語学学習ノート日記です.たまに仏教学習ノート日記です.

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1318番:仏教日記(4)

2022-06-28 17:00:06 | 日記
仏教日記(4)
 

 

仏教学というのは人文科学に分類される学問で、この科学とか
学問という名がつけば、実証できない過去世からの因縁を根拠に
現在を語ることはできません.

 

ということは、こういう書物に頼るだけでは、なかなか覚りの
境地に達することはできません.

 

『開目抄』に、
「天台曰く、【今我が疾苦は皆過去に由る、今生の修福は報将来
 にあり】等云々.心地観経に曰く、【過去の因を知せんと欲せ
 ば、其の現在の果を見よ.未来の果を知らんと欲せば、其の現
 在の因を見よ】…

 

心地観経にこういう文言はない、という書をよく見かけます.
お経文にあろうがなかろうが、天台様が言っていたかいなかったか
それはどうでもいいと思います.すでにブッダが説いていたこと
ですから.

 

人はどんなときに腹を立てますか?歩いていて自転車にぶつかり
そうになって、ひやっとしたとき、しかも自転車の相手から
「気をつけろ、馬鹿野郎!」と怒鳴られたとき.

 

そりゃ、腹立つでしょう.実はこれ私の実体験ですから.

 

昔の私にふりかかったことなら、おおもめ、大喧嘩でも
始まっていたかもしれません.

 

「気をつけるのは、お前だろうが、このイカレポンチが」
とかなんとか言っていたかもしれません.

 

しかし

 

爾来10年、20年となった今、こう思うのであります.

 

「ああ、私は過去世で、自転車に乗っていたのだが、そのときは
スピード狂で、歩いている人間が邪魔で仕方がなかった.
そのときの罪障を今生、因果の道理を得て、逆の立場になって
悪因の悪果の花が咲いて、罪滅ぼしをさせていただいている」

 

尚、その失礼な自転車は捨て台詞を吐いたまま行ってしまったが、
こう思うのです.
「ああ、可哀そうなお人.いつか逆にご自分が、もっとひどい
バイクかブルドーザーか、犬のブルドッグに追われて、いやな
思いをなさるのだ.ああ、神よ、お手柔らかに対処してあげて
ください.私は全然怒っていません」

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