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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【榛名備防録】大きな転換点(1)ユニラテラリズムの牽引者アメリカと冷戦の勝者に関する認識の誤認

2025-04-24 07:01:05 | 国際・政治
■榛名備防録-大きな転換点
gooブログサービスも年内に終了するという事ですのでそろそろ北大路機関らしく榛名備防録を掲載してゆきます。

大きな転換点。日本の安全保障をめぐる問題は大きく転換点を乗り越えつつあります。2025年の時点で大きな転換点、こう表現しますと、安易に米中貿易戦争やアメリカ第二次トランプ政権、ロシアウクライナ戦争の展開や中東和平とイスラエルガザ戦争、こうした時事的な命題が思い浮かべられるかもしれませんが同様の題材は十年前に。

2015年に当て嵌めれば、東日本大震災と日本GDPの世界第三位移行という問題やアメリカオバマ政権とアジア太平洋からインド太平洋という新しい海洋秩序、という視点が浮かんだのかもしれません、更に十年前の2005年に当て嵌めればアメリカとユニラテラリズム即ち単極主義の時代やテロとの戦いという安全保障上の問題を筆頭として。

イラク戦争という問題が当て嵌まったのかもしれません。こうした歴史を俯瞰した上で大きな転換点は、単極主義時代から多極化時代に入った、という事でしょうか。多極化時代、2005年の時点で単極主義を掲げていた為に不可思議と思われるかもしれませんが、この2005年から2025年の間にレジームチェンジが起こったとも、言う訳でなく。

レジームシフトが起こったとも、規範を構成する要素が抜本から転換したとも断言はしません、何れもユニラテラリズムの構成要素は様々なものであり、ユニラテラリズムを構成していた要素こそが、多国籍企業、人権意識、国連、国家、社会集団、宗教、様様なものにより成り立っており、いわば単極化した事で微細が肥大化したということで。

ユニラテラリズムという様式が一旦形成されたことにより、その構成要素は様々なシナジー効果を及ぼすようになり、そのシナジー効果こそが多極化時代を構成する要素であった、ということです。それは一括して一言で表すには複雑すぎる要素を、様々な諸制度の共通点を探すことで一見単一化し、恰も合意があったように理解した故ともいえる。

ユニラテラリズムの牽引者は、アメリカです、それは結果的に第二次世界大戦後に形成された二極主義時代、社会主義と自由主義という二つの二極時代にあって、社会主義の構造的な限界、それは二極主義の一方を牽引したソビエト連邦の社会主義が、ソ連型社会主義という、今日的に言う権威主義的構造を生んだことで構造疲労を招きました。

ソビエト連邦の社会柚木体制は、1990年代に提唱された理論で云うところの、人間の安全保障、こうした概念の萌芽を前に自己実現を目指す個人の要求に国家制度が応えられなくなったという結果の帰結、ソ連崩壊が生じたことで二極主義は単極化する事となりました。ただ、この時点で自由主義の勝利であるのか、と踏み込んで考える必要があった。

自由主義というよりもアメリカの勝利であるのかという視座の解析がもう少し必要であったのかもしれません。しかし、冷戦は勝利の余韻よりも全面核戦争で人類が滅ぶことはなくなりそうだという安ど感から来る開放感が大きかったというべきでしょうか、他方で、単極主義という時代を自由主義の勝利という冷戦の結果に直接結びつけるならば。

自由主義諸国に在って最も人口が多くまた経済力が大きな国はアメリカであったということも事実であり、更にアメリカは東西冷戦における自由主義陣営の最大の生産力と経済力を持っていた国家であり、同時に、元々のアメリカの視座、“西半球は難攻不落”という概念が、アメリカの存在をユニラテラリズムの代名詞的存在に飛躍させたという。

これは同時にアメリカの勝利であったと、解釈の齟齬を生む土壌を培ったといえるでしょう。パクスブリタニカとパクスアメリカーナ、昨今、パクスアメリカーナという単語は使われなくなったといいますか、使いにくくなったともいわれ、その背景にはアメリカが無くとも世界大戦は起きないのではないかという、視座も生まれたところです。

戦争が起きていないからこその視座があるようにも思える一方、大国が国際公序を牽引することにより世界大戦が起きないという理念がある一方、その語源となったパクスロマーナとともに、全て語彙はにているもののその実は内容が異なるという単純な事実を外郭だけみて、いやおなじものなのだ、と誤認しているのではないかと思う。

西半球は難攻不落、これはアメリカ独立後に国是となった、モンロードクトリン、対外中立主義の背景というものでしたが、米英戦争では例えば、ホワイトハウスが占拠され焼き払われるなどの事態こそありましたが、総じてその後のアメリカ安全保障政策において、西半球に直接着上陸の懸念がある時代はありませんでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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