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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ミサイル実験は来月!北朝鮮弾道ミサイルは何故沖縄上空を飛行する計画なのか

2012-03-21 22:28:19 | 防衛・安全保障

■周辺国への最大限の配慮を行い恫喝!?

 北朝鮮弾道弾が来月試験を行い、今度は南西諸島方面からフィリピンへ飛ばすとのこと。

Img_9535_1 田中防衛大臣は記者会見において弾道ミサイル破壊命令を出す構えを表明しました、P-3Cにより破壊するのだとか。F-15戦闘機飛行隊に護衛されるP-3Cの大編隊、E-767早期警戒管制機に綿密な空中管制を受けつつ日本海を朝鮮半島へ、ついに策源地攻撃へマヴェリック空対地誘導弾の出番かとおもいきや、PAC-3と勘違いしたらしいとのことですが。

Img_1184 弾道ミサイルに対しては、航空自衛隊の高射隊が運用するペトリオットミサイルPAC-3が終末段階、つまり着弾寸前のミサイルを直撃して破壊して弾頭が使用できず破片のみの被害とする迎撃態勢の準備が行われますが、これとともに恐らく中間段階から終末段階へ移行するミサイルを高高度で迎撃するSM-3を運用すべく、イージス艦を展開させ、警戒に当たることとなるのでしょう。

Img_6654 しかし、この南西諸島、この地域に弾道弾を発射するということは、北朝鮮ではロケットと自称していますものの、南方へ地球の自転とは異なる方面へ投射するのですからただでさえ低い軌道投入の可能性がさらに低まることを意味するわけでして、低軌道衛星に失敗したうえで極軌道に挑むとも考えにくく、もともと人工衛星に偽装する公算をもたないか、宇宙とロケット工学の基礎を知らないか、どちらかにも見えてきてしまうわけでして。

Img_7004 他方、なぜ今回の弾道弾試験が日本の南西諸島上空を飛行しフィリピン方面へ着弾させる経路を飛行するのか、ということを考えてみますと、一説には沖縄の米軍基地を狙っている、という話もあるのですが、もちろんその側面も皆無ではないにしてももう一つ重要な要素があるように思います。

Img_3136 それは、前回、2009年の弾道ミサイル試験がおもいのほかロシアを刺激してしまった、ということ。北朝鮮にとりロシアは友好国であるとともに隣国の大国、特にアメリカを標的としうる経路を飛翔させた場合、地球は球状ですのでロシア上空を近接して飛行することになるわけです。

Img_24_14 過去には北朝鮮周辺情勢が緊張した時期と合わせ、ロシア軍は冷戦後最大規模のヴォストーク演習を実施、これは前々から決定していたことで偶然重なった、ということになるのですが、極東地域におけるロシアにとっての最大の不確定要素は朝鮮半島の混乱を契機とする安全保障の秩序体系への影響、関心は持たれているということ。

Img_7968 もちろん、日本列島の本州島を上空通過する形での実験も行えるのですが、何分先方としては日本もできるだけ刺激を避けたく、ミサイルは国威発揚と恫喝に用いる展望を掲げつつ、あまり刺激すればかえって悪い結果になる、ということを学んだのでしょう。なにより、日本は1999年の弾道ミサイル危機を契機に世界でも最も濃密な弾道ミサイル警戒体制と防護体制を整えてしまいましたから。

Img_0141 当然ですが、中国へ、内陸部のミサイル試験場へ協力を受けて試験を行う、という選択肢もありません。その想定より射程が大きいこともあるのですが、ミサイルの信頼性から北朝鮮と中国内陸部に試験場との間には北京などがあり、中国の大都市上空を通過して、ということは無理であるわけです。

Img_0732 消去法でフィリピンへ。南西諸島は本州よりも、海面の割合が多く都市部も本州ほどではない、前回の経路を費消した場合東日本大震災被災地上空を飛行することにもなりますし、この点も多少日本を刺激しないよう選択肢の選定に入れた可能性があります。そして、最も周辺国では軍事的政治的に無難なフィリピンを選んだのではないか、と。

Img_035_5 また、これは外交的に弾道ミサイル試験を恫喝の道具、として用いるのではなく、国内への国威発揚と、そしてなによりも軍部への文民統制として、言い方がおかしければ政軍関係を現状のまま維持させる手段として用いられている、国際情勢に影響を及ぼしている内政問題の延長なのだ、ともいえるやもしれません。

Img_9696 もちろん、我が国としては非常に問題視するべき命題で、必要な措置としてミサイル迎撃能力の整備と能力の向上、加えて最悪の場合の選択肢としてミサイル攻撃に先んじて、アメリカが9.11以降先制的自衛権という単語を生み出しましたが、そこまでいかずとも連続する攻撃を策源地攻撃する選択し、というものは考慮されるべきではありますが。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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あらしお除籍 呉の潜水艦はるしお型四番艦、自衛艦旗を返納し退役

2012-03-20 19:51:28 | 海上自衛隊 催事

■新潜水艦けんりゅう就役にあわせ

 先日舞鶴で除籍された護衛艦は護衛艦はまゆき、で護衛艦みねゆき除籍は誤りです。改めて訂正させていただきます。みねゆき、に関する記事は一旦公開を停止し、お寄せいただいたコメントとともに第二北大路機関へ転載、こうした誤記事作成に至った検証を行うことでかえさせていただきます。

Img_7759a さて、19日潜水艦あらしお、が呉基地において自衛艦旗を返納し除籍されました。写真は先ほど撮影した元潜水艦あらしお、現在も呉の潜水艦桟橋に係留されています。潜水艦は新しい防衛計画の大綱において現在の16隻体制から22隻体制への移行が計画されており、これはこれまで北方脅威へ対処するべく津島津軽宗谷海峡を潜水艦により警戒するとしてきた運用に加えて、南西諸島に恐らく二カ所程度の哨戒を行うことを主眼として進められたものと思われますが、延命計画や除籍艦のモスボール保管計画などを立てなければならない時期なのですが、その割には順調に除籍されています。元々海上自衛隊の潜水艦は潜水艦定数16隻という上限を受け、他方で国内に二社が潜水艦建造能力を有している関係から毎年一隻が就役するという関係上、16年で除籍し2年程度を練習潜水艦で使うなどし、除籍しているもので通常は20年以上諸外国では使用している関係から構想されたもの。このあたりどうなっているのでしょうか。

Img_6950a 現役当時の潜水艦あらしお。あらしお、は、はるしお型潜水艦の四番艦、水中高速性能を発揮する涙滴型船体を有する潜水艦として海上自衛隊は、60年代から、うずしお型潜水艦の整備を進めましたが、騒音に悩まされることとなり、静粛性重視改良型として、ゆうしお型を開発、これをもとに更に装備システムとして完成度を高めたのが、はるしお型潜水艦。特に艦対艦ミサイルハープーンの運用能力があることから、潜水艦としての抑止力を高めている点は特筆できるでしょう。写真は在りし日の、正確には3月14日に撮影した潜水艦桟橋の潜水艦あらしお、中央に見える潜水艦です。あらしお、就役は1993年、そして2012年除籍です。現役潜水艦として第1潜水隊群に配備が行われ、第6潜水隊と第3潜水隊において任務に当たり、文字通り生涯現役、練習潜水艦への種別変更は行われていませんでした。

Img_7756a 除籍翌日の元潜水艦あらしお。はるしお型潜水艦は、基準排水量2450t、水中排水量は3200tと、通常動力方式潜水艦の中では非常に大型の潜水艦です。これは海上自衛隊の任務海域である日本列島が非常に長大であり哨戒任務の実施にも多くの航続距離を必要とすること、加えて太平洋地域においても作戦の実施を求められる可能性があり、必然として多くの燃料と潜水艦が潜水航行を続ける上で不可欠な蓄電池の搭載数を多くとるために大型化した、という背景があります。大型化すれば必然として水中放音が増大し、音響ステルス性という観点からは望ましくないのですが、小型化すれば航続距離に影響が生じます。だとすれば、原子力潜水艦という選択も思い浮かぶのですが、原子炉の動力変換機構は騒音が必然で、基本待ち伏せとして用いる通常動力潜水艦とは根本的に運用方法が異なりますので、対馬津軽宗谷海峡の警備を主眼とする潜水艦隊にとり、代替案とはなり得ません。

Img_7767a はるしお型潜水艦は、実験的にAIP区画を内蔵した練習潜水艦あさしお、の事例が近代化改修の試金石になります。あさしお、は、はるしお型潜水艦の一隻として建造されましたが、そうりゅう型潜水艦の導入に先立つ実動訓練艦的な意味もふまえ、通常のディーゼルエレクトリック方式、つまりスノーケル航行中にディーゼル発電機を稼働させ、バッテリーに蓄電したうえでバッテリーの動力を用いて潜行するという方式から、灯油と酸素を燃料として大気に依存せず潜行したまま熱交換作用により発電するスターリング機関を搭載する潜水艦に改造しています。この改造は船体を中継ぎして延長させ、この区間にAIP区画を搭載する方式をとっており、他の潜水艦はるしお型へも応用が利くものです。こうした近代化改修が行われ、長く使われるべきと考えるのですが、除籍ということになりました。

北大路機関:はるな

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海上自衛隊第64期飛行幹部候補生課程修了式と外洋練習航海(3月20日~5月1日)

2012-03-19 01:50:10 | 海上自衛隊 催事

◆ヘリコプター護衛艦くらま参加

 3月20日に第64期飛行幹部候補生課程が修了、卒業式が行われ外洋練習航海(飛行)が同一から5月1日まで行われます。

Kimg_9031_1 外洋練習航海は海上自衛隊の飛行幹部として必要な知識と技能の習得を目指し、加えて近隣諸国との友好親善の増進が目的として実施される訓練、この外洋練習航海の実施に当たっては第11護衛隊司令関口雄輝1佐を指揮官とし、参加艦艇はヘリコプター搭載護衛艦くらま、護衛艦やまぎり、の二隻が参加となっていました。

Kimg_0273 第64期飛行幹部候補生卒業者60名を含む530名が外洋練習航海へ参加します。一般幹部候補生と飛行幹部候補生の卒業式は同時、同じ日に一般幹部候補課程修了者と共に近海練習航海が開始されますから、江田島には、かしま、しまゆき、まつゆき、くらま、やまぎり、と多くの艦船が集まることになりますね。

Kimg_0718 外洋練習航海は南西諸島を経て主に海外への訓練公開を行います、近海練習航海が国内を巡行するのと対照的です。外洋練習航海について海上自衛隊が発表した行動予定では、3月20日に江田島を出港、3月24日から3月28日まで沖縄の勝連か中城に寄港し、4月1日から4日まで韓国の平沢に寄港とのこと。

Kimg_0309 続いて4月16日から19日にかけてシンガポールのチャンギ海軍基地に寄港、4月28日から4月30日まで九州の佐伯に寄港し5月1日に呉基地へ帰港することと、行動予定が発表されていました。 近海練習航海部隊は4月25日に呉へ戻ってきますので、ここで並ぶことになりますね。

Kimg_9087_1 外洋練習航海に、ヘリコプター護衛艦くらま、が参加していますが、現在全通飛行甲板型護衛艦ひゅうが型ひゅうが、いせ、が運用されており、従来のヘリコプター搭載護衛艦しらね型しらね、くらま、の後継として満載排水量25000t(航空機運用時)の平成22年度護衛艦、所謂22DDHの建造が始まっています。

Kimg_9189_1 22DDHのように、こうした艦上航空機の任務遂行能力の重点を置く艦艇の強化が行われるところから見ても、飛行幹部要員は、陸上航空基地や航空機を搭載し運用する護衛艦からの任務が今後大きく、候補生へは期待が今まで以上に高いといえるでしょう。卒業式は、0920海幕長出迎え、0930~0945教育報告、1000~1130卒業式、1210~1310午餐会、1350~1430卒業生見送り、という予定で行われるそうです。

北大路機関:はるな

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海上自衛隊第62期一般幹部候補生課程修了と近海練習航海(3月20日~5月13日)

2012-03-18 22:05:07 | 海上自衛隊 催事
◆練習艦隊が全国の港湾を訓練寄港!
 3月20日、第62期一般幹部候補生が修了し、修了者を対象に3尉任官への基礎事項と初級幹部素養修得を経たシーマンシップの体得をめざし近海練習航海が行われます。
Rimg_9865 近海練習航海は練習艦隊司令官淵之上英寿海将補指揮下の練習艦かしま、練習艦しまゆき、護衛艦まつゆき、が任務に当たり、一般幹部候補生修了者200名を含め乗員など730名が全国の港を寄港します。毎年この時期に行われているもので、護衛艦や練習艦によりこれらの出入港は艦船要員として必要な能力を得ることで重要です。
Rimg_7792 南西諸島から日本海の荒波、厳寒の北方海域から狭水道と早い潮流の瀬戸内海、海上交通雪か海の銀座東京湾、我が国の多くの港湾と風土に親しむことにより防衛の重要性を実感として得ることが期待されており、こうした実務訓練を経たうえで近海練習航海に続き実施される遠洋航海への基盤を構築してゆくということ。
Rimg_8371 近海練習航海部隊は3月20日に幹部候補学校が置かれた広島県の江田島を出港、21日まで連合艦隊の泊地として知られた山口県柱島沖に停泊し、22日から24日にかけて大阪港と神戸港を巡行、25日には伊勢湾の鳥羽へ、一路南下し27日から28日にかけて鹿児島港へ寄港するとのこと。
Rimg_7490 そして続く3月31日から4月3日にかけて防衛上の要衝である沖縄は那覇港へ寄港、次いで北上に転じ4月10日から12日まで東日本大震災の津波被害を受けた八戸港へ寄港、13日から15日まで北方からの脅威に備えた防衛の要衝である大湊基地に入港という予定と出ていました。
Rimg_6547 その後は津軽海峡を経て日本海を進み4月17日から19日まで舞鶴入港、21日から23日までは九州の米海軍両用戦部隊の一大拠点であり海上自衛隊の西海における最重要拠点となっている佐世保基地へ入港、24日には第二次大戦において真珠湾攻撃に参加する特殊潜航艇要員が訓練を積んだ愛媛県西宇和島の三机へ。
Rimg_7645 同日4月24日から5月7日までは瀬戸内海を経て江田島の隣を通り練習艦隊母港である呉基地へ一旦帰港、ただ同時期には護衛艦まつゆき一隻が4月25日から5月6日まで舞鶴へ帰港します、護衛艦まつゆき、は舞鶴基地が母港ですからね。 ここでやや長い期間母港にいるということ。
Rimg_9833 5月9日から5月13日には自衛艦隊司令部が置かれ第七艦隊主力が前方展開する首都東京の玄関口横須賀に入港、そして5月13日に東京港晴海埠頭に入ります。21日からは世界を舞台としたより長期間と長い航路の遠洋航海へ、これが海上自衛隊発表の近海練習航海日程となっています。
Rimg_7552 一部の寄港地では一般公開が行われますし、基地も週末一般公開日と重なることもあります。ただ、沖留になることもありますので、見学できないこともあり、遠方から望見するだけ、ということもありますから寄港地に所在する自衛隊地方協力本部HPなどで一般公開などの情報が掲載されるでしょうし、そちらをご覧ください。
北大路機関:はるな

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寝台特急日本海 (大阪⇔青森1023.4km)  京都駅最後のブルートレイン最終列車到着

2012-03-17 23:53:23 | コラム

◆京都駅日常風景としてのブルートレイン終点へ

 今朝、青森発日本海号が京都駅を経て大阪駅に到着、これにて東北と大阪を結ぶ定期列車は全て運行を終了しました。

Nimg_9144 おお、もう日本海の時間か、日本海の時間までには京都戻りたいな、いつか乗ろうと思いつつ夕刻の京都駅で新幹線や特急に新快速を降りた当方の正直な印象。替わってゆくもの、変わらないもの、前者とは旅行体系と輸送需要、後者は旅情への飽くなき追求、というべきか。

Nimg_6892 こんなかたちで思い出深い、というか日常風景のブルートレイン日本海、ダイヤ改正で運行終了しましたと共に、昨日の急行きたぐに、引退に続き京都駅で撮影したブルートレイン日本海の様子を掲載しつつ、いろいろと書き並べてみましょうか。退屈でしょうがお付き合いいただければ幸い。

Nimg_6767 ブルートレインとは青塗装の客車寝台特急、青塗装は蒸気機関車ディーゼル機関車残る当時に煤煙が目立たず、しかし駅と沿線では目を引く塗装として採用されたもの。日本海が廃止となり、最後にブルートレインではありませんが隔日運行寝台特急トワイライトエクスプレスが不定期ながら札幌を大阪を結ぶのみ。

Nimg_6793 寝台特急日本海は1968年から運行を開始した夜行列車、その起源は1947年運行開始の夜行急行で1950年には急行日本海、1968年に寝台特急日本海として昇格され、現在は国鉄24系客車をEF-81電気機関車により牽引し運行しています。いや、いました、か。一時期は青函トンネル開通に伴う函館への延長運転も行われていました。

Nimg_6860 ブルートレイン、一度だけ富士号を利用しましたが、日本海廃止後は上野駅始発の北斗星、あけぼの号ととうとう二つに、この日本海もつい数年前までは二往復が運行され、デジタルカメラを使用し始めたのちにも京都駅をブルートレインなは・あかつき号、東海山陽の富士・はやぶさ号が運行、そんな時代がありましたね。

Nimg_6870 日本海、大阪を1747時に発車し日本海縦貫線を経て翌朝に青森0845時着、1933時青森駅を発車する日本海は1027時大阪着。青森着はやや早い時間帯ということで、三沢基地航空祭は無理でも青森第9師団創設記念行事には、と思っていた列車、思い立ったが乗車としておかねば。

Nimg_6867 ブルートレインである日本海は運賃が特急券と寝台券が必要、乗車券と特急券に寝台券の合計金額としての運賃はA寝台で上段24980円、A寝台下段25940円、B寝台は二段式で双方とも21740円、B寝台券が6300円とビジネスホテルが一泊で5000円台も出る時代には少々高いやも。

Nimg_6877 しかし、高いのはある意味当然、最初のブルートレインあさかぜ号が1956年に運行を開始した当時、夜行列車は基本が座席、しかも通常の転換式クロスシートかボックスシートという時代でしたので、三段式でしたが寝台を備え寝て移動でき、食堂車があったことから殿様列車と呼ばれたほど、殿様列車ならば高いのは少々仕方ないでしょう。

Nimg_7057 ただ、この日本海、サービスの部分では少々厳しい部分も。ブルートレインは青函トンネル開通と共にビジネス列車から観光列車の側面を強くしてゆき、B寝台の三段から二段化、A寝台一部の個室化、B寝台についても個室化が行われ、客車にはシャワーが設置、食堂車に隣接してロビーカーが配置となり、豪華さを極めた趨勢があったのです。

Nimg_7075 この趨勢に対して日本海は、寝台は全て開放型寝台であり、A寝台は幅こそ広く快適なのですが仕切りはカーテンのみ、寝台特急あさかぜ廃止の2005年から廃止客車を受け入れる形で、あさかぜ流用の個室寝台車が配置されたのですが、これも分離し再度2009年から全て開放寝台に、食堂車は無く当然ロビーカーの連結も無し、シャワーもありません。

Nimg_7078 これ、実質夜行急行ですよね、と随分前にこちらのコメント欄にてHN軽トラックの稲妻様にご指摘を頂きましたが、確かにサービス面では寝台急行銀河、と同じですよね、と妙に納得したことを思い出します。ううむ、ブルートレイン、かつての殿様列車の看板を掲げる以上、一定水準のサービスは欲しかったところ。

Nimg_7088 運行時間帯から食堂車を配置しても採算は合った、もしくは車内販売を充実させてロビーカーとして食堂営業を行わない食堂車はあってよかったと思いますし、寝台に浴衣がある以上シャワーは必須、A寝台の個室維持と、B寝台の三段維持か指定席扱簡易寝台での運賃多様性は維持するべきだったのだろうな、とは思います。

Nimg_7709 21世紀の寝台客車として、観光列車とビジネス列車を併用できるような、狭くとも個室B寝台を備え、無線LANを標準装備し電源を有するなどN700系新幹線程度のものを配置し、というものを加えた客車が欲しかったところですが、こうなるとどうしても大改造か新造が必要で、採算性となると、確かに厳しいことも確か。

Nimg_7737 夜行運行ですと旅客会社としても、特に長距離ですので複数の旅客会社が関与するのですし、運行夜間人員に加えて途中停車駅の夜間人員も配置しなければならず、しかも求められるのは客車を牽引する機関車の機関士、客車普通列車全廃時代には貨物でもなければ夜行運行には限界がある、ということも認めなければなりません。

Nimg_7955 そして、客車列車ですので最高速度は110km/h、加速性も電車を下回り、新快速で130km/hという時代に、実のところラッシュ時に並走する場合にはダイヤに影響が及ぶのかもしれません。だからこそ日本海の大阪到着は通勤輸送がひと段落したのちの時間帯、となっているのでしょうし。

Nimg_7960 ううむ、しかし長距離急行について昨日記載したのと同じように需要はあると思うのですよね、新幹線と航空機が運行していない時間帯に優れた移動空間を有しているのですし、昼間運行も寝台車であっても、個室寝台であれば移動に多少の需要、特に団体旅行にあるはずなのですよ。

Nimg_9138 もちろん、需要としては乗車に、特に移動が長距離で、500km程度の移動には新幹線よりも割高になり、ホテル宿泊と比べて利便性が現段階では下回っていることも認識はしているのですけれども、この部分は前述の通り車両サービスの見直しによって改善の余地はあると考えるのですよね。

Nimg_9170 ただ、寝台特急としてのブルートレインの衰退は行くところまで行きました。乗れるうちに寝台特急あけぼの乗車を目指すか、東京に行く際に一旦山陽方面に向かいサンライズ瀬戸・出雲乗車を目指しておくべきか、残念なのですけれども実情はこんなところなのですか。ううむ、残念です。

北大路機関:はるな

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急行きたぐに(大阪⇔新潟600.6km) 京都駅最後の急行列車本日最終運行

2012-03-16 23:21:49 | コラム

◆京都駅最後の急行定期運行は本日終幕

 明日のダイヤ改正で廃止となる急行きたぐに。本日、まもなく最後の急行きたぐに、大阪駅を新潟へ出発。新潟から大阪へはもう発車したころ。

Kimg_7219 雪舞う早朝の京都駅、朝の通勤時間に先立ちどの新快速よりも早く静寂の京都駅へ到着する夜行急行。この一枚を収めるには地下鉄東西線ならば始発に乗る必要があり、廃止される列車に多くが集う全ての駅の日常風景も、此処では少し違うよう。最後の名残に急行券を買い求め大阪まで自由席へ利用する方々も多かったみたい。

Kimg_8614 京都駅ビルと583、こんな構図にしてみました。急行きたぐに、大阪発2327で新潟着は0829、新潟発2255のち大阪着は0649、大阪方面へは通勤混雑時間帯を避けて早朝に、新潟方面へは新潟近郊区間において快速電車として通勤通学の足に使われている急行電車となっています。

Kimg_7826 近鉄新京都駅ビルを背景に急行きたぐに。今年らしい一枚というとこういう構図でしょうか。この急行に活躍する583系は面白い電車で、寝台電車として開発された背景があります。従来のブルートレインに用いられる客車寝台車は夜行列車として運行を完了すると後は車庫、これは昼間使えないので少しもったいないということで昼間に使える電車を、と開発されたもの。

Kimg_8618 昼間も運用できる夜行列車、として座席を急行型に準じたボックスシート方式として、所要の作業を行えば三段寝台に切り替えられる方式を採用しました。が、しかし、特急電車としてはリクライニングシートが主流となる中でボックスシートは少々使いにくく、向い合せ長時間移動は時代に合わないらしい。また、三段寝台なのだけれどもB寝台にしては昼間運行に合わせ幅がA寝台並に広く、他方三段寝台はブルートレインの二段寝台化の趨勢に合わなかったという。

Kimg_8600 それでも、きたぐに号は使い勝手よかったのですよ。特急料金の上限は3980円、対して急行料金上限は1260円とお手頃で、大阪と新潟でA寝台は下段20790円に上段は19830円、B寝台は下段16590円、中段上段15540円、座席はグリーン車があって15540円、しかし自由席は10290円。本当は去年利用する予定だったのだけれども。

Kimg_8628 583、夜行で月光や明星として新大阪と博多や熊本を移動したのち昼間に特急みどり号や、はと号として新大阪と大分を運行、名古屋と熊本や博多を金星、つばめ、として運行。京都と熊本を結ぶ夜行きりしま、博多と鹿児島を結ぶ有明や新大阪下関間しおじ、岡山と熊本を結ぶ列車つばめ、名古屋と富山の特急しらさぎ、後にブルートレインとして最近まで頑張った彗星、なは。東北は、はくつる、ゆうづる、はつかり、みちのく、ひばり昼夜運行、そして大阪と金沢を結ぶ雷鳥の一部、1985年からは急行きたぐに運行が始まりました。

Kimg_7253 きたぐに、で最後となる583ですが、思うのは、やはり急行、なんですよ。まあ、これは元々特急用ですが。583系の後継を開発して昼間運行に充当する手法は無かったのか、ということや自由席を持つ夜行急行として既に廃止された大阪東京間の急行銀河を後継に充ててはどうだったのかな、と。特急料金よりも安く、必要に応じて夜行の時間帯を挟むような長距離運行というのは需要があると思うのですよね。

Kimg_7270 この根拠ですが、JR西日本が山陽本線で運行している長距離普通列車、広発下関行きとか、三原発姫路行きとか、長距離の普通列車が運行されていまして、JR東海が東海道新幹線利用者を確保するために静岡県内の東海道本線運行をある程度余裕を持たせている、言い換えれば少々短くやや不便にしているようなものとの違いがありますし。

Kimg_7836 急行、つまり、急行の復権が必要で、急行列車というものには特急に次いでの需要はあると思うのですよ、旅客需要はなくなったのではなくバスや一部航空に流れているだけ、特別急行はいつの間にか普通急行の位置に入ってしまいましたし、他方で価格競争で高速バスと低価格航空会社が迫っていますので、急行、それも長距離急行を投入して、昼行夜行兼用の長距離移動手段として、設備が劣っていても、移動時間が大きくとも、乗ればなんとかなる列車というものは必要だろう、と。

Kimg_7255 京都駅を新潟に発車するのは0003時、地下鉄採集が発車した後で、新潟行は寝台特急富士はやぶさ末期の時に何度か撮ったのだけれども、深夜は少々行きにくかった。ただ、新潟分屯基地祭や高田駐屯地祭のほうに利用したいと考えていた矢先の廃止、これは残念でした。なはあかつき運行時に九州の航空祭行っていれば、と思ったり、乗れるときに乗るべきですね。

Kimg_8631 画期的な寝台電車として導入され、一時期はかなりが運行された583系なのですが、定期運行は急行きたぐに、が最後。JR東日本では臨時列車として運行することがあり、東日本大震災に伴う東北新幹線不通時期には活躍した、とのことなのですが、老朽化は非常に進んでいます。そして急行という区分もJRでは、残るは札幌発青森行きの急行はまなす、のみとなります。

北大路機関:はるな

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平成二十三年度三月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2012.03.18)

2012-03-15 23:49:53 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 先週は東日本大震災発災一周年でしたが、震災を経て自衛隊への国民的関心は災害派遣の活躍が大きく周知されたことでこれまで以上に高まっているとのこと。

Img_2421 さて、こうしたなか今週末行われる駐屯地祭は、高知駐屯地祭。高知駐屯地はかつて善通寺駐屯地の分屯地として発足した旧駐屯地から新しい新駐屯地へ移設が2010年に完了したばかりの駐屯地で、かつて第14施設中隊が駐屯していましたが、現在は第二混成団の第14旅団改編に伴い新編された第50普通科連隊が駐屯しています。

Img_4100 第14旅団は、近い将来にこの地方を推そうとされる南海地震の直撃を受ける地域にあり、事実昭和南海地震では戦後間もない四国に津波による被害が発生しています。この地震は自然災害としては中部方面隊に対して全面的な脅威となるものとされ、この関係もあり、多くの人員を有する普通科連隊の高知駐屯は大きな関心を持って迎えられたとのこと。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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海上自衛隊呉基地散策(2012.03.14) 潜水艦部隊と教育訓練の中枢

2012-03-14 20:34:24 | 海上自衛隊 催事

■呉基地の日常風景

呉基地へ久々に行って参りました。今日明日に時間の余裕ができたので、急遽山陽本線を西へ、というところ。取り急ぎG12で撮影した写真を掲載してゆきます。

Img_6900  係船堀地区の護衛艦、本日は訓練にでている艦が多いのかこんなところでした。練習艦が出ていましたね、間もなく近海練習航海がはじまるようですが。艦番号105は護衛艦いなづま、手前は別のところから艦番号113と確認でき護衛艦さざなみ、と分かりました。昨年末に除籍された元護衛艦ひえい、が解体へと曳航されていったとのことで、最後の護衛艦はるな型の面影が見えなくなった呉基地というのは少し寂しい気もします。新しく護衛艦いせ、が呉基地には配備されています。この護衛艦いせ、が所属する第4護衛隊群は、護衛艦隊改編前の全艦同一母港時代には戦略予備的な位置づけにあったとされますが、近年の改編は機動運用を重視した編成と配置、日本列島を忙しく哨戒に警戒に訓練に頑張っているようです。

Img_6956  アレイからすこじま、海を見渡せば潜水艦潜水艦潜水艦。はるしお型、おやしお型がいました。ただ、そうりゅう型潜水艦は全て出払っていました。定期整備にはいっているということなのですが、さすがに行きに神戸で確認する時間の余裕はありませんでしたが、それでも潜水艦が並ぶのは壮観。まあ、間隔はあいていたのですが、ね。新防衛大綱では潜水艦定数がこれまでの16隻から22隻に拡大されるのですが、この点で、現在の二個潜水隊群体制が将来的に三個体制となるのか、ということに興味が浮かぶほか、自衛官定数が変化ないというのは大丈夫なのかな、ということと桟橋と整備施設は横須賀と呉のみ、各3隻増加する計算なのですが桟橋の広さは大丈夫なのでしょうか。

Img_6946  掃海管制艇さくしま、呉帰港。アレイからすこじまから偶然通ったのを撮影できました。掃海管制艇ですが、もとは掃海艇はつしま型の一隻で、現在は無人掃海装置SAMの遠隔操作を行う掃海管制艇として運用されています。ただ、SAMというのは掃海艇に搭載されている掃海器具と比べますとやはり大きく、遠距離進出に際しては掃海管制艇の左右両脇に各一隻を抱えるという独特の運用を行います。耐波性などは計算されているとは思うのですが、いっそ、もう少し大型の多用途支援艦ひうち型を原型とした掃海管制艦を開発すれば、後部甲板は元々中型トラック四台を収容できる容積がありますので、遠距離展開に適した艦船として完成しそう。

Img_6955  4202は訓練支援艦くろべ、4203は訓練支援艦てんりゅう。高速無人標的機複数を同時管制することが可能な訓練支援艦で、護衛艦は近年、イージス艦以外にも多目標同時対処能力を高めている艦が建造されていることから、この種の艦船は、比較的重要です。諸外国には最新鋭装備を建造して、それで満足している海軍というのが意外と多いのですが、装備は最大の性能を発揮できる体制が確立して初めて抑止力になるわけ、なのですけれども予算が限られている海軍ではどうしても正面装備、フリゲイトや潜水艦の方に予算がいってしまうもの。海上自衛隊は予算的に厳しいものもあるのですが、教育訓練の重要性を認識しているなによりもの証拠といえる。

Img_6962  最後に呉駅へ戻るバスから撮影した護衛艦いせ、定期整備の様子。IHIのドックへ入っていました。隣には戦艦大和を建造したドック、ここに護衛艦いせ、ううむ歴史と伝統が受け継がれるといいますか、海上自衛隊は伝統を重視していますが、それもわかる瞬間ですね。ところで、呉市営バスですが、なんと市営から広島電鉄へ経営譲渡されるとのこと。この関係で呉駅前のバスターミナルも改修工事が進められていました。市営バスは、どちらかというと、京都市バスのような最新車両というよりは車体がやや古く、塗装もレトロで、ああ、こういうのがいいなあ、と思っていたのですが塗装や車体、どうなるのですかね、そんなところに気になってしまいました。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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平成23年度日米共同実動訓練“鉄拳作戦” 自衛隊の上陸能力整備へ向けて演習

2012-03-13 22:37:38 | 防衛・安全保障

■上陸と揚陸は異なる概念

 1月16日から2月23日まで、アメリカでの日米合同、海兵隊第一海兵遠征軍支援下での西部方面普通科連隊主力による鉄拳演習が行われたとのこと。

Img_5399  西部方面総監が訓練担任にあたり西部方面普通科連隊から180名が参加、米海軍コロナド基地とキャンプペンドルトンを訓練地とし、じっさいに揚陸艦ペリリューからロスアンゼルス沖のサンクレメンテ島へ上陸、特殊ボートによる上陸や夜間上陸演習、偵察や水路潜入などの上陸任務を行う上で必要な方法を海兵隊員からの直接教育とともに行われ、米海軍強襲揚陸艦の支援を受け実施、一定の成果を収めた、とのことです。さて、南西諸島防衛を考える上で、自衛隊には揚陸を越えた上陸能力と上陸作戦の実施能力の整備が切迫しています。また、今後の津波災害など想定した場合、完全に孤立した地域へは上陸能力が求められ、こちらも切迫しているところ。

Img_7507  さて、揚陸と上陸ですが、実は根本的に違う概念で、自衛隊の用語としても完全に区別されているものです。そして今回実施したのは上陸に関する訓練、自衛隊は揚陸を能力として、特に冷戦時代に北海道へ部隊を増強する観点から研究と訓練を行ってきましたが、上陸となると難しいところ。この揚陸とは、我が方の勢力がある地域にたいして部隊や物資などを海から陸上へ揚げること。現在の協同転地演習、かつて北方機動演習として輸送艦が北海道の海岸に部隊を揚げていたのは揚陸、ということになります。しかし、一般に軍艦と戦艦が混同されているように、大手マスメディアなどは上陸演習、といっているのですが。

Img_2148  上陸、これは我が方の勢力下にない地域に対して部隊を洋上から陸上へ展開させるもの。当然、揚陸では我が方の部隊が例えば海岸の整地を行うことがありますし、誘導要員も予め展開させることができます。また、揚陸では基本的に反撃は想定する必要がありませんので、海岸線では戦闘を行うのではなく遊撃戦などへの警戒を行うとともに戦闘加入準備を行うなうのですが、上陸では海岸線に接岸すると同時に戦闘となる可能性があります。上陸が終了して地域を確保できなければ揚陸はできません。これら部隊が上陸点から港湾などを占領できるまでの部隊を揚陸可能とする環境を構築すれば、あとは普通の車両運搬船やカーフェリーで続々部隊を送り込めますし、物資も補給できます。

Img_5_202_1  揚陸は味方勢力のない地域においては、上陸した部隊が敵の抵抗を制圧、海岸線を抑えて、それに続いて行われるわけです。したがって、上陸においては、地対空ミサイルの陸上展開に先んじて航空攻撃が行われますので、イージス艦などといった洋上からの防空をおおこなうひつようがありますし、上陸する地形はどういった状態となっているのか、隠密に偵察を行う必要があります。上陸と同時に反撃が行われないよう、多用途ヘリコプターにより内陸部へ対戦車戦闘部隊を送り込む必要があり、最初にエアクッション揚陸艇から部隊を上陸させる、という方法は採ることができません。

Img_1360  輸送艦は海上自衛隊を俯瞰すれば数は少ないものの、おおすみ型輸送艦三隻を軸に高い能力があります。日本の国土を考えるともう少し数は必要ですが、エアクッション揚陸艇を搭載して水平線の向こう側から部隊を送り込める揚陸艦、アメリカを除けばかなり少ないのが実情で、3隻というのは質的に大きいといえます。また輸送ヘリコプターとしてCH-47を陸上自衛隊と航空自衛隊で75機を保有していますので、輸送能力は、実は世界的にみても高い水準にあるのですが、その他にどういった装備が必要となるのか、どういった地域にどう行った部隊を送り込めばよいのか、その手順はどのようにして進めるのか、このあたりは装備とともに未知数となっているわけ。

Img_2937  この点で世界の先を行くのがアメリカ。アメリカ海兵隊は、太平洋戦争において、それ以前の日本陸軍船舶工兵や海軍の輸送艦などの装備を徹底して研究し、上陸の方法論や作戦運用、部隊編成や必要な資材を文字通り命がけで血を流しながら会得しました。失敗すればそれだけ死傷者がでるのですから、文字通り命がけ。そして朝鮮戦争やヴェトナム戦争においてその能力に磨きをかけ、冷戦時代では必要とあらば世界中のいかなる地域に対しても展開できる能力を整備し続け、地域紛争に際しての能力も冷戦後高く維持したまま、今日に至りました。

Img_2946_1  日本は、多くの島々から国土が形成されている以上、この種の能力は必要とされてはいたのですが、南西諸島や小笠原諸島にたいして脅威は冷戦時代の観点からは非常に低く、それよりは北方への軍団規模の機甲部隊上陸という危険性や人口希薄地域への不意上陸への対処能力が求められた反面、北方の脅威は南方には及びにくいという前提での防衛計画や部隊編制が考えられてきたわけです。しかし、南方に海軍力の増強と我が国領域への進出を図る勢力が顕在化したことで、この状況が変わった、ということですね。

Img_7776  だからこそ、島々が取られた場合に奪還する方法として上陸の手法を学ばなければならないことは多いわけです。もちろん、自衛隊に海兵隊を創設する必要はありません。まあ、打撃力としての固定翼機を持たない、過去には持とうとしていた節があるのですが、編成ですし、装甲車の装備数も少なく、他方で戦車や火砲が強力なのですか、前述の通り輸送ヘリコプターを多数装備し、専用の攻撃ヘリコプター、対戦車ヘリコプターと自衛隊では称しますが、こちらも90機を整備、空中機動重視では海兵隊と似た側面があるのですけれども、陸上自衛隊は陸上自衛隊であっていいわけですけれども、その上で揚陸ではなく上陸を行う能力、早急に整備しなければなりません。

Img_0606  こうした意味で今回の演習をみますと、自衛隊からは一個中隊程度、装甲車の派遣などもなく地味な印象は否めないのですけれども、必ずしも大規模である必要はありません。揚陸部隊を迎えるまでの規模を上陸させるのですから。つまり、協同転地演習で行っている揚陸を行うまでの準備として、揚陸部隊を受け入れる部隊を上陸させることができる、そうした基盤を構築しなければなりません。しかし、構築すれば、あとは人員規模以上に、自衛隊は既に揚陸に関するノウハウを既に持っていますので、繋げるだけです。

北大路機関:はるな

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次期多用途ヘリコプターの観測任務転用案:次世代師団旅団統合ヘリコプターを目指すべき

2012-03-12 21:31:17 | 先端軍事テクノロジー

◆方面航空隊にはより大型の機体が望ましい

UH-1後継機UH-Xに関する話題。川崎重工と富士重工の競合は川崎重工でほぼ内定したと一部報道にありましたが、本日のお題は此処ではなく一歩進み“師団旅団統合ヘリコプター”というものができないか、ということ。

Uimg_9385 UH-1後継機とOH-6観測ヘリコプター後継機を一本化することはできないか、という話です。もちろん、輸送と火力支援に用いる多用途ヘリコプターと着弾観測と連絡任務に用いる観測ヘリコプターは根本的に別物なのですが、一本化することが出来れば、量産効果が高まることが大きな利点で、高価格化により必要定数を下回るという問題の発生を回避できるかもしれません。
Uimg_9738 多用途ヘリコプターは、一小銃班程度の部隊を同時に空中機動可能であるほか、大型の輸送ヘリコプターよりも運用に柔軟性があり、これまでは李雨情自衛隊において方面隊直轄部隊での運用を行っていたのに対して90年代終わりごろから師団や旅団の飛行隊へ配備が進められてきました。
Uimg_0159 現在の多用途ヘリコプターはUH-1HとUH-1J,それに高性能であるUH-60JAを含め合計で180機程度、本来は高性能であるUH-60JAに統合したい計画だったようですが、UH-60JAは前方赤外線監視装置や航法気象レーダーの搭載という救難ヘリコプターや特殊戦用ヘリコプターに匹敵する機能を備えたことで価格が高騰し、十分揃えることはできません。
Img_4994 特に陸上自衛隊のUH-60JA導入開始は1995年度予算、対してUH-60JAは航空自衛隊が1988年から、海上自衛隊が1989年から調達を開始していて、既に65機を取得しているのですが、この救難ヘリコプターの導入がひと段落したのちに陸上自衛隊が調達を開始しているため、生産ライン維持費がそのまま調達価格に反映されてしまったことも考えられるでしょう。
Uimg_9581 そこでUH-1JとUH-60JAとの並列調達という方向性が採られてきたのですが、UH-1Jは優秀な機体であるものの基本設計は1950年代、改良型とはいえ、J型の初飛行から約20年、そろそろ新型機が必要、となってきたわけです。世界的に見れば海兵隊のUH-1YのようにまだまだUH-1も改良型を開発すれば十分第一線に耐える基本設計を持っていますが、新しいとも言い切れず新型機にも興味があるところ。
Uimg_0329 他方で同時に観測ヘリコプターOH-1の調達がその高価格により頓挫しており、OH-6観測ヘリコプター180機を当初は250機のOH-1で置き換える構想であったのが21機で停滞、残念ながら観測ヘリコプターには後継機を新たに考える必要があるところなのですが、ここに次期多用途ヘリコプターの必要性が生じているという現状があります。
Uimg_0592 ここで観測ヘリコプターですが、特科火砲の間接照準射撃に際してAP,空中着弾観測という用途に最も用いられる機体です。ただ、着弾十秒前まで稜線後方に待機し着弾の瞬間のみ上昇し、双眼鏡にて観測するという手法、昨今は徐々に無人機や対砲レーダー装置による弾道監視、知能化弾による誤差是正などにより例えばアフガニスタンなどの最前線では使われる機会が減っているとのこと。
Img_8454 すると、多用途ヘリコプターに対して必要であれば着弾観測任務を充てるという運用は可能であるかもしれません。特に最新のOH-1は別としてOH-6は双眼鏡に依拠しており、特科火砲は最前線を中央線として後方の砲兵へ対砲兵戦として用いられますから、射程が延伸すると共に射程30kmならば前線から15km後方、射程40kmとなれば20km後方に着弾するわけです。肉眼での着弾観測は15km程度と言われますので、最前線よりも前進する必要がでてしまい、携帯対空火器が発達する現状では生き残れるのでしょうか。
Uimg_8214 電子技術の発展はかなりの遠距離を見通すことが出きるようになりました。福島第一原発が最も危険な状態となった際に陸上自衛隊は輸送ヘリコプターによる原子炉放水冷却を実施していますが、この様子をNHKのヘリコプターが30km以上の距離から撮影し世界へ中継を行っていたのをご記憶でしょう。

Img_1049 あの映像、30kmの距離を考えればかなり鮮明に映し出していたことはご記憶の方も多いでしょう。同程度のカメラを搭載すれば射程40kmの火砲を用いた場合でも、最前線から後方10km、最前線付近の携帯地対空ミサイル射程外からの着弾観測が可能となります。隠密性を活かし危険地域に潜入するよりは、その脅威の射程外から情報を得ることは一つの方策と言えると考えます。
Uimg_3280 そういった意味から、次世代の観測ヘリコプターは電子観測装備を搭載するため、一定の機体規模を必要とすることになり、多用途ヘリコプターとの機体統合化という可能性が出てくることになります。また無人機によるAPを行う場合にも、結局は通信伝送を行うために伝送装備を航空機に搭載する必要性が出てきますので、機体は多用途ヘリコプターと同程度、という必要性も出てくるのではないでしょうか。
Uimg_8110 こうした配慮があるのでしょうか、米軍の観測ヘリコプターはUH-72としてユーロコプターEC-145が軽多用途ヘリコプターとして装備されています。海兵隊については観測ヘリコプターを運用せず、UH-1Yが使用されているところ。もっとも米軍は現用の旧式化しているOH-58観測ヘリコプターをRAH-66やARH-70といった高価格により導入できなかった航空機以外にも独自の後継機を導入する計画はありますし、近接航空支援を海兵航空団より受けられる海兵隊と特科火砲を重視する陸上自衛隊では火砲の運用体系と認識がかなり異なっていますので、一概には言えないことはご容赦ください。
Img_6256 ただし、多用途ヘリコプターは一定の大きさが必要であるのだけれども、観測ヘリコプターに用いる機体には上限があり、国産多用途ヘリコプター計画は余りな大型化は避けるべきですし、大きな高性能化は価格を高騰させますから、こちらも避けなければなりません。無理に統合化しようとすれば失敗しますので、OUH-2として開発するのではなくUH-1後継機のUH-2に観測装備を搭載するという視点を忘れないようにせねばなりません。

Img_4266 師団旅団統合ヘリコプターとして、観測ヘリコプターと多用途ヘリコプターを共通の機体と出来たならば、具体的にはOH-1の技術を用いて川崎BK-117を多用途ヘリコプター化する、というようなことを想定するのですが、必要に応じて観測任務を遠距離から実施し、必要に応じて空中機動任務にあたる、各師団や旅団に10機、かつて多用途ヘリコプターが師団配備となる以前はしだんひこうたいは観測ヘリコプター10機を定数としていたようなので、この数字としたのですが、一定の任務を発揮できるでしょう。
Uimg_6981 すると、師団や旅団飛行隊には配備できるものの、方面隊直轄の航空部隊に対しては、少々小型すぎる航空機、そして行動半径も十分ではない機体となる可能性はあります。ここで浮かぶのは海上自衛隊掃海輸送ヘリコプターや航空自衛隊次期救難ヘリコプターと方面隊直轄部隊のヘリコプター統合です。
Uimg_0060 具体的には要人輸送ヘリコプターEC-225か掃海輸送ヘリコプターMCH-101、もしくは航空自衛隊のUH-60J改を方面隊の方面航空隊方面ヘリコプター隊に装備させ、師団と旅団が新型機を導入する、すると師団飛行隊は多用途ヘリコプター導入以前には観測ヘリコプター10機程度を運用していましたので、10機という定数であっても一定の空中機動が可能となりますし、観測任務と兼ねることも可能。方面ヘリコプター隊はより長い航続距離を活かして強襲任務、分担が可能となるでしょう。
Uimg_9899 特に東日本大震災に際しては東北方面航空隊の多用途ヘリコプターが定数20機に対して即応機が8機となっていました。このため情報収集任務しか対応できなかったのですが、EC-225であれば25名の空中機動が可能、MCH-101であれば原型のAW-101は35名の空中機動が可能、もちろん取得費用はUH-1よりも大きいのですが、UH-60JAと同程度です。
Img_3550 または、航空自衛隊が導入するUH-60J改と同時に陸上自衛隊が同一航空機を取得する、という方法もあります。量産効果が多少は取得費用を低減することでしょう。特に海上自衛隊向けのSH-60KとUH-60J改で部品相互互換性が重視されるならば、取得費用低減へ更に期待できることになり、実機が完成しなければ何とも言えないと前置きしたうえで、この点は期待できる部分があるかもしれません。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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