳥のものであることからも推測できるように、極楽鳥の羽根は海洋アジアの貴人達の権力と勇気の象徴でした。
➁しかも、この鳥はニューギニア周辺でしか生息しておらず、まさに海洋アジアの美を代表する鳥であり、絶滅危惧種に指定されております。この鳥を船名及び船のシンボルマークに掲げることは環境保全への強烈なアピールとなります。
➂アウトリガーをインドネシア語でサヤップ(翼)と呼称するように両舷から翼のように広がるアジア独特のW.アウトリガーは鳥のイメージがぴったりする。
➃共同エクスペディションであることから、ひとつの国の言語で船名を決めることはフェアでない。

以上の理由から、アジアで最も美しい鳥の名を共通語である英語で船名としました。

竹いかだで渡るアジアの源流に挑戦する冒険家たち ③

2005年09月14日 17時04分46秒 | Weblog
学術
<オセアニア先史学の現代>
1947年、トール・ヘイエルダールと5人の仲間が実施したコンティキ号の冒険航海の成功で、ロマンに彩られたポリネシア人とその文化のルーツは新しい学術的な論争の時代に入りました。
南米原産のサツマイモの伝播を拠りどころに、ポリネシア人の新大陸起源を唱えるヘイエルダール博士の学説は、その圧倒的なロマンにもかかわらず、遺伝子学を始めとするあらゆる分野の研究によって論破され、現在の最新の学説によると、ポリネシア人の源郷はコンティキ理論とは逆に黒潮流域の海洋アジアにあり、今から5000年前、アウトリガー文化の発明と瑶藍の地である、東南アジア多島海から船出した一群の海のモンゴロイドが、ラピタ文化を経て、南太平洋に拡散したと確定されています。




         図挿入










<ラピタ、石器時代の遠洋航海者>
オセアニアの先史学において、最も重要なキーワードは、ラピタ人とその文化です。ラピタ文化こそポリネシア文化の母胎であり、ポリネシア人の直接の祖先となっただけではなく、汎南太平洋の海洋社会の基層を形成していると考えられているからです。
ラピタ人は紀元前2千年紀の前半、今から3600年ほど前、日本の縄文中期から後期にかけての頃、突如として、ニューギニア北部の沿岸部やビスマルク諸島一帯に出現し、帆を使用した人類史上初めての遠洋航海民として、わずか300年ほどの間に5000キロの海洋空間を移動し、無人だった西部ポリネシア(サモア、トンガ)を開拓し、そして、2000年前忽然と歴史から消えてしまいました。まさに幻の海洋民族と呼ばれるにふさわしい、石器時代の大航海者でした。




挿入図









<太平洋のミッシングリンク>
ユーラシア大陸からベーリング海峡を越え、アメリカ大陸を南下した陸のモンゴロイド、そして、縄文海人を北限とし、黒潮流域から太平洋へと向かった海のモンゴロイド。
この二つの大きなモンゴロイドの移動ルートは、太平洋の巨大な文明の環を形成しています。
しかし、この巨大なモンゴロイドの環は南太平洋の最後の一部が欠けており、環太平洋モンゴロイド・ロードのミッシングリンクとなっています。この欠けた環の部分こそ、ポリネシア最大の謎と呼ばれ、長い間オセアニア先史学の論争の「しこり」となっている問題です。
それは、南米原産のサツマイモを誰がポリネシア世界に伝えたのか、というものです。ひとつはコンティキ理論に言う、南米文明人が伝えたというもの、もうひとつは、当時、世界に比べる者として無い最高の航海者であったポリネシア人が逆風を乗り切って南米に到達し、自らの手でポリネシアに持ち帰ったとするものです。
<挑戦>
私たちが今回の交流航海の中で行う挑戦は、全てこの一点に収斂します。
ポリネシア・トライアングルの東の果てに位置するイースター島から、ちっぽけなアウトリガーカヌーで、南米に到達することができるなら、20㍍を越える巨大な双胴船で太平洋の全ての島を開拓した、偉大なる海洋民族であるポリネシア海人が、ポリネシア南米間の往復航海を行なうことは不可能なわけはないからです。いや、むしろ、航海しなかったと考えるほうが不自然だと実証できる訳です。
ポリネシア人の祖先が旅立った原郷から、その子孫達がプロトタイプのアウトリガーカヌーに乗り込み、太平洋の西の果てから船出し、南太平洋に残された最後の謎に挑みます。
海を舞台にした劇的空間で、多国籍から成る20世紀生まれのオヤジ世代の隊員が民族・言語・文化・政治・経済・・・あらゆる壁を乗り越え、お互いの命を相手に託す極限の信頼と友情を持って、この実験航海に成功すれば、環太平洋の巨大なモンゴロイド・リングを結びつけ、世界が注目するポリネシア最後の実験航海に成功しただけでなく、21世紀の海洋アジアの未来を担う青少年の心に、信頼と友情がおりなす素晴らしい感動をフィードバックできると確信しています。

竹いかだで渡るアジアの源流に挑戦する冒険家たち ②

2005年09月14日 17時03分52秒 | Weblog
<ホクレア号の復元航海>
この活動の原点になったイベントに、ホクレア号の復元航海と、4年に一度開催される汎ポリネシアの芸術と文化の集い太平洋芸術祭があります。ホクレア号の航海は、ポリネシア人の民族移動が数百キロメートル以上はなれた島嶼間での遠洋航海を通じて達成されたことを実証するために、二枚の逆三角形の帆を持つ、全長18㍍の双胴船を復元し、アメリカ建国の年、ハワイ諸島マウイ島からタヒチ島の間の約5000㌖を伝統的な星をたよりの天文航法によって航海しました。


ホクレア号の復元航海の成功は汎ポリネシアの人々の心をロマンのハリケーンで揺さぶり、その奥にひそむ海のDNAに火をつける、いわば、アイデンティ     ーのビックバンと表現すべき動きを生み出しました。
それは先ず、ポリネシアの島々で祖先たちが開拓航海に使用した巨大カヌーの復元という「かたち」で現われ、この復元カヌーを駆って、太平洋芸術祭に参加するという「かたち」をもってポリネシアはおろか、メラネシア・ミクロネシアへと波及してゆきました。


<力の文明から美の文明へ>
美しい海から生まれた芸術、文化、歴史が織り成す、ポリネシアの啓蒙運動は、「発見」という力の文明によって築かれた国境である。政治、経済、言語の壁を乗り越え、「Maori」という言葉をキーワードに、今やアイデンティティーの共有にまで高まっています。海のネットワークを結んだ広大な連帯により、この活動は単に民族意識を振りかざすレベルを超え、地球環境問題、特に祖先たちが開拓した、太平洋の美しい海と渚の保全に対する積極的なアピールと行動を行うまでに熟成されたものとなっています。
水の惑星・地球の美と生命の源である海を芸術・文化・歴史を核とするネットワークの連帯によって守ってゆこうとする意識革命は、まさに海洋史観に言う「美の文明」の誕生を予感させるものがあります。そして、この美の文明を成立させようとする原動力こそが、私たちアジアに欠けている海の開拓者の子孫としての誇りと義務に裏打ちされた地球との連帯ではないでしょうか?

<太平洋と環境ルネサンスの時代を求めて>
黒潮は日本近海から流速3ノットを越える強力なパワーで太平洋へと流れ込んでいます。それは、同時に猛烈な経済発展を続ける東南アジア・東アジアから海に排出される膨大な量のゴミを3ノットで太平洋に発射させていると同じ意味を持っています。
しかし、私たちはこの現状を共通の認識として持っているにもかかわらず、未だに解決のための共通のコンセプトすら見出していません。私たちはこの現状を打破し、「太平洋の環境ルネサンス」をコンセプトとして提言し、この提言を切り拓くために、海の連邦としての海洋アジア諸国が中心となって、芸術・文化・歴史からなる美の文明を具現化しつつある汎ポリネシアの海のネットワークと連帯し、このコンセプトを世界に劇的な「かたち」で発信して行きたいと希求しております。そして、その起爆剤としてポリネシアの新しい時代の幕を切って落としたホクレア号の復元航海に匹敵するアジア発の壮大な航海を企画し、下記の通り実行する予定です。


<環太平洋復元交流航海概要>
太平洋環境ルネサンスの時代を求め、太平洋諸民族の原郷と比定される、縄文海人を北限とする黒潮流域から、太古の航海者の航跡を追って、その航海を再発見するためにアウトリガー文化の発祥の地インドネシアのスラウェシ島でアジア・オリジンのW.アウトリガーカヌーを復元。海洋アジア(日本・台湾・フィリピン・インドネシア・ブルネイ)出身の隊員のコラボレーションにより2005年2月から2006年4月にかけて、
➀南太平洋横断航海
➁北太平洋横断航海
を主要航路とした環太平洋約40000㌖の復元交流航海を海洋アジアによる初めての共同海洋イベントとして実施します。
<この航海を通して>
交流:アジア・オリジンのアウトリガーカヌーの帆にSave the Pacificのロゴを掲げてポリネシア、ミクロネシアを中心に、環太平洋諸国との様々な交流やイベントを行い太平洋環境ルネサンスの時代への連帯を訴求します。
学術:イースター島-南米間の海を舞台にポリネシア先史学最大のロマンに満ちた謎として残る、ポリネシア人の南米大陸への自力航海説をコンチキ号の冒険以来実に59年目にして初めてW.アウトリガーカヌーの帆走実験航海によって実証します。
記録:カヌーの制作から航海の全てを高品位(民生用)ビデオカメラ及びスティールカメラ等で記録し、様々なコンテンツ(ドキュメンタリー映画・TV・写真集・航海記etc)として世界に配信します。

海洋アジアのコラボレーションによる、初めての共同航海である環太平洋復元交流航海は、異形なフォルムを持つアジアオリジンのW.アウトリガーカヌーそのものから放たれる強烈なプレデンスが異文化との出会いの中で、世界に感動を発信するであろうことを予感しつつ、この共同エクスペディションに対する皆様のご理解と、ご協賛を心からお願いするしだいです。

竹いかだで渡るアジアの源流に挑戦する冒険家たち ①

2005年09月14日 17時00分01秒 | Weblog
今世紀はアジアの時代である。また、そうしなければならない。
だが、それは西洋文明の身をまとったアジア時代にしてはいけない。
現代の多くの諸問題は、すべて東洋人たる日本が、西洋論理におどらされた結果生まれている。
それを政治とは別のラインから、冒険家の山本良行氏がある挑戦をしているので、それを紹介する。


Save the Pacific-太平洋の環境ルネサンスを求めて!
環太平洋復元交流航海
―海洋アジア共同エクスペディション―

海のモンゴロイドの原初なる航海をたどり、我らが海-太平洋が育んだ「美の文明」のネットワークとの連帯を求めて、今、時空を超えて、伝説の巨大帆走アウトリガー・カヌーの航海が始まる・・・。


アジア・アドベンチャーズ・ネットワーク日本本部
住所:〒171-0022東京都豊島区南池袋1丁目18番23号
ルックハイツA棟1101号
有限会社アルーム
電話:03-3984-0310  FAX:03-3984-5008
              Eメール:info@a-room.jp

趣旨
<はじめに>
ヨーロッパの大航海時代、いわゆる「地理上の発見」時代以来、私たちアジア・太平洋諸国は常にヨーロッパ人によって「発見される」側に立たされてきました。

私たちは、ヨーロッパ史観によって失われた、アジアの船とそして、航海の歴史をアジア人の目線と、アジア人の手で再発見してゆくことをテーマにして20余年に亘る活動を続けてまいりましたが、様々な壁にさえぎられ、その活動は広くアジアの人々の共感を得られずに現在に至っております。

しかし、太平洋、特にポリネシアに於いては趣旨を同じくする活動がミクロネシア・メラネシアも巻き込み汎太平洋的な広がりを見せ、まさに太平洋ルネサンスと呼ぶに値する新しい運動となっています。

日本は食糧本位経済を

2005年09月14日 16時49分16秒 | Weblog
地方分権が大事だとどの政治家も言う。

だが、その本質的問題について誰もがわかっていない。

東京一極集中は、そこに資本が集まっているからである。これは資本主義である以上当然である。

資本は集中してこそ力を持つわけで、地方分権になると経済力は落ちるのである。

地方分権は心温まる社会の交流ができるがお金は集まらない。そこに生まれているのが地域通貨であることをみるとよくわかる。

いま、小泉内閣の進めている地方分権は、郵政民営化などの市場経済型政策とは大いなる矛盾をかかえることになるだろう。

今まで、利権政治家がいたからこそ、東京に集中した資本を政府の力によって

地方に分散させていたのである。

ところが、今回の総選挙で自民党は改革政党に脱皮した。

これにより地方はますます貧しくなり、都市はますます富むことになるだろう。

だが、もうすぐ大変なことが起きる。

それは中国バブルの崩壊である。これにより米国も影響を受け、ドル本位制度の国際経済は混乱する。

日本には石油も金も出てこない。ただただ労働して、海外に輸出するしか能がないのである。

ということは、日本銀行券などの貨幣価値がなくなったら、すぐさま餓死するしかない。

そして、これは歴史の必然でもある。

このような場合において、日本は食糧本位経済にしておく必要がある。

次々に減反していって、食料よりもお金にとらわれた政治経済が、今日の社会をダメにしていっている。

冒頭に地方分権を上げたのは、お金優位である日本において、それは不可能だということである。

これを可能にするのは、利権政治家による議席躍進しかない。だが、時代はそれを望まなくなりつつある。

地方分権をなすには、東京にいても食料を得ることが出来ないから、地方に行こうという意識が芽生えなければならないのだ。

ここにおいて自然主義経済の自然通貨は根付くだろう。

http://heiwatou.jp