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彦次三度

2011年03月03日 | 言い伝え&伝承
彦次の話のその後がありました。
下記の記事を読んで、二度ほど藁科川上流の大川地区・日向にある陽明寺のお墓に彦次をお墓を探しに出かけましたが、見つけることはできませんでした。機会があればご住職さんに聞いてみたいと思います。

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『彦次の墓』

水田を持たない山村の人々は、昔から終戦に至るまでの長い間、山林を伐り拓き、焼畑に雑穀を作り、主食とし、その跡地には、紙の原料となる三椏や楮を植え、又炭焼きをして現金を得て、生活を立てる山暮らしの毎日であった。
明治も末の頃、彦次山に入って、毎日山仕事をしていた人が、彦次伝説に夜な夜な悩まされていた。「今夜はなんだか胸騒ぎがする」と云う、彦次の呟きと竹槍に突刺された凄惨な夢見に、この人は日頃信心深く温厚な人で、この無縁仏を供養して成仏させてやろうと思い立ち、彦次の墓は建立された。
それからは彦次の夢に悩まされる事もなくなったと語り伝えられている。
この墓碑には「爲本性霊智菩提、明治四十四年吉日、佐藤惣藏建立」と刻まれ、口伝による丈余の黒松の根元に建立し供養されて来たが、その後この彦次山も、所有者が変わり、何時しか無縁仏となり枯枝葉に埋まり、その所在さえ判りかねる状態になって居たのを現地主が清掃し、年一回は陽明寺の住職を頼み登山供養していたが、余りにも高山で、又僻遠の地であるため住職と相談し、昭和五十三年二月、陽明寺の境内に移して供養を続け、今日に到っている。この墓の主は、萩多和城を預かっていた、土岐彦次郎その人と云われている。

日向 佐藤ウメ江

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引用:「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)