読者からハワイの風さんに問い合わせがあり、その返事が届いた。
ご返事が遅れてしまったが、ちょうど二人ともワシントンに行っていたときだった。
ラビット
成田空港のANAのカウンターで。
ーーーーーーーーーーー
しばらくです。Uさんがこちらにいらしたのは私たちがDCに行くころと重なっていましたね。
1さいの難聴のお子さんのために今から情報収集しようとされている親御さんの努力と気持ちが伝わってきます。
親御さんは近くハワイ島へ移住でも考えられているの
でしょうか。
ところでハワイ島の難聴学級というか難聴児支援プログラムですが、余りたくさんはありません。四国の半分の大きさの島に人口が17万しかない過疎島なのがまず第一の原因ですが、東側(ヒロ側)に一つ二つの難聴学級があります。
西側(コナ側)は私の家から遠いので状況を把握していませんが、おそらく似たようなものでしょう。
そもそも学校の数が少なくお互いに離れているため、児童・生徒によってはスクールバスで片道一時間以上の
山道を走って学校に行く子も多いです。
一般的には重度・最重度の手話を母国語とするような難聴児・ろう児の場合は手話と口話を両用する学級に入りますが、親の判断で最終的にはどの学校・クラスに行くか決まるため、中には遠すぎるから地元の普通学級で我慢させたり、もう一方の極端は、ホノルルのあるオアフ島まで全寮制のデフ・スクールに通わせたり、と難聴児の聴力にはあまり関係なく親の教育観・判断で決められます(もちろん学校側は子どもにとってベストな学級を推薦はしますが)。
私が以前面倒を見ていた難聴の中学生男児は、そのスクールバスで一時間半かかる遠い難聴学級に子どもをやりたくない父親の判断で、地元の普通校に通っていましたが、難聴の友達は一人もおらず、授業も補聴器やFM補聴援助システムを利用してはいましたが、なかなか聞き取れず、疎外されていました。
これとは別に同じキャンパスの小学校にいた別のろうの男の子は、親や親戚中が一丸となって片道1時間半の難聴学級まで毎日送り迎えしていました。
その子が中学にあがったのをきっかけにホノルルの全寮制のろう学校へ送り、今月曜から金曜までホノルルで同級生(全員難聴児・ろう児)と過ごし、金曜日の午後
飛行機でハワイ島の実家まで、家族と週末を過ごすために帰ってきます。
そのろうの子は直接知らないのですが、私はお母さんとおばあさんと面識があり、今も時々彼らと会って、その子の成長ぶりについて話したりすることがあります。その内容からも二人とも子どものために手話を習っていたり、素晴らしいサポートをされているのに感心しています。
さてそのヒロ側にある難聴学級ですが、一度見学に行きました。
少し聞こえるので手話が出来ない難聴児も手話しかしないろう児も一緒でしたが、トータルコミュニケーションを健聴の先生がとっていらして、手話をしながらきちんと口話も教えています。
多少聞こえる子どもにはFM補聴援助システムが学校から支給(貸与)されています。
こういったサポートシステムは全て、個人教育計画という連邦法に基づく、障害児のための教育プラン(年一回改訂する)に書かれており、そのために関係者・家族は年に最低一度は法的なミーティングを開かなければなりません。
そこでいかに親が子のためにサポートサービス・プログラムを学校に要求するかで、子どもがどういう教育プログラム・クラスを受けるか決まります。アメリカでは親の情報収集力と決定権は絶大なものがあり、それがその子の
教育に多大に影響しています。
ほかにもいろいろ細かくお知りになりたい項目があれば直接ご連絡くださるよう、Uさんにお伝え下さい。
そういえば、前に私が面倒を見ていた難聴の中学生についてのレポート、ありましたよね。あれ、また探して見つかったら別メールで添付して送付します。
ハワイの風より
ご返事が遅れてしまったが、ちょうど二人ともワシントンに行っていたときだった。
ラビット
成田空港のANAのカウンターで。
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しばらくです。Uさんがこちらにいらしたのは私たちがDCに行くころと重なっていましたね。
1さいの難聴のお子さんのために今から情報収集しようとされている親御さんの努力と気持ちが伝わってきます。
親御さんは近くハワイ島へ移住でも考えられているの
でしょうか。
ところでハワイ島の難聴学級というか難聴児支援プログラムですが、余りたくさんはありません。四国の半分の大きさの島に人口が17万しかない過疎島なのがまず第一の原因ですが、東側(ヒロ側)に一つ二つの難聴学級があります。
西側(コナ側)は私の家から遠いので状況を把握していませんが、おそらく似たようなものでしょう。
そもそも学校の数が少なくお互いに離れているため、児童・生徒によってはスクールバスで片道一時間以上の
山道を走って学校に行く子も多いです。
一般的には重度・最重度の手話を母国語とするような難聴児・ろう児の場合は手話と口話を両用する学級に入りますが、親の判断で最終的にはどの学校・クラスに行くか決まるため、中には遠すぎるから地元の普通学級で我慢させたり、もう一方の極端は、ホノルルのあるオアフ島まで全寮制のデフ・スクールに通わせたり、と難聴児の聴力にはあまり関係なく親の教育観・判断で決められます(もちろん学校側は子どもにとってベストな学級を推薦はしますが)。
私が以前面倒を見ていた難聴の中学生男児は、そのスクールバスで一時間半かかる遠い難聴学級に子どもをやりたくない父親の判断で、地元の普通校に通っていましたが、難聴の友達は一人もおらず、授業も補聴器やFM補聴援助システムを利用してはいましたが、なかなか聞き取れず、疎外されていました。
これとは別に同じキャンパスの小学校にいた別のろうの男の子は、親や親戚中が一丸となって片道1時間半の難聴学級まで毎日送り迎えしていました。
その子が中学にあがったのをきっかけにホノルルの全寮制のろう学校へ送り、今月曜から金曜までホノルルで同級生(全員難聴児・ろう児)と過ごし、金曜日の午後
飛行機でハワイ島の実家まで、家族と週末を過ごすために帰ってきます。
そのろうの子は直接知らないのですが、私はお母さんとおばあさんと面識があり、今も時々彼らと会って、その子の成長ぶりについて話したりすることがあります。その内容からも二人とも子どものために手話を習っていたり、素晴らしいサポートをされているのに感心しています。
さてそのヒロ側にある難聴学級ですが、一度見学に行きました。
少し聞こえるので手話が出来ない難聴児も手話しかしないろう児も一緒でしたが、トータルコミュニケーションを健聴の先生がとっていらして、手話をしながらきちんと口話も教えています。
多少聞こえる子どもにはFM補聴援助システムが学校から支給(貸与)されています。
こういったサポートシステムは全て、個人教育計画という連邦法に基づく、障害児のための教育プラン(年一回改訂する)に書かれており、そのために関係者・家族は年に最低一度は法的なミーティングを開かなければなりません。
そこでいかに親が子のためにサポートサービス・プログラムを学校に要求するかで、子どもがどういう教育プログラム・クラスを受けるか決まります。アメリカでは親の情報収集力と決定権は絶大なものがあり、それがその子の
教育に多大に影響しています。
ほかにもいろいろ細かくお知りになりたい項目があれば直接ご連絡くださるよう、Uさんにお伝え下さい。
そういえば、前に私が面倒を見ていた難聴の中学生についてのレポート、ありましたよね。あれ、また探して見つかったら別メールで添付して送付します。
ハワイの風より