6月初め、佐賀県で開かれた全国ろうあ者大会のろう運動の分科会で手話言語法の署名運動の取り組みにも議論されたようだが、連盟としての運動方針にはまだなっていないとのことだ。
手話言語法の取り組みは、手話を使う聴覚障害者の社会の各分野における様々な権利を保障することを求めるものだと思う。
障害者権利条約で、コミュニケーションの定義に手話が音声言語やその他の言語と並んで定義され、社会における差別の禁止、合理的配慮の義務などを考えれば、あらゆる場における手話の利用と手話通訳の配備は必須のものだ。
手話言語法と言うより、「手話法定化法」とでも言うべきものだが、障害者の使う言語に音声言語もある中で手話だけ取り上げることを法律上どのようにするのか、音声言語によるコミュニケーションをする難聴者の権利も同じように保障されなければならない。
情報・コミュニケーションの法整備もいまは聴覚障害者だけではなく、視覚障害者その他の障害者も同じような要求を持っているので、総合的な情報・コミュニケーションの保障を求める法整備が必要になっている。
手話もこの中に位置づけるべきであり、特定のコミュニケーションに関わる言語、様式を規定するなら、それはどうしても国民の理解を得る必要がある。
なぜなら言語的差別は手話だけでなく、アイヌ語、韓国語がある。情報アクセスの問題になれば障害者だけの問題にとどまらず、全国民が対象になる。
障害者権利条約は障害者に特別な権利を保障することを求めていない。障害を持たない人と同じ権利を求めている。
障害者権利条約の第2条のコミュニケーションの定義は、障害を持たない人の言語、コミュニケーション方法、様式もすべて網羅している。
これが人類の英知の到達点である障害者の権利条約と言われるゆえんではないのか。
合理的配慮は、個々の障害者のニーズにあわせて障害をなくすための措置を講ずることを求めるもので、手話が日本手話でも日本語手話でも必要とする手話が提供されれる必要があるということだ。
日本語手話を使う難聴者はその使う頻度でより「手話」を使うようになる。難聴者は日本語手話も日本手話も「チャンポン」に使っている。その方が楽なのだ。
ラビット 記