
先日の12日、藁科川下流の羽鳥で「羽鳥八幡神社祭典」が行われたとの記事が、静岡新聞に掲載されていました。
このお祭りは、日頃は同地区の八幡神社に祀られた「ご神体」を神輿に乗せて、藁科川の中洲にある「木枯しの森」へ年に1回、本家帰りさせるというもの。当日は、地域の男衆約20名が神輿を担いで、八幡神社から1時間半かけて町を練り歩き、最後は掛け声と共に藁科川を渡り切り、木枯しの森へとご神体を届けます。
中州にこんもりと森が残った木枯しの森の景観は、今も昔も人々の目をひきつけます。
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『木枯の森(こがらしのもり)』
藁科川最下流牧ケ谷橋の上の中州にある直径100m、比高10m足らすの基盤岩の小丘を覆う森。牧ケ谷の山の先端が中州に取り残されたものと思われるが、羽鳥地区に帰す。現在も橋がないため、中洲に渡るには川越えをしなければならない。昭和29年、県の名勝地に指定される。
丘頂には木枯八幡宮が奉ってある。また本居宣長撰文・佐野東州書による名碑「木枯森碑」(天明7年(1787)建立)、駿府の儒医で国学者でもある花野井有年の「ふきはらふこずゑのおとはしづかにて なにのみたかきこららしのもり」と刻した歌碑がある。
既に平安中期の勅撰和歌集『後撰集』に「木枯しの森の下草風はやみ人のなげきはおひそひにけり」(巻9)、『古今和歌六帖』にお「君恋ふとわれこそ胸を木枯しの森とはなしに蔭になりつつ」の歌が見える。『枕草子』(能因本)では「森は大あらきの森。しのびの森。ここひの森。木枯の森。・・・」(115段)と讃えられている。この「木枯の森」を山城国(今の京都府)にある森とする説もあるが、『新後拾遺集』巻11の「人知れぬ思ひするがの国にこそ身を木枯の杜はありけれ」(読人しらず)などは正にこの森で、以後も駿河国の歌枕として詠まれた和歌は少なくない。
古来より羽鳥・牧ケ谷・山新田・建穂・産女新田との間で、その所有権について争われて
きたが、服織村名主の石上藤兵衛(1724~91)の取計いにより、以後は羽鳥村に所属するようになった。
川の中洲にあるため近年侵食が激しく、平成2~3年護岸工事が行われた。
毎年旧暦8月15日に羽鳥の八幡神社から八幡様が木枯の森へ「本家帰り」する祭りが行われる。
『藁科物語 第3号~藁科の地名特集~』(静岡市立藁科図書館.平成6年)より抜粋
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このお祭りは、日頃は同地区の八幡神社に祀られた「ご神体」を神輿に乗せて、藁科川の中洲にある「木枯しの森」へ年に1回、本家帰りさせるというもの。当日は、地域の男衆約20名が神輿を担いで、八幡神社から1時間半かけて町を練り歩き、最後は掛け声と共に藁科川を渡り切り、木枯しの森へとご神体を届けます。
中州にこんもりと森が残った木枯しの森の景観は、今も昔も人々の目をひきつけます。
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『木枯の森(こがらしのもり)』
藁科川最下流牧ケ谷橋の上の中州にある直径100m、比高10m足らすの基盤岩の小丘を覆う森。牧ケ谷の山の先端が中州に取り残されたものと思われるが、羽鳥地区に帰す。現在も橋がないため、中洲に渡るには川越えをしなければならない。昭和29年、県の名勝地に指定される。
丘頂には木枯八幡宮が奉ってある。また本居宣長撰文・佐野東州書による名碑「木枯森碑」(天明7年(1787)建立)、駿府の儒医で国学者でもある花野井有年の「ふきはらふこずゑのおとはしづかにて なにのみたかきこららしのもり」と刻した歌碑がある。
既に平安中期の勅撰和歌集『後撰集』に「木枯しの森の下草風はやみ人のなげきはおひそひにけり」(巻9)、『古今和歌六帖』にお「君恋ふとわれこそ胸を木枯しの森とはなしに蔭になりつつ」の歌が見える。『枕草子』(能因本)では「森は大あらきの森。しのびの森。ここひの森。木枯の森。・・・」(115段)と讃えられている。この「木枯の森」を山城国(今の京都府)にある森とする説もあるが、『新後拾遺集』巻11の「人知れぬ思ひするがの国にこそ身を木枯の杜はありけれ」(読人しらず)などは正にこの森で、以後も駿河国の歌枕として詠まれた和歌は少なくない。
古来より羽鳥・牧ケ谷・山新田・建穂・産女新田との間で、その所有権について争われて
きたが、服織村名主の石上藤兵衛(1724~91)の取計いにより、以後は羽鳥村に所属するようになった。
川の中洲にあるため近年侵食が激しく、平成2~3年護岸工事が行われた。
毎年旧暦8月15日に羽鳥の八幡神社から八幡様が木枯の森へ「本家帰り」する祭りが行われる。
『藁科物語 第3号~藁科の地名特集~』(静岡市立藁科図書館.平成6年)より抜粋
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綺麗な場所に驚きました。
写真有難う御座います。
コメントありがとうございます。
お返事が大変遅くなりましたが、ご先祖さんの出身が藁科川の流域とのこと。素晴らしいルーツをお持ちですね。
自然も文化も豊かなところ、ぜひぜひ一度ご訪問ください。