今のようなゴムのボールではなかった昔は、立ち膝でまりをついていたということを良寛さんの伝記を読んでいて知りました。
藁科川上流の大川地区に伝わる、下記のまりつき唄も、どのような風景の中で、どんな節回しでうたわれていたのかをとても知りたく思います。
慶応の元号は、明治の前で1865~1868年とのこと。今から150年前の子どもたちがうたっていた唄です。
===================
「慶応時代のまりつき唄
おらが婆々さん四十九で信濃の塩屋に嫁入り
前歯二歯にお歯黒つけて
白髪三ひづに さしぐしさして
なんの婆々さんおしゃれとゆたら
緑の道なら歩かなにゃならぬ
そんな婆々さん焼餅好きで
七つ焼かせて 六つまで食べて
一つ残して袂に入れて
馬に乗る時 ストンと落とし
拾うははずかし 捨てるおしし
どび上がれ はね上がれ焼餅
坂ノ上 吉野らく
===================
「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)
藁科川上流の大川地区に伝わる、下記のまりつき唄も、どのような風景の中で、どんな節回しでうたわれていたのかをとても知りたく思います。
慶応の元号は、明治の前で1865~1868年とのこと。今から150年前の子どもたちがうたっていた唄です。
===================
「慶応時代のまりつき唄
おらが婆々さん四十九で信濃の塩屋に嫁入り
前歯二歯にお歯黒つけて
白髪三ひづに さしぐしさして
なんの婆々さんおしゃれとゆたら
緑の道なら歩かなにゃならぬ
そんな婆々さん焼餅好きで
七つ焼かせて 六つまで食べて
一つ残して袂に入れて
馬に乗る時 ストンと落とし
拾うははずかし 捨てるおしし
どび上がれ はね上がれ焼餅
坂ノ上 吉野らく
===================
「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)