北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成三〇年度十二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.12.22-12.24)

2018-12-21 20:03:15 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 今週末は天長節とクリスマスイヴです。一方で自衛隊行事はと問われますと今週末に実施される行事はありません。

 今週末の自衛隊行事無し、という際にはまったりと喫茶店巡りなどをしつつ疲れを癒したいところですが、自衛隊行事が無いからといって休日を無為に過ごすというものも有限の時間を無駄にしているような気がしましてもったいない。そこでひとつ、日本国内の軍事史跡を巡ってみてはどうでしょうか。もちろん戦国時代の合戦跡地巡りではありません。

 千葉県のCH-47写真を示してみましたが例えばこの千葉の旧軍飛行場跡地だけでも、館山海軍航空隊基地、洲ノ埼海軍航空基地、木更津海軍航空基地、太東海軍航空基地、茂原海軍航空基地、五井海軍飛行場、柏陸軍飛行場:柏市、下志津陸軍飛行場、藤ヶ谷陸軍飛行場、誉田陸軍飛行場、東金陸軍飛行場、香取航空基地、根型海軍航空基地、と実に数が多い。

 実際には飛行場跡地が自衛隊基地や米軍施設等に転用されるよりも、民有地に転売されている場合の方が圧倒的に多いのですが、格納庫跡地や壁の一つ一つ等が残っている場合もあります。千葉と云えば年明けの空挺降下訓練始めが来月挙行されますが、その近道など地誌情報探索も含めて、旧軍施設跡地などを巡ってみると、面白いのではないでしょうか。

 さて撮影の話題。冬の撮影、自衛隊行事は冬季には行われません、理由は実施部隊の負担が大きいからなのですが、そうした季節には海上自衛隊艦艇基地や航空自衛隊基地平日撮影有休消化等、やはり撮影の機会というものは多い。すると、困り者は悪天候です。防滴として雨滴への対策は多々本論で扱ってまいりましたが、冬の悪天候は雪というものを考えねばならない。

 吹雪等は視界不良で諦めもつくのですが、霙は最悪です。霧雨のように防滴器材を風に流されてレンズに付着しますし、霰にでもなってくれれば、逆に乾燥してレンズに張り付かないものなのですが、雪風が吹き始めると急な天候変化を考えてしまいます。兎に角この対策はレンズを護る事、極力撮影の瞬間までレンズの目の前をカバーで覆う他ありません。

 陽炎と夕立に悩まされるのは真夏の撮影ですが、これからは吹雪、季節柄、此れだけは仕方ありません。しかもレンズに一旦貼り付きますと、その一つの粒が大きいものですから、望遠レンズならば絞りで何とか写らない設定は出来るのですが、広角レンズ等でしっかりと写り込んでしまいます。ただ、白雪舞う雪景色の艦艇基地等は非常に美しいのですがね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の自衛隊行事無し

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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INF全廃条約米離脱問題,不可解!離脱後の米軍に新中距離地対地誘導弾開発と再配備計画無し

2018-12-20 20:03:37 | 国際・政治
■長期国防政策なきトランプ政権
 INF全廃条約米離脱問題について、最大の不確定要素は、離脱後が不明、ということです。中距離核戦力を保持できるようになるが、具体的計画がないし、意味も無い。

 5500kmの射程ミサイルをアメリカ本土に配備した場合でも、例えばロシア沿海州に近いアラスカ州へ配備の場合、沿海州の一部には届く事にはなりますが、現在のロシアの北極圏での開発拡大という背景はあっても、流石にアラスカ州アメリカ本土決戦、というような状況になる程、北極圏での軍事行動は現実的に可能ではありません。つまり使い道ない。

 在欧米軍基地へ配備した場合、ロシアへの強力な抑止力になる事は確かです。実際問題としてアメリカにとっての中距離核戦力の唯一の手法はこの一点に尽きます。沖縄に配備した場合でも届きますが、日本への核兵器前方展開は事実上不可能です。中国や北朝鮮の核兵器は脅威ではありますが、日本政府としてアメリカへ前方展開要請の事例はありません。

 日本の防衛にアメリカが沖縄へ中距離弾道弾を配備する可能性、非常に考えにくいものがあります。核弾頭の持ち込みを行わないまでも弾道ミサイル基地建設というだけでも政治的ハードルは高くなるでしょう。しかし、例えば中国の軍拡が更に進み、例えば現在の001A型航空母艦を当面3隻整備する構想ですが、これが30隻100隻となった場合はどうだろう。

 経済破綻するという視点を除いてもやはり沖縄へ中距離弾道弾を米軍が開発し配備する必要性にはつながりません。核兵器の運搬手段としては狭い沖縄へ中距離弾道弾を配備するよりも、広い太平洋に展開する水中排水量19000tのオハイオ級戦略ミサイル原潜からの潜水艦発射弾道弾SLBMによる核抑止力を展開する方が、遥かに安全で且つ抑止力となる。

 日本にとっては逆にINF全廃条約が無効となったあとで、ロシアが沿海州へ中距離弾道弾を多数配備し圧力をかける方が遥かに大きな問題となります。非核三原則を緩和して東北地方にアメリカの核ミサイル部隊を誘致する、という選択肢が皆無とはいいませんが、それならばINF全廃条約を維持した方が、アメリカにとっても核前方展開の費用を抑え得る。

 不可解である、としたのは、トランプ政権は在日米軍や在欧米軍を大統領選挙中からアメリカにとっての耐えがたい負担である、として撤退を示唆し続けており、大統領就任後に安全保障現勢へ鑑み、その性急な撤収論を取り下げはしましたが、少なくとも在欧米軍や在日米軍の増強へ方針転換した訳ではなく、INF条約離脱の意図が分らないという実情が。

 欧州の防衛力強化を示しつつ、まさかアメリカ製地上発射型中距離弾道弾を今年から開発するので一発一億ドルでドイツやイタリアへ売りさばき、アメリカの雇用強化に充てる、という無茶苦茶な発想はありませんでしょう。実際、ロシアは短距離弾道弾を保有していますが、アメリカは短距離弾道弾という兵器区分そのものを廃止、急な開発は不可能です。

 イージスアショアの販路拡大に核軍拡競争を利用し雇用増進に充てる、という考えも流石にないでしょう。この発想具体的にどうかといえばINF条約崩壊により欧州へロシアミサイル脅威が増大するのでイージス以外のPAAMS艦隊防空システムを採用したイギリスやフランスとイタリアへイージス艦を売り込む、という発想、流石に有り得ないでしょう。

 MQ-9無人機がINF全廃条約に違反となる巡航ミサイルへ転用し得る装備だ、としてロシアなどは反発しています。MQ-9無人機は無人偵察機としての他、1500ポンドまでの兵装を左右各1基搭載する事が可能ですので、F-15EやF-16戦闘機に搭載可能であるB-61核爆弾、自由落下型核爆弾ですが、これならば搭載する事も可能だ、という言い分ですね。

 ロシアの言い分では、成程MQ-9を巡航ミサイルではなく無人特攻機として核武装し突入させた場合、巡航速度は300km/h前後とヘリコプターや新幹線並みの速度ですが、INF全廃条約に抵触し得る、という言い分でしょう。ただ、MQ-9の航続距離は一応5900kmとINF全廃条約を意識したような航続距離となっていますので、実は抵触しない性能という。

 X-47B,開発中止となった空母艦載型ステルス無人機ですが、こちらの航続距離は一応3900kmといいますので、定義の上でこの航空機を陸上から運用した場合、無人機を一種の巡航ミサイルと考えた場合、抵触するのかもしれません。もっとも、INF全廃条約は無人航空機、締結時代はドローンが主体でしたが、これを規制の対象とは見做していません。

 ツポレフTu-141無人偵察機がソ連時代に開発されINF全廃条約締結後でも運用されています。これは1000km以遠を偵察する超音速無人偵察機で、地上発射装置から投射する事が可能です。規制対象としなかったのは、QF-102のような旧式化したジェット機を無人機として空対空ミサイルの標的とする事は普通に行われていた為の米ソ合意があった為です。

 ハーピー無人航空弾薬、イスラエルが開発した自爆型無人機ですが、場合によってはこの種の兵器をアメリカが保有しようとした場合に条約に抵触するのでしょうか。徘徊型兵器という区分でも知られ、目標上空付近を滞空しつつ捜索、目標を発見するとそのまま特攻攻撃を仕掛け自爆するというものです。イスラエル製ですが中国へも輸出されています。

 アメリカの提唱するINF全廃条約が中国などの軍事拡大に対して500kmから5500kmの地上発射巡航ミサイルや弾道ミサイルの保有が不可能、という制限が不利となる旨の主張、例えばアメリカは今後、INF条約枠内の地上配備型極超音速滑空兵器等開発計画が現実的にあるのでしょうか、この射程の兵器は考えられますが、地上配備型の優位性は実際低い。

 地上配備型兵器として500kmから5500kmという射程の兵器は、アメリカの場合は国際公序維持のための外征が第一である為、敵をアメリカ本土に迎え撃つ専守防衛の運用は想定されていません。南北戦争の戦史研究は行っていますが、アメリカ本土での防衛線が検討されたのは第二次大戦の太平洋戦争初期、スチムソン陸軍長官時代が最後ではないか、と。

 太平洋戦争開戦直後は、日本軍への過大評価からアメリカ西海岸への日本軍上陸を真剣に脅威として想定しており、ロッキー山脈を防衛線とするか、五大湖まで内陸誘致の上で内線作戦により決戦を試みるか、という、なかなか壮大な防衛計画がありました。勿論日本陸軍も海軍がオーストラリア上陸を提案しましたが一蹴、米本土は検討さえしていません。

 500kmから5500kmという射程の兵器、アメリカ軍としては特に海軍のトマホークミサイルや空軍の絶対航空優勢下で運用するため、用途として限られる兵器だ、といえます。INF全廃条約が示すのは繰り返しますが地上配備型、しかしアメリカ本土から5500km以内の顕著な脅威というものは存在せず、欧州防衛への在欧米軍としても使い難いものでしょう。

 不可解なトランプ政権、という印象のINF全廃条約アメリカ離脱、しかし、忘れてはならないのはINF全廃条約が解消しロシアが中距離核戦力を再整備した場合は、イスカンダル短距離弾道弾等による脅威は現在であれば北海道と東北北部に限られているものですが、ロシア軍に中距離核戦力が再整備された場合は確実に日本全土がその射程内となります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】若宮八幡社,名古屋総鎮守神社本庁別表神社は栄町と電気街大須を見守る

2018-12-19 20:03:05 | 旅行記
■仁徳天皇祀る名古屋総鎮守
 名古屋、日本三大都市圏中京地区の中心、個性溢れる自動車と航空産業の先端工業都市、そんなハイカラ都市の総鎮守を探訪してみました。

 若宮八幡社、名古屋総鎮守と神社本庁別表神社として崇敬を集める名古屋市中心部中区栄の神社です。大宝年間年間の八世紀初頭、701年頃に仁徳天皇を祭神として創建され、名古屋城三ノ丸あたりに社殿を構えていました。一時荒廃し延喜年間の10世紀頃再建される。

 那古野神社という、この那古野が名古屋の地名となった由来があるのですが、若宮八幡社は創建当初と延喜年間の再建当初にこの那古野神社と隣接していた歴史があるといい、しかし那古野神社と共々に1532年、兵火の巻き添えを食う形で全て焼失してしまったという。

 仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命を祀るこの神社が再建されたのは焼失から80年程を隔てた天文年間の1540年に織田信秀、織田信長の父により再建されました。織田信秀とこの地は、葬儀がここから徒歩数分の萬松寺にて執り行われ、実は現在の社殿と所縁があります。

 織田信秀により再建された若宮八幡社は、豊臣秀吉治世下に200石の寄進を以て境内を広めました。ただ、1610年に清州城廃城に伴う名古屋城造営と共に城の縄張り予定地にあった若宮八幡社は遷座を余儀なくされ、名古屋総鎮守として現在地に社殿を築き今日に至る。

 二百歳の狐が住んだ地として、お稲荷様も祀られている。二百歳の狐とは富士裾野に住んだ雄狐が駿府の殿様が行った大規模な狩り、当時は軍事演習の意味ですがこの影響で富士の裾野から追いやられ、東海道旅していたところ豊川稲荷近く二川の雌狐と結ばれました。

 狐の夫婦は江戸時代に境内にあった芝居小屋の近くを犬が来ない好立地として住み着き、ある日に芝居小屋の主人にこの地へ永住したい故神主に掛け合ってほしいと頼み、これは吉兆として境内の楠林を供した事で永くこの地に安寧を齎したとの言い伝えがあります。

 尾張藩藩主徳川光友より社領100石を拝領したのと同時期、狐の夫婦の伝承は天保年間の話であり、二百歳の狐から遡ればその頃の駿府の殿様は大御所様では、と思うのですが、二つの出来事もあり、この地は大いに栄え、鉄砲町として製造業も盛んであったもよう。

 名古屋、いい意味で中途半端、悪い意味で新しい物好き、という印象があります、中途半端とは人口200万都市で大都市機能を集約しようとした為に深みが無く、新しいもの好きとは建て替えたがる。なんでも名古屋市の方が京都市よりも寺社仏閣数だけは多いという。

 寺社仏閣が多いという点を強調した背景には、昨年でしたか名古屋市の都市魅力度が候補市中最下位という実情を嘆いた地元民放テレビ局が名古屋の見どころを調査する一大特番を連日夕方に組み、その際に京都よりも多い点を大々的の報じたという話を知人伝手に聞いたためです。

 京都市よりも名古屋市が多くの寺社仏閣を集めるというものの、そうした印象が薄い背景に名ばかり寺社仏閣が多い実情がありまして、寺院と名を掲げつつ本堂が商業ビルとなっており、もしくは寺域をマンションに建て替え、一室を本堂としている事例もある程です。

 名古屋には前述の織田信秀所縁の萬松寺もマンション寺のように昨年建て替えられてしまいました。名古屋の新しいもの好き、とは古いものを評価せず建て替えたがるよう見えまして、名古屋城復興天守建て替えも同様に思える一方、若宮八幡社の佇まいは安心します。

 名古屋総鎮守の若宮八幡社は名古屋市東西の100m道路に面し、若宮大通として防災上の最大の防火帯として知られていますが、この若宮大通がここ若宮八幡社に由来するといいます。名古屋は東南海地震や東海地震へここを防火の切り札とし、総鎮守の前に100m道路を整備したのかもしれませんね。

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新防衛大綱閣議決定,F-35戦闘機大幅増強-いずも型護衛艦F-35B搭載-護衛艦部隊再編増強

2018-12-18 20:01:10 | 国際・政治
■中国-ロシア-北朝鮮圧力へ対応
 新防衛大綱、閣議決定が本日正式になわれました。中国海洋進出と日本本土周辺軍事行動や北朝鮮核兵器及び弾道弾開発にロシア脅威再活性化へ正面から向き合うものです。

 本日12月18日、新防衛大綱“平成31年度以降に係る防衛計画の大綱”と“中期防衛力整備計画(平成 31 年度-平成 35 年度)”が国家安全保障会議決定を経て閣議決定されました。新防衛大綱は政府が示す我が国防衛政策に関する長期計画であり、中期防衛力整備計画は今後五年間にわたる中期事業計画を以て新防衛大綱を具体化する為の政治決定です。

 日本の防衛政策を考える際に注視すべき点は、中国の001A型航空母艦量産と南シナ海地域人工島基地建設を筆頭とする海洋進出と共に西日本沖まで進出する中国ミサイル爆撃機脅威で防衛正面が南西諸島から西日本へ展開しつつある現状、米軍圧力により一時沈静化しつつ核武装とミサイル開発を進める北朝鮮、そして30万規模演習を行うロシアの脅威など。

 F-35B戦闘機として垂直離着艦が可能な新型機を導入し満載排水量27000tの護衛艦いずも型等からの運用基盤を構築、島嶼部防衛用へ新型巡航ミサイル部隊の新編、旧式化が顕著であるF-15-Pre-MSIP型後継機としてのF-35A戦闘機増強、陸上配備型イージスシステム整備を通じた日本本土核攻撃脅威払拭、立ちはだかる財政難予算不足、大綱の焦点は多い。

 陸上自衛隊の定員について新防衛大綱は編成定数を15 万9000名としており、この内の常備自衛官定員を15 万1000名とし、即応予備自衛官員数を8000名としました。常備自衛艦定数を増員した分、即応予備自衛官定数が最盛期の15000名と比し大きく縮小されており、兼業自衛官というべき制度の限界が考えられます。一方、現役定員増は朗報といえる。

 陸上自衛隊は機動運用部隊と地域配備部隊として、全国へ支援へ展開する部隊と貼り付ける部隊を分けています。新大綱ではこれらの内訳は以下の通り。機動運用部隊は3個機動師団、4個機動旅団、1個機甲師団、1個空挺団、1個水陸機動団、1個ヘリコプター団。地域配備部隊は5個師団と2個旅団、この点において現防衛大綱と比し変化はありません。

 戦闘ヘリコプター部隊については明示はありませんが、後継機無き既存機老朽化用途廃止が続いています。この点については中期防衛力整備計画に“戦闘ヘリコプターについて、各方面隊直轄の戦闘ヘリコプター部隊を縮小するとともに、効果的かつ効率的に運用できるよう配備の見直し等を検討”の明示があり、総隊直轄部隊等へ集約が考えられましょう。

 基幹部隊は。地対艦誘導弾部隊に5個地対艦ミサイル連隊、島嶼防衛用高速滑空弾部隊に2個高速滑空弾大隊、地対空誘導弾部隊 7個高射特科群/連隊、弾道ミサイル防衛部隊 2個弾道ミサイル防衛隊とある。弾道ミサイル防衛部隊は陸上自衛隊イージスアショア部隊、全くの新編が島嶼防衛用高速滑空弾部隊で超音速巡航ミサイル部隊、従来に無い装備体系だ。

 戦車定数と火砲定数については別表に記載がありません。しかし、備考として“戦車及び火砲の現状(平成 30 年度末定数)の規模はそれぞれ約 600 両、約 500 両/門であるが、将来の規模はそれぞれ約 300 両、約 300 両/門とする”と明記され、実質は当面300両と300門までの削減が棚上げされた事を意味します。縮小一辺倒の重火力に漸く終止符です。

 海上自衛隊について新防衛大綱別表では以下の通り。水上艦艇部隊は護衛艦部隊4個群と8個護衛隊、護衛艦-掃海艦艇部隊2個群13個隊、とあります。護衛艦-掃海艦艇部隊についてはこれまでにない表示で、恐らくコンパクト護衛艦として設計された30FFMが旧沿岸警備用二桁護衛隊から機動運用へ一つの群規模で集約される事を意味するのかもしれません。

 30FFMについては基準排水量3900tと比較的大型の護衛艦が整備されますが、中期防衛力整備計画には“新型護衛艦(FFM)や掃海艦艇から構成される2個群を保持し、これら護衛艦部隊及び掃海部隊から構成される水上艦艇部隊を新編”とあり、30FFMは限定的な機雷戦能力を有している為、かつて新編当時の第3護衛隊群の様な運用も念頭に置くのでしょう。

 潜水艦部隊6個潜水隊と哨戒機部隊9個航空隊、基本的にこの編成は踏襲されます。この点に別表では詳しい記載がありませんが、潜水艦隊に関する2個潜水隊群の明記が無くなりました。2個群には艦隊運用や整備補給の観点から相応の意味はあったのですが、単独戦術運用を自己完結可能である潜水艦の運用特性上、全て潜水艦隊へ集約するのでしょうか。

 海上自衛隊装備定数について。護衛艦54 隻、このうちイージスシステム搭載護衛艦8隻、潜水艦22 隻。哨戒艦12 隻、作戦用航空機約 190機、とのこと。哨戒艦は新区分となります、しかし、哨戒艦の任務は基本的に海上保安庁の専管である為、例えば海賊対処任務等の遠隔地での任務や、30FFMの軽装備派生型というようなものを想定するのでしょうか。

 航空自衛隊は新防衛大綱別表において、以下の部隊を整備します。戦闘機部隊13 個飛行隊、航空警戒管制部隊28 個警戒隊1個警戒航空団3個飛行隊、空中給油-輸送部隊2個飛行隊、航空輸送部隊3個飛行隊、地対空誘導弾部隊4個高射群24 個高射隊、宇宙領域専門部隊1個隊、無人機部隊1個飛行隊。空中給油部隊は増勢、無人機部隊や宇宙部隊は新編となる。

 F-35B戦闘機については新防衛大綱別表の備考欄に“上記の戦闘機部隊 13 個飛行隊は、STOVL機で構成される戦闘機部隊を含むものとする”と明示されています。13個飛行隊は現在の戦闘機部隊数と変化在りません。ただし、第四世代戦闘機の半数と第三世代戦闘機の全てが第五世代戦闘機へ置き換えられ、第4.5世代戦闘機と共に質的強化が進みます。

 中期防衛力整備計画、今後五年間の我が国防衛力整備に関する中期計画も新防衛大綱と同時に国家安全保障会議決定を経て閣議決定となりました。この中期防衛力整備計画は平成31年度から平成35年度までの中期における部隊編制や装備計画の概括とともに主要装備の調達を明示しています。それでは新防衛大綱と同じく、別表に焦点を当ててみましょう。

 陸上自衛隊装備は、今後五年間で機動戦闘車134 両、装甲車29 両、新多用途ヘリコプター34 機、輸送ヘリコプターCH-47JA3機,地対艦誘導弾3個中隊,中距離地対空誘導弾5個中隊,陸上配備型イージス-システム/イージス-アショア2基,戦車30 両,火砲40 両,以上となっています。戦車縮小計画中断により若干数ですが10式戦車の量産は継続されると分かる。

 海上自衛隊装備の今後五年間の調達計画は、以下の通り。護衛艦10 隻、潜水艦5隻、哨戒艦4隻、その他4隻、自衛艦建造計23 隻(トン数)(約 6.6 万トン)、P-1固定翼哨戒機12 機、Sh-60K/K哨戒ヘリコプター13 機、艦載型無人機3機、MCH-101掃海-輸送ヘリコプター1機。SH-60KKは新型、護衛艦は毎年2隻、哨戒艦が1隻弱建造されるという。

 MQ-8無人ヘリコプターが導入されますが、中期防に “哨戒ヘリコプターと艦載型無人機の内訳については、「平成 31 年度以降に係る防衛計画の大綱」完成時に、有人機 75 機、無人機 20 機を基本としつつ、総計 95 機となる範囲内で「中期防衛力整備計画(平成 31 年度~平成 35 年度)」の期間中に検討することとする”20機程度の調達が明示さました。

 航空自衛隊の装備調達計画はF-35A戦闘機45 機、E-2D早期警戒機9機、F-15戦闘機能力向上20 機、KC-46A空中給油-輸送機4機、C-2輸送機5機、PAC-3 MSE地対空誘導弾ペトリオットの能力向上4個群16 個高射隊、グローバルホーク滞空型無人機1機、とあります。F-35A戦闘機は毎年9機程度の取得が行われる、若干伸びましたがまだ不十分です。

 RQ-4グローバルホーク無人偵察機について、運用所管がこれまでは陸海空共同部隊が行うという指針でしたが、航空自衛隊に新飛行隊が置かれ機体を調達、新防衛大綱と中期防衛力整備計画に航空自衛隊の所管となる事がこれで明示された事となります。これは部分的に老朽化が進むRF-4戦術偵察機の後継にもRQ-4が充当される事を意味するのでしょう。

 F-35Aのみの取得が明示されF-35Bについては別表に明示がありませんが、こちらは備考欄として“戦闘機(F-35A)の機数 45 機のうち、18 機については、短距離離陸・垂直着陸機能を有する戦闘機を整備するものとする”とあり、護衛艦からも運用可能であるF-35Bは一応18機が揃う事となります。厳しい安全保障環境の中、こうした政策が閣議決定されました。

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EV-22艦上早期警戒機案,いずも型ひゅうが型護衛艦センサーノード機F-35Bに代わる選択肢

2018-12-17 20:03:07 | 先端軍事テクノロジー
■サーベラス早期警戒システム
 あらゆる可能性を検討、という視点から海上自衛隊がミサイル長射程時代の将来水上戦闘に用いるセンサーノード機、F-35B以外の選択肢があり得るのかを考えてみましょう。

 F-35Bがセンサーノード機として将来の水上戦闘には必要となる、対艦ミサイルの射程は中ロ両国で年々延伸しており、欧州は空対艦ミサイル艦載化で遠からずこの潮流に対抗、アメリカも長射程化を構想している中、何れ日本も長射程化する。一方でシチルシステムや中華神盾を筆頭に広域防空艦が増大し、哨戒ヘリコプターによる索敵誘導に限界が来る。

 EV-22という選択肢はないか、こうしたご意見が本論へ寄せられまして、実はこの視点、別の議論の場でも寄せられた視点でして、ある種必然的な論理の帰結なのかな、と考えました。EV-22,英海軍が提案を受けていたV-22のAEW型構想ですね。V-22については陸上自衛隊のMV-22可動翼機取得も開始されますので、V-22運用基盤はまもなく千葉県木更津に整備されます。

 EV-22,方法論としては有り得るでしょう。問題は英海軍がAW-101-AEWに決定した、という点です。機体規模と機体構造の関係からE-2DのレーダーシステムをそのままV-22へ搭載してEV-22,とすることは出来ません、レーダーが回転翼に干渉しますし、残念ながら主翼が可動翼となっているV-22の構造上、重量あるレーダーの追加を行うには再設計が要る。

 EV-23,一つ増える可能性が。V-22の主翼上にレドームを搭載する場合、簡単な改修では終わらず、新造、それもV-23という規模の新型機を開発する事になるでしょう。海上自衛隊がP-1哨戒機を断念して50機や60機と調達する場合でも、開発費や初度費でE-767をも凌駕する費用を要することになる懸念があります、なにより日本以外に必要とする国が考えにくく、しかし日本独自での開発となれば2020年代に完成するとは思えません。

 イギリス海軍方式で、艦載機での早期警戒機を考えた場合、現実的にはAW-101-AEWが搭載するオルシデ戦場監視レーダーとサーベラス早期警戒装置を搭載する、という選択肢となるでしょう。オルシデ戦場監視レーダーは離着陸時においてアンテナドームを胴体に収容します。イギリス海軍では汎用性を考え、AW-101-AEWは既存AW-101から対潜機材を置き換える事でAEW機にするという。

 AW-101-AEWはE-2CやE-767のような胴体上のレーダーを搭載せず、下に向けている。離陸後巡航高度に到達すると共に胴体から機体下部へ展開する方式を採用しています。この場合、逆に海上自衛隊のMCH-101掃海輸送ヘリコプターへサーベラス早期警戒装置を輸入し搭載した方が、費用面で現実的なのかもしれません。イギリス海軍の運用を考えた場合、MCH-101の機内に掃海モジュールに置換える事は不可能ではない。

 タレス社製サーベラス早期警戒装置は、機内に2名用管制コンソールと2名情報処理コンソールを配置するもので、AW-101ならば滞空時間は3時間と長く、機内容積には交代要員の待機も可能です。予算面で余裕があれば海上自衛隊が独自にCV-22として艦隊輸送用にV-22を取得、サーベラス早期警戒装置を搭載、ECV-22として運用する事も可能でしょう。

 シーキングAEW-7- ASaC7改修型の性能で最大400目標の識別追尾とリンク16による情報共有が可能となっていましたので、後継のAW-101-AEWは少なくとも同程度以上の性能を有していると考えられますが、一方で忘れてはならない点として、AW-101-AEWには充分な索敵能力が、少なくともSH-60Kよりも高い索敵能力があるとして、生存性はどうか。

 F-35Bが有するセンサー能力で忘れてはならないのは、EO-DASシステムに代表される複合型光学情報装置で、APG-81レーダーに代表されるレーダーの様に電波を発信し敵脅威対象に標定される事無く、情報収集も可能です。そして脅威対象が広域防空艦を有する場合はASQ-239脅威電波発信源位置標定も可能です。更に何より、ステルス性を有している。

 冒頭に提示した通り、SH-60Kでの索敵が困難になる要因は彼我のミサイル射程増大とともに、広域防空艦の普及があり、敵艦対空ミサイルの射程数百km圏内での生存性を確保する事が求められます。勿論、更に長い数百km以上の索敵能力を付与する事も選択肢の一つでしょうが、現実的にはステルス性のある航空機が望ましい。すると、残念ながらEV-22やAW-101-AEWには限界があると結論づけられます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】ひゅうが特別公開-横浜開港一五〇年祭,新時代DDH艦内探訪記(2009.09.06)

2018-12-16 20:16:30 | 海上自衛隊 催事
■新時代は全通飛行甲板型護衛艦
 ヘリコプター搭載護衛艦の新時代は全通飛行甲板型時代となりました、そのはじまりが、ひゅうが、です。

 ひゅうが横浜港開港150周年特別公開、ひゅうが型2隻、ひゅうが、いせ。いずも型二隻、いずも、かが。全通飛行甲板を備えた護衛艦は航空機運用という視点で多用途運用能力があり、日本の海上防衛力が独自防衛力で展開できる分野を一応は広めたといえます。

 横浜港開港150周年、前回の特集では横浜港を幕末に開港した幕府の尽力、そして明治政府が軍事脅威へ対応しつつ近代日本の萌芽を確たる水準まで引き上げる際の生みの苦しみに横浜港拡張を挙げました。年々増大の貨物量、しかし港湾を拡張する予算はありません。

 1886年に転機があります、アメリカがかつて日本が支払った賠償金78万8000ドルを返還することで日米合意に至ったという。賠償金というのは江戸時代に長州藩が行った下関事件、四カ国連合艦隊の反撃で長州藩が壊滅した際、幕府が支払った賠償金の返還です。

 現首相の地元ですので叩くのは一考しましたが、あの頃の長州藩は無茶苦茶な危険分子でしてそういえば御所に銃弾を撃ち込んだ蛤御門も長州でした、そして賠償をになったのは幕府だったわけですね。幕府が日本の正統政府として賠償していなければ、どうなったか。

 中国の上海租界のように山口市はなっていたのかもしれません。閑話休題、当時の78万8000ドルですので、それは大きな金額でした。賠償金というものは返還されるものなのかは少々おどろきですが、外交上独立国としての地位を固めた日本へのアメリカの期待か。

 イギリスのパーマー技師、内務省嘱託の技師によりこの返還賠償金を元に全長457mという4000t級商船6隻の同時接岸が可能な容量を有する巨大な鉄製桟橋が横浜港に増築されることとなり、逐次増加に個別に対応させていた桟橋の荷役容量不足を一挙に解消します。

 4000t級商船6隻の同時接岸が可能という新しい桟橋は、のちに大桟橋、現在の横浜大桟橋と呼ばれるようになりました。草創期からの突堤には鉄道線が開通、旅客船から新橋行へ乗換でき、陸蒸気と珍重されたのも昔の話で鉄道線として陸運の花形へ昇華した鉄道です。

 しかし、横浜港には国際港湾として重要なものが欠けていました、それはドックです。横浜の近代化は、ホテルや商店が並び、各国料理や病院なども開設され、売弁と呼ばれる通訳や商業仲介人が上海租界や香港から日本に拠点を築き賑わうも、港にドックが無かった。

 国際港湾としてドック、船渠、いろいろ言い方はありますが不可欠なものでした、何故ならば国際航路は長距離で現在の旅客機と異なり長期間の航海を行わなければならず、これは必然的に船体の損傷や老朽箇所補修を必要とするものです、国際港湾の必要条件の一つ。

 国際港湾のドック、空港の整備施設というようなものでしょうか、これがなければ単なる発着場となってしまう。1891年に東京の実業家渋沢栄一が発起人となり、船渠造営における我が国第一人者である恒川柳作海軍造船官を招き、横浜船渠の建設が開始されました。

 日本人の手で行われる船渠建設、これはパーマー技師が突如病没し、やらざるを得ない状況にあったというわけなのですが、建設開始、途中に1895年の日清戦争勃発などで戦費が嵩む事もありましたが先に1898年、二号ドックが完工、1899年に一号ドックが完成する。

 横浜港から世界へ結ぶ航路は1896年に日本郵船が完成成った大桟橋から北米サンフランシスコ航路、豪州シドニー航路、欧州ロンドン航路を相次ぎ就航させ、横浜港は一挙に日本の船会社により世界とを結ぶ航路へ発展します。ここで、ひゅうが、一般公開されました。

 その後、しかし1923年の関東大震災では大桟橋が崩落全壊するなど、試練の時を迎えますが、大桟橋は耐震構造の鉄筋コンクリート構造へ頑強に生まれ変わり、あの太平洋戦争さえも生き延びました。そして膨大な震災瓦礫は山下公園造成へ利用され、今日に至ります。

 神戸港の発展、同時にこれは期せずしてのことですが、関東大震災の荒廃は代替港として神戸港を大きく発展させることとなります。無論横浜港の重要性は些かも代わらず、政府は震災翌月に早速横浜港の復興に着手しました、前述の耐震構造大桟橋へと続くのですね。

 関東大震災は、しかし世界からの救援の窓口として機能したことも特筆しておきたく、世界へ開かれた横浜港には多数の各国商船が接岸中、アンドレルボン号やエンプレスオブオーストラリア号などの大型船が日本郵船などの日本船とともに被災者救出にあたりました。

 昨今、日本の海の玄関口であった東京港晴海埠頭がレインボーブリッジ建設により60m規模の高さを有する大型客船が入港できなくなり、結果的に、行政の不作為というお粗末な事由ですけれども、10万トン級超大型クルーズ船の横浜入港の増大という僥倖を得ました。

 横浜港の歴史は、しかし第二次世界大戦において突如米軍が瑞穂埠頭を無期限接収することとなり、しかも1956年まで商港として全面返還に至りませんでした。サンフランシスコ講和条約とともに港湾施設を部分的に使用することは出来るようになっていたのですが。

 横浜港は、全面返還は日本が日ソ基本条約を締結し国連に加盟した1956年までまつ必要がありまして、実のところ横浜港とともに歴史を歩んだ横浜の戦後復興は大きく遅れることとなり、一方復興へ工業力を高めるには横浜港は不可欠、官民一体となり返還要求を行う。

 占領下の横浜港ですが、全く港湾施設が使われなかったかと問われればそうではなく、軍需輸送に依存する状況が醸成されます。連合軍の、具体的には進駐軍と1950年からは朝鮮戦争にともなう軍需輸送の中継地として細々と復興の端緒を探るほか無かったわけですね。

 しかし、返還後は国際航路へ運良く特務艦としての戦争を生き残ることが出来た太平洋航路用旅客船氷川丸と、そして各国から導入した船舶とともに自分で稼ぐ方式の正当な戦後復興を成し遂げ、横浜港一等地に米軍接収の瑞穂埠頭にかわる埠頭造成を大車輪で進めた。

 今日の横浜港が再建されました。今日では旅客船はクルーズ船となり定期国際航路はなく、船員街というものは自動化されたコンテナ埠頭へ生まれ変わりました。湊町情緒、という、ものが失われた事に郷愁を覚える方も年々減り、なるほどそんな時代もあったのか、と。

 港とは物流拠点として点と船を結ぶ点に過ぎないのか、それとも瀬人や人と人の交流の拠点ともなる複合的な拠点なのか、後者については懐古趣味的な思い出の価値観とは成りましたが、横浜は世界に冠たる300万都市として湊町から商都に発展し、今日に至ります。

 大桟橋は2002年に増大する巨大クルーズ船へ対応するべく、高さを抑えた、しかし、クジラの背中ウッドデッキという優美なデザインを取り入れた美しい大桟橋へ生まれ変わりました。新しい大桟橋では明治時代から今日に至る大桟橋の模型なども展示されています。

 ひゅうが一般公開はここ大桟橋で行われるとともに観艦式では護衛艦ひゅうが艦内、更に大型のヘリコプター搭載護衛艦いずも就役後は護衛艦いずも、艦内にて海洋安全保障シンポジウムを挙行することとなり、その際に改めて大桟橋の巨大さを体感する事が出来ます。

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【くらま】日本DDH物語 《第五一回》ヘリコプター巡洋艦構想と第一次石油危機の衝撃

2018-12-15 20:09:20 | 先端軍事テクノロジー
■高度経済成長時代の終焉
 戦後日本の空母建造計画、しかし、その将来展望は高度経済成長と高まる防衛任務増大が背景でした。

 はるな型護衛艦に続く新護衛艦、しらね型護衛艦しらね、くらま、2隻が建造されることとなりますが、当初ヘリコプター搭載護衛艦は2隻で護衛隊を編成することが画定していました。したがって、はるな型護衛艦は3番艦が建造される事が自然でしたが、ひえい竣工が1974年となります。護衛艦は建造を決定しても計画から建造と就役までの時間が長い。

 ひえい建造は1969年度計画ですので、石油危機の1973年とは直接の関係はありませんが、はるな運用実績に依拠して次の護衛艦を、という慎重な姿勢が結果的に三番艦の建造時期と石油危機が重なることとなりました。この頃は自衛隊では73式装甲車の装甲戦闘車化構想や74式戦車の量産、最新戦闘機F-4EJや国産ジェット輸送機C-1量産が行われたころ。

 ひえい建造後、そのまま3番艦建造へ進むことが出来なかったのは日本経済の急減速、七年間でGNP/GNIが倍増する希望に満ちた経済が数十年で半減するマイナス成長に突如急停止したのですから、まず護衛艦はるな、ひえい建造とともに第三次防衛力整備計画の確実な実現と当時定められていました第四次防衛力整備計画の着実な実施を、となります。

 こうしますと特に第四次防衛力整備計画は結局長期計画を物価の乱高下で長期計画を示すことが出来ません、一番艦を予算通り建造した場合でも四隻五隻と建造してゆけば数割建造費用が違う物価の乱高下、従って長期計画と中期計画を分けることとなります。デフレ脱却が叫ばれる現代ですが、当時のインフレで物価が確実に上昇する状況は想像が難しい。

 防衛計画の大綱は1976年に第一次防衛大綱が画定します。驚くべき事に冷戦後まで見直されることがなかった防衛大綱ですが、この画定も当時は第一次防衛力整備計画から連綿と第四次防衛力整備計画まで明示し、着々と防衛力を整備していたものの、長期計画で調達を明示できないため、まず防衛力の必要な指針を示した上で中期計画を作成する事になる。

 現在の中期防衛力整備計画に繋がるポスト四次防、中期業務見積と発展してゆくこととなるのですが、期せずして防衛大綱の解釈が、必要な防衛力整備の指針であったはずが、予算上調達して良い装備数の上限、と転じていったのはご存じの通り、ちょっと論理脱線しました。とにかく中央官庁にも十年後の日本、というものが読めない時代が到来します。

 ひえい、に続く護衛艦を即座に建造できなかったことで、ヘリコプター搭載護衛艦の要求へ若干の間隙が生まれます。こうして幾つかの変要素が生まれます、最たる事は護衛艦はるな型のHSS-2対潜ヘリコプターを海上運用する事の有用性が確認されるとともに、3機は運用上ぎりぎりの数であり、運用面からはもう少し器材の余裕というものが必要でした。

 ヘリコプターはDDH搭載のみ、整備中と交代機に実任務機と長期的に飛行を継続させるためには3機では常時1機しか飛行させることができず、4機ならば部分的に2機を対潜哨戒に、6機搭載したならば2方面での常続的対潜哨戒を可能とできる、というものです。こうしますと、やはり次のヘリコプター搭載護衛艦は大型化が必要、ということになります。

 8300t型ヘリコプター巡洋艦構想は、こうしたなかの検討として生まれました。全通飛行甲板を採用する事はなく、船体内部に航空機格納庫を配置し、エレベータにより飛行甲板へ航空機を展開させるという、イタリア海軍のヘリコプター巡洋艦ヴィットリオヴェネトや、フランス海軍のヘリコプター巡洋艦ジャンヌダルクが、ヘリコプターを搭載する方策です。

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平成三〇年度十二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.12.15-12.16)

2018-12-14 20:12:01 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 暖冬といわれつつもいよいよ寒さが本格化して参りました今週末ですが、基地祭や航空祭に駐屯地記念行事などは行われません。

 今週末の自衛隊行事無し、という際にはほんわかとエアコンの掃除や録画した映画の整理や外付けHDの補正等に時間を費やしたいところですが、自衛隊行事が無いからこそ楽しみたい基地周辺散策について、海上自衛隊基地遊覧船で不定期運航の物ばかりを紹介してきましたが、折角足を運んだのに本日は不定期運航にて運航日ではないとなっては悲しい。

 横須賀の吉倉桟橋を一望するヴェルニー公園、佐世保の倉島桟橋と立神桟橋を眺める佐世保港、舞鶴の北吸桟橋を一望するフェリー埠頭、呉基地の係船堀桟橋と潜水艦桟橋を眺めるアレイからすこじま公園など、基地を望見する事が出来る観光地は多くあります、しかし、こうして陸上から見るだけでは少々悲しい、そこで活用したいのは定期船や連絡船だ。

 呉港からは広島港への定期船が運行されていまして、ここを航行しますと、かるが浜沖など潜水艦や護衛艦の航路を進みます、運が良ければ護衛艦や潜水艦と練習艦が真横を航行する事もあります、非常に近い場所を航行しますし、呉港から広島港まで、呉線と路面電車利用よりも早く移動する事が出来ます、ちょっとした船旅、観る者は非常に多いですよ。

 さて撮影の話題を。自衛隊行事を撮影する上でいちばんいいカメラは何か、と問われましたらば、やはりお勧めしたかったのはEOS-KissX7です。CANONの入門機種ですね。実はCANONショールームでは散々な言われ様でした、なんでもビンゴゲームの景品などにも活躍している、という。要するにEOS-KissX7はCANONとしては安物だ、という発想なのでしょうね。

 EOS-KissX7、しかし2015年から毎日使っていますが、この機種は間違いがありません、まず、電力消費量がコンパクト機種やミラーレス一眼より遥かに少ないので一日中数百枚を撮影出来る、デジタル一眼レフはセンサーとミラー部分の駆動以外に電気を無駄遣いしませんので当たり前ですが。バッテリー残量ばかり気にしていては良い写真は撮れません。

 写真を撮りたい状況に素早い、九点AFにより意外なほどにピントが素早く合致すると共に、電源が右手親指の位置にありますので操作性が高く最初の一枚を確実に収める事が出来る。その上でですが、価格帯が三万円台前半と入手しやすい。KissシリーズはCANONの入門機種です。X7はその中で最も性能を簡略化していましたが、必要な性能は充分備えているのですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の自衛隊行事無し

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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新防衛大綱-F-35B戦闘機四〇機取得の政府方針,いずも型ヘリコプター搭載護衛艦等から運用

2018-12-13 20:18:31 | 国際・政治
■F-35B,新中期防で飛行隊新編
 ヘリコプター搭載護衛艦からの垂直離着陸も可能であるF-35B,政府はかなり本腰を入れて整備するようです。

 100機が追加導入される方針のF-35戦闘機について、このうち垂直離着陸能力を有し護衛艦の艦載機として運用可能なF-35B戦闘機、産経新聞本日付の報道によれば40機の導入を念頭とし、新中期防衛力整備計画に盛り込まれる今後五年間の装備調達では20機を取得し、最初の飛行隊を創設、続いて40機体制の完成と共に2個飛行隊体制を構築するとの事です。

 中期防衛力整備計画へF-35B戦闘機を20機盛り込み、との報道ですが、これで新中期防衛力整備計画に100機のF-35取得が盛り込まれる可能性は無くなりました。ただし、現在取得中のF-35A戦闘機42機により、度を越して老朽化が進むF-4EJ改戦闘機の更新事業は完了します。続いて航空自衛隊は並行しF-2戦闘機後継機事業での開発本格化時期が来る。

 F-15J戦闘機102機とF-35戦闘機142機にF-2戦闘機88機、F-35戦闘機100機の追加事業が新中期防に続く次期中期防に完了するのか、またはさらに長期の機関を要するのかは不明ですが、2020年代には基本的に上記戦闘機が我が国防空を担う事となります。一方、40機のF-35B,実はこれほどの本腰での調達を行うとは、と少々驚かされるものでした。

 局地戦闘機、こう表現しますと紫電改や雷電のような大時代的な印象を与えますが、F-35Bは主要基地が破壊された場合の復旧まで、地方空港や代替滑走路に護衛艦などを拠点として航空優勢維持に充てる、との運用が政府部内からの説明として為されていました。しかし、この種の運用を航空自衛隊が元来重視しておらず、実は後者を政治が、と考えた事も。

 いずも型護衛艦、ひゅうが型護衛艦からの運用を航空自衛隊が本命視するとは考えにくく、航空自衛隊としては海上自衛隊への協力よりもF-15後継機としてのF-35A取得が最優先であり、寄り道する余裕はないという印象でしたので、例えば護衛艦改造費用のみが中期防に計上され米海兵隊F-35Bでの評価試験予算のみ盛り込まれるのではないか、と懸念した。

 結果的にF-35Bは航空自衛隊が導入する場合でも、少数機に留まるのではないか、という危惧もありました。危惧と表現するのは少数機であればる程、運用費用は機種が増える分だけ確実に上昇する点と共に、運用実績や経験蓄積等で非常に不利となる為です。しかし、40機という数字、現在取得される42機のF-35Aにほぼ同等の機数が導入、これは驚きだ。

 南西諸島航空優勢確保、政府部内ではF-35Bを40機必要とする程に厳しく認識されているのでしょうか。実際、紀伊半島沖まで長距離巡航ミサイルを搭載するH-6ミサイル爆撃機が飛来する昨今、南西諸島が中国の脅威に、という認識は民主党政権時代の懐かしい話であり、指揮中枢破壊を期する首都圏ミサイル飽和攻撃という懸念も杞憂とは言い切れない。

 海上自衛隊が全通飛行甲板型護衛艦を採用した時点で、F-35Bをセンサーノード機として構想、これはこれまでデジタル化された艦隊防空システムとデータリンク基盤整備と指揮統制システム構築を優先し、幾度かハリアー攻撃機やファントム戦闘機を導入する機会が在りながら、実際に取得しなかった為、独自の戦闘機への関心度の低さから推測できます。

 航空母艦を整備して航空優勢確保へ、という視点が海上自衛隊に全くないかと問われれば、いつかは伊豆に別荘をせめて湖北にログハウス、と我々が願う程度には考えているのでしょうが、航空優勢確保は航空自衛隊の任務であり、海上自衛隊として新しい任務を抱え込むほどに余裕が無い点を差し引けば、いつか、という範疇を出るものではありません。

 F-35B戦闘機、飛行隊編成について航空自衛隊が20機調達を以て飛行隊を編成している、という部分は、空軍型の編制を想定しているといえるでしょう。米海軍空母航空団や海兵航空団では10機から12機を飛行隊編成としていますので、実は減耗予備機等を度外視した場合、40機とは4個飛行隊所要ともいえるのですが、編成上は航空自衛隊型となります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】等持院,足利尊氏眠る萬年山に響く軋み音は此処が静寂に包まれていると知る

2018-12-12 20:11:38 | 写真
■名勝等持院の庭,その静けさ
 観光客過多と外国人多寡をオーバーツーリズムと格好良く問題視する今日この頃ですが、静かな場所はまだまだ多い。

 等持院、臨済宗天龍寺派の寺院であり、北大路通りが西大路通りへと至り、左大文字山の風景とともに金閣寺から竜安寺へと至る“きぬかけの路”から少しだけ南へ位置する、静かな場所です。山号は萬年山といい、北区等持院北町、とその名は地名ともなっています。

 足利尊氏墓所として知られる等持院は元々、足利尊氏により建立された寺院なのですが、その等持院とは京都市の中心部、中京区柳馬場御池の界隈に暦応年間の1341年に建立されました。本来ここが等持院であったのですが、惜しくもやはり、応仁の乱に焼かれました。

 福島正則が元和年間1616年、方丈を妙心寺海福院から移築したという天井の高い、しかし音を吸い込む伽藍と磨き上げられ小気味良く軋む木床に歩みを任せてゆきますと、そこには庭園が広がる。そして其処で初めて軋む音の響きとは此処が静寂に包まれていると知る。

 康永年間の1343年、現在の地に別院北等持寺として建立されたのがその始まりです。別院の尊氏墓所、もちろん日本近現代史の転換点である明治維新や文明開化と共にその伽藍は一部が失われ、一部が損壊しましたが、応仁の乱以降は別院が本山となりまして今に至る。

 夢窓疎石の手によると寺伝には伝わる庭園は、華美と壮大に頼る五山の庭園とは異なり、回遊式庭園の定石とともに高低差を巧みに静寂へと織り成す独特の情景を醸し出しています。そう静寂、この庭園の静寂こそが日本庭園に真髄であり一つの哲学なのかもしれない。

 先日、とある有名寺院に行きましたらば修学旅行生が一個大隊規模で。名勝に引率の教員が収監者の顔写真が如く機械的に数名づつハイ一枚、ソレ次、と機械的に撮影していました、あれは何なのかな、意味はあるのかな、と。もっとゆっくり、じっくりできないのか。

 清漣亭は庭園のやや高い位置から俯瞰風景を嗜む茶室で、思想と思考を織り成すには静寂と時間の価値を見出す一助ともなります。特に観光客増大が恰も繁華街を洛北に打ち立てた観の否めない金閣寺から竜安寺へと至る“きぬかけの路”の雑踏に一滴の清涼剤が如く。

 地蔵菩薩像が御本尊として収められる霊光殿へと庭園から歩みを進めますと、成程、静寂さは単に物理的ではない事を教えられます、そこは威厳と畏れとを考えさせられる木像が実に数多く、鎮座しているのですね。この本尊と共に座した像を足利歴代将軍木像という。

 霊光殿、初代将軍等持院足利尊氏、その墓所に隣り合う霊光殿には木像が座しており、第2代将軍寶篋院足利義詮、第3代将軍鹿苑院足利義満、第4代将軍勝定院足利義持、第6代将軍普広院足利義教、第7代将軍慶雲院足利義勝、第8代将軍慈照院足利義政、と鎮座を。

 信仰の場、ということは御本尊と共に室町幕府歴代の将軍像が示してくれる訳なのですが、侵攻の場が静寂に包まれている、とは文字通り哲学と云いますか世界と世界観を紡いでゆくといいますか、自らと向き合う為の一つの要素、そう考える事ができるのでしょうね。

 足利歴代将軍木像は、東照大権現徳川家康、第9代将軍常徳院足利義尚、第10代将軍恵林院足利義稙、第11代将軍法住院足利義澄、第12代将軍萬松院足利義晴、第13代将軍光源院足利義輝、第15代将軍霊陽院足利義昭、と居並ぶ木像は為政者の平安への願いを伝える。

 松平容保公が会津藩主兼ねて京都守護職を務めた文久年間の1863年、実はここ等持院の足利歴代将軍木像が幾つか持ち去られ、三条河原に辱められ放置される事件が発生、容保公はこれを公権力への許難い冒涜として徹底捜査し犯人を捕らえたとの歴史も残っています。

 東照大権現徳川家康の像は、自身の厄年に併せ石清水八幡宮に造らせた木像がそのまま安置されています。徳川幕府初代将軍の安置は、吉良氏や今川氏ら足利氏一族を高家として取り立て、徳川幕府と室町幕府の関係性を示しているとのことで、為政者の迫力に驚く。

 畏れと云いますか、ある人は恐い、と室町幕府歴代の将軍像を表現する。威厳と云いますか、ある人は何か空気というか雰囲気が変わったようだと室町幕府歴代の将軍像を表現する。室町幕府歴代の将軍像が並ぶから静かなのか、静かさを醸成した場所に安置したのか。

 名勝に等持院の庭が指定されたのは実はごく最近2016年、拝観と思考の際にはほんとうに拝観者は少なく、庭園の機微と優美を愉しむ事が出来ました。実際、此処は幾度も、そう幾度も拝観しているのですが常に在るのは静寂、寺院拝観の本来を思い出させてくれます。

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