藁科川上流の畑色は、スカッと眺望の良いところで、向かいの東側の突先山から天狗岳へと連なる山々が一望に見渡せます。藁科川沿いには、富厚里にダイダラボッチという山の名前が残るなど、数々の言い伝えをこの地域に残していますが、畑色にもこんな伝説が残っています。
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「畑色と大平見の由来」
昔、二つの大きな山が向かい合い、そびえ立っていました。
一つの山には、ダイラボッチという男が住んで居り、こちらの山にはミコシという、それはそれは大きく恐ろしい男が住んでおりました。
その恐ろしさというと、上から見下ろすと小さく見えるが、下から見上げると天まで届くのではないかと思うほど大きいという不思議な男でした。
そして、その男の目は太陽に近いせいかギラギラと不気味な光を放ち、向かいのダイラボッチの住む山をしじゅう睨んでおりました。ダイラボッチは、毎日毎日矢の様に刺さる目の光におびえ、不安の日々を送っておりました。
そんなある日、とうとうたまりかねたダイラボッチは「よし、こっちから石をなげてやれ」と回りにある石を、体の力をふりしぼり向かいの山めがけて投げ続け、とうとうその大男をやっつけました。
ダイラボッチは、長い間続いた不安の日々からやっと解放され喜びいさんで、その山の頂きの一つに旗をかかげました。
それが今の畑色であり、石のまとがはずれとんでいった所を栃沢と言い、ミコシのいた山を大平見と言うようになったそうです。
坂ノ上 吉野らく
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「ふる里わら科八社~第三集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)
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「畑色と大平見の由来」
昔、二つの大きな山が向かい合い、そびえ立っていました。
一つの山には、ダイラボッチという男が住んで居り、こちらの山にはミコシという、それはそれは大きく恐ろしい男が住んでおりました。
その恐ろしさというと、上から見下ろすと小さく見えるが、下から見上げると天まで届くのではないかと思うほど大きいという不思議な男でした。
そして、その男の目は太陽に近いせいかギラギラと不気味な光を放ち、向かいのダイラボッチの住む山をしじゅう睨んでおりました。ダイラボッチは、毎日毎日矢の様に刺さる目の光におびえ、不安の日々を送っておりました。
そんなある日、とうとうたまりかねたダイラボッチは「よし、こっちから石をなげてやれ」と回りにある石を、体の力をふりしぼり向かいの山めがけて投げ続け、とうとうその大男をやっつけました。
ダイラボッチは、長い間続いた不安の日々からやっと解放され喜びいさんで、その山の頂きの一つに旗をかかげました。
それが今の畑色であり、石のまとがはずれとんでいった所を栃沢と言い、ミコシのいた山を大平見と言うようになったそうです。
坂ノ上 吉野らく
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「ふる里わら科八社~第三集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)