■平野神社へ初詣
元日地震さえなければ箸が転がっても慶事なのですが橋が転がるような側方流動が起る震災が起こってしまってはとももおもつつ初詣です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/e5/da57b15a5807d43a205f9a2a3fef9ee9.jpg)
平野神社、北区平野宮本町の西大路通り沿いに鎮座しています神社です。ここにはいろいろ思い入れがありまして、そして何かこう文明開化と共にいろいろなものが情景として失われる錯覚がある中で、神域を護る鎮守の森はいまなお聳え、安心感を醸す一画だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7a/f97a275e01fe5de9be884186ab154dd8.jpg)
初詣、そう初詣の話題なのですがここの初詣は松の内といいますか三が日の内にお参りしましたところの話題を。もともとは平城京の田村後宮に鎮座していました神社といいまして、平安遷都に際して平安京大内裏の鬼門を護る神社として此処に遷りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f3/6398ba87447f8025e9bbb636b9d6d637.jpg)
鳥居をくぐりまして、春爛漫な季節にはこの一帯を桜吹雪か、ちょっと出遅れると、何しろ最近は桜の開花時期が早いのだ、春爛漫の頃には青葉というきせつにもなっているかもしれないのですが、まあ、賑やかな情景でして、いまの冬景色はなんともはや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/85/55011455102b543bf4b90f89734e736c.jpg)
西大路通から鳥居をくぐりましたので本殿を真横に神域を進むのですが、真冬の桜並木は、近寄れば確かに蕾は見えるのでしょうけれども、もの悲しさというような景色だけを湛えています。春になれば、とおもいつつ春になればここは有料拝観の桜並木となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/cd/211ec9ba06a838cde9b18f0d24081111.jpg)
皇太子守護の社殿だ。ここ平野神社は不思議な性格をもちまして、いや平安遷都に遡る歴史を湛えるならば東寺の常識と現在の常識が異なることも気づかねばならないのですけれども、そのなかでこの神社は皇太子守護を願い、桓武天皇の生母が創建したとも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/7b/21f9cc48a5c20a9d23ffbd179e8e17d7.jpg)
初詣にそんな、と思われるかもしれませんけれども、ここのご利益はほかの数多神社と同じくその歴史の流れと共に性格を異なるところに向かわせているようではありまして、実際、源氏、平氏、高階氏、大江氏、中原氏、清原氏、菅原氏、秋篠氏の氏神、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/24/642b5fc057b9ad02df24c05dd3c42ed2.jpg)
八姓の祖神、なんていうふうに奉じられている背景にはこの多くの氏神としての存在がありまして、こう報じられる背景には皇太子守護を皇統守護に置き換え、そのまわりを護る公卿と官僚機構を、含めて皇太子守護と強い解釈を加えたともいえるのかなあ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/04/f66d82b5bc60d271341bad18d65d46fe.jpg)
現代の日本、平成も過ぎて令和ですが、これはまあ、見方を変えれば国民国家へ少なくとも明治憲法の時点で日本は方向性を定めたのだろうからいわば万民の云々、ご利益を云々、とみえるのかもしれません。そして京都に多いが全国では稀少な別表神社の一つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/be/6902d80c2ee93eea0b8fb7237d39a7b8.jpg)
二十二社の上七社その一つに列せられていまして、平安時代以降、天変地異などが起きました際には国家鎮護の行事等を執り行う社殿でもありまして、いや一年の計は元旦にあり、という最中に凄いのが能登半島を襲った後なのですけれども、一年の無事を祈る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/48/6f88d048665f6cf0e97a2c0868d3501c.jpg)
北野天満宮と平野神社は、そう、大鳥居こそは離れているのですが神域そのものは紙屋川を挟んでほぼほぼ隣接しているような立地ですので、しかし北野天満宮が大学共通テスト間近ということもあり丸太町通りまで行列が続くのと比べなにかここは対照的だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/3e/48592721a551cf3602285e524d2bb8fe.jpg)
正月という事もありまして振る舞い酒も用意されていて、いや帰りは車だからという人に向けて甘酒もふるまわれている。これもたる酒を早々の鏡開きのような活気と豪気さには対照的に、指呼の距離にある北野天満宮程混雑がないのが印象的なのですけれど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/2b/6ce6ee87b81441030fd55d7807017799.jpg)
災害の無い一年を、願っているのは2018年の台風21号災害により拝殿が倒壊するなど大被害を受けてしまった平野神社の氏子衆こそ、とおもうのですが、先ずはお参りを、と振る舞い酒はぐっと我慢しまして、そしてこう本殿の方へと向かいました次第です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
元日地震さえなければ箸が転がっても慶事なのですが橋が転がるような側方流動が起る震災が起こってしまってはとももおもつつ初詣です。
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平野神社、北区平野宮本町の西大路通り沿いに鎮座しています神社です。ここにはいろいろ思い入れがありまして、そして何かこう文明開化と共にいろいろなものが情景として失われる錯覚がある中で、神域を護る鎮守の森はいまなお聳え、安心感を醸す一画だ。
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初詣、そう初詣の話題なのですがここの初詣は松の内といいますか三が日の内にお参りしましたところの話題を。もともとは平城京の田村後宮に鎮座していました神社といいまして、平安遷都に際して平安京大内裏の鬼門を護る神社として此処に遷りました。
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鳥居をくぐりまして、春爛漫な季節にはこの一帯を桜吹雪か、ちょっと出遅れると、何しろ最近は桜の開花時期が早いのだ、春爛漫の頃には青葉というきせつにもなっているかもしれないのですが、まあ、賑やかな情景でして、いまの冬景色はなんともはや。
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西大路通から鳥居をくぐりましたので本殿を真横に神域を進むのですが、真冬の桜並木は、近寄れば確かに蕾は見えるのでしょうけれども、もの悲しさというような景色だけを湛えています。春になれば、とおもいつつ春になればここは有料拝観の桜並木となる。
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皇太子守護の社殿だ。ここ平野神社は不思議な性格をもちまして、いや平安遷都に遡る歴史を湛えるならば東寺の常識と現在の常識が異なることも気づかねばならないのですけれども、そのなかでこの神社は皇太子守護を願い、桓武天皇の生母が創建したとも。
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初詣にそんな、と思われるかもしれませんけれども、ここのご利益はほかの数多神社と同じくその歴史の流れと共に性格を異なるところに向かわせているようではありまして、実際、源氏、平氏、高階氏、大江氏、中原氏、清原氏、菅原氏、秋篠氏の氏神、と。
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八姓の祖神、なんていうふうに奉じられている背景にはこの多くの氏神としての存在がありまして、こう報じられる背景には皇太子守護を皇統守護に置き換え、そのまわりを護る公卿と官僚機構を、含めて皇太子守護と強い解釈を加えたともいえるのかなあ。
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現代の日本、平成も過ぎて令和ですが、これはまあ、見方を変えれば国民国家へ少なくとも明治憲法の時点で日本は方向性を定めたのだろうからいわば万民の云々、ご利益を云々、とみえるのかもしれません。そして京都に多いが全国では稀少な別表神社の一つ。
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二十二社の上七社その一つに列せられていまして、平安時代以降、天変地異などが起きました際には国家鎮護の行事等を執り行う社殿でもありまして、いや一年の計は元旦にあり、という最中に凄いのが能登半島を襲った後なのですけれども、一年の無事を祈る。
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北野天満宮と平野神社は、そう、大鳥居こそは離れているのですが神域そのものは紙屋川を挟んでほぼほぼ隣接しているような立地ですので、しかし北野天満宮が大学共通テスト間近ということもあり丸太町通りまで行列が続くのと比べなにかここは対照的だ。
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正月という事もありまして振る舞い酒も用意されていて、いや帰りは車だからという人に向けて甘酒もふるまわれている。これもたる酒を早々の鏡開きのような活気と豪気さには対照的に、指呼の距離にある北野天満宮程混雑がないのが印象的なのですけれど。
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災害の無い一年を、願っているのは2018年の台風21号災害により拝殿が倒壊するなど大被害を受けてしまった平野神社の氏子衆こそ、とおもうのですが、先ずはお参りを、と振る舞い酒はぐっと我慢しまして、そしてこう本殿の方へと向かいました次第です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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