■未来へ求む平和な時代の祝日
未来の話はまだ早いでしょうが平成とはどんな時代だったと後世に伝えられるのでしょうか。
本日は天長節、天皇誕生日です。本年は天皇陛下御即位30年と共にこの平成30年を以て、今上天皇は来年四月に御退位され、上皇へ上られます故、12月23日天長節は本日が最後となる訳です。天皇陛下は本日を迎え、平成という時代は戦争が無かった時代である事を強調されまして、その意味では私含め、平成という時代は良い時代、共有できましょう。
明治維新以来、日清日露の戦争、大正時代には第一次世界大戦とシベリア出兵、昭和には日中戦争と太平洋戦争、非常に多くの戦争を経験する事となり、これは国民を中心に戦争の災禍は耐え難い苦痛を長く残します。難しい点は、戦争回避する事により強いられる隷属や戦争を国家間で回避した事による隷属が国民を国家間以外の闘争へ動員する懸念です。
平成という時代を振り返りますと、東西冷戦の終焉と共に第二次世界大戦終戦後に連綿と積み立てた周辺国との友好関係と、第二次世界大戦から続く国際関係が信頼醸成を生み、少なくとも我が国土が戦場の戦火に焼かれる事は元より、我が国が対外戦争を展開する事は回避できると共に、本土着上陸の懸念は東西冷戦期と比較し、大きく低減されました。
災害の脅威、平成の時代は阪神淡路大震災と東日本大震災という桁外れの災厄に見舞われた時代でもありました。大正時代の関東大震災よりは人命という意味では別格ではありましたが、昭和の特に戦後の時代には最大の災害は長く伊勢湾台風だった訳です。昭和の時代は逆に千人単位の犠牲者が幾つかの地震や台風災害では生じていましたが、平成は、と。
阪神淡路大震災は兵庫県南部地震という都市直下型地震により大都市神戸の中心部が激震に見舞われ、その後に発生した火災と共に多くの犠牲者を出す事となりました。我が国建築物の多くは耐震構造を採用、とは必ずしも戦後全ての建築物には当てはまらず、山陽新幹線を筆頭に高速道路網や神戸港にも大きな被害が及び、京阪神地区全体へ影響が及んだ。
東日本大震災、東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0という巨大地震が架空の災害ではない事を突き付け、津波遡上高が40mに達すると共に福島県宮城県岩手県を中心に本州の千葉から北海道沿岸までが津波被災地となり、この影響により福島第一原子力発電所事故を誘発、その災厄の余韻と影響は長期化し、今なお我が国は完全に抜け出せていません。
南海トラフ巨大地震の懸念は、東日本大震災と共に歴史地震として政治的には想定外であった災厄の再来を再認識させ、その被害想定は地質学上過去に発生した最大規模で再来したとして、防災が不完全のままその日を迎えた際には犠牲者32万名という、過去の戦争の東京大空襲や沖縄戦、広島原爆投下被害をも上回る災厄となり我々は脅威に曝されている。
平成の時代とは戦争は無かったが災害は非常に多かった、後世にはこう記憶されるのでしょうか。ただ、戦争と自然災害の違いは共に人命と未来に脅威をもたらしますが、災害に狡猾さは無く、何より人が人を、という構図ではなく、故に禍根もこのしません。そうした意味では、平成は災害は多かったけれども、好い時代であった、といえるのではないか。
平成は良い時代であった、そして次の時代も勝るとも劣らない良い時代を求めたい。勿論、戦争も戦争を回避する事で強いられる隷属も退け、我が国憲法の理念と権利が認められるという最大限の努力が求められるのですが、そして新時代、上皇猊下が即位される新しい時代が到来します。願わくば来年度以降も12月23日が戦争の無い時代を終えた国民の祝日として維持されつつ、今日の平安を明日へ繋ぐ事への協同を望みたいですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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未来の話はまだ早いでしょうが平成とはどんな時代だったと後世に伝えられるのでしょうか。
本日は天長節、天皇誕生日です。本年は天皇陛下御即位30年と共にこの平成30年を以て、今上天皇は来年四月に御退位され、上皇へ上られます故、12月23日天長節は本日が最後となる訳です。天皇陛下は本日を迎え、平成という時代は戦争が無かった時代である事を強調されまして、その意味では私含め、平成という時代は良い時代、共有できましょう。
明治維新以来、日清日露の戦争、大正時代には第一次世界大戦とシベリア出兵、昭和には日中戦争と太平洋戦争、非常に多くの戦争を経験する事となり、これは国民を中心に戦争の災禍は耐え難い苦痛を長く残します。難しい点は、戦争回避する事により強いられる隷属や戦争を国家間で回避した事による隷属が国民を国家間以外の闘争へ動員する懸念です。
平成という時代を振り返りますと、東西冷戦の終焉と共に第二次世界大戦終戦後に連綿と積み立てた周辺国との友好関係と、第二次世界大戦から続く国際関係が信頼醸成を生み、少なくとも我が国土が戦場の戦火に焼かれる事は元より、我が国が対外戦争を展開する事は回避できると共に、本土着上陸の懸念は東西冷戦期と比較し、大きく低減されました。
災害の脅威、平成の時代は阪神淡路大震災と東日本大震災という桁外れの災厄に見舞われた時代でもありました。大正時代の関東大震災よりは人命という意味では別格ではありましたが、昭和の特に戦後の時代には最大の災害は長く伊勢湾台風だった訳です。昭和の時代は逆に千人単位の犠牲者が幾つかの地震や台風災害では生じていましたが、平成は、と。
阪神淡路大震災は兵庫県南部地震という都市直下型地震により大都市神戸の中心部が激震に見舞われ、その後に発生した火災と共に多くの犠牲者を出す事となりました。我が国建築物の多くは耐震構造を採用、とは必ずしも戦後全ての建築物には当てはまらず、山陽新幹線を筆頭に高速道路網や神戸港にも大きな被害が及び、京阪神地区全体へ影響が及んだ。
東日本大震災、東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0という巨大地震が架空の災害ではない事を突き付け、津波遡上高が40mに達すると共に福島県宮城県岩手県を中心に本州の千葉から北海道沿岸までが津波被災地となり、この影響により福島第一原子力発電所事故を誘発、その災厄の余韻と影響は長期化し、今なお我が国は完全に抜け出せていません。
南海トラフ巨大地震の懸念は、東日本大震災と共に歴史地震として政治的には想定外であった災厄の再来を再認識させ、その被害想定は地質学上過去に発生した最大規模で再来したとして、防災が不完全のままその日を迎えた際には犠牲者32万名という、過去の戦争の東京大空襲や沖縄戦、広島原爆投下被害をも上回る災厄となり我々は脅威に曝されている。
平成の時代とは戦争は無かったが災害は非常に多かった、後世にはこう記憶されるのでしょうか。ただ、戦争と自然災害の違いは共に人命と未来に脅威をもたらしますが、災害に狡猾さは無く、何より人が人を、という構図ではなく、故に禍根もこのしません。そうした意味では、平成は災害は多かったけれども、好い時代であった、といえるのではないか。
平成は良い時代であった、そして次の時代も勝るとも劣らない良い時代を求めたい。勿論、戦争も戦争を回避する事で強いられる隷属も退け、我が国憲法の理念と権利が認められるという最大限の努力が求められるのですが、そして新時代、上皇猊下が即位される新しい時代が到来します。願わくば来年度以降も12月23日が戦争の無い時代を終えた国民の祝日として維持されつつ、今日の平安を明日へ繋ぐ事への協同を望みたいですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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