■最終回:10式戦車機動展示
富士学校創設63周年富士駐屯地祭特集は今回が最終回となります、日本の戦車は性能と費用面でかなり優れた位置にありますが、この当たりへの理解が薄い。
アメリカが大量一括調達した際の総合価格を示されても、その値段で自衛隊が調達するには一括大量調達で自衛隊十個分程度の戦車を買わなければその費用には収まりません、また開発費や生産治具費用を別枠で計上しているので、費用定義が日米で異なるのです。
M-1A1戦車を自衛隊が必要な数量だけ調達した場合ですが、一例としてオーストラリアを。オーストラリアがアメリカのM-1A1をM-1A1Dとして電子装置を近代化したものを調達した際の費用ですが、2010年数値で一両当たり13億8000万円という数値が出ていました。
こう書きますとあまり安い気がしません。電子装備が最新なので高い、といわれましても目標自動追尾装置がある訳でもなく、しかも量産されたM-1A1を部品単位で保管している状況で、デポで再度組みなおした、表現を恐れずに言えば新古品というものだったのです。
レオパルド2もドイツ連邦軍が2700両も大量生産していた当時は安価でした、というもの。レオパルド2とは単車当たりの高性能を狙ったものではなく、数を揃え優勢を狙うもの。90式戦車も火器管制装置を簡略化、手動装填としたらばもう少し安価とできたでしょう。
レオパルド2戦車には砲弾の気象影響を検知する気象観測装置が省かれていたり、車長用照準器などはなく戦車長は身を乗り出して視察するという概念の設計であったり、若干運用への考え方が違います。これは平野部の限られた日本と欧州の平原の環境の差といえる。
西ドイツ連邦軍の戦車の場合、ともかくソ連の膨大な戦車との大平原での戦闘に備え数を揃えるには一両当たりを安価にして安くしなければならない切迫性があったのです、国境の向こうに地続きで18個機甲師団が27個機械化歩兵師団と共に待っていましたから、ね。
90式戦車は量産初期こそ12億円と高価格でしたが、これは初度費用として生産関連費用が上乗せされていた為でその後は徐々に下がり2000年代には9億円程度に、最終的には8億円台で最も安価な年度には7億円台まで下がっています。これは当時かなり驚かされた。
その頃レオパルド2は海外輸出を企図して増加装甲や遠隔操作銃搭に市街戦防御装置と価格が上がり、概ね16億円程度、中東に提示されたフルオプションと訓練整備支援のセットでは一両当たり42億円という桁外れのお値段が提示されたこともあります、これも驚きだ。
何故欧州製の戦車が高くなったのか、といいますと欧米は冷戦時代に大量生産に慣れていましたが冷戦が終わり少量長期生産に移行すると途端にコスト上昇に悩まされる事となりました。元々生産を抑え気味であった日本のコスト管理が勝利した、といえるでしょう。
戦車教導隊第4中隊は74式戦車を装備しています、74式戦車は873両という大量生産された戦後第二世代の戦車です。新型砲弾により今日でも第一線に対応する105mm戦車砲を備えた戦後第二世代戦車なのですが、第二世代戦車は1960年代に多くが生産されています。
第一世代戦車は実は第二次世界大戦中の中戦車の性能の延長線上にある設計でした、重戦車と軽戦車という区分がある中で、一番性能面で打撃力と防御力に機動力が均等化されていて運用が容易であった事でこの技術を応用し第一世代戦車が形成されていったわけです。
74式戦車が属する第二世代戦車は、打撃力・機動力・防御力、という三要素の内で当時の技術では二つしか充分に達成させる技術が無く、一つは断念するしかありませんでした。当時は対戦車ミサイル等戦車を攻撃する技術が高くなっていた為、妥協を迫られました。
打撃力・機動力・防御力という三要素の内で重装甲を与えると鋼鉄の装甲が非常に大きくなる為に満足な機動力を持たせる事が出来ず、イギリスのチーフテン戦車などは防御力重視で機動力を断念させました、M-60戦車もこの範疇に含める事が出来るかもしれません。
機動力重視、フランスのAMX-30やドイツのレオパルド1等は防御力を機関砲に耐える程度としつつ機動力を重視している訳です、そして日本の74式戦車は機動力を重視しました。ただ、第二世代戦車の中で最後に登場した74式戦車はただ防御力断念では終わりません。
第二世代戦車である74式戦車は、正面装甲で40mm機関砲に辛うじて耐える、最近の40mm機関砲用APDS弾は厳しいものの、まあ当時の大口径機関砲には耐えられまして、しかも戦車砲弾の命中へは砲塔の形状を工夫する事で防御力をもう少し底上げしています。
74式戦車の外見上の特徴は平たい砲塔に在ります、ミサイルや戦車砲弾はまるい形状の鋳造砲塔を採用することで命中しても滑らせることで直撃を免れる構造を執っています、しかし、それだけでは不安なので油気圧懸架装置を採用しました、当時は勇気ある選択肢だ。
油気圧懸架装置、これは車体を油気圧で前後左右に40cmを上下させる事が出来、地形に身を隠してしまう構造です、戦車が装甲に限度があるのならば地形に隠れてしまえばよい。そしても一つ副次効果がありまして、小型の砲塔を採用する欠点を油気圧懸架装置が補う。
地形に身を隠す油気圧懸架装置ですが、小型砲塔を採用した事で主砲の仰角俯角が大きく執れなくなります、砲塔小型化で防御力を全面集中した分が主砲角度という攻撃力を制約するのですが、油気圧懸架装置にて車体を傾かせられる為、主砲角度を確保できるのです。
105mm戦車砲による攻撃力を重視していまして、砲塔小型化による主砲角度成約を油気圧懸架装置で補うという前述に加え、距離を正確に測る測距レーザー装置を搭載し、遠距離で正確な射撃を行えるようなっていましたし、設計面ではかなり成功していたといえます。
油気圧懸架装置を採用した事で地雷を踏んだ場合の脆弱性や、開発当時は標準的な暗視装置であった搭載する赤外線サーチライトによる夜戦方式が陳腐化し、最前線で赤外線灯光器を照射した瞬間に赤外線が検知され瞬時に制圧されるのでは、という危惧もありました。
夜間戦闘については、操縦手用暗視装置が新型となった際に砲手用暗視装置の更新も期待されましたが、其処までは為されず、苦肉の策ではありますが直協部隊による照明弾との併用や偵察部隊の暗視装置との協同により、充分な、必要最低限の能力を保持しています。
ただ、旧式です。暗視装置を最新に切替え、複合装甲を装着したらばまだまだ使える、という指摘も昔はありましたが、無理です。第二世代戦車は砲弾が一撃で誘爆しないよう車内各所に分散配置していますが、この発想そのものが今日、非常に陳腐化しているのです。
第三世代戦車は砲弾を防護できる区画に集中して配置しています、ですから第三世代戦車は多少貫徹されても砲弾誘爆の危険は無く、内張り装甲により部品の飛散を防護できれば乗員は貫徹し風通しのよくなった戦車内で戦闘継続できますが、第二世代戦車は無理です。
第二世代戦車については車内何処かに砲弾が少数づつ配置されているので、砲弾が命中し爆発するまでの時間を稼ぐという発想です。結果、乗員は戦車を捨て即座に脱出しなければならないというものです。世代差とは様々な部分で技術と思想が進歩しているのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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富士学校創設63周年富士駐屯地祭特集は今回が最終回となります、日本の戦車は性能と費用面でかなり優れた位置にありますが、この当たりへの理解が薄い。
アメリカが大量一括調達した際の総合価格を示されても、その値段で自衛隊が調達するには一括大量調達で自衛隊十個分程度の戦車を買わなければその費用には収まりません、また開発費や生産治具費用を別枠で計上しているので、費用定義が日米で異なるのです。
M-1A1戦車を自衛隊が必要な数量だけ調達した場合ですが、一例としてオーストラリアを。オーストラリアがアメリカのM-1A1をM-1A1Dとして電子装置を近代化したものを調達した際の費用ですが、2010年数値で一両当たり13億8000万円という数値が出ていました。
こう書きますとあまり安い気がしません。電子装備が最新なので高い、といわれましても目標自動追尾装置がある訳でもなく、しかも量産されたM-1A1を部品単位で保管している状況で、デポで再度組みなおした、表現を恐れずに言えば新古品というものだったのです。
レオパルド2もドイツ連邦軍が2700両も大量生産していた当時は安価でした、というもの。レオパルド2とは単車当たりの高性能を狙ったものではなく、数を揃え優勢を狙うもの。90式戦車も火器管制装置を簡略化、手動装填としたらばもう少し安価とできたでしょう。
レオパルド2戦車には砲弾の気象影響を検知する気象観測装置が省かれていたり、車長用照準器などはなく戦車長は身を乗り出して視察するという概念の設計であったり、若干運用への考え方が違います。これは平野部の限られた日本と欧州の平原の環境の差といえる。
西ドイツ連邦軍の戦車の場合、ともかくソ連の膨大な戦車との大平原での戦闘に備え数を揃えるには一両当たりを安価にして安くしなければならない切迫性があったのです、国境の向こうに地続きで18個機甲師団が27個機械化歩兵師団と共に待っていましたから、ね。
90式戦車は量産初期こそ12億円と高価格でしたが、これは初度費用として生産関連費用が上乗せされていた為でその後は徐々に下がり2000年代には9億円程度に、最終的には8億円台で最も安価な年度には7億円台まで下がっています。これは当時かなり驚かされた。
その頃レオパルド2は海外輸出を企図して増加装甲や遠隔操作銃搭に市街戦防御装置と価格が上がり、概ね16億円程度、中東に提示されたフルオプションと訓練整備支援のセットでは一両当たり42億円という桁外れのお値段が提示されたこともあります、これも驚きだ。
何故欧州製の戦車が高くなったのか、といいますと欧米は冷戦時代に大量生産に慣れていましたが冷戦が終わり少量長期生産に移行すると途端にコスト上昇に悩まされる事となりました。元々生産を抑え気味であった日本のコスト管理が勝利した、といえるでしょう。
戦車教導隊第4中隊は74式戦車を装備しています、74式戦車は873両という大量生産された戦後第二世代の戦車です。新型砲弾により今日でも第一線に対応する105mm戦車砲を備えた戦後第二世代戦車なのですが、第二世代戦車は1960年代に多くが生産されています。
第一世代戦車は実は第二次世界大戦中の中戦車の性能の延長線上にある設計でした、重戦車と軽戦車という区分がある中で、一番性能面で打撃力と防御力に機動力が均等化されていて運用が容易であった事でこの技術を応用し第一世代戦車が形成されていったわけです。
74式戦車が属する第二世代戦車は、打撃力・機動力・防御力、という三要素の内で当時の技術では二つしか充分に達成させる技術が無く、一つは断念するしかありませんでした。当時は対戦車ミサイル等戦車を攻撃する技術が高くなっていた為、妥協を迫られました。
打撃力・機動力・防御力という三要素の内で重装甲を与えると鋼鉄の装甲が非常に大きくなる為に満足な機動力を持たせる事が出来ず、イギリスのチーフテン戦車などは防御力重視で機動力を断念させました、M-60戦車もこの範疇に含める事が出来るかもしれません。
機動力重視、フランスのAMX-30やドイツのレオパルド1等は防御力を機関砲に耐える程度としつつ機動力を重視している訳です、そして日本の74式戦車は機動力を重視しました。ただ、第二世代戦車の中で最後に登場した74式戦車はただ防御力断念では終わりません。
第二世代戦車である74式戦車は、正面装甲で40mm機関砲に辛うじて耐える、最近の40mm機関砲用APDS弾は厳しいものの、まあ当時の大口径機関砲には耐えられまして、しかも戦車砲弾の命中へは砲塔の形状を工夫する事で防御力をもう少し底上げしています。
74式戦車の外見上の特徴は平たい砲塔に在ります、ミサイルや戦車砲弾はまるい形状の鋳造砲塔を採用することで命中しても滑らせることで直撃を免れる構造を執っています、しかし、それだけでは不安なので油気圧懸架装置を採用しました、当時は勇気ある選択肢だ。
油気圧懸架装置、これは車体を油気圧で前後左右に40cmを上下させる事が出来、地形に身を隠してしまう構造です、戦車が装甲に限度があるのならば地形に隠れてしまえばよい。そしても一つ副次効果がありまして、小型の砲塔を採用する欠点を油気圧懸架装置が補う。
地形に身を隠す油気圧懸架装置ですが、小型砲塔を採用した事で主砲の仰角俯角が大きく執れなくなります、砲塔小型化で防御力を全面集中した分が主砲角度という攻撃力を制約するのですが、油気圧懸架装置にて車体を傾かせられる為、主砲角度を確保できるのです。
105mm戦車砲による攻撃力を重視していまして、砲塔小型化による主砲角度成約を油気圧懸架装置で補うという前述に加え、距離を正確に測る測距レーザー装置を搭載し、遠距離で正確な射撃を行えるようなっていましたし、設計面ではかなり成功していたといえます。
油気圧懸架装置を採用した事で地雷を踏んだ場合の脆弱性や、開発当時は標準的な暗視装置であった搭載する赤外線サーチライトによる夜戦方式が陳腐化し、最前線で赤外線灯光器を照射した瞬間に赤外線が検知され瞬時に制圧されるのでは、という危惧もありました。
夜間戦闘については、操縦手用暗視装置が新型となった際に砲手用暗視装置の更新も期待されましたが、其処までは為されず、苦肉の策ではありますが直協部隊による照明弾との併用や偵察部隊の暗視装置との協同により、充分な、必要最低限の能力を保持しています。
ただ、旧式です。暗視装置を最新に切替え、複合装甲を装着したらばまだまだ使える、という指摘も昔はありましたが、無理です。第二世代戦車は砲弾が一撃で誘爆しないよう車内各所に分散配置していますが、この発想そのものが今日、非常に陳腐化しているのです。
第三世代戦車は砲弾を防護できる区画に集中して配置しています、ですから第三世代戦車は多少貫徹されても砲弾誘爆の危険は無く、内張り装甲により部品の飛散を防護できれば乗員は貫徹し風通しのよくなった戦車内で戦闘継続できますが、第二世代戦車は無理です。
第二世代戦車については車内何処かに砲弾が少数づつ配置されているので、砲弾が命中し爆発するまでの時間を稼ぐという発想です。結果、乗員は戦車を捨て即座に脱出しなければならないというものです。世代差とは様々な部分で技術と思想が進歩しているのですね。
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