■自衛隊にとっての連隊
今回はちょっと古めかしい価値観で視点を考えますが人間歴史や背景から正当性を見つけ出さねば自我自尊を見失うように思えるのが、京都の寺社仏閣を散策しておもうこと。

バタリオンとレジメント、実際のところ自衛隊が連隊という呼称にこだわった背景には明治建軍の時代からの軍隊と地域の関係があるのかもしれません、故にわたしは今でも自衛隊が地元との関係を重視するならば、連隊という名称は必要とも考えていますし、代替する象徴的なものは考えつきません、それは旗の違いというもの、欧米と日本の旗の違い。

バタリオン、大隊の名称で欧米としては成り立つ背景にはバタリオンの語原がセンチュリオン、つまりローマ時代の編成、指揮官の格式に起因するものです。これは後に十字軍の基本編成ともなっている、古すぎる話と馬鹿にしてはいけません、欧州の国旗や軍旗にはなにか十字架を模した様式が含まれている、この歴史的且つ文化的な背景があるのですね。

明治建軍、さて日本の場合は連隊旗に明治時代から旭日を模した意匠とともに当時では天皇から下賜されたという伝統が加わりました、大隊というものの編成は江戸時代末期にフランスの近代洋兵術として導入されていますが、大隊編成は安土桃山時代にも鎌倉時代にも基本単位としては存在しておらず、江戸時代の鉄砲百人隊が多少近いくらいでしょうか。

百人隊が一種の大隊に近い規模なのですが、悩ましいのは当時の語彙、バタリオンは100名規模のカンパニー、つまり中隊を基幹としていますので、百人隊では定員が百人程度という認識を越えられず、結果江戸時代と明治時代の軍制度に大きな間隙を生むこととなりました、いやだからこその国家近代化へ、大政奉還と明治建軍が必要となったのですが。

時空の彼方に話が逸れてしまいましたが、連隊は明治以降、軍管区司令部としての地域との関係を構築してゆくこととなります、これが郷土連隊という関係ですが、自衛隊も基盤的防衛力、この名称は内局がねじ曲げたもので本来の意味とはだいぶん違うのですが、各地域に基盤をおく全国均一の部隊配置を行う防衛力整備として継承されてゆく構図です。

基盤的防衛力というのはもともと陸上自衛隊が当初の30万名規模の部隊編成を考えた際に、しかし第四次防衛力整備計画の時代にそろそろ防衛力を現実的な18万名規模の定員に抑えなければ限界という視点から有事の際に増強するための基盤、もとの部隊という認識で平時にあっては不満だが、18万の規模に甘んじる、こういう理念の下で整備されています。

内局としては、緊張が拡大した時点で増やす選択肢という認識では通りが悪いために全国へ基盤を置くと言い換えたもので、しかし連隊区という旧陸軍の考え方をそのまま踏襲するならば、間違いではないのかもしれません。しかしこれが地域と連隊の結びつきを強固なものとしました、募集広報では利点となりますが、安易に部隊数を縮小できなくなる。

郷土連隊という気風、結局軍事機構も人の集まりですので悪いものではないと考えるのですが、結果連隊を減らせないが人員は全体として縮小する為に連隊がどんどん人員規模で細ってゆく、という構図、日本独自の問題を示している印象がないでもありません。ただ、戦闘部隊としての本務をどのように考えるか、人間か機関かの問題がでているといえる。

人口減少時代、特に地方都市で自衛隊の部隊は人口維持に不可欠の要素となってしまいました、だからこそ地元は自衛隊を好意的に迎えますし、演習での事故に際しても、しかし自衛隊がいなくなっては困るという機運も醸成する、反対があっても自衛隊の代わりに巨大自動車資本が雇用二千人とかでも実現しない限り、反対するにも、声が弱くなります。

現代に置いても旧態依然きわまる、こうした構図なのか、こう思われるかもしれませんが、自衛隊駐屯地誘致に失敗して財政破綻した自治体が実在しますし、こうなってきますと部隊としての雇用はもちろんですが、小中学校を維持できるか、30km圏内に高等学校を残せるのか、路線バスは二時間に一本運行できるか、切実な問題となってしまうのですね。

自衛隊の任務ではない、こう思われるかもしれませんが、一方で演習場の確保など、結局土地と軍事機構の関わりは省けません、故にこうした連隊の問題は、一種泥縄的に自然醸成されるためのいくつかの選択肢が、軍事機構よりも行政機構という側面で部隊の規模を各国の編成から乖離させる、そんな部隊規模で実戦に通じるのかという問題を残しました。

財務当局との問題もあります、例えば自衛隊法付則"連隊は1200名を定員とし戦車大隊は戦車44両を定数とする、これを下回るには部隊ごとに内閣の閣議決定を必要とする"という法令を整備できるならばよいのかもしれませんが、結局戦車定数にしても装備投入にしても防衛省がいくら真面目に概算要求を示しても財務省にはねられます、予算化できない。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
今回はちょっと古めかしい価値観で視点を考えますが人間歴史や背景から正当性を見つけ出さねば自我自尊を見失うように思えるのが、京都の寺社仏閣を散策しておもうこと。

バタリオンとレジメント、実際のところ自衛隊が連隊という呼称にこだわった背景には明治建軍の時代からの軍隊と地域の関係があるのかもしれません、故にわたしは今でも自衛隊が地元との関係を重視するならば、連隊という名称は必要とも考えていますし、代替する象徴的なものは考えつきません、それは旗の違いというもの、欧米と日本の旗の違い。

バタリオン、大隊の名称で欧米としては成り立つ背景にはバタリオンの語原がセンチュリオン、つまりローマ時代の編成、指揮官の格式に起因するものです。これは後に十字軍の基本編成ともなっている、古すぎる話と馬鹿にしてはいけません、欧州の国旗や軍旗にはなにか十字架を模した様式が含まれている、この歴史的且つ文化的な背景があるのですね。

明治建軍、さて日本の場合は連隊旗に明治時代から旭日を模した意匠とともに当時では天皇から下賜されたという伝統が加わりました、大隊というものの編成は江戸時代末期にフランスの近代洋兵術として導入されていますが、大隊編成は安土桃山時代にも鎌倉時代にも基本単位としては存在しておらず、江戸時代の鉄砲百人隊が多少近いくらいでしょうか。

百人隊が一種の大隊に近い規模なのですが、悩ましいのは当時の語彙、バタリオンは100名規模のカンパニー、つまり中隊を基幹としていますので、百人隊では定員が百人程度という認識を越えられず、結果江戸時代と明治時代の軍制度に大きな間隙を生むこととなりました、いやだからこその国家近代化へ、大政奉還と明治建軍が必要となったのですが。

時空の彼方に話が逸れてしまいましたが、連隊は明治以降、軍管区司令部としての地域との関係を構築してゆくこととなります、これが郷土連隊という関係ですが、自衛隊も基盤的防衛力、この名称は内局がねじ曲げたもので本来の意味とはだいぶん違うのですが、各地域に基盤をおく全国均一の部隊配置を行う防衛力整備として継承されてゆく構図です。

基盤的防衛力というのはもともと陸上自衛隊が当初の30万名規模の部隊編成を考えた際に、しかし第四次防衛力整備計画の時代にそろそろ防衛力を現実的な18万名規模の定員に抑えなければ限界という視点から有事の際に増強するための基盤、もとの部隊という認識で平時にあっては不満だが、18万の規模に甘んじる、こういう理念の下で整備されています。

内局としては、緊張が拡大した時点で増やす選択肢という認識では通りが悪いために全国へ基盤を置くと言い換えたもので、しかし連隊区という旧陸軍の考え方をそのまま踏襲するならば、間違いではないのかもしれません。しかしこれが地域と連隊の結びつきを強固なものとしました、募集広報では利点となりますが、安易に部隊数を縮小できなくなる。

郷土連隊という気風、結局軍事機構も人の集まりですので悪いものではないと考えるのですが、結果連隊を減らせないが人員は全体として縮小する為に連隊がどんどん人員規模で細ってゆく、という構図、日本独自の問題を示している印象がないでもありません。ただ、戦闘部隊としての本務をどのように考えるか、人間か機関かの問題がでているといえる。

人口減少時代、特に地方都市で自衛隊の部隊は人口維持に不可欠の要素となってしまいました、だからこそ地元は自衛隊を好意的に迎えますし、演習での事故に際しても、しかし自衛隊がいなくなっては困るという機運も醸成する、反対があっても自衛隊の代わりに巨大自動車資本が雇用二千人とかでも実現しない限り、反対するにも、声が弱くなります。

現代に置いても旧態依然きわまる、こうした構図なのか、こう思われるかもしれませんが、自衛隊駐屯地誘致に失敗して財政破綻した自治体が実在しますし、こうなってきますと部隊としての雇用はもちろんですが、小中学校を維持できるか、30km圏内に高等学校を残せるのか、路線バスは二時間に一本運行できるか、切実な問題となってしまうのですね。

自衛隊の任務ではない、こう思われるかもしれませんが、一方で演習場の確保など、結局土地と軍事機構の関わりは省けません、故にこうした連隊の問題は、一種泥縄的に自然醸成されるためのいくつかの選択肢が、軍事機構よりも行政機構という側面で部隊の規模を各国の編成から乖離させる、そんな部隊規模で実戦に通じるのかという問題を残しました。

財務当局との問題もあります、例えば自衛隊法付則"連隊は1200名を定員とし戦車大隊は戦車44両を定数とする、これを下回るには部隊ごとに内閣の閣議決定を必要とする"という法令を整備できるならばよいのかもしれませんが、結局戦車定数にしても装備投入にしても防衛省がいくら真面目に概算要求を示しても財務省にはねられます、予算化できない。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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