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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

新ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが 横須賀基地沖にて公試

2008-12-21 17:35:12 | 先端軍事テクノロジー

■DDH-181 ひゅうが

 海上自衛隊のみならず世界の海軍関係者から注目を集める、護衛艦ひゅうが、洋上において公試を行う様子を、今回、新たに撮影することができたので、掲載したい。

Img_2211  ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが。この角度からみれば、砲を搭載せず、全通飛行甲板による航空機運用を重視した艦だ。文字通りこれまでの護衛艦とは異なる、いわゆる戦力投射能力を、従来の対空対潜対水上戦闘任務への対応能力に加えた運用思想に基づいて建造された護衛艦である。

Img_2109  はるな型ヘリコプター搭載護衛艦は、「はるな」・「ひえい」。ひえい後継となる、ひゅうが型2番艦の建造も今年五月から横浜で建造されている。しらね型護衛艦の建造は、しらね修理に伴う若干の艦齢延長も加味すれば若干先に伸びるのかもしれないが、最終的には四隻の全通飛行甲板を備えたヘリコプター搭載護衛艦が護衛艦隊に揃うこととなる。

Img_2122  船体幅に比べ、飛行甲板の張り出しが少ないのは、旧海軍航空母艦を彷彿させる。後部には、薄っすらと白い何かが記載されている、おそらく“ひゅうが”であろう。この位置には、固定翼航空機を運用する艦船には、エンジン試験区画を設けることが多いのだが、ひゅうが後部には、そのようなものは見当たらない。

Img_2157  艦首上甲板や、艦尾バルジ部分にはCIWSが設置されているのがみえる。ひゅうが型護衛艦は、搭載するFCS-3多機能レーダーにより、高い自己完結戦闘能力を有し、垂直発射器(VLS)に搭載されるミサイルを駆使すれば、艦砲こそ機関砲以上のものは搭載していないものの、現用の汎用護衛艦を上回る対空戦闘能力を有する。

Img_2180  他方で、従来型の護衛艦に、高い航空機運用能力を付与させたという、ひゅうが型の設計は、航空母艦としては異なる設計であり、強襲揚陸艦の能力を強化した戦力投射艦とも、また異なる設計である。いわば、海上自衛隊の護衛艦隊隷下にある護衛隊群が予想される多種多様な任務に対処するべく設計したヘリコプター護衛艦であり、それ以上の規模の航空機運用能力を付与させる艦船の導入は、より上の政治レベルの話となろう。

Img_2206  さて、今回のヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、横須賀沖での公試に関する模様は、横須賀軍港めぐり船上から撮影したもので、昨日掲載した原子力空母ジョージ・ワシントンを観た直後に、洋上に遊弋している姿を撮影したもの。夏にも横須賀を散策していると、沖に、ひゅうが・はるな、という情景を撮影することができた。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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USS  CVN-72 “GEORGE WASHINGTON”  in YOKOSUKA

2008-12-20 17:59:42 | 在日米軍

■横須賀の原子力空母ジョージ・ワシントン

 今年9月25日、アメリカ海軍横須賀海軍施設に、原子力空母ジョージ・ワシントンが前方展開され、12月6日には一般公開された。同日は多忙につき足を運ぶことができなかったが、このほど、空母ジョージ・ワシントンの鮮明な写真を撮影することができたため、お伝えしたい。

Img_2086  ジョージ・ワシントンが原子力空母として就役したのは、1992年の独立記念日にあたる7月4日。湾岸戦争が停戦し、ソマリアへの米軍介入が準備されている国際情勢を背景に、満載排水量102000㌧、全長332.9㍍の巨大な空母は、ニミッツ級原子力空母の六番艦としてアメリカ海軍に配備された。

Img_2027  東西冷戦はひと段落し、ソ連崩壊により、世界葉新しい時代を迎えようとする中、ソ連が建造した、最初にして最後の正規空母トビリシが、艦名をアドミラル・ゴルシコフと改め、母港のある黒海からボスポラス・ダータネルス海峡を抜け地中海に展開、世界の海事関係者から注目を集めていた時代である。

Img_2030   ソ連が冷戦に間に合わず、ようやく正規空母らしき艦船を建造した頃に、ソ連は崩壊、ロシアに国家承継された。当然、航空母艦同士の海戦は、第二次大戦以降起こり得ず、かつて海戦の主役であった航空母艦は、冷戦時代の大国間における大規模武力紛争不在の時代を経て、戦力投射の母体であり、抑止力の象徴というような地位を固めたようだ。

Img_2050  ジョージ・ワシントンが就役した時代、日本へは、前年の空母ミッドウェーが除籍かれ、空母インディペンデンスが横須賀に前方展開された年。その年の横須賀海軍施設一般公開には、新空母を一目観ようと12万もの見学者が押し寄せたとのこと。同じくアメリカ本土では練習空母レキシントンが除籍され、空母アメリカが後継の練習空母に就いた時代だ。

Img_2077  ジョージ・ワシントンが就役した頃に、海上自衛隊では、次期輸送艦として8900㌧型、つまり、今日の“おおすみ”型が計画されている頃で、第3護衛隊群には、“あまつかぜ”が現役、まもなく、護衛艦8隻、艦載哨戒ヘリコプター8機を基幹とした八八艦隊の四個体制が完成しようとしていた時代で、随分昔のように思えてくるのは当方が若いからだろうか。

Img_2176  冷戦終結ソ連崩壊を背景に就役した原子力空母ジョージ・ワシントンは、その大きな船体と原子力推進という機動性の高さから、フロム・ザ・シーやテロとの戦い、という新しい時代の軍事力に対する多彩な要請に応え、今日では、太平洋正面における従来型武力紛争をも見据えた任務に対応するべく、こうして横須賀を拠点として構えている。

Img_2431  さてさて、今回の一連の写真は、横須賀のヴェルニー公園から毎日運行されている“横須賀軍港めぐり”の船上から撮影したもの。空母ジョージ・ワシントンは、地上からは見えにくい位置に停泊しているため、“横須賀軍港めぐり”から風景がいちばんである。運賃は1200円、長浦地区などもまわり、さまざまな艦艇をみることができる。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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阪急電鉄7000系 嵐山⇔西宮北口臨時電車(11月20日撮影)

2008-12-19 18:20:24 | コラム

■阪急の少し古い話題

 阪急7000系の話題。11月20日に撮影した写真だ。昨日は、名鉄7000形の話題であったが、本日は、まだまだ主力の一翼を担う、阪急7000系臨時電車の特集だ。

Img_8440  嵐山駅に停車する臨時列車7000系。7000系は、阪急電鉄が、神戸本線・宝塚本線用に1980年から導入を開始した電車で、阪急電鉄最大の車両数を占めたこともある通勤電車だ。京都本線は、7300系が運用されているため、基本的には7000系は乗り入れないものの、臨時電車ということで京都本線と嵐山線に乗り入れた。

Img_8546  阪急電鉄は神戸本線西宮北口駅から京都本線経由で嵐山線嵐山駅まで、11月17日から21日までの五日間臨時電車を運行した。西宮北口1020→武庫之荘1023→塚口1025→園田1028→神崎川1031→十三1034→桂1125→上桂1127→松尾1130→桂1133、嵐山1551→松尾1553→上桂1556→桂1600→十三1659→神崎川1701→園田1705→塚口1710→武庫之荘1713→西宮北口1717、というダイヤにて運行されていた。

Img_8458  嵐山と、今回の臨時電車が結ぶ西宮北口駅は、宝塚とを結ぶ今津線と神戸本線を結ぶ駅だ。臨時ということで、その表示が扉付近にも掲示されている。嵐山は、京都本線とともに新京阪電鉄から、戦時統合の混乱の末、阪急線に編入された路線で、箕面とともに観光開発に力を入れた地域である。

Img_8467  ■この臨時電車の運行は、もちろん、紅葉シーズンを迎え神戸本線からの嵐山への観光輸送を行うことにある。しかし、京都本線では原則的に停車しないので、ロングシートの通勤車に着席できないお客さんには厳しいかもしれない。なお、この嵐山線には、今後、クロスシート特急車の6300系が短縮編成化改修を受け導入される予定。

Img_8549  臨時電車が嵐山駅を発車する。この際に、あまりにも多くのカメラマンが歩いていることに驚いた近所の方が、なにかあるのですか?と聞いてきたので、臨時電車が運行されている、ということを伝えた。嵐山から西宮北口へ乗り入れるということは京都本線から神戸本線に十三乗り換えなしで乗り入れることができるので、便利そう!、という反応であったけれども、五日間ときくと、がっかりしていた。確かに、京都本線から神戸本線まで、乗り換えなしで乗り入れられれば便利そうだ。

HARUNA

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いなり号豊川稲荷行 名鉄パノラマカー7000形臨時電車

2008-12-18 18:12:17 | コラム

■パノラマカー12月6日臨時電車

 白帯パノラマカーにより12月6日に運行された臨時電車『いなり』号の写真を掲載したい。今月末のダイヤ改正に伴うパノラマカー定期運行終了により、いよいよ愛好家の間では焦燥感が高まる今日この頃。

Img_0427  いなり号は、豊明駅を始発として、豊川稲荷駅まで一往復する。乗車には、乗車整理券と一日乗車券が必要ということだが、一日乗車券は、この区間だけを利用するにはあまりにも高価であり、更にパノラマカーの代名詞的な座席である展望車は、混雑しているため、沿線での撮影をおこなうことにした。豊明駅1146→豊川稲荷駅1237・豊川稲荷駅1243→豊明駅1348という予定での運行だ。

Img_0432  沿線である程度人が集中せず、かつ、撮影環境が良好な場所、ということで、いろいろ考えた結果、知立駅にて撮影することとした。ホームが湾曲しており、ホームの端でなくとも撮影は容易、という考えであったのだが、実際には、通過時間を逆算して、沿線からでもほかの電車と重なる心配は少なかったので、駅を出て少し歩いていったところにある撮影ポイントを選んだ。

Img_0438  やはり、7000形パノラマカーの人気は絶大だ。展望車の混雑はものすごいが、それ以上に驚くのは沿線の活気だ。有名な撮影ポイントではない、かなり駅から離れているこの場所でも、配置についている方が多かったということだ。邪魔にならないか了解を得て撮影。恐らく、有名なカーブの撮影ポイントは、この日、物凄い人出となっているのだろう。

Img_0446  パノラマカーであるが、定期運行は、今月末のダイヤ改正により終了となるものの、名鉄HPによれば、“平成21年度中には引退”、という表現が用いられている。これは、言い換えれば、イベント列車などの予定で、当分は運行する、という意味でもとることができる。他方で、現在、二輌編成化して保存するという方策を名鉄はとるようだが、四輌編成の中間車を流用して六輌編成化し、動態保存したとしても、記念運転などの収入でなんとか維持できるのでは?と考えたりもする。付け加えれば、四輌一編成を、可児に保存している8800形のシートを組み込み、団体専用車、としてみるのも面白いのでは、と考える次第。

HARUNA

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特急雷鳥 485系から683系へ 新型特急車両が完成

2008-12-17 09:29:19 | コラム

■JR西日本新型『雷鳥』完成 金沢へ甲種回送

 産経新聞2008年12月15日1216時付の産経新聞Webによれば、大阪と金沢を結ぶ特急雷鳥の新型車両が完成、東大阪市の近畿車輛から金沢総合車両所に電気機関車に牽引され、甲種回送された。

Img_0930  特急雷鳥は、181系、381系とともに国鉄時代に、こだま色として全国的に整備され、一時代を築いた485系が使われている。この、雷鳥の塗装はこだま色とよばれる、クリーム色に赤のストライプという、カラーリングであり、国鉄特急の代名詞的存在であった。このカラーリングそのものがいまでは国鉄色として親しまれている。

Img_2392 485系は、リクライニングシート化やパノラマグリーン車の設置、一部洗面所やお手洗い設備の洋式化など、近代化改修を重ねたものの、導入されたのは1964年と古く老朽化は否めず、残念ながら平成23年ごろまでには雷鳥は、485系から新型車両に置き替えられることとなる。

Img_8199 485系は、交流直流直通運転が可能で、50hz60hz電力双方に対応していることから電化区間であれば、日本全国すべての国鉄路線を走破することが可能で、在来線特急車の中では最大勢力を誇っていたものの、東北・上越新幹線開通により東北地方の在来線特急の大半が廃止されたことで勢力を減らし始め、以後、後継車の投入などにより順次、その勢力を減らしている。

Img_9594  その485系も、塗装は国鉄民営化とともに新塗装に改められることが多く、こだま色の485系が特急運行されている、という雷鳥は貴重であるが、車内の内装や台車、ブレーキ性能などを総合した乗り心地などでは新型のサンダーバードに用いられる681・683系に見劣りする。

Img_8128  新型車両は、前述のようにサンダーバード、これも金沢と大阪を結ぶ特急であるが、この特急に用いられている683系特急の改良型となっている。営業運転の最高速度は130km/h、線路状態のいい湖西線や北陸線での運転を念頭におき、485系や681系、683系の高速性能を受け継いでいる。

Img_8137  新型特急は、来年春頃から営業運転を開始し、順次、485系を置き替えてゆくこととなる。カラーリングなどは、サンダーバードと共通ということなので、北陸方面に向かう特急は、名古屋と金沢を結ぶ特急しらさぎ、とともに681・683系一色となる模様。他方で、北陸新幹線開業後の雷鳥、サンダーバード、しらさぎ、の動向や、JR西日本が運行する旧式化した381系や183系の後継車両へも興味が持たれる。

HARUNA

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イラク派遣輸送機部隊撤収へ イラク復興支援特別措置法空輸活動が終了

2008-12-16 19:00:09 | 防衛・安全保障

■C-130H輸送機イラクから帰国へ

 15日、イラク復興支援特別措置法に基づき派遣されていた航空自衛隊のC-130H輸送機部隊が、任務終了に伴い、小牧基地への撤収を開始した。

Img_8067  航空自衛隊のイラク派遣は、2004年3月より開始され、C-130H輸送機三機を中心に、整備などを行う派遣本隊約200名が任務にあたっていた。15日には、最初の一機が航空自衛隊の根拠地である、クウェートのアリ・アルサレム空軍基地を日本に向けて離陸、続いて、派遣本隊の隊員と輸送機二機も23日までに順次帰国、撤収の業務を支援するために派遣された業務隊も、施設返還などの業務を来年三月までに終了し、任務を終える。

Img_7256  C-130H輸送機派遣の根拠となったイラク復興支援特別措置法には、2009年7月を起源として活動を明記している。しかし、政府は、イラク駐留外国軍部隊の駐留を定めた国連決議が、2008年中に期限切れとなるため、航空自衛隊の輸送機部隊にも撤収を決定したとのことだ。これにより、五年間に及ぶ航空自衛隊輸送機部隊のイラクでの任務が終了、同時にイラク復興支援特別措置法に基づき自衛隊が実施したイラクでの全ての活動が終了することとなる。

Img_8557   航空自衛隊は、陸上自衛隊のイラク復興人道支援任務部隊輸送支援などを目的として、サマワ宿営地に近いイラク国内のアリ空軍基地と、拠点としたクウェートのアリ・アルサレム空軍基地とを結び、更にバクダッドや、イラク北部のアルビルへも輸送支援を実施した。陸上自衛隊の撤退後は、駐留外国軍部隊の輸送支援にも任務の範囲を広げ、航空自衛隊は、この任務のために延べ人員3500名を派遣、821回にわたり輸送機による空輸支援を行い、輸送実績は46500名、物資673㌧に上る。

Img_3194   航空自衛隊のC-130H輸送機が飛んだ武装勢力との散発的な衝突が続くバクダッドや北部のアルビルへの輸送は、特に危険性が指摘されており、幸いにして杞憂に終わったものの、着陸までは人員携帯地対空ミサイルや機関砲による攻撃の恐れがあり、空港内にも迫撃砲やロケット弾による攻撃が加えられる恐れがあるため、機体にはミサイルの赤外線を感知するミサイル警報装置(MWS)が取り付けられ、機内の一部には乗員や同乗者を防護するための防弾板が取り付けられていた。

Img_8565  携帯地対空ミサイルに対処する飛行法は、空港や航空基地周辺は米軍が厳重警戒しているため、滑走路に進入するルートに向かい、空港まで距離がある中で高度を下げたところが狙われやすい。このため、滑走路付近まで高高度で飛行し、滑走路上空にて螺旋状に高度を下げてゆく。ミサイル警報装置が作動した際には、見張りにあたるロードマスターがミサイルの接近の方位を視認し、ミサイルを欺瞞するためにフレアーを連続射出、同時に回避行動を行う。輸送任務は、もともと緊張が強いられる任務だ、それに一つ、大きな緊張が加わることとなった訳だ。

Img_8114 派遣部隊が飛んだクウェートのアリ・アルサレム空軍基地までの航路は、イラク国内において治安作戦などの激しく緊張の続く任務を終えた米軍兵士も多く、定刻通りに離陸し目的地に向かう航空自衛隊の輸送機は好評だったとのこと。なによりも、防弾板が配置されており、一度も攻撃を受けないよう飛行したことも、この評判には反映されているのかもしれない。821回の空輸支援により46500名を輸送したということは、平均56~57名。C-130H輸送機は最大92名の人員を輸送(空挺隊員の場合は64名)できるので搭乗率は60%(物資輸送や、人員の携行品を加えれば、更に上)、なかなかの搭乗率だ。

Img_8161  他方で、高温且つ砂塵舞う中東にて、三機の輸送機を滞り無く運用した、ということも評価されるべきだ。アリ・アルサレム空軍基地からバクダッド国際空港までは、概ね伊丹空港から羽田空港まで、アリ・アルサレム空軍基地からアルビル空港までは、伊丹空港から函館空港までと同程度の距離。821回の任務に三機の輸送機を充てて完遂、というのは、稼働率の維持などでは、そうとう見えない苦労があったのではないか、と考える。こうした中で、国際人道支援などの面でえた有形無形のノウハウは、今後の様々な任務に活かされることとなろう。15日に日本へ離陸したC-130は19日に小牧基地へ到着する。

HARUNA

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YS-11E電子戦支援機? 紅葉の京都東福寺上空に飛来

2008-12-15 23:29:14 | 先端軍事テクノロジー

■YS-11、もしかしてE?

 京都上空には様々な航空機が飛び交っている。その中で、紅葉の季節になると、自衛隊の航空機がいつもより目立つなあ、と考えるのだが今回のは特に珍しい。

Img_0558  京都東福寺にて、朱に染まる紅葉を撮影している最中、聞き覚えのある音が耳に入り、あわてて椛から上空にカメラを向けると、YS-11が飛行していた。国産のこの旅客機は、民間航空の旅客機としては日本のエアラインから退いたものの、航空自衛隊など、官庁機としては運用が継続されている。

Img_0562  このYS-11であるが、高高度を飛行しているため、トリミングしても鮮明とは言いがたい写真であるが、胴体下部の主翼の前後にアンテナのような突起物がみえる。したがって、海上自衛隊や航空自衛隊で輸送機として使用されているYS-11ではなく、電子戦関係の訓練支援機もしくは情報収集機であるということがわかる。

Img_0568 不鮮明であるが、垂直尾翼の部隊マークは、赤黄青から成る航空総隊司令部飛行隊電子戦支援隊の部隊マークのようにもみえる。電子測定機として運用されるYS-11ELは、濃淡のグレー塗装を採用しているので当てはまらない、ということは、電子戦支援機として運用されるYS-11E/E改なのだろうか。

Img_0573  他方で、航空自衛隊HPなどに掲載されているYS-11Eは、翼端部分にオレンジ塗装は用いていないので、もしかして違うのかな?と思ったりもするが、何はともあれ、万全の自信は無いもののYS-11Eであれば京都上空でなくとも非常に珍しい機体であることには変わり無いので、掲載してみた。以上、多忙につきのコネタでした。

HARUNA

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日米同盟を考える: 航空自衛隊 次期主力戦闘機(F-X)候補 ②

2008-12-14 22:14:58 | 防衛・安全保障

F-Xは何を担うか

 F-4EJ改の後継、航空自衛隊の次期戦闘機選定に際して、航空自衛隊は次期戦闘機をどのように運用するかという視点が何よりも重要である。

Img_9492 このF-X選定、問題の概括を冒頭に記したい。要撃戦闘機として運用を重視するべきか、 支援戦闘機としての運用も念頭に置くべきなのか、という視点。既存の航空自衛隊作戦機との整合性・補完関係をどのようにみるのかという視点。技術取得を重視するのか、それとも機体そのものの導入を重視するのか、という視点が必要となるだろう。

Img_8753  第一には、要撃戦闘機としての運用を重視するのか、それとも支援戦闘機としての運用を重視するのか、ということだ。もちろん、今日的には純然たる要撃機として設計された航空機は無く、多用途性能、つまりマルチロールファイターとしての運用が設計には盛り込まれている。この中で、要撃機として運用する場合は、F-15J近代化改修機との補完関係を如何に見積もるか、という視点が重要となる。視点のひとつには、例えばステルス性を考慮した機体とを組み合わせた協同交戦能力の行使により、少数機にて航空優勢を確保する一手段とする方策を採る視点も必要となろうが、もうひとつ重要な視点がある。

Img_4903  それは、新規調達の0.4~0.5倍にあたるF-15Jの近代化改修の費用を圧迫しない程度に、経済性、これは初度調達品や教育訓練、運用コストを含めたプロジェクト全体のコストを意味するのだが、この視点が重要となってくる。例えば、F-22AやF-35といったステルス機は、高射の場合取得までの期間という問題も含めなければならないのだが、概して調達コストは高く、加えて、日本が取得する場合、これらの航空機は、技術供与に機密保護という障壁が加わり、日本国内での例えば三菱重工などによるバックアップ体制が認められない場合には、部品の供給面において、これまでのようなライセンス生産が認められた機体とは異なり、その入手に一定の時間的制約が加わることが予想される。つまり、稼働率が低くなる可能性を踏まえなければならない。高コスト化による調達数の下方修正と、機密保護の観点に起因する部品調達の困難化により稼働率が低下する可能性も考慮しなければならず、即ち、作戦機そのものの下方修正に繋がる可能性も有している訳だ。

Img_4499  支援戦闘機として運用する場合には、要撃機とは異なり、XASM-3超音速対艦ミサイルのような国産の各種装備を運用することを視点に含めなければならなくなる。既存の外国製空対艦ミサイルを取得する場合と比べた場合、日本の国産装備を採用できるということは、運用隊形に適合させた装備を自主開発できるという視点が喧伝されるが、それだけではない。特に日本が外国製装備を輸入する場合、相応の実績や比較研究、場合によっては国際公募によるトライアルを実施する必要性が生じるため、最新鋭の装備であっても、自衛隊に制式化されるまでにある程度の陳腐化を見込まなければならなくなる。

Img_1840  もちろん、すべてを国産する必要はないものの、運用効率上国産かが望ましい装備というものはあるわけで、付け加えれば、これは前述した部分とも重複するが、国産装備を用いることによる“技術的奇襲”、つまり、能力をひとくすることにより、抑止能力を高めることも、選択肢に含めることができる。支援戦闘機としての運用をある程度重視するのであれば、外国機を導入する際、火器管制装置のソースコードがどの程度開示されるのか、という点、特に日本が独自に書き換えることができるのか、という視点も重要となる。

Img_4501  忘れてはならない視点として、次期戦闘機の導入による技術的取得をどの程度見積もるべきであるか、という点。ライセンス生産による日本への技術蓄積を重視するのか、それとも、有償軍事供与(直輸入)としてでも、機体そのものを導入することに重点を置くのか、ということだ。直輸入する場合は、もちろん、機密保護の観点からライセンス生産が認められない、という状況も考えられるし、次期戦闘機の調達数が数的に新しく生産設備を整備してのライセンス生産が経済的に見合わない場合において採る、という方法も考えられる。もちろん、直輸入する場合には、日本国内での技術基盤を維持するという観点を忘れてはならず、F-15の近代化改修やF-2の能力向上により、最低限の技術基盤を維持させる、という手法も想定に含めなければならない。

Img_7359  もうひとつは、退役までのライフサイクルコストを視点に含めてもいいのか、それとも含めないのか、という視点だ。そのひとつが段階近代化改修。例えば、欧州共同開発のユーロファイタータイフーンは、現在搭載しているECR-90レーダーに代えて、先進的なAMSARレーダーの搭載を目指した研究開発が進められている。もちろん、近代化改修は、定期整備とともに適宜実施することも可能であるが、レーダーやFCSの抜本改修となると、経済的負担が大きく、加えて、例えば、現状の取得機に認められたソースコードの開示が最新技術においても認められる余地があるのか、という観点も加えて、選定を行う必要がある。仮に、近代化改修への大規模な負担を極力抑えるというならば、いわゆる“伸びしろ”に当たる、つまり将来発展性を考えるよりも、むしろ、完熟した、つまりこれ以上発展の余地の無いともいえるのだが、そうした航空機を選定したほうが、場合によっては抑止力の整備には、即効性を発揮できる。例えば、F-15Eに最新鋭のAPG-70/SARレーダーを搭載したモデルや、F/A-18Eに同じく最新鋭のAPG-79AESAレーダーを搭載した機体を導入したほうが、即効性の高い抑止力の形成には役立つ。

Img_6060  また、現状のF-4EJ改の旧式化の状況によっては即時調達をなによりも重視する場合、F-2支援戦闘機の継続調達や、F-16Cブロック60/62を選定し、ライセンス生産する場合には生産設備の互換性までは望めないものの、ある程度作戦運用面での互換性を有するという利点を重視する、という視点もあっていいのではないか。F-16は相次ぐ能力向上により、調達コストは高騰しているものの、検討に値する案では、とも考える。航続距離が比較的短い、欧州機などのグリペンは、経済的にやや利点を有しているものの、航空自衛隊の運用思想とは合致しない部分はあるが、丘珠、松島、入間、浜松、小牧、美保、鹿屋、下地島など有事の際に分散運用する、というような運用体系の見直しとともに導入を検討する、ということも一考の価値はあるようにも思う、が現実的ではない。・・・続く

HARUNA

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京都東福寺 今年もみごとに彩られた通天橋の紅葉

2008-12-13 21:11:43 | 写真

■東福寺紅葉散策

 今回は、東福寺の様子を掲載したい。これら美しい情景は、十二月四日の写真なので、この椛も今は既に土へ還っている頃だろうか。

Img_0467  京都東福寺、京阪やJR奈良線の東福寺駅からほど近いこの寺は、紅葉の名所として有名で、週末ともなれば駅のホームには人が降りれない程の観光客で溢れる。当方は、紅葉は観たいのだけれども、あえて人の混雑を観に行くのではないのだから、平日に時間を見つけて足を運んでみた次第。

Img_0623  東福寺が建立されたのは1255年。京都にも大きな寺院を、と摂政九条家が、寺の造営を決意し、奈良の東大寺、そして興福寺から一文字づつを借り受け、造営した寺院、それが東福寺の始まりである。本殿の釈迦仏像は高さ15㍍と大きく、新大仏寺として崇敬を集めた寺。

Img_0462  木造の美しい寺院は火災には弱く、14世紀初頭には1319年、そして1334年、続いて1336年と相次ぐ火災により一時荒廃したものの、再建への熱意は大きく、前関白一条経道により、すぐに仏殿の再建が始まり、その後二十年間を経て、14世紀半ばには、再びかつての姿を取り戻すに至ったという。

Img_0471  東福寺は、14世紀半ばの火災からの再建の前には、臨済宗の寺格として、いわゆる京都五山に列せられている寺院であるが、再建後は、純粋な禅寺として、歩むこととなった。その後、京都の大半を焼くこととなった応仁の乱や、第二次大戦の空襲からも地理的な関係上(鳥羽伏見は近いが・・・)、戦災を免れ、今日に至る。

Img_0478  ちなみに、ここ東福寺を開山した聖一国師円爾弁円は、日本にて学問を修めたのちに宋に渡り仏道を修めた高僧で、その学識は、広く日本の文化や社会に寄与したとのことで、東福寺を開山してのち、幕府の執権北条時頼に招かれ、鎌倉の寿福寺などにも招かれたのち、東福寺に戻り、ここ東福寺にて入定(亡くなること)している。

Img_0489  聖一国師円爾弁円の偉業、といってもピンと来ない方が多いと思うが、聖一国師が日本に導入した技術の中で、今日我々の生活に根付いているのは水力を用いた製麺技術と製茶技術であろう。それまで手作業によって行っていた製麺と製茶技術を大量生産が可能なものとしたのは、大きな偉業であると考える。

Img_0538 水力を用いた製麺技術により、特に石臼を手で動かす労力から開放されるとともに大量生産が可能で美味しい麺類が安価に広がった。うどん、そば、きしめん、ラーメン、麺類が好きな当方には、聖一国師の偉業というと、仏道に励む方々には申し訳無いが、京都駅でよく好んで食べる湯気立つ月見蕎麦。名鉄知立駅の名物きしめん、そして大学の近くの旨くて安い讃岐うどんを思い浮かべたりする。

Img_0597 また、製茶技術とともに、今日、静岡茶として贈答品からペットボトル入り飲料としてまで幅広く親しまれる御茶の原種を日本に伝えたのも聖一国師の功績である。御茶と麺類、いまや我が国では、繁華街はもちろんのこと鉄道駅から路傍にいたるまで普及した、ひとつの文化でだ。

Img_0507  美しい椛の紅葉。実は、通天橋とともに椛をいれた美しいアングルの部分にある木々の紅葉は終わってしまった状態だったので、まだ葉の落ちていない椛と通天橋をいれるアングルとするのにやや苦労した。この頃は、もう陽が傾くのが早く、時計は、まだ1500時頃なのだが、ほんのりと夕闇が近づいている情景に。

Img_0592  カメラにて撮影する際に、オートにしてカメラに任せないで、やや露光オーバーで撮影すると、紅葉の朱色が鮮やかに際立つ。紅葉の時期が終わりかけていることもあり、落ちた椛が、鮮やかな色合いを保ちつつ、陽光に照らされ、寺院そのものが移り変わる季節をみせてくれた、そんな印象を与える写真を撮影することができた次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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Luce d' infinite 神戸ルミナリエ2008 荘厳な光の彫刻

2008-12-12 13:35:40 | 旅行記

■阪神大震災の鎮魂を願い

 今年も神戸ルミナリエが開催された。毎日、二十万人以上が訪れる神戸、冬の風物詩だ。今回は、神戸ルミナリエの美しい写真を掲載したい。

Img_1353  神戸ルミナリエとは、阪神大震災による犠牲者の鎮魂を願った行事である。そのはじまりは、阪神大震災の爪痕がまだ濃い1995年12月に初めて開催された。100万都市を襲った直下型地震による災厄は、第二次大戦における神戸空襲以来のもので、瓦礫からの復興への希望と勇気を与えたのが、この神戸ルミナリエ。

Img_13891  電飾、これをイタリア語に改めるとルミナリエとなるのだが、この“作品”は、イタリア在住の芸術家ヴァレリオ・フェスティと、神戸在住のアートプロデューサー今岡寛和による光の彫刻、という位置づけとなっている。写真には信号機が写っているが、この光の彫刻の壮大さを語っているようだ。

Img_1411  神戸ルミナリエは、毎年テーマがあり、今年の神戸ルミナリエのテーマは“光のインフィニート”。インフィニートとは、イタリア語で無限、という意味を示すもので、光を神戸の復興に喩えているとのこと。発せられた光は、消えることなく無限にそして永遠に進み続ける、それを神戸に喩えた、ということか。

Img_1415  神戸ルミナリエは、会場に設置された募金箱への募金と神戸市内の企業の支援により成り立っている。積立金のようなものはなく、毎年開催するとともに募金が集まらなければ、次の年は、ということも考えられるため、百円募金というものを呼びかけている。清水寺や高台寺の夜間特別拝観を考えて、当方は“相場”を投じた。

Img_1421  2007年度の資金について、企業協賛金は企業154社から2790万円、補助金として神戸市から1300万円、兵庫県から250万円。募金など1180万円、そしてオフィシャルグッズによる収益が270万円で、合計5780万円。作品製作費が2310万円、会場設営費が460万円、警備費が1330万円、電力費が30万円でその他の支出を合わせ、出費は5550万円とのこと。

Img_1435  阪神大震災の犠牲者、そして震災孤児や経済復興など、大きな爪痕を残し、そのすべてが復興したわけではない。他方で、震災以外にも伝染病など、これから考えうる災厄は多々あり、これらへの備えが不十分であれば、再び三度と社会は損害を被る、ということは常に考えておかなければならない。

Img_1439  特に、阪神大震災の百倍近い犠牲者が見込まれている新型インフルエンザ対策などは、もう少し前進した準備は出来ないものなのか、と考えさせられるものもあり、当該期間は極力外出を控え、二週間分の食料と水を備蓄、という、中世のペスト対策とあまり変わらないような対策が提示されているのは、逆に不安だ。

Img_1449  なるほど、社会に及ぼす影響は、震災であれ伝染病であれ、大きなものがあるのだが、そもそも、社会を形成できるというのが人の強みであるのに、自助努力を超えた問題に対しても、社会で結束した対処というものを考えられていないというのが現状か。荘厳な光の彫刻を見上げつつ、ふとそんなことを思った次第。

Img_1469  さて、神戸ルミナリエについて。入場は無料であるば、募金箱が設置されている。来場者は、平日が晴天で二十万から二十五万、雨天で二十万弱、週末の入場者は四十万人前後、となっている。祇園祭の宵山よりも少ないが、それでも地方都市ひとつ分だ。昨日12月11日の入場者は実行委員会HPによれば“239,000名”、ただし時間さえずらせば、そこまで混雑は、いやしているか。

Img_1272  ルミナリエ会場へ一番近いのはJRの場合は元町駅から徒歩である。JRは、京都から芦屋まで40分で結ぶ新快速を毎時四本運行している。新快速に運行されているのは223系、乗り心地のいいクロスシート3扉車だ。ただ、運賃では、特急毎時六本、運賃が600円とかなり割安な阪急がお勧め。

Img_1277  ただし、元町駅に新快速は停車しないので、隣の三ノ宮駅でホームの反対側に停車している321系普通電車に乗り換える。ルミナリエ会場へは元町が近いのだが、ルミナリエ会場の出口からは三ノ宮駅が一番近い、しかし、元町駅からの切符では三ノ宮駅から乗車することは出来ないので注意が必要。

Img_1280  元町駅から、兵庫県警の民間ボランティアの誘導員、そしてルミナリエ開催委員会の予算による民間警備会社の警備員さんが誘導してくれる。会場までは、柵で囲まれた誘導路が設置されており、途中で迷う心配はなく、この誘導路によって多数の観覧者が同時に会場へ殺到することを防いでいる。

Img_1284  ルミナリエ会場まで、あと30分、とある。実際はここまで遠いわけではなく、元町駅からルミナリエが見えるまでが徒歩30分といったところ。ちなみに、ゆっくり歩けばその分所要時間は伸びるのだが、途中で気分が悪くなった場合には、途中から出ることができるように非常口が設置されている(ただし途中退出したばあい、観覧には最初から誘導路を進む必要がある)。

Img_1297  神戸ルミナリエの開催は12月15日まで。写真の掲示によれば、点灯時間は、月曜日から木曜日までは1800~2130時、金曜日が1800~2200時、土曜日が1730~2200、日曜日が1730~2130時という予定となっており、交通規制はそれに先んじて実施される、とのことだ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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