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【日曜特集】金沢駐屯地創設63周年記念行事(6)これが普通科の実力だ!(2013-09-08)

2018-12-30 20:16:09 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■突き破る普通科部隊の実力
 訓練展示はいよいよ最終段階となり、いよいよ障害を突き破る普通科部隊の本領発揮で金沢名物と迷物のガラス突き破りがはじまる。

 普通科連隊は近接戦闘部隊としてあらゆる地形と天候を克服し任務を遂行する能力を有しています。自衛隊には機甲科や特科に施設科と武器科や需品科と多くの職種がありますが、あらゆる地形と天候を克服する、と明示されている職種は普通科だけとの事でした。

 普通科部隊、しかし陸上自衛隊の師団及び旅団の基幹部隊として位置づけられており、自衛隊の任務の多様化に合わせた多種多様な新任務、時代の要請に適合する事を求められています。一方で多種多様任務の中には必ずしも普通科部隊が想定した任務ばかりではない。

 1990年代から普通科部隊の任務の筆頭に加えられたものは災害派遣任務と国際貢献任務、勿論自衛隊にとり国土防衛に続き災害派遣任務は創設以来重要な任務でしたが、1959年の伊勢湾台風、第10混成団時代の第10師団創設前の災害でしたが、その後は安寧が続く。

 阪神大震災、1995年に発災した巨大地震は6500名以上の人命が失われ、自衛隊の災害派遣任務は軍事機構としての独立完結した編成、救命救助活動と行方不明者捜索に加えて給食野営と洗濯から整備補給までを独立して行う唯一の組織である事が明確に示されました。

 1995年には自衛隊へ現在の人命救助システムのような災害派遣専用機材の配備はなく、文字通り円ぴに鶴嘴で徒手空拳に近い状況で任務に対応していました。人命救助システムの配備で油圧ジャッキや削岩機と捜索用カメラ等各種機材が配備された事は大きな前進です。

 2011年の東日本大震災は、しかし自衛隊の能力に限界があるという当然の事実を突きつけられた事となりました。近接戦闘部隊として国土防衛の第一線にあたる、という普通科部隊の本務はありますが、その片手間で災害派遣を行うとの運用は限界が生じているという。

 戦闘任務に資する、しかし災害派遣に資する装備品というものは実は非常に多く、例えば情報小隊への無人機の大幅な増強と航空法下での運用基盤の構築、それに被災地が浸水地域や土砂災害地域であっても派遣可能な全地形車両の配備、可能である装備品は実に多い。

 全地形車両、つまり傾斜地でも湖沼地帯でも積雪地でも沿岸部でも軟弱地形でも舗装道路でも階段でも進む事が出来る車両ですが、金沢駐屯地には78式雪上車が配備されています。しかし、冬季以外用途が無い雪上車より全地形車両を配備する必要は、ないでしょうか。

 78式雪上車、後継の10式雪上車も優れた積雪地での機動力を発揮しますが、お近くの航空自衛隊輪島分屯基地に配備されるスウェーデン製BV-206全地形車両であれば、山岳戦闘や錯綜地形での連絡線構築、通信中継機材や各種火器の稜線への進出が容易となる装備です。

 BvS10全地形車両、イギリス海兵隊はじめ採用しているBV-206の装甲型ですが、この装備が中隊単位で配備されているならば、西日本豪雨災害のような大水害、想定される南海トラフ地震への津波被災地から多くの人命を救助する事が出来るでしょうし、戦力も強い。

 中隊単位でこの種の車両を配備しますと自衛隊に在る普通科連隊の数から必要な数量は500両を超えてしまいますが、一方で自衛隊は諸外国が10機揃えるのにも苦労しているCH-47輸送ヘリコプターを70機揃えていまして、火砲や地対空ミサイル等多いものは多い。

 CH-47JA輸送ヘリコプターがこれだけ多数を揃えている背景ですが、地皺の大きな我が国では地形障害を一挙に克服するために空中機動能力を整備する必要がある、という視点に基づき、前型V-107輸送ヘリコプター時代から継続して高価な機体を多数揃えてきている。

 全地形車両は上掲の地皺の多いわが国では必要な装備で、例えば金沢駐屯地に配備しても航続距離は大きく、大規模災害時に名古屋や大阪であれば充分自走可能です。即応機動連隊のように全国へ自走して緊急展開する少数の部隊を除いて、BvS10は必要だと考えます。

 国際貢献任務、陸上自衛隊へ突きつけられた1990年代からの新任務にこの変革を上げる事が出来ましょう、2017年の南スーダンPKO任務完了撤収以降、自衛隊のPKO任務参加は一時中断していますが、これも自衛隊の運用体系と必ずしも合致するものではありません。

 近接戦闘部隊である普通科部隊は冷戦時代、地形防御を活かしての対戦車戦闘、特に戦車部隊を重視していた極東ソ連軍の侵攻へ対処する、という主眼で運用研究がなされています。従って機甲師団を除けば装甲車が殆ど配備されておらず、地形利用第一となっている。

 PKO任務は戦闘が第一ではないという理解、実際には2002年の東ティモールPKO任務以来、PKO派遣は従来の国連総会決議ではなく安全保障理事会決議により派遣される事となり、安保理決議は国連憲章上の平和への措置に当ると共に強行規範と位置付けられている。

 PKOの変容、これはどういう意味かと問われれば、戦闘地域には送られないが戦闘が発生した場合は文民保護等の戦闘に参加する事を求められる危険な地域へ派遣を求められる、というもの、地形防護に依存し装甲車両を殆ど持たない自衛隊普通科部隊には向きません。

 89式装甲戦闘車やCV-90装甲戦闘車のような車両が必要となる状況へ、軽装備普通科部隊を派遣している、ということ。勿論、79式対舟艇対戦車誘導弾や後継装備である中距離多目的誘導弾を派遣したならば、必要な防護任務は果たせましょうが、本質はそこにはない。

 レオパルド2戦車を配備していたNATO諸国が冷戦後次々と戦車を排しCV-90装甲戦闘車に大きく乗り換えた世界の趨勢は此処にあり、自衛隊はこのあたりを、戦車削減がミサイル防衛等の新任務費用捻出の方便となり、隊員の安全は置き去りにされている現状です。

 危険な地域には派遣しません、とは政治的方便で、パリで乱射テロ事件が発生し東京の地下鉄にサリンが1990年代に散布された一点だけでも、戦闘地域と後方地域の明確な区別は、地域紛争では不可能です。具体的には、サリンが使われない戦場は数多在りますから、ね。

 82式指揮通信車を量産した小松製作所が金沢駐屯地に近い小松市に所在していますが、例えば石油危機前の自衛隊では全普通科部隊の装甲化を志し、北海道に高性能の73式装甲車を、浮航能力持ち車内射撃可能な12.7mm機銃を備えた高性能、そしてもう一つを考えた。

 小型装甲車、とは小松製作所が三菱重工と普通科部隊用装甲車として試作まで実施していた四輪駆動装甲車で、要するに82式指揮通信車の四輪駆動型、車高は前部と後部を指揮通信車と違い同高の設計とした装甲車を開発していました、重視されたのは路上機動力です。

 89式装甲戦闘車のような35mm機関砲と対戦車ミサイルを重装甲の車体に搭載した車両は必要ですが、一方で普及させられる装甲車、というものがPKO任務には絶対必要です。ただ、石油危機以降共通しますが、全てが予算が無い、一言で隊員の安全が置き去りになる。

 BvS10中隊と小型装甲車中隊に軽装甲機動車中隊と高機動車中隊、なにやら富士教導連隷下の普通科教導連隊の廉価版のようですが、中隊ごとにあらゆる任務へ対応できる各種装備を持つ専門集団へ、普通科部隊も変革を求められるのではないか、と考える次第です。こうしたかたちで、金沢駐屯地祭特集は今回の第六回が最終弾、年内に完結する事が出来ました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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