藁科川上流・日向地区に伝わる言い伝えを再録します。
=====================
『原坂姫の神話』
昔々日向で、屋号原坂と云う、旧家に原坂と云う、それは気立てもやさしい、前毛は三日月型、鼻筋通り、目はほっそり高く、それはそれは体形縦からも横からも実にスマートな藁科小町と呼ばれた美女があったそうです。
ところで、その頃和田と云う所に、それはまた見事な、朝日が昇る頃になると原坂の家まで影が指すと云う、杉の大木があったとのことです。不思議なことに先の原坂姫の所へいつとなく、どこからともなく、それはまた美しい男子が毎夜姿を現すので、家人はよしこれをつけてみようと、ある夜、ひそかに美男子の衣に糸をつけた針をさし、明くる朝、その糸をたどって跡をつけますと、大木の中へと入っているのではありませんか。これを知った村人達は、こりゃー大変だ、と大騒ぎとなり、ある日キコリを頼んで切って調べることになり、キコリはまずは一日かかって切ったが、なかなかの大木で、ノコギリは容易にはかどらず、二日三日と切っても、一晩たつと木は全くノコギリを受け付けた跡などありません。何か変わったことがなければ良いが、とキコリはおそるおそる七日七ようさ引きつづけ、ようやく切り倒した。倒れる際に、キリク・イと物すごい音と共に大木の杉は、地面に横たわったと云う、それ以来キリクイという地名ができたとのことです。昔の人は、大木になと、コダマといった、木のタマシイが宿っていたという伝えが残っております。原坂家に毎夜現れた美男子は、杉の大木のタマシイの仕業とされ、話は少し前に戻りますが、村人達は早速この杉の大木で船を造り原坂姫を乗せて、川流しをしたということです。その船が流れ流れて、小瀬戸橋のま上で(藁科川の中程)船は転覆し、これで現在の舟山という森ができたといい伝えられております。
「ふる里わら科八社第1集」(大川寿大学講座受講生一同.静岡市中央図書館大川分館.昭和55年)
======================
=====================
『原坂姫の神話』
昔々日向で、屋号原坂と云う、旧家に原坂と云う、それは気立てもやさしい、前毛は三日月型、鼻筋通り、目はほっそり高く、それはそれは体形縦からも横からも実にスマートな藁科小町と呼ばれた美女があったそうです。
ところで、その頃和田と云う所に、それはまた見事な、朝日が昇る頃になると原坂の家まで影が指すと云う、杉の大木があったとのことです。不思議なことに先の原坂姫の所へいつとなく、どこからともなく、それはまた美しい男子が毎夜姿を現すので、家人はよしこれをつけてみようと、ある夜、ひそかに美男子の衣に糸をつけた針をさし、明くる朝、その糸をたどって跡をつけますと、大木の中へと入っているのではありませんか。これを知った村人達は、こりゃー大変だ、と大騒ぎとなり、ある日キコリを頼んで切って調べることになり、キコリはまずは一日かかって切ったが、なかなかの大木で、ノコギリは容易にはかどらず、二日三日と切っても、一晩たつと木は全くノコギリを受け付けた跡などありません。何か変わったことがなければ良いが、とキコリはおそるおそる七日七ようさ引きつづけ、ようやく切り倒した。倒れる際に、キリク・イと物すごい音と共に大木の杉は、地面に横たわったと云う、それ以来キリクイという地名ができたとのことです。昔の人は、大木になと、コダマといった、木のタマシイが宿っていたという伝えが残っております。原坂家に毎夜現れた美男子は、杉の大木のタマシイの仕業とされ、話は少し前に戻りますが、村人達は早速この杉の大木で船を造り原坂姫を乗せて、川流しをしたということです。その船が流れ流れて、小瀬戸橋のま上で(藁科川の中程)船は転覆し、これで現在の舟山という森ができたといい伝えられております。
「ふる里わら科八社第1集」(大川寿大学講座受講生一同.静岡市中央図書館大川分館.昭和55年)
======================
宇宙人の気まぐれだったのでしょうが、神秘的な地域だと思っています。 いろいろな飛び方をするUFOが出現するので、何種族かの宇宙人がいると思いました。