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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】墨俣城,岐阜一夜城はお祭りのような平成時代初期が生んだ現代城郭の遺構

2023-02-02 20:03:37 | 旅行記
■長良川の畔に歴史を考える
 平成の初期はバブル期という一種のお祭りのような時代でして、お祭りに熱狂すると共に目的地を見いだせない中に多くのものが生まれました。乱立した再建天守もその一つ。

 岐阜県大垣市、豊臣秀吉が木下秀吉と名乗った時代に築城した最初の成果を今日に伝える墨俣一夜城が長良川の畔に威容を示しています。JR東海道本線拠点駅大垣駅の岐阜県大垣市ではありますが旧墨俣町はどちらかと云えば西岐阜駅の方が距離的には近い場所です。

 複合式層塔型三重四階のRC造模擬天守閣が威容を示していますが、墨俣城跡歴史資料館となっていまして、残念ながらこれを一晩で建てたという当時の再現ではなく大垣城をまねて平成初期に建てたもの、また渡河点等は長良川堤防により大きく当時と様相を転じており、遺構等について確たるものはない。

 斉藤道三率いる美濃へ織田信長は正徳寺の会見を以て盟約を結びますが、家督を譲った斎藤義龍により弘治年間1556年長良川の戦いにより斉藤道三が敗れた事で織田信長が美濃へ進攻を決意、この為には清州城から稲葉山城へと木曽川と長良川を越えねばなりません。

 稲葉山城の戦いにより美濃を平定した1567年以前、永禄年間1561年から1566年の間に造営されたという。非常に短時間三日程度で造営した事から一夜城と呼ばれ、柴田勝家始め多くの武将が敵地での築城に失敗した難題を木下秀吉が成し遂げた事で出世に繋がった。

 洲股要害に築城、と歴史書に記されており、この洲股要害というものが現在の墨俣という地名に繋がる事から、この地に砦のような城郭があった事は確かといい、後世にも天正年間1584年に小牧長久手の戦いに先んじこの地を治めた武将池田恒興が補修を行っています。

 野戦築城に近い位置づけではありましたが、その築城手法は諸説あるものの非常に洗練されていたようです。太田牛一の信長公記、小瀬甫庵の甫庵太閤記、一夜城を記した文献は限られているのですが、長良川上流に筏等を用いて築城資材を分散蓄積し、展開させた。

 長良川上流に蓄積した築城資材を夜間等秘匿可能な条件下で水運を用いて一挙に築城適地へ搬入し、短時間で組み上げるという。疑問符は急流の長良川に実際こうした手法が可能であるか、築城適地と渡河適地の条件の相違からの展開可否についての現実性などがある。

 ただ、現地へ赴いて率直に気になったのは長良川上流を見れば岐阜城が見えた事。つまり長良川上流から築城資材を展開させた点、長良川の墨俣から稲葉山城即ち現在の岐阜城までは距離があり、戦術上の常識である河川等障害は敵に遠く渡れ、この原則には十分な説得力があります。問題は長良川の位置のほうに。

 長良川上流に築城資材を集めて墨俣に集積する場合、長良川は岐阜城の直下を流れ、岐阜城よりも奥地は峻険な山間部に入ります。そして織田の本拠地清州から長良川上流に資材を蓄積し美濃攻めの拠点を造る場合、そもそもその上流が斉藤家の本拠地にあたるという。

 美濃と尾張の境界線は木曽川、木曽川を越えて美濃に入ります、長良川はその先に在り、水運を利用し墨俣へ築城するには墨俣から40km下流の木曽川長良川合流部、当時の織田領から長良川を遡上する経路が妥当ですが、当時の長良川や木曽川の流れは現在と違うという者のそれを差し引いても、先に美濃の木曽川を越える事の方が難事、それなしに渡河点の選定さえ理論上難しい。

 一夜城と墨俣城は共に実在しているが、別の城郭であり位置も大きく離れているのではないか。甫庵太閤記に木下秀吉が敵地に築城した新城郭の城主になったという記載があるといい、信長公記の洲股要害は合戦に活用した後に引き払う、との記述、別々の施設とも解釈できるのかもしれません。

 城跡歴史資料館の観点から振り返りますと、この一夜城の天守閣が建築された時期はバブル期、考証より観光地開発が急がれた時代、故に例えば戦後に新たに戦国時代の新資料大量発見等真贋玉石混合の状況下で時代のお祭り騒ぎが生み出した本物の史跡なのでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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