■新特集:木更津航空祭二〇一三
日曜特集木更津航空祭二〇一三、日曜特集は今回から千葉県木更津のヘリコプター部隊による壮大な航空祭の様子をお伝えしましょう。

ヘリコプターの大群が並ぶ木更津飛行場地区//写真特集木更津航空祭二〇一三、千葉県木更津市の陸上自衛隊駐屯地です。陸上自衛隊最大で世界最大の輸送のヘリコプター部隊である第1ヘリコプター団が駐屯している駐屯地で、CH-47輸送ヘリコプターだけでJ型JA型併せて32機もの多数が配備されています。

UH-60JAにCH-47、勿論式典参加航空機の一部です//世界最大とは言い過ぎと思われるかもしれませんが、世界最大です。中央即応集団隷下部隊の第1ヘリコプター団と東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊が、CH-47J/CH-47JAやUH-60JAにEC-225とAH-1SにOH-6D等、各種ヘリコプター70機を配備しています。

此処に並ぶ航空機の調達費用だけでヘリ空母が建造できるほどの規模//アメリカ第101空中機動師団が2013年まで世界最大の輸送ヘリコプター部隊を有していましたが、アメリカ予算均衡法緊急歳出削減措置により隷下の第101航空旅団と第159航空旅団の内、第159航空旅団が管理替え一部予備役化されまして保有機数で下回ったかたち。

UH-60JAを先頭に並ぶ//ヘリコプター、自衛隊はヘリコプターを特に重視しています。これは日本国土の特性が大規模な機械化部隊の戦闘以上に機動力を重視し緊急展開により初動での対処能力が戦域優位を確保する上で必要とされた為で、早い時期から空中機動部隊編成に努めてきた為です。

特殊作戦群支援等の任務に当る故のUH-60JA//世界最大のヘリコプター部隊は、限られた予算を空中機動部隊編制に用いるとの選択と集中を以て実現したもので、陸上自衛隊では1961年の富士統合演習、現在の富士総合火力演習において初のヘリボーン訓練を各国駐在武官へ展示、その能力構築を誇示しています。

AH-1S対戦車ヘリコプター//V-107とF-104は同額、防衛予算からヘリコプターは決して安価な装備ではありません、自衛隊が25名乗りのV-107輸送ヘリコプターを調達開始した当時、航空自衛隊の最新超音速戦闘機F-104と同じ四億円もの調達費用がかかりました。61式戦車は1億円とのこと。

東部方面隊の第4対戦車ヘリコプター隊の航空機で木更津に駐屯//自衛隊空中機動部隊の一大拠点となっている木更津駐屯地ですが、その歴史は古く1936年にまで遡ります、勿論1936年には陸上自衛隊はありません、1936年、木更津駐屯地は海軍木更津飛行場として創設されました。滑走路は埋め立てですが、これも1936年の造成だ。

陸上自衛隊配備のUH-60JAは気象レーダと赤外線暗視装置を標準装備//海軍木更津飛行場、この木更津飛行場を起点として日中戦争と太平洋戦争でアジア太平洋狭しと大活躍したのが木更津海軍航空隊です、南京渡洋爆撃や成都爆撃と1930年代の長距離爆撃を担い、マレー沖海戦支援やラバウル海軍航空隊派遣、その戦史は数えきれません。

ヘリコプターは式典会場から少し離れた場所に並ぶ//木更津海軍航空隊といえば、九六式陸上攻撃機です。1935年に初飛行を果たし1936年、つまり皇紀2596年に制式化された海軍の陸上攻撃機で、九六式陸上攻撃機は日本海軍がワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約を受け航空重視路線先鋒に開発されました。

機首に黒いレーダーカバーが装備するのが後期型のCH-47JA//九六式陸上攻撃機は第一次世界大戦後の海軍軍縮機運を受け締結された海軍軍縮条約により、日本は戦艦と巡洋戦艦をワシントン海軍軍縮条約で、航空母艦や巡洋艦と駆逐艦等をロンドン軍縮条約でイギリスアメリカよりも上限を厳しく定められた為開発されています。

式典開始へ駐屯地司令の到着//戦艦は戦間期の時代に最強の攻撃力と防御力を持ち、優れた機動力を有していた為、これこそが戦力投射の最強手段、現在の戦略核ミサイルに匹敵する優位性を持っていました、当時戦艦を撃沈する事は戦艦以外に容易ではなく、これを制限された事は看過できません。

田中重伸第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地司令に先立ち幹部の到着//1923年には日本海軍が初の空母鳳翔を完成させますが、各国海軍が新たに航空母艦を続々と建造し、これにより洋上から航空機による渡洋攻撃が可能となった為、日本海軍はこの対抗手段、戦艦や航空母艦を撃破可能で新開発の装備体系開発を必要とされたかたちです。

観閲部隊指揮官の到着//九六式陸上攻撃機、海軍が求めたのは長大な航続距離を有し陸上基地から運用、魚雷を搭載可能で戦艦や航空母艦に対して高速を以て遠く洋上へ展開し雷撃を加える、更に多数の爆弾を搭載し陸上目標や敵港湾施設を爆撃する、新しい航空機として開発されたものです。

CH-47を背景に隊員が並ぶ//三菱重工が中心となって開発された九六式陸上攻撃機は怪物のような航空機でした、1936年と云えばイギリスで傑作攻撃機ソードフィッシュ艦上攻撃機が制式化された年ですが、これは布張り主翼の複葉機でした、対し九六式陸上攻撃機は軽金属合金製、進んでいます。

空色の部隊旗は航空科部隊の職種色//怪物という表現の九六式陸上攻撃機は、長大な航続距離にありまして、初期の九六式陸上攻撃十一型は雷撃兵装で航続距離2850kmもの性能を有していました、後期型の九六式陸上攻撃二三型は航続距離6200kmという驚くべき性能を誇り1048機が生産、配備された。

田中重伸第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地司令の巡閲//九六式陸上攻撃二三型の航続距離6200kmは九州鹿屋基地からインドネシアのジャカルタへ、木更津飛行場からハワイの真珠湾ヒッカム飛行場まで、連絡飛行できることを意味します。アメリカの空の要塞ボーイングB-17Gの航続距離が5800kmですので凄さが分かる。

陸将補田中重伸団長、なお2014年から田尻祐介団長へ、現在の団長は服部正陸将補//一式陸上攻撃機はその後継機で1941年に制式化、実に2435機が生産されました。こちらは防御力と速度性能を重視した為、航続距離は6060kmとなっています。徹空母強襲や航空優勢喪失下の攻撃、運用の苛烈さから損耗が大きかったものの終戦まで戦い抜きました。

整列した部隊の背景には海上自衛隊と航空自衛隊機も並ぶ//九六式陸上攻撃機は、全長16.45m、全幅25.0m、空虚重量4965kg、全備重量7778kg、1075hpの金星エンジンを双発搭載しています。一式陸上攻撃機は、全長19.63m、全幅24.88m、空虚重量8050kg、全備重量15450kg、1850hpの火星エンジンを双発搭載していました。

観閲飛行準備の号令//終戦と共に海軍航空隊は解体され、木更津飛行場もアメリカ軍の進駐軍へ移管されました、その後、木更津飛行場はアメリカ軍から自衛隊へ移管される事となり、航空自衛隊と陸上自衛隊が移駐、新たに陸上自衛隊木更津駐屯地と航空自衛隊木更津基地がおかれた訳です。

飛行開始まで時間があるので、痛コブラと痛オメガを見学//CH-47は現在の木更津の主役となっていますが、九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機のような対艦攻撃任務に用いられるのではなく、輸送ヘリコプターとなっています。この為、速力や航続距離では九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機には及ばないものの輸送力は凄い。

凄い特別塗装機もあったものだ、と率直に驚いた//チヌーク、というのがCH-47の愛称ですが、巨大な空輸能力は防衛出動に際して様々な装備を一挙に空輸できることを意味し、更に戦争を放棄したわが国を度々襲う巨大災害に際しては空輸能力を活かした孤立地域への災害派遣任務や拠点への物資集積へ大活躍します。

OH-1,そして背景にV-107が展示されている//CH-47JA輸送ヘリコプターは全長30.1m、全幅18.3m、空虚重量12100kg、全備重量22680kg、3750hpのライカミングT55-L-714エンジン双発搭載です。もっともこれは回転翼を含んだもので胴体部分をみますと全長15.54mと全幅3.87mとなっていますが、ね。

AH-64D戦闘ヘリコプター、こちらは航空学校の教材//輸送ヘリコプターというだけあって空輸能力は物凄く、普通科部隊の軽装甲機動車ならば機内に1両を搭載し長距離飛行が可能で、更に1両を吊下げ空輸可能、120mm重迫撃砲を牽引車毎空輸でき、特科部隊のFH-70榴弾砲や3t半トラックさえも空輸可能というもの。

CH-47には歴代第1ヘリコプター団の航空機シルエットが描かれる//空輸能力の本気を出したCH-47JA輸送ヘリコプターの実力はどのくらいかと云いますと、木更津海軍航空隊が誇った九六式陸上攻撃機を吊り上げて空輸する事が可能ということでして、短距離ならば更に重量の大きな一式陸上攻撃機も吊下げ空輸可能という高性能です。
北大路機関:はるな くらま
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日曜特集木更津航空祭二〇一三、日曜特集は今回から千葉県木更津のヘリコプター部隊による壮大な航空祭の様子をお伝えしましょう。

ヘリコプターの大群が並ぶ木更津飛行場地区//写真特集木更津航空祭二〇一三、千葉県木更津市の陸上自衛隊駐屯地です。陸上自衛隊最大で世界最大の輸送のヘリコプター部隊である第1ヘリコプター団が駐屯している駐屯地で、CH-47輸送ヘリコプターだけでJ型JA型併せて32機もの多数が配備されています。

UH-60JAにCH-47、勿論式典参加航空機の一部です//世界最大とは言い過ぎと思われるかもしれませんが、世界最大です。中央即応集団隷下部隊の第1ヘリコプター団と東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊が、CH-47J/CH-47JAやUH-60JAにEC-225とAH-1SにOH-6D等、各種ヘリコプター70機を配備しています。

此処に並ぶ航空機の調達費用だけでヘリ空母が建造できるほどの規模//アメリカ第101空中機動師団が2013年まで世界最大の輸送ヘリコプター部隊を有していましたが、アメリカ予算均衡法緊急歳出削減措置により隷下の第101航空旅団と第159航空旅団の内、第159航空旅団が管理替え一部予備役化されまして保有機数で下回ったかたち。

UH-60JAを先頭に並ぶ//ヘリコプター、自衛隊はヘリコプターを特に重視しています。これは日本国土の特性が大規模な機械化部隊の戦闘以上に機動力を重視し緊急展開により初動での対処能力が戦域優位を確保する上で必要とされた為で、早い時期から空中機動部隊編成に努めてきた為です。

特殊作戦群支援等の任務に当る故のUH-60JA//世界最大のヘリコプター部隊は、限られた予算を空中機動部隊編制に用いるとの選択と集中を以て実現したもので、陸上自衛隊では1961年の富士統合演習、現在の富士総合火力演習において初のヘリボーン訓練を各国駐在武官へ展示、その能力構築を誇示しています。

AH-1S対戦車ヘリコプター//V-107とF-104は同額、防衛予算からヘリコプターは決して安価な装備ではありません、自衛隊が25名乗りのV-107輸送ヘリコプターを調達開始した当時、航空自衛隊の最新超音速戦闘機F-104と同じ四億円もの調達費用がかかりました。61式戦車は1億円とのこと。

東部方面隊の第4対戦車ヘリコプター隊の航空機で木更津に駐屯//自衛隊空中機動部隊の一大拠点となっている木更津駐屯地ですが、その歴史は古く1936年にまで遡ります、勿論1936年には陸上自衛隊はありません、1936年、木更津駐屯地は海軍木更津飛行場として創設されました。滑走路は埋め立てですが、これも1936年の造成だ。

陸上自衛隊配備のUH-60JAは気象レーダと赤外線暗視装置を標準装備//海軍木更津飛行場、この木更津飛行場を起点として日中戦争と太平洋戦争でアジア太平洋狭しと大活躍したのが木更津海軍航空隊です、南京渡洋爆撃や成都爆撃と1930年代の長距離爆撃を担い、マレー沖海戦支援やラバウル海軍航空隊派遣、その戦史は数えきれません。

ヘリコプターは式典会場から少し離れた場所に並ぶ//木更津海軍航空隊といえば、九六式陸上攻撃機です。1935年に初飛行を果たし1936年、つまり皇紀2596年に制式化された海軍の陸上攻撃機で、九六式陸上攻撃機は日本海軍がワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約を受け航空重視路線先鋒に開発されました。

機首に黒いレーダーカバーが装備するのが後期型のCH-47JA//九六式陸上攻撃機は第一次世界大戦後の海軍軍縮機運を受け締結された海軍軍縮条約により、日本は戦艦と巡洋戦艦をワシントン海軍軍縮条約で、航空母艦や巡洋艦と駆逐艦等をロンドン軍縮条約でイギリスアメリカよりも上限を厳しく定められた為開発されています。

式典開始へ駐屯地司令の到着//戦艦は戦間期の時代に最強の攻撃力と防御力を持ち、優れた機動力を有していた為、これこそが戦力投射の最強手段、現在の戦略核ミサイルに匹敵する優位性を持っていました、当時戦艦を撃沈する事は戦艦以外に容易ではなく、これを制限された事は看過できません。

田中重伸第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地司令に先立ち幹部の到着//1923年には日本海軍が初の空母鳳翔を完成させますが、各国海軍が新たに航空母艦を続々と建造し、これにより洋上から航空機による渡洋攻撃が可能となった為、日本海軍はこの対抗手段、戦艦や航空母艦を撃破可能で新開発の装備体系開発を必要とされたかたちです。

観閲部隊指揮官の到着//九六式陸上攻撃機、海軍が求めたのは長大な航続距離を有し陸上基地から運用、魚雷を搭載可能で戦艦や航空母艦に対して高速を以て遠く洋上へ展開し雷撃を加える、更に多数の爆弾を搭載し陸上目標や敵港湾施設を爆撃する、新しい航空機として開発されたものです。

CH-47を背景に隊員が並ぶ//三菱重工が中心となって開発された九六式陸上攻撃機は怪物のような航空機でした、1936年と云えばイギリスで傑作攻撃機ソードフィッシュ艦上攻撃機が制式化された年ですが、これは布張り主翼の複葉機でした、対し九六式陸上攻撃機は軽金属合金製、進んでいます。

空色の部隊旗は航空科部隊の職種色//怪物という表現の九六式陸上攻撃機は、長大な航続距離にありまして、初期の九六式陸上攻撃十一型は雷撃兵装で航続距離2850kmもの性能を有していました、後期型の九六式陸上攻撃二三型は航続距離6200kmという驚くべき性能を誇り1048機が生産、配備された。

田中重伸第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地司令の巡閲//九六式陸上攻撃二三型の航続距離6200kmは九州鹿屋基地からインドネシアのジャカルタへ、木更津飛行場からハワイの真珠湾ヒッカム飛行場まで、連絡飛行できることを意味します。アメリカの空の要塞ボーイングB-17Gの航続距離が5800kmですので凄さが分かる。

陸将補田中重伸団長、なお2014年から田尻祐介団長へ、現在の団長は服部正陸将補//一式陸上攻撃機はその後継機で1941年に制式化、実に2435機が生産されました。こちらは防御力と速度性能を重視した為、航続距離は6060kmとなっています。徹空母強襲や航空優勢喪失下の攻撃、運用の苛烈さから損耗が大きかったものの終戦まで戦い抜きました。

整列した部隊の背景には海上自衛隊と航空自衛隊機も並ぶ//九六式陸上攻撃機は、全長16.45m、全幅25.0m、空虚重量4965kg、全備重量7778kg、1075hpの金星エンジンを双発搭載しています。一式陸上攻撃機は、全長19.63m、全幅24.88m、空虚重量8050kg、全備重量15450kg、1850hpの火星エンジンを双発搭載していました。

観閲飛行準備の号令//終戦と共に海軍航空隊は解体され、木更津飛行場もアメリカ軍の進駐軍へ移管されました、その後、木更津飛行場はアメリカ軍から自衛隊へ移管される事となり、航空自衛隊と陸上自衛隊が移駐、新たに陸上自衛隊木更津駐屯地と航空自衛隊木更津基地がおかれた訳です。

飛行開始まで時間があるので、痛コブラと痛オメガを見学//CH-47は現在の木更津の主役となっていますが、九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機のような対艦攻撃任務に用いられるのではなく、輸送ヘリコプターとなっています。この為、速力や航続距離では九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機には及ばないものの輸送力は凄い。

凄い特別塗装機もあったものだ、と率直に驚いた//チヌーク、というのがCH-47の愛称ですが、巨大な空輸能力は防衛出動に際して様々な装備を一挙に空輸できることを意味し、更に戦争を放棄したわが国を度々襲う巨大災害に際しては空輸能力を活かした孤立地域への災害派遣任務や拠点への物資集積へ大活躍します。

OH-1,そして背景にV-107が展示されている//CH-47JA輸送ヘリコプターは全長30.1m、全幅18.3m、空虚重量12100kg、全備重量22680kg、3750hpのライカミングT55-L-714エンジン双発搭載です。もっともこれは回転翼を含んだもので胴体部分をみますと全長15.54mと全幅3.87mとなっていますが、ね。

AH-64D戦闘ヘリコプター、こちらは航空学校の教材//輸送ヘリコプターというだけあって空輸能力は物凄く、普通科部隊の軽装甲機動車ならば機内に1両を搭載し長距離飛行が可能で、更に1両を吊下げ空輸可能、120mm重迫撃砲を牽引車毎空輸でき、特科部隊のFH-70榴弾砲や3t半トラックさえも空輸可能というもの。

CH-47には歴代第1ヘリコプター団の航空機シルエットが描かれる//空輸能力の本気を出したCH-47JA輸送ヘリコプターの実力はどのくらいかと云いますと、木更津海軍航空隊が誇った九六式陸上攻撃機を吊り上げて空輸する事が可能ということでして、短距離ならば更に重量の大きな一式陸上攻撃機も吊下げ空輸可能という高性能です。
北大路機関:はるな くらま
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